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序章 邂逅

⒌ 忘却の朝

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     * * *


 少年が倒れた場所にジオルグたちが到着したのは、黒衣の一党が去ってまもなくの事だった。
 そこは、焼け落ちた集落から南にいくらと離れていない場所だったが、幼い少年が走ったにしてはなかなかの距離だった。
 翼竜ワイバーンで先行した辺境警備隊の隊員たちは、消火活動を行いつつ、集落の中とその周囲を重点的に捜索していたため、見つけることができなかったのだ。

 駆け寄って少年の体を抱き起こそうとしたジオルグが、強ばった表情でルシアを見た。

「首に毒針が」
「毒針?」 
「ああ、刺さっている場所の肌が青く変色している」
「わかった急ごう」

 小さな矢羽のついた針を慎重に引き抜き、ルシアが差し出した手巾に包む。毒の回りを速めぬよう、なるべく体を動かさずにそっと抱き上げようとすると、少年が気がついた。
 そこで初めて言葉を交わし合った後、ジオルグは再び気を失ったシリルの体を抱き上げ、ルシアとともに急いで集落の傍に設けられた辺境警備隊の野営地に向かう。
 中央にある大きな天幕の前で彼らを迎えたのは、王都では有名な初老の治癒魔法師だった。

「ヒースゲイル、どうしてここに!」
「話は後で、ロートバル殿、早く中へ」

 驚いて声を上げたジオルグを制し、ヒースゲイルはきびきびとした所作で誘導する。
 天幕の中には警備隊専属の治癒魔法師と魔法薬師、衛生看護魔法術士の一団が待機していた。
 白い覆い布で仕切られた一画に置かれた寝台に、ジオルグに抱き抱えられたシリルがそっとおろされる。すぐに治療場の覆い布が閉じられ、ジオルグとルシアは外に追いやられた。

 その夜、ほんの一時だけ、シリルは生死の境を彷徨った。
 賊は、去り際に毒を仕込んだ吹き矢を放っていったのだ。

「怒れる神官長サマからの制裁を恐れたんだろうよ」

 とは後のルシアの言だが、実際にジオルグ達の足をその場に留めさせ、追撃を断念させることには成功しているので、おそらくこの見当はたいして外れていないだろう。



 カルゼル・ディ・ヒースゲイルは、この時たまたま知己であるセラザ辺境伯の館に滞在していたそうだ。
 王宮護衛師団に属する比類なき魔法士にして高名な治癒魔法師でもある彼は、集落での惨事を聞きつけるなり、深夜にもかかわらず館から飛び出し、ここで待機してくれていたらしい。

「もっとも、生き残ったのは小さな彼だけのようだが」

 しばらくして、ヒースゲイルは治療場から魔法薬師の若い男を連れ、ジオルグたちに経過を伝えに来た。

「で? あの子の具合はどうなんだ」

 前置きを嫌うぞんざいさでルシアが問うと、ヒースゲイルは思わずといった微苦笑を浮かべる。
 魔法薬師の男が、大物揃いの場で緊張しているのかやや早口で答えた。

「吹き矢に塗られていた毒が一体何の毒かがわからないのです。少し麻痺の症状も見られますから、おそらくは神経毒だと思われますが」
「私としては王冠蛇バジリスクだと思うが、吹き矢に残っていた毒が微小すぎてそれもはっきりしない」

 と、横からヒースゲイルが補足する。

「今は、治癒魔法をかけ続けることで毒のめぐりを遅らせていますが、このままでは体内の毒を無効化する手立てがありません。一刻も早く、同じ毒で作った抗毒薬を投与しないといけないのですが……」

 しかし毒の種類がわかったとして、たまたまそのストックがあればいいが、抗毒の成分というものは、一から作るにはえらく手のかかる代物である。
 例えば魔獣の毒だった場合、毒を持つ個体一匹分では足りないし、とりあえずは数匹分の毒が取れたとして、次にそれを別の動物の体に少しずつ入れていって薬の素となる抗体を作るのだが、これはまともにやれば数週間以上はかかるのだった。
 その工程に時間を短縮する魔法が使えたとしても、やはり何の毒かがわからないと抗毒薬は作り出せない。

「投与しなけりゃどうなる?」
「幸いなことに、あの子は直接魔獣に咬まれた訳ではありませんから、体内に入った毒自体はとても少ないのです。薬の量もそんなに多くなくていいはずですが、今は心身がとても弱っている状態なので……最悪の場合、麻痺が全身に広がって四肢の動きを止め、呼吸が止まる可能性が」
「フゥン……」

