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序章 邂逅
⒊ 邂逅 ─前編─ ☆
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セラザ辺境領の南西は、最近何かと物騒だった。
隣国が断続的に行なう【魔物討伐】にかこつけた越境行為が後を絶たないからだ。
「それにしても今夜のは最悪だ」
ビルンの大草原を、背に大剣を佩いた男が馬の三倍はある愛獣に跨って疾駆している。
硬くて癖のある黒い短髪に鳶色の目。日焼けした男らしい面構え──太くて濃い眉と無精髭さえどうにか整えればそれなりに精悍な顔立ちと言えなくもない──の男は、ずっと険しい顔つきのまま前方を睨んでいたが。
「ん? なんだ?」
ふと眉を寄せて呟くと、手綱を握っていた片方の手を放し、肩の高さまで上げ、向かってくる強風を掌に受けた。
「どうした、ルシア」
「いや、急に風竜どもが騒ぎ出したからな」
「ほう?」
幻獣を駆るルシアの後ろに相乗りしているのは、銀色の長い髪を後ろでひとつに束ねた男だ。
白皙を通り越していっそ青白いほどの膚に、金色の瞳。もはや端正という形容が追いつかぬほど(ルシアに言わせれば整いすぎている)人間離れした凄絶な美貌だが、それもそのはず、彼は古代種の中でも最上の種である【竜種】に連なる特権的な人種、すなわち【竜人種】の末裔であるとかいう話だった。
「……先に現地に行かせた翼竜隊からの伝言だが、悪い知らせだ。ブライト家があった集落は、既に焼け落ちてるそうだ。現在、隊をあげての消火任務にあたっている。例の子供については、目下捜索中」
「……そうか。間に合わなかったな」
「嘆くにはまだ早えぞ、ジオ」
「わかっている」
──はっ【魔物狩り】が聞いて呆れる。
毎回同じような理由で出動するたび、ルシアの心中は大体そんなふうな毒づきで占められるが、まあ自明の事ではあったりするので、わざわざ口に出すことはない。
──しかし、どうにも妙だな。
隣国は今回、大掛かりな魔物討伐部隊ではなく、少数の精鋭部隊を辺境に潜入させてきた。
その目的は、古代種と呼ばれる者達が暮らす集落。
古代種は大別すると、星の始まりから存在するという精霊種と、創世の女神が創り出した竜種をはじめとする幻獣種とに分けられる。
皇帝をはじめ、臣民のほとんどが【人間】の国からしたら、それらは【魔物】と変わらぬ異形と映るのだろうか。
しかも彼らが標的とするのは、人間よりも遥かに長命で、体内で生成される魔力量が途轍もなく多いジオのような純血の原種ではなく、人や魔物と血が混じりあった古代種の末裔がひっそりと隠れ棲む集落。
そういった弱い者たちが住む集落を、魔物狩りのついでとばかりに襲い、そのどさくさに紛れて少しずつこちらの領土を切り取ろうとする、そこまではまあ、いつも通りの御蛮行なのだが。
──まさか、次期宰相候補の神官長サマがご同行なさるとは、だよなあ。
今はセラザ辺境領主のもとで国境警備の任にあたっているルシアにしても、そこらの人間よりずっと長く生きているし、心身ともに並外れて頑丈に出来ている所為で諸々の能力値も馬鹿みたいに高いしで、おかげで生きてきた年数分以上の経験値もあったりなどして……、要するにまあ色々と込み入った事情持ちだ。
なので相手がちょっとした昔馴染みだからと言って、他人の事情にとやかく首を突っ込む趣味はないのだが。
それなりに高い身分でありながら、召集のかかった辺境警備隊の詰め所に突如ひとりで現れ、詳しい事情は話せないが自分も共に行くと告げてきた、ジオことジオルグ・ジルヴァイン・ロートバルの行動がどう考えても奇行であることは否めない。
──しかも、最優先の保護対象が混血の子供とは。
つまり魔物狩りにやって来た連中の方にも、その子供との間に何がしかの因縁があるということなのだろう。
──まあそっちについちゃあ、今んとこ俺には関係がねえけどな。
あっさりとルシアはそう結論づける。何事も無理に突き詰めることはしない性格だ。
「雲が出ているせいで、翼竜の視界がかなり悪い。かと言って雲の下を飛べば、夜とはいえ先に連中に気づかれる。できれば奇襲をかけたい」
