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第四章 お披露目、そして開幕
31. 【お披露目】
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聖女・アイリーネのお披露目は、王国の特権階級の人々を集めた大広間で、粛々と執り行われた。
異世界からの大切な賓客として扱われる聖女は、式典の間も格式ばった作法などは特に求められないので、何も気にせずただ黙って壇上に立っていさえすればいいのだが、今のアイリーネにしてみればそれだけでも激しく消耗するようだ。
ちなみに一般大衆を前にしてのお披露目は、魔竜を斃した後に晴れて大々的に行なわれるのだが、それまではたして彼女の繊細な精神がもつのかどうか、少しばかり心配になってくる。
先程までざわついていた広間は、しんと水を打ったような静けさに充ちていた。
事前に教会の鐘による一報がもたらされていたとはいえ、つい今しがた、王太子によって告げられた事柄が今更ながらに信じ難かったのか。
いつもの黒を基調とした法衣に召し変えた長身の宰相にうながされ、それまではまるで彼の影であるかのようにひっそりと立っていた少女が、一歩前に進み出る。
亜麻色の髪に、今は緊張のためか濡れたようにも見える大きな青い瞳。胸の前で祈りを捧げる形に手を丸く組み合わせ、か細いなりにも懸命に張った声での名乗りが、凛と響き渡った。
「ただいま、ご紹介に与りました、アイリーネと申します。皆様、どうぞお見知り置きを……」
一拍、二拍……。しばしの間を置いてから、集まった人々の間にどよめきが起こった。
「ああ、信じられない、本当に?」
「本当に本物の聖女様なの?」
「よかった、これでこの国は安泰だ!」
「いやめでたいことだが、しかし、今回も見込みはなかったはずではないのか?」
「いや、彼女の額を見ろ! あれは!!」
誰かが叫ぶように言って壇上に立つ少女を指差し、それに気づいた者たちが、口々にあっと声を上げる。
「あれは……」
「【聖なる竜の刻印】……!」
呆然と、異口同音に呟く声がざわざわとまた波状に広がっていく。
アイリーネの装束は、神殿から着てきたままの白い上級の女神官用の衣装だが、体の線をまるで強調しない直線的な誂えが、彼女の華奢な体格をよりいっそう際立たせている。王宮に到着したときと違っているのは、頭にヴェールを被っていないのと、その首からリグナ・オルムガでしか採ることのできない大きな竜水晶のペンダントを提げていることだった。
竜水晶は、一見普通の水晶にも見えるが、強い光をあてると彩やかな虹色に輝く様が、まるでイーシュトールの鱗のようだとその名がついたそうだ。
この竜水晶のペンダントは、聖女の魔力生成量を彼女自身に代わって調整するためのレアアイテムで、ゲームの中でもお披露目の直前に王太子から贈られる王国最強の魔法石の御守りだ。
この世界に召喚された瞬間、その身の内に膨大な魔力を取り込んだアイリーネは、それをまだ自身で制御することが出来ない。
そして、誰しも魔法が使えるようになるには、それなりの鍛錬の時間が必要となる。いうなれば今の彼女は、魔力生成量だけは飛び抜けて多いのだが、その使い道を知らないため、体から大量の魔力を無駄に放出し続けている状態なのだった。
慣れていない者なら、いつ酷い魔力酔いを起こして倒れてもおかしくない状態だ。極度に緊張しているということがあるにせよ、ずっと顔色がすぐれないのはその所為だろう。
今日のお披露目に招かれているのは、神殿関係者や王家の血縁者、廷臣たち、隣国の大使、あとはこの国の主立った貴族たちだ。
パノン王国の人間は、多かれ少なかれそのほとんどが魔力を持って生まれてくるのだが、その魔力量は血筋によっても大きく左右される。高貴な身分に生まれる者ほど、王族や竜人種、あるいは、人間に対して好意的な一部の精霊種の部族との間で婚姻を結ぶ機会に恵まれるからだ。
つまり魔力が強い者ほど、召喚された聖女の魔力生成量が尋常じゃないことにすぐ気づき、放出が抑えきれていない魔力にあたる前に、防御することもできる。逆に、魔力の弱い者でも感覚が並み以上に鋭ければ、体は異変を感じとり、知らず魔力酔いを引き起こしてしまうこともあった。
招待された者たちの中で、ある意味、聖女以上に衆目を集めたのは、古くからの大貴族であるスタウゼン公爵の息女、オリーゼ・クリスティナ・スタウゼンだった。
病身であるという公爵自身の列席は当然叶わず、その後添えで隣国の出身だというかの公爵夫人も姿を見せなかった。
最新流行の型に結い上げた艶やかな蜂蜜色の髪に、惜しげもなくたっぷりと白粉や紅を使った化粧。こうした場に出る度に特注で仕立て上げさせるという豪奢なドレスに、これでもかとふんだんに身につけた宝飾類で全身を派手に飾りたてたオリーゼをエスコートしたのは、公爵夫人の縁者でもあるというテシリア帝国の大使だった。正式に発表される前だとはいえ、既に王太子の婚約者として広く認知されている公爵令嬢が、他国の大使をまるで自身の後見人であるかのように振る舞わせている様子に、廷臣たちは眉をひそめ、貴族たちも少なからずざわついた。
しかし、当人たちはどこ吹く風だ。
「まったく御大層な騒ぎだこと。【聖女召喚の儀】は今回も間違いなく失敗するって、確か、あなたがあたくしにそう言ったのではなくて?」