 顎に手を当て、ルシアは唸る。
 
「…………それならば、がここにある」

 それまで無言だったジオルグの発言に、何か思い当たったのかヒースゲイルの表情がわずかに引き攣ったように見えた。

「ですがそれは……、よろしいのですかな、その」
「ほう、さすがご存知か。貴兄の見識には畏れいる」

 ジオルグはやにわに片方の袖を捲りあげると、狼狽する治癒魔法師の前に腕を突き出した。

「我が血を。竜人種には毒が効かない上、この血はあらゆる毒に対する抗体にもなる」
 


 まだよく事態を飲み込めていないルシアと、うっすら理解した魔法薬師の困惑をよそに、ヒースゲイルはまだ喉の奥で唸っている。
 彼は王宮護衛師団に属しているため、血統的には王家にも連なる貴重な竜人種の純粋な血を、このようなことに使っていいものか、判断がつきかねているのだろう。
 だが、ジオルグの心はもう決している。
 ──痩せた生気のない顔に、少年が蕩けるような含羞はにかみをうかべた瞬間。
 そして、彼がの己の名らしきものを呼んだ瞬間、ジオルグの胸にはおそらく一生消えることのない陶酔よろこびが生まれたのだから。


    * * *


 冷たく痺れていた体に、何かあたたかいものが満ちていくのを感じ、【俺】は目を開けようとする。
 だけど、なぜか目は開かなくて。
 傍にいる見えない誰かが、【俺】の頭を撫でながら、やさしい声で囁くのをただじっとして聞くばかり。

 ──これからは、私が君を護る。
 ──だから、今宵その身に起こった辛くて悲しいことはすべて忘れてしまえ。

 くりかえし、何度も。


    * * *


「隊長! 出動するときは魔導通信機を持って行ってくださいってあれほど言いましたよね?」
「あ? 要らねえっつったろ、邪魔だあんなかさばるモン

 翌朝、集落跡地から野営地に戻ってきた部下に開口一番で抗議されても、ルシアは飄々と受け流す。

「あんたはそうでも、俺らには必需品なんです!」
「そもそも風竜エアを伝令として使役するの、魔法士の人達でさえたまに四苦八苦してんですよ! ざわざわ言ってるだけで何言ってるのかよく分からないって!」
「いや慣れだろそこは」
「違いますっ! 絶対あんたらがおかしいんです!」

 なぜか最後は、数人の隊員たちの声がきれいに揃う。
 まあまあまあ、とそれこそゆうべ四苦八苦しながら風竜エア越しに上官との不自由な通信を余儀なくされていた隊専属の魔法士本人が宥めにかかっている。
 上官の特殊技能スキルチート過ぎて自分たちが置き去りにされている感が強いのか、部下たちの非難がましいまなざしは変わらなかったが、そんな態度を上官に対して臆面もなくとれること自体、良くも悪くもルシアという男のおおらかさを物語ってもいる。

「あ、ちなみにアイツらが途中でざわざわ言ってたのはだな、他のことで急に騒ぎだしたからであって、別にお前らの魔力がからってわけじゃ……」

「は? 今なんか言いましたか」

 今度は魔法士が殺気立つ。
 
「ワーッ隊長、いいからもう! 黙っててくださいあんたは!!」
「鬼かひどい!」
「ひとでなし!」

 ……ぼろくそだ。
 やれやれとルシアは頭を搔く。

「まあまあ。あいつらも夜通しの仕事で疲れてますから」

 ルシアの傍らで、別の隊員たちに指示を出していた副隊長のユアンが抑揚のない声でぼそりと言う。

「その言い方、どっちの味方かわかりゃしねーな」
「おや、味方が必要でした?」

 これまた軽い皮肉で返される。
 チッと舌打ちしただけでルシアが何も言い返さないのを見て、ユアンも心持ち口調を改めた。

「それより、夜までにここを引き揚げるのでしたら、それまでに集落の皆の弔いと埋葬の用意を」

 わかった、とこれにはさすがにルシアも神妙な顔で頷く。
 ゆうべのうちに、草原からシリルの母親も、野営地に設けた遺体安置所に運ばせてある。
 皆と一緒に弔うつもりだったが、とりあえず命の危機は脱したらしいシリルの容体が落ち着いてから、エレナだけは別に後日弔おうかと提案したが、ジオルグは首を横に振った。

「シリルは、ゆうべのことはのだ。せめて快復するまでは、何事であれ、あの子の心を煩わせたくない」
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