地上を駆けるなら同じ翼持ちでもコイツの方が断然いい、とルシアは愛獣の首を撫でて言う。
「馬よりずっと速いしな。まあ、本当は飛んだ方がもっと速いんだが」
「確かに」
ご自慢のヒポグリフだしな、とジオルグに軽く請け合われ、ルシアのこめかみにビキッと青筋が浮いた。
「だーかーらっ! 何度言やあわかる! 馬じゃねえっ、コイツは有翼獅子だっ!」
マジで蹴り落とすぞ、と凄まれ、ジオルグはフッと小さく鼻を鳴らす。
「どちらも同じ鳥頭だろう」
「言い方な!」
冗談はさておき、とジオルグもルシアを真似るように片手を宙に向かって伸ばす。すると一陣の風が吹き、渦上にするりとまとわりついてきた。
風竜は、天と地の間を吹き渡る風の中に無数に在る精霊群だ。
精霊のなかでは霊位が低く、魔法で召喚できるものではもっとも扱いやすい部類なのだが、彼らは存在そのものが風と完全に同化しているため、目に見える姿はなく、声もない。
しかしその特性ゆえに、地上のありとあらゆる事象を見聞きしており、その情報量は膨大なものだ。そのうえ、遣い手側に技量があれば伝令としても使えるため、召喚者には単に風の力として操るだけではなく、その情報を正しく読み取る高度な感応力が求められる。
「……この草原で、誰かが風竜を召喚したらしい。だから騒いでいる」
「お、そりゃあつまり」
「ああ、まだ望みはあるということだ」
ジオルグの金色の双眸が光る。視力強化の呪文効果で、今は二人とも灯りがなくても夜目がきくが、これはそういったことではないだろう。
「了解、じゃあそいつのところまで風竜に案内させよう。集落の焼け跡はなかなか凄惨らしいが、それらしい亡骸はまだ見つかってないようだ。おそらく誰かが守って逃したんだろう。……まだ生きてるといいが」
「生きているとも。そして、必ず救い出す」
「よしじゃあ、しっかり捕まってろよ!」
愛獣の速度をさらに上げるべく、ルシアは腰を上げて鎧の上に立ち、前傾の姿勢をとった。
* * *
風竜の召喚は成功した。
自分で言うのもなんだが、初めての詠唱にしては上出来だ。
このままシナリオ通りに進めば、斬られはしても死なないことはわかっている。だけど、ここで斬られるのがわかっていて、何もしないでいるのもどうかしているだろう。
──何より、こんな幼い体に瀕死の重傷なんて負わせたくない。
その一心で起こした行動だったが、それが思った以上の効果を発揮して、強い風の渦が俺の体を守る防壁になってくれている。
──この世界の【人間】は、魔法を使えない。
体内で魔力が生成されない限り、不可能なのだ。
俺の場合、この体には間違いなく精霊種の血が流れているので、魔法は使える。
さらに上級者なら、風竜は詠唱なしでも喚べるぐらい霊位の低い精霊だが、今はまだそんな芸当はできないだろう。
ゲームの設定的に、この年齢時の彼がいったいどの程度の魔法が使えるものか、実は俺にもよくわかってはいない。
集落が襲われたショックで前世を思い出したせいか、今度は転生後の記憶が曖昧になっている。
それでも一か八かの賭けに出たのだが、必ず成功するという保証はなかった。
「おまえ、よくも!」
それなりの心得はあるのか、上手く馬を御しながら風が吹き荒ぶ範囲から逃れていた女の、怒りに震える声。
この反応も、知らないものだった。
こうやって少しずつ、ゲームのシナリオが変わっていくのだろうか?
俺としては、おおいにそれを望んでいるのだが、この展開自体がはたしていいものなのか、それともさらに悪い方へと転がっているのか、そこのところがわからない不安はある。
だが、まずは行動を起こさなければ、この先の運命を変えることはできない。
そして、ここに至って俺に出来ることはただひとつだった。助けがやって来るまでひたすら耐えて待つ……。
もうすぐここに、ある人物が助けにやってきてくれることを、俺は知っているから。
希望が見えた途端、気が緩んでしまったのか。
俺を取り囲む風の圧が少し弱まった気がした。
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