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第五章 王妃のお茶会
38. 第二王子の招待
しおりを挟む少し、時間を遡る。
それは、唐突に現れた。朝、宿直室で目覚めたら、上向けていた掌の中に収まるようにして、それは置かれていた。
「…………」
誰の仕業かは、すぐにわかった。わからないのは、俺の元にそれが届けられた理由だ。お披露目の日に、アイリーネがほんの束の間滞在した迎賓館の部屋の窓辺に置かれていたあの石のように、忽然と現れた小さな金色の鍵。
──第二王子ルートへの道筋が、開いている?
あの石の魔法で、周回時の主人公が三番目の選択肢を選べば転移できた部屋。そこで聖女は初めて、第二王子のサファイン・ルーヴェ・パノリアと出会う。
なんと彼は、その後のお披露目の式典でも珍しく人前に姿を現したばかりか、慇懃無礼かつ嫌味たらしいアルバ公爵とその娘オリーゼからの悪意を含んだ挨拶からも、聖女のことを庇ってくれる。
以降、退屈しのぎと称しつつも、サファインは折りに触れて聖女のことを構うようになる。
そこで彼と親密な関係になっておけば、王妃が王都に帰還する日の朝、この鍵が聖女の元に届くのだ。あとはその日一日、聖女が第二王子の意向に沿った行動をとれば、翌日の王妃のお茶会にはサファインが同席してくれる……。
──そうか! 明日があのお茶会の日になるのか!
またしてもゲームの世界と現実との繋がりに、遅れをとったことを悟った瞬間だった。
その後、エドアルドが王妃を迎えにルダに向かうと知った俺は、ダメ元で急いでルトの使い魔申請を提出した。
予想に反して、書類を出したその場で手続きが完了したため、俺は早速、ルトを使役してみることにする。すぐに認可が降りない可能性の方が高いと思っていたので、正直これはかなりラッキーだった。
これで多少ルトが魔法を使ったとしても、限度を超えてさえいなければ、王宮を護っている結界石のセンサーには引っかからないはずだ。
明日のお茶会の件では、王太子よりもジスティの方がさらにあてにならないような気がしていたので、先手を打つことにしたのだが、結果としてその判断は正しかった。
ルトに探し出してもらったのは、扉だ。ゲームでは、主人公が謎解きゲームよろしく王宮内を歩き回り、いくつかのポイントに置かれたなぞなぞのようなヒントを元にして、時間をかけてサファインから指定されたその扉を探し出すのだが、護衛任務中の俺にそんな悠長なことをしている時間はない。それにもう答えがわかっているので、わざわざヒントを集めて読み解く必要はなかった。
ただ、その扉がある場所まではわからない。ゲームではテキストを読んでイベントを進めていったのだが、仕様的に具体的な位置がわかる地図などはなかったので、リアルの王宮においてはぼんやりとした位置範囲を絞り込むぐらいしか出来なかった。
もし仮に、ルトを王宮内で放すことができなかった場合は、なんとか時間を作り、自分でその範囲内を虱潰しに探して歩くつもりだったのだが、その手間が省けて、アイリーネの護衛に専念できたのはよかった。お茶会のイベント発動の瞬間に立ち会えたことも。
そして、夜。
護衛師団庁舎の宿直室で、護衛師団の装束から黒いシャツとボトムに着替えた俺は、靴も編み上げの軍靴から、音のしない柔らかで丈夫な布製の短靴に履き替える。
それからルトの首輪を外し、俺の額からもサークレットも外して一緒にサイドテーブルに置いた。月精の徴には、一応目くらましの魔法をかけて隠しておく。そして、そっと庁舎の外に出た。ルトの先導で、人に見つからないよう早足で歩き、目的地に向かって急ぐ。
王宮の中にある最も大きな建物は、王族が起居したり政務を執り行ったりする居館だ。中央部分には玉座の間を始めとする大小の広間や、宰相府などが入っている。当然ながら、任務外の時間に中に入るのは初めてだ。
居館の奥には国王夫妻、東側には王太子の居住スペースがある。そして、俺たちが目指しているのは、その他の王族が暮らす西側の居住スペース。そこに第二王子はいるはずだった。ただし、彼自身の部屋ではなく、彼が空間そのものを魔法で歪めて作り出した、誰も知らない秘密の部屋の中に……。
ゲームの中で、全てのなぞなぞを解いた聖女が辿り着いたのは、階段脇にある、故障して時を止めたままの大きな柱時計の隣に飾られた一枚の絵の前だった。
何を探すべきか最初からわかっている俺でさえ、無駄に広い居館の中を、それも任務とは関係のない区域を怪しまれずに歩き回るのは骨が折れただろう。それこそ絵画や彫刻などの装飾品はもう無数に、時計や階段にしても、一つだけじゃなくいくつもある。
いざとなれば物体の影に同化し、その中に潜んだままで移動することも出来るルトに任せたのは正解だったと改めて思う。
それに、ゲームの主人公とは違い、俺はこの世界の第二王子とは一面識もない。その上で、いきなりなんの説明もなく、ただ鍵だけを渡されたのだ。相手に好意を抱かれているのか、はたまたその逆なのかどうかさえも分からない。
とりあえず、主人公と同じようなヒロイン特権が、自分にも適用されるなどという都合のいい期待はしない方がいいだろう。試しにと、聖女のためのヒントが用意されているはずの場所をいくつか調べてみたが、思ったとおり、そこには全く何もなかった。
(着イタ。ここ。)
「ああ、本当だ。この絵で多分、間違いない」
階段脇にある柱時計の隣の壁に、ひっそりと掛けられた小さな絵。
額の下のプレートに記されたタイトルは『過去への回廊』。奥に向かってまっすぐに伸びた回廊の絵だ。その突き当たりに、青色の扉がごく小さく描かれている。これはよほど注意深く絵を見ていなければ見逃してしまいそうだった。
俺は絵の前から一歩下がって、これまた年季の入っていそうな柱時計の文字盤を覆ったガラスの蓋を開ける。ここに来ても、絵のプレートの下にあるはずの、最後の指示が書かれたメモはやはりなかった。第二王子は、ノーヒントでも俺が彼の元に辿り着けるかどうかを試しているのか、それとも……。
──部屋の場所が、ゲームと同じ場所にあるとは、限らないのかもしれない。
いや、そもそも、秘密の部屋自体がもしかしたら存在しないのかも、と自信を無くしかけつつも、俺は前世の記憶通りに手を動かす。
ちょうど十二時の位置で止まった時計。その長針をゆっくりと三回、逆回転させる。一周回すごとに、絵の中の扉が大きくなる。というか、奥へ伸びていた回廊の距離が、縮んでいっているのだ。こちらから、扉に向かって近づいていっているかのように。
三周回すと、青い扉の鍵穴が目に見えるほどになった。俺は、シャツの胸ポケットに入れていた金色の小さな鍵を取り出し、絵の中の鍵穴に差し込む。絵は、するりと鍵を中に飲み込んで自動的に回り、ガチャリと解錠音を響かせた。
「────っ!!」
突如、眩い光に包まれ、俺は強制的に何処かへと転移させられたのを感じる。
身体がふわっと浮き上がった感覚の直後に、ルトとともに降り立ったのは、薄暗い部屋の中だった。
「やあ、本当に来てくれたんだね。今夜、君とここで会えるのをとても楽しみにしていた」
白金色の長い髪をふわりと背に流し、胸元を緩く着崩したローブ姿の青年が、書架の前にある椅子に座って、深緑色の瞳で興味深げに俺を見ていた。
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