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第一章 目覚めの朝
12. 【十回目】
しおりを挟む「こちらこそ、まだ至らぬ身ではありますが、よろしくお願いいたします」
ジスティの筋張った大きな手を握りながら、型通りではあるものの、けして謙遜ではない思いで挨拶する。
シリルの記憶があるとはいえ、自分のような者に務まるのか。不安がないと言ったら嘘になる。
「いや大丈夫だろう。魔力量についてはヒースゲイル殿のお墨付きもあることだし」
「ですが、いつも師団長と組んでおられるユーディ副師団長には到底及びません」
入団以来、ジスティの不動の相方であるカイル・ユーディは、護衛師団のもう一人の副師団長でもある。
ジスティとカイルは通常、王太子付きの護衛騎士だが、今回のことでまずジスティが聖女付きに配置換えとなり、新たな王太子付きには入団三年目のロルフ・ベルナーが抜擢されていた。
ベルナーが若いながらも自身の実力で選ばれたのに対し、俺が聖女付きとなったのは現実的に考えた場合、おそらく王宮内の実務一切を取り仕切っている宰相閣下の意向が大きいだろう。
新人騎士の赴任先としては異例だった北の離宮行きの件も、シリルの記憶によれば、最初に自身が配属を志願していた地ではなかったらしい。この世界のジオルグは、とかく自分の目が届く範囲にシリルを置いておきたがるようだった。
まあ、聖女付きとなったことについては、多少の狂いはあれど、この世界がゲームのシナリオ通りに進行している所為かもしれない。
「あいつと比べて経験に差があるのは仕方ない。無論それはベルナーにも言えることだが、最初は誰でも、とにかくやってみるしかないさ」
「はい、ありがとうございます」
「まあ今回の配置換えで、一番驚いてるのはかくいう俺自身なんだが。あーあ、せっかく百年に一度の聖女召喚の儀をこの目で見られるチャンスだったのになあ……」
「儀式が終わるまでは、我ら護衛師団であっても神殿への立ち入りは制限されますからな」
神殿や教会で執り行われる儀式の警備などは聖竜騎士団の管轄下にあるため、今日執り行われようとしている聖女召喚の儀についても、王宮護衛師団からは最低限の要員しか送り出せない。
すなわち、儀式の立会人として参加している唯一の王族、エドアルド王太子の護衛についたカイル・ユーディとロルフ・ベルナーの二名のみが、最低限の武装での立ち入りを許される形になっている。
聖女を護衛することが決まっている俺とジスティでさえ、聖女本人と初めて顔を合わせるのは、彼女が神殿から出てきてお披露目に臨むその直前である。
聖女召喚の儀が行われるのは、リグナ・オルムガの山頂にイーシュトールが降臨してからだ。その予知された刻限は、今日の夕刻。
竜の祭壇に竜が降り立つと、山の中腹に建つ聖竜神殿での長時間にわたる儀式が始まる。
全てが終わるのは、おそらく夜半を過ぎてから。聖女をはじめとする儀式に携わった者たちは、束の間の休息をとってから山を降り、朝に行われる王宮でのお披露目に向かう。
その聖女一行を出迎える為、俺たちは夜のうちからこの庁舎内で待機していなくてはならない。
まさかこのタイミングで、自分が王太子付きから外されるとは思っていなかったらしい。
心底奴らが羨ましいとぼやきながら、ジスティは勝手知ったるとばかりに応接用の長椅子に腰を下ろした。
目で促された俺も、失礼しますと言って一人分空けたその隣りに腰かける。
「しかし、俺もしがない宮仕えの身だからな。殿下の決められたことならば、甘んじて従うのみだ」
れっきとした名門貴族の跡取りとして生まれた男が、片眉を上げてわざとへりくだった物言いをするのがおかしくて、つい笑いそうになる。俺が居るにもかかわらず、紅い髪の護衛師団長は完全にぶっちゃけモードに入っていた。
ヒースゲイルはすっかり慣れているらしく、呼び鈴を鳴らして従騎士を呼び、三人分のお茶の支度を命じている。
「ところでヒースゲイル殿」
「はいはい、なんですかな」
「俺もこの立場だし、部下たちの手前もあって言わないようにしてきたが、実は気になっていることがある」
「ほう、それは?」
「ずばり訊くが、【十回目】は成功するのか?」
本当にずばりだった。横で俺も思わず息を呑む。
「さて、それは……」
まだ少年のような顔つきの従騎士がワゴンを押して戻ってきたので、ヒースゲイルは一旦口をつぐむ。
紅茶を淹れてもらっている間、俺は九回目の失敗が実際のこの国に一体どういった影響を及ぼしているのかと考えた。
先日までいた北の離宮には療養中の国王陛下もおられたし、いうなれば宮廷内部にも等しい環境だ。聖女召喚について否定的なことを言う人間は、表立ってはもちろんいない。ただ、その話題になると皆一様に失敗の可能性についても意識しているようには見えた。
「それで、貴兄の見立てはどうか。ぜひとも聞かせてほしい」
緊張の面持ちのまま、仕事を終えていそいそと出ていく従騎士の背中が扉の向こうに消えるやいなや、ジスティは再び年長の部下に問いかける。
「まあ、間違いなく成功するでしょうな」
別になんでもないことのようにさらりと言って、ヒースゲイルは俺にはまだ熱すぎる紅茶を平気な顔で口に含む。
「……そうなのか?」
ジスティは目を丸くし、何故か俺に向かって訊いてきた。
「師団長は、失敗するとお思いですか?」
質問を質問で返すのは失礼だとは思ったが、俺も成功すると知っているのでそこはもうスルーしたい。
