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第二章 影の魔物

14. 王太子の招待

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 じっと見られていることに気づいたのか、アイリーネの方もこちらを見つめ返してきた。
 俺は慌てて目を伏せ、失礼致しましたと頭を下げる。他意はないにしても、自分自身の関心を優先させて初対面の相手の顔をじろじろと見ていいわけがない。
 だが謝罪しても、アイリーネは無言のまま、ただじっと俺の顔を見ている。

 ──ん? 何か彼女も俺の顔を見て驚いてないか?

「…………あの、」
「…………あなたは、」

 同時に出した二人の声が重なり、お互いぱっと口をつぐむ。
 そしてまた目と目が合う。アイリーネの物言いたげなまなざしが俺を追っている。
 …………困ったな、と思った時だった。

 ジオルグが手を打ち鳴らし、それを合図に、出迎えの騎士たちの後ろに並んでいた侍女たちが一斉に動き出す。
 城館の両開きの扉が開け放たれ、騎士たちも左右に分かれて道を作った。

「さあ、アイリーネ殿もお疲れでしょう。次の予定までまだ時間がありますゆえ、しばしこちらでおくつろぎ下さい」
「あ、でも……」

 丁重にではあるが、いくらか急き立てられるように言われ、アイリーネが戸惑ったように目を瞬かせている。

「アイリーネ殿、あなたのお披露目は朝の十時から王宮の謁見の間で行われます。充分な時間とは申せませんが、それまではどうかこの館で休息を。無論、食事の用意もさせてあります」

 俺の前からなかなか動こうとしないアイリーネを、今度はエドアルドが穏やかな労りのこもった口調で促す。
 ようやくアイリーネは、わかりましたと小さく応えた。
 一瞬だけ、また俺に視線を向けてきたが、今度はすぐに目を伏せ、ここまで付き添ってきた女神官とともに、城館の中へと入っていく。
 俺もそのあとに続こうとすると、ジスティに腕を掴まれた。

「聞いていなかったのか。俺たちはここで待機だ」

 まったく聞いていなかった。いつの間にそんな指示がと思う間に、アイリーネの背中を守るように館に入っていったのは、ヒースゲイルとロルフ・ベルナーのほか、数人の騎士たちだ。
 ジスティに解散を命じられた馬車と甲冑姿の騎馬隊も、静かに厩舎棟への移動を始める。
 出迎えていた他の騎士たちにもそれぞれの職務に戻るよう指示が出され、最終的にその場に残ったのはエドアルドと宰相、護衛師団長のジスティと副師団長のカイル、そして俺だった。

「さて」

 我々も場所を変えようか、とエドアルドが残っている面々を見回しながら提案する。

「カイル、頼む」

 カイルは眼鏡を押し上げ、了解と短く返す。
 少し癖のある短い黒髪に、淡く灰色がかった紫の瞳。それが閉じられて、

「──『探知』」

 硬質な声で告げると、ブンッと虫の羽音に似た小さな音が空気を鳴らした。
 少し経って、カイルが息を吐く。

「……誰もいません。俺たちだけです」
「ならば無用なものを巻き込まずに済むな。では、頼みます」

 …………叔父上?
 誰のことだろうと思っていると、露骨に顔をしかめたジオルグが、黙って手を左右に広げる。

「さあ皆、手を」

 言いながら、エドアルドがジオルグの右手と自身の左手を繋ぐ。
 ジスティが王太子の右手を左手に取り、その右手は、少し渋い顔をしたカイルの左手と繋がれた。
 四人の男たちが無言で手を繋ぎ、そして俺をじっと見る。
 美形の男たちが手を繋いでただ立っているだけという、一種異様な光景に圧倒され、思わず半歩後ずさりそうになるのをなんとか堪える。
 ジオルグが差し出してきた左手をそっと遠慮がちに握ると、ぎゅっと強く握り返された。
 絶対に離すなと、俺の目を見てジオルグが小さく念押しする。

 次の瞬間、周りの景色が俺たちごとと捻じれ、ぎょっとした俺は、たった今注意されたにもかかわらず思わず手を離しそうになった。
 だが、ジオルグが強く握ってくれているおかげでなんとか繋がっていられる。
 すうっと身体から何かが抜けて軽くなった気がした途端、唐突に捻れが解けて、見知らぬ部屋に立っていた。



 天井が高く、壁も扉も窓も、造り自体が重厚でかつ壮麗だった。
 見たこともないような、西欧ヨーロッパ風のきらびやかな調度類も、この部屋そのものに合わせたものだからか、変にゴテゴテすることなく、見事な釣り合いを見せている。
 ここが王宮内の何処かだということは、さすがに分かった。

 ──今の、瞬間移動の魔法?

