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第一章 目覚めの朝
10. 約束
しおりを挟む──月精? 徴?
今、そう言われたのか?
そして今、額に…………。
「知らない……俺は、徴って、そんなの」
「シリル?」
けぶるような金の双眸にじっと覗き込まれ、それでまたぼうっと見蕩れてしまいそうになった俺は慌てて顔を伏せる。そんな完璧すぎる容貌で、顔の間近にまで迫ってくるのは本当に勘弁して欲しい。
リアルな実感として、ぼんやりとした記憶の中にいる彼と、今自分の目の前にいる実体を伴った彼とでは、同じ存在でも全然違って見えるのは当然で……。
──ましてや、額にキスなんて……!
外国人ならいざ知らず、前世が日本人の俺にはなかなか高度なスキンシップだ。三日前までのシリルだったらこんな風に情緒が乱れたりはしないだろうが、俺自身が生身のジオルグと会うのはまだ二度目なのだ。
──いや違う、今考えるのはそうじゃなくて。
俺は俯いたまま頭を横に振る。
……月精。そして、その徴。いわゆる第三の目のように、俺の眉間に現れた、小さくて平たい石のようなもの。
怖くてまだ触れていないが、ゲーム内で聖女の額に現れたのが輝くダイヤモンドの欠片(実際はイーシュトールの鱗の欠片である)なら、俺の額にあるものは、真珠のような光沢を持つつるりとしたものに見える。
だが俺が知る限りにおいて、聖女が召喚される前のシリルの額に、こんなものはなかったはずだ……。
「少し落ち着いたか?」
そっといたわるような声をかけられ、俺は表情筋を動かさないよう力を入れてから、ゆっくりと顔を上げる。
……ああ、早くこの顔にも慣れなくては。この先、毎回見蕩れるあまりまともに会話もできないようでは困る。
「はい。取り乱してしまい、申し訳ありません、父上」
「…………ちちうえ」
……何だろう? 今なんかものすごい平たい声で繰り返された。
シリルの記憶通りに呼んだつもりだったが、わざと無表情になっていたせいか、却って何か気に触るような感じになってしまっただろうか?
どうしたらいいかと気を揉んでいるうちに、ジオルグは俺の肩に置いていた手を離し、おもむろに法衣の袂から平たい白木の箱を取り出した。
「シリル、今日からはこれを身につけてもらいたい」
蓋を開け丁寧な手つきで取り出されたのは、銀の土台に繊細な彫りをあしらい、その真ん中に紺青の魔法石が嵌め込まれたサークレットだった。
雫のような形をしたその石がよく見えるようにと、両手で目の高さに掲げられる。
装飾品というだけでどこか気後れする感のある俺のようなタイプが身に付けても、けっして浮いたり仰々しくなったりはしないだろうと思える上品でシンプルな細工だ。
ああ、さっきルイーズが言っていたのはこのことだったのか。
お守りだとは聞いていたが、まさかこんなに手の込んだものだとは思わなかったし、本人がわざわざ部屋まで届けに来てくれたことも意外だった。
「……これを、俺、いや私に?」
「ああ、今日から新たな役目を果たすことになる君へ、私からの祝いの品だ。任務中にもし何かの拍子に君の魔力が切れたとしても、この石で多少は補える。……それに、その額の徴もちょうど隠せるだろうしな」
なるほど。彼は、俺に月精の徴が現れることを予見してこれを造らせたのか。
ジオルグは、できればこの徴をあまり人目に触れさせたくはないようだ。
そして俺も、そのこと自体には同意する。ただ、サークレットというアイテムには少し抵抗があった。ゲーム内のシリルも似たようなサークレットをつけていたのだが、それは完全によくないものだったのだ。
ジオルグに化けた魔竜が、直接シリルを操るため、洗脳効果のある黒みがかった赤い魔法石を嵌めこんだサークレットを贈るシーンを思い出し、俺はゾッと身を震わせる。
さっそく俺の額にサークレットをつけて、暖炉の飾り棚の上にある鏡に向かい合わせたジオルグが、俺の顔を覆う若干の憂いに気づいて眉をひそめた。
「よく似合っていると思うが……、気に入らないか?」
「いえっ、そんなことは……!」
まさかと俺は勢いよく首を横に振り、慌てて感謝の言葉を告げた。
ジオルグの見立てはなかなか確かで、青の魔法石は、シリルの艶やかな黒髪と白い肌に映えてとてもよく似合っている。
徴も雫型の石の下に上手く隠されているし、ひやりと冷たい感触はあるものの、サークレット自体は特に重くもなく、頭を締め付けてくるような違和感もない。これならすぐに慣れそうだった。
「……すみません、まだ驚いていて。それに徴とは……、そもそも月精とは一体、何なのですか?」
なんとか心を落ち着かせ、一番肝心な問いを投げかける。
俺がプレイヤーだった頃から知りたかったことを、ようやく尋ねる機会がきたのだ。
すると、ジオルグは顔をやや上向きにして目を閉じた。
感情をあまり顔には出さないタイプなのかと勝手に思っていたが、今はなにやら懊悩めいたものを感じさせる表情になっている。
「ああ、そうだったな……。本当はそれを先に話さなければならないところだが、生憎ともう時間がない」
「はい、それは」
わかっています、と俺は答える。
片手間にできる話ではないだろうし、今日は特に、朝から予定がびっしりと詰まっているはずだ。
竜人種のジオルグといえば、まず第一に【竜の祭壇】を祀る祭司である。
聖竜神殿の神官長の職は、数年前に宰相となった時点で辞したらしいが、今回の【聖女召喚の儀】における最高責任者は彼なのだ。
ただでさえ多忙を極めている上に、およそ百年に一度の儀式の準備にも追われ、それこそ寝る間もないぐらい動き回っていたはず。今こうして俺たちが一緒にいる時間も、それこそジオルグ本人が強く望んで作らない限りは、生まれ得ないものなのだろう。
「だが君も今日からは王宮勤めだし、これからは我々も、今までよりは共にいられる時間が増えるはずだ」
「はい」
本当にそうなったら嬉しいと俺は素直に思う。
今日、聖女が無事に召喚されたなら、儀式を執り行ったジオルグはその後見人となる。
そして俺もまた、ゲームのシナリオと同じように聖女の護衛役に着くことが決まっていた。
そのうち必ず時間を作る、とまるで自らに念を押すかのように、ジオルグはいたく真剣な表情で約束してくれた。
ジオルグが俺の部屋にいたのは、神殿に向かう馬車の支度ができたと、家令が告げにくるまでのほんのわずかな時間だ。
彼が慌ただしく立ち去ったあと、俺はルイーズを呼んで支度してもらい、いつものように一人で朝のお茶の時間を過ごした。
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