「さあ。俺には正直よくわからん。巷では、イーシュトールの力はもうかなり弱っていて、神殿の祭司たちの分を合わせたところでとてもじゃないが聖女を召喚できる魔力量には満たないだとか、そんな風にも言われているらしいが」
しかしそれを鵜呑みにするほど、ジスティの頭も単純には出来ていないだろう。
事実であるかどうかという以前に、まことしやかに流れているそれは、もっともらしくは聞こえても、あくまで実際の根拠には乏しい民間レベルでの噂話に過ぎない。
「では、何か心配なことがあるのですか?」
王宮護衛師団長を務めるほどの男が気にかかっていることがあるとすれば、それはきっと噂話の信憑性など遥かに上回る何かだと思い、さらに尋ねてみる。
「シリルの言うとおりですな。何か、ご自身の身近で良からぬ話でも耳にされましたか」
ヒースゲイルにも水を向けられ、ジスティはうーんと腕を組んで唸った。
「そうか。やはりそういう話になるか……」
「無論、ここだけの話にいたしますよ」
にこにこと笑って、さらに促すヒースゲイルはさすがだった。
「そこまで大仰な話ではない。まあ、今のところはな……。とりあえずは世間話程度に聞いて欲しいが。ときにシリル、アルバ領主、スタウゼン公爵の令嬢のことは知っているか」
「──はい。スタウゼン公爵のご令嬢、オリーゼ・クリスティナ・スタウゼン様。確か、王太子殿下のご婚約者では?」
「そう、その殿下と婚約中の公爵令嬢だけどな。……彼女は最近社交の場で、十人目の聖女は来ないと盛んに喧伝して回っているんだ」
「そうなのですか?」
それはそれは。ある意味馴染み深いその名前に、妙な感慨深さをおぼえる。この世界ではまだ会ったことはないが、ゲームの中のオリーゼのことならよく知っている。
彼女は、ストーリーの前半でありとあらゆる手を使って聖女を貶めようとした、いわゆる悪役令嬢の立場だった。
「彼女がいやに確信めいた話し方をするせいで、中にはそれをすっかり信じ込む者もいるようだ。さすがに見かねた殿下が一度お諌めはしたのだが」
「……それは何か、根拠があっての発言でしょうか?」
「さあな。ただ次期王妃となるお方の言葉だから、聞きたくなくとも聞かされる宮廷人はかなりいる。この俺も然りだ」
「スタウゼン公爵は、確か昨年あたりからご病気で伏せっておられましたな」
ヒースゲイルが首をわずかに傾けながら言うと、ジスティは得たりとばかりに口の端を上げた。
「俺の気になってることが、わかってきたようだな」
「つまりは、こういうことでしょうかな。まず現スタウゼン公爵夫人が帝国のご出身だという事実」
それは初耳だ。俺は思わず、膝に乗せていた手をぎゅっと握りしめる。
テシリア帝国。崩壊後の大陸で二番目に興った国家であり、三つある国の中では人口がもっとも多く、国土も広い。パノンの西南に位置するセラザ辺境領にはこの国との国境線があり、そこでは常に大小様々な諍い事が絶えない……。
「……ふむ。では聖女様がお成りになってからでも、一度公爵閣下のもとに治癒魔法師として出向いてみますかな。もしそんなツテがあるのならば、ですが」
「それなら問題ない。コーゼル伯爵の名を借りよう。公爵とは昵懇の仲だからな」
にんまり笑ってジスティが請け合う。ちなみにコーゼル伯爵とは、ジスティの実父のことである。
「儀式が無事に成功した暁には、聖女様のご身辺にも気をつけておかなければなりませんね」
何から、とは敢えて言わない。さて彼女は一体、聖女にどんな嫌がらせをしていただろうかと、俺は前世での記憶を手繰り寄せ始める。
「そういうことだな。いや、ここに来たおかげで、殿下がこの俺を聖女付きにした理由がわかった気がする」
そう言うと、ジスティは不敵な表情で長椅子から立ち上がった。
「シリル、さっきは茶化すような言い方をしたが、俺も君のことはそれなりに評価している。離宮から帰ってきた君の魔力量は以前よりもはるかに増しているしな」
「……え、そうですか?」
「何だ、意外そうに」
本当に自覚していないのか? と首を傾げられる。
「まあいい。じきに儀式も始まるだろうが、夜になる前に少しでも仮眠はしておけよ」
邪魔をしたな、とにぎやかな護衛師団長が部屋を出て行くと、俺とヒースゲイルはもとの気安い二人に戻った。
結局はジオルグの思惑通り、俺はおとなしくヒースゲイルの軽い問診を受ける。
額に現れた徴のことは敢えて告げなかったが、このサークレットのことを事前に知っていたのなら、大凡のことはもうとうに知られているのかもしれない。
ジスティが言ったとおり、俺の魔力量が本当に増えているなら、このサークレットのおかげでもあるのか、とふと思う。
これまではシリルが無頓着だっただけで、魔法士や魔法騎士に限らず、魔法を生業とする者なら、自身の魔力量を増幅させるアイテムを身につけることはよくあることなのだ。
──もしくは、この徴のせいだったりして。
少しだけ迷ったが、月精のことも今は話すのはやめておいた。
夕方近くにヒースゲイルの部屋を辞し、三階にある宿直室に向かっている途中、教会の鐘が激しく鳴り出した。
いつものように時刻を知らせるものではなく、これは儀式の始まりを知らせる鐘。
廊下の窓からリグナ・オルムガを見れば、その山頂を白銀に輝く厚い雲が覆っていた。
──至天の竜の降臨だ。
パノン王国における十回目の【聖女召喚の儀】が始まった。
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