 目が眩んだのか、ジオルグの右側にいた全員が同時に手を離し、目頭や額を押さえていた。
 平然として立っているのはジオルグと、なぜか俺だけだった。

「大丈夫か?」
「はい、俺はなんとも。……びっくりはしましたけど」
「本来、このように気軽に使う魔法ではないからな。それから、私や王族以外が王宮内でこれをやると四肢が吹き飛ぶので、気をつけるように」

 それが冗談でも脅しでもないことははっきりとわかった。
 王宮内では保安上の理由から、つまりは暗殺を抑止するためだが、様々な魔法に使用制限がかけられている。それを破って使用すれば、結界石の力が働いて、瞬時に強力な呪いがかかるのだ。
 とはいえ、瞬間移動などという大技の魔法が使えるほどの魔力量の持ち主は、この国にもおそらくそうはいない。

「それで、この部屋は?」
「王太子の執務室だ」

 ジオルグの言いざまが、神殿から帰ってきてからずっとぶっきらぼうだ。
 昨日の朝の彼とはまるで違う話し方だなと最初は見ていて戸惑ったが、これはこれで案外悪くはない。話し方は違っていても、俺のことは変わらず気遣ってくれているとわかるので、怖いとも思わなかった。
 それに、厳しい顔をしてくれている方が俺もいちいち見惚れなくてすむというか、に近い彼はこちらなのだろうと思うと却って話しやすい。



「いや、何度やっても慣れないものだな」

 エドアルドは窓の近くにある執務机に寄りかかり、軽く頭を振る。
 ふっと呆れたように息を吐いたのは、カイルだった。

「そりゃそうですよ。だいたい転移魔法なんて大魔法、今使う必要がありましたか?」
「あるに決まっている。王宮内は広い。今はとにかく時間が惜しいからな」
「さっさと馬車を帰したりするからでしょうが」
「せっかく叔父上がおられるのだし、より早い移動手段を取るのが正解だと思うが」

 ──また、だ。

 いったい誰のことだ。
 ふだんは冷静沈着を地で行くカイル・ユーディの、王太子に対するな物言いにも無論驚いているのだが、そういえばエドアルドとジスティ、それにカイルの三人は王立学術院での同級生だったなと思い出す。
 ちなみにこれは、俺がゲームのプレイヤーだった頃の知識だ。シナリオ上ではここまで親しく話す場面はなかった彼らだが、従姉が持っていた設定資料集にそう書かれていた。

「カイル、もうそれぐらいにしておけ。ほら、シリルが面食らってるぞ」

 ジスティが俺の肩をがしっと掴んで引き寄せると、二人がじろりとこちらを見た。

「お前、叔父上の前で勇気があるな」
「殿下、あいつは何も考えていませんから」
「あの、叔父上ってひょっとして……」

 三回目で興味を押さえきれなくなった俺が訊ねると、、と横合いから低い声が響いた。

「エドアルド殿下。この私を便利に使った挙句、まだしつこく叔父呼ばわりですか」
「正確な続柄はともかく、我々がであることに変わりはないでしょう?」
「シリル、こんな適当なことを言われる御方の言葉に耳を貸す必要は一切ないからな」

 ──あー……、はい。お二人の仲が良いのはわかりました。

 余談。のちにカイルが話してくれたが、パノン王室とロートバル家は建国当初からの姻戚関係にあり、さらには純血の竜人種の中でもほぼ原種並みの魔力量を持つジオルグの寿命もあって、現王族との血縁関係が些かややこしいことになっているらしい。
 正確なことを言えばジオルグは、エドアルドの曽祖父の母親の弟、なのだそうだ。これはさすがに資料集にも書かれていなかった。

「酷いな、叔父上。そもそもあなたがまだというから、私が今からその場を設けようとしているのですよ?」
「折りを見て話すつもりだとも申しましたが?」
「ならば、今がちょうどその良い機会です」

 そのためにここに来て貰ったのですから、とエドアルドは俺に向かって微笑みかけてくる。

「私の部屋にようこそ、シリル。貴方もアイリーネ殿と同じく、我々が支えお守りせねばならない立場の御方です」
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