ツンと顎を上げたオリーゼが、周囲に聞こえよがしな声でそんなことを宣う一幕があったが、これにはさすがに慌てたか、大使は強引に話を変えた。
「と、ところでオリーゼ様、今日はいつものネックレスをお付けになっていませんね?」
「……それがどうかしたというの? あたくしはただ、このドレスに合うものをつけているだけよ?」
「え、ええ、もちろんそれも大変お似合いですとも! ですが、お母君が選ばれたあちらのものの方が、なんといいますか、帝国風で洒落ておるような気が……」
「文句があるなら、王太子殿下におっしゃいな。これはさっき、殿下はその帝国風とやらがお気に召さないからと、ここの女官たちに無理矢理取り替えさせられたのだから!」
「そうでございましたか。いやはや、殿下の帝国嫌いはなかなか徹底しているようですなあ!」
「ええ、あなたは特に嫌われているのだからお気をつけなさい? もし下手なことをすれば、殿下はあなたをお国に送還なさるかもしれなくてよ」
「いやそんなまさか! は、ははははは!」
壇上の中央に設けられた椅子に優雅に腰かけているのは、病身の国王の名代を務めるようになって久しいエドアルド王太子だ。そして大方の予想の通り、その隣の席に第二王子の姿はなかった。
壇上の上手側に据えられた演壇には銀髪の宰相と、エドアルド王太子から、王国に降臨した十人目(実際は九人目だが)の【聖女】として、広間に集まった王国のお歴々に紹介されたアイリーネ。
そんな彼らの後ろに、俺は護衛として控えていた。カイルとベルナーも、王太子の傍らに控えている。ジスティは、警護にあたっている護衛師団全体の指揮を執るため、広間中を巡回していた。
エドアルドは、お披露目の場においては聖女の付き添い人としての立場を優先させたが、それでも時折、壇上から厳しい目つきで婚約者と彼女に侍る大使の方を見ていた。
許可なく迎賓館に乗り込んだ件で、オリーゼはエドアルドにかなりきつく叱責されたらしい。王家に近しい存在として、壇の間近に立っている彼女の方は、ただの一度も王太子に目を向けることはなかった。
ただ、演壇のそばにひっそりと立っているアイリーネを、大きな碧緑の瞳で激しく睨みつけてくる。
その視線にアイリーネはすっかり臆したように固まっていた。
「……大丈夫ですか?」
「はい……なんとか」
気丈に答えてみせたが、その声は震えている。
十時から始まった式典は、正午を前にして終盤に差し掛かっていた。お披露目に招かれた客人たちが、階級の高い者から順番に壇の下まで進み、一人ずつ王太子と聖女に向かって挨拶の口上を述べていく。聖女がするべき返礼は、その後見人を請負う宰相が代わって行なうので、アイリーネは全員からの挨拶を受け終わるまで、本当にただ立っているだけだ。
オリーゼは、ゲームの中でそうだったように、もしも父親が来ていたならばともに最優先で挨拶を終えていただろう。だが、彼女自身今日は父親の名代としてではなく、あくまで王太子の身内のような扱いでここにいるため、挨拶はしなくていいと事前に申し渡されていた。
エドアルドとしては、なるべく公式の場でオリーゼに口を開かせたくないのかもしれない。それでなくとも、すっかり悪目立ちしているのだが……。
「あの方が、オリーゼ様なのですね……」
アイリーネがぽつりと言った。
「……今は、嫌な感じはしますか?」
「いいえ。今は、なんとも。顔を見ないで声だけ聞いているときは、とても怖くて逃げ出したかったのに、不思議です。……でも、あの、ずっと睨まれているのは、それはちょっと、怖いんですけど」
俺とアイリーネが小声で話していた、そのとき。
壇の下にやってきたのは、純白の騎士の礼服を着た美しい青年だった。長い銀の髪は後ろでひとつに束ねられ、榛色の目は若々しい自信に満ちている。
初めて見る顔だったが、面差しや、身に纏う雰囲気が、ジオルグによく似ている……。
「わたくしは、聖竜騎士団副団長のゼフェウス・アレクシウス・ロートバルと申します」
彼は洗練された所作で一礼し、丁寧ながらも仰々しくはない文言で、聖女への挨拶を述べていく。
「ロートバル宰相閣下」
宰相からほぼ雛形通りの返礼を受けたあと、青年は、今度はジオルグ本人に話しかけてきた。
「このような場を借りて申し上げるのは誠に心苦しいのですが、たまにはご領地の方にもお戻りを……。皆、首を長くして待ち侘びております」
「わかった。そのうちにな」
ジオルグの声が、心なしか柔らかいのは気のせいだろうか。
「約束でございますよ。アルゼラ様もずっとお待ちになっておいでですから」
「いいから、もう下がりなさい。後がつかえている」
「はい、それでは」
青年は満足気に微笑むと、踵を返して颯爽と壇から離れていく。
その背中をなんとなく目で追っていた俺の耳に入ってきたのは、またしてもあの二人の周囲に対して憚るということを知らない話し声だった。
「今のは、竜人種の方ですかな? お顔立ちが宰相閣下によく似ておられましたが」
「ああ、ゼフェウス様ね。確か、ロートバル閣下の兄上様のご子息……、いえ、孫だったかしら……? 近々、あの方をご養子になさるという話を聞いたのだけれど、その前に、宰相閣下のご婚約の話は一体どうなったのかしらね?」
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