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第一章 目覚めの朝
⒏ ジオルグと月精の話
しおりを挟む建国から千年余り、これまで【聖女召喚の儀】は九回行われたはずだった。
ゲーム内では詳細が出てこないが、おそらく七回目までは順調にいっていたのだと思う。
雲行きが怪しくなってきたのは、八回目から。
イーシュトールがまだ眠りから目覚めぬうちに、聖女が急逝した。
魔竜討伐に勝利した後のことだったのが不幸中の幸いだったが、彼女と婚約中だった当時の王太子も、失意の為なのかまるでその後を追うように病で亡くなっている。
若い二人の道半ばでの逝去の報に嘆く国民の間では、日に日にある不安が高まっていく。
王国を守る結界の力が少し弱まったのではないかと。
その少し前には、大陸の南東部に二つめの新しい国家が誕生していた。
パノン王国とその隣国との国境線上で不穏な動きが見られるようになったのも、八人目の聖女の時代からである。
そして今から百年前、九回目の【聖女召喚の儀】の日。
ゲームではジオルグの回想シーンとして出てくるが、召喚の儀は失敗し、聖女がこの世界に顕れることはなかった。
しかし聖女は顕れずとも、魔竜は必ず王国を襲う。
ジオルグはこのとき、まだ神官長の職に着いたばかり。竜人種のほぼ原種に近いともいわれる膨大な魔力量を誇っていた彼は、聖女召喚に使い切った【光の魔石】がない状態で、一族の長でもある祭司に成り代わり、彼自身のみの魔力を用いてすぐさま別の召喚式を試みる。
──召喚に応じ外界より顕れたのは、【竜殺し】だった。
顕現した竜殺しは、王国の窮状を聞き知るや、当代限りという条件で快く魔竜討伐を引き受ける。
そうして魔竜襲来時においては、聖女不在の危機をなんとか乗り切ったのだった。
九人目の時代は、聖女が存在しなかったが故に、竜の結界はイーシュトールが目覚めた後もますます弱くなったのではないかといわれている。
次の聖女召喚がもしまた失敗に終われば、およそ千年の栄華を誇る王国の衰退化は免れないだろうとさえいわれた。
失敗すれば、また異世界から竜殺しを召喚すればいいという声もあったようだが、ジオルグ曰く、それはもう出来ないそうだ。
外界からの強力な異能者を迎えるにあたっては、それだけ大きな不確実要素をも伴うからだという。
竜殺しという以上、前回のように都合よく『魔竜のみを斃す』という条件で顕れるとは限らず、もしひとつでも条件を誤れば、彼の者はこの世界の守り手でもあるイーシュトールをも殺す可能性もある。
前回の召喚で、ジオルグ自身の魔力量がかなり減ったという話もあり、ますます無理は冒せない状態だった。
そもそも結界の維持と強化は、イーシュトールが眠る間は聖女の手でしか果たし得ない。
次こそは聖女の無事な降臨を、と国中が望みをかけるのは至極当然で、それはジオルグの中でも強く揺るぎない誓いとなっていく。
ゲームのストーリーはあの草原での夜から十年後、十回目の聖女召喚が行われる日から始まる。
召喚の儀式はジオルグたちが腐心した甲斐もあって無事に成功し、紆余曲折ありつつも聖女は王太子や第二王子、王宮護衛士団長といった攻略対象キャラの中から一人を選んでそれぞれのシナリオを進めていく。
シリルは王宮護衛師団の若き騎士となり、宰相となったジオルグの命を受けて聖女の護衛役を務めることになる。
のちに魔竜の洗脳を受けて行動する彼が、『裏切りの騎士』と呼ばれるのはこのためだ。
実はシリルには、ゲーム終盤まで明かされないある秘密がある。それこそがあの夜ジオルグを辺境にまで赴かせた要因であり、シリルのいた集落が襲われた原因でもあるのだが……。
ジオルグは、九回目の失敗のすぐあとからいずれ十回目の召喚の儀を執り行うにあたって、過去の儀式のことについても調べ始めた。
そこに次第に浮かび上がってきたのは、歴史の中に埋もれてしまったもう一人の聖女、もしくは聖人の存在だ。
──聖女ただ一人では、邪悪な魔竜を打ち倒し、竜の眠りの間の王国を守りきれない。そこにはもう一人、対となる守り手が存在する。
聖女が、女神やイーシュトールより伝えられた【光の魔法】による召喚で顕れる外的世界からの救世主なら、世界の内側より生まれ出た精霊種たちの中から現れるもう一人の守り手。
それがシリルなのだという。
──かつては【月精】とも呼ばれていた。
ゲームでジオルグはそう言っていたが、一体どうやって辺境の集落に隠れ棲んでいたシリルの存在にまでたどり着いたのかは、シナリオを読み通しているはずの【俺】にも最後までわからなかった。
ただ彼は、数十年にわたってひたすらにその手がかりを探し続けていたらしい。
これがゲーム内でもいきなりとってつけたように明かされるので、展開的に驚くというより、当時の【俺】はむしろシナリオの緩さに驚いたのだが、まあよくよく考えてみれば、ゲームの主軸はあくまで主人公である聖女の恋愛ストーリーだ。
攻略対象となる男性キャラクターたちもかなり人気があったらしいので、最後に推しと結ばれさえすればそれでいいと思うプレイヤーが大半だっただろうし、いわば主人公側の敵にあたるキャラクターのことなど、そう深く掘り下げる必要性はなかったのだろう。
恋愛パートにほとんど興味がなかった【俺】とは、視点が異なるのは仕方がない。
ちなみに月精について、この世界のシリルの記憶も覗いてはみたが、やはり何もわからなかった。
おそらく、シリルはまだ知らないのだろうと思い、現時点での追究は諦めたのだが。
──でも、【俺】が一番知りたかったのは、そこのところなんだけどな……。
いつかシリルが成長したら、ジオルグは全てを語ってくれるだろうか。
さて、とりあえず今の【俺】に出来ることは特に何もない。
このまま平和に時が過ぎてゆくなら、第二の人格が生まれることもなく、いずれ聖女やその攻略対象たちとともに無事に魔竜も斃してしまえば、ゲームのような悲劇はきっと起こらないだろう。
一度大きな不幸に見舞われても、そのあと幸せに育てられた子供には、不穏な運命に引き戻されることなくそのまま幸せに生きていってほしいし、個人的な願望としてそんな人生もあるのだと思いたい。
それを見ることが叶うのなら、この世界に転生した甲斐もあるというものだ。
ジオルグの屋敷に連れてこられ、はじめは硬かった心が次第に解けていくさまを見て、ようやく少し安心する。
だからちょっとだけだ。ほんのちょっとだけ、やることもないので、シリルの中で眠ろうと思い……。
……そうやってつい眠ってしまった間に、まさか十年もの歳月が経っていようとは。
次に目覚めたとき、【俺】は前世で死んだ年齢と同じ十八歳のシリル・ブライトだった。
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