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第3話 お嬢様と秘密のメロディ
狂詩曲は止まらない
しおりを挟む「ロゼ、生徒たちにかけられた魔法は解けています。一時撤退した方が─」
「いいえ─まだ安心できないわ」
レオンの方を振り返ることもなく、ロゼはひたすらにバイオリンの上に弓を滑らせ続けていた。強い緊張状態と長時間に渡る演奏。白い額には汗が滲んでおり、表情もどこか辛そうに見えるのだが──それでもロゼの手つきは一切乱れることなく正確に動き続ける。
彼女がピアニストの魔獣の演奏を妨害したことにより、会場内で暴動を起こしかけていた生徒たちは一気に大人しくなった。しかし、未だ客席で演奏を続けるピアニストは、変わらず情熱的に鍵盤を叩いている。
(ここで演奏を止めたら、また……)
その時、再び鍵盤を支離滅裂に掻き鳴らすような轟音がグランドピアノから響いた。
突然鳴り響いた音に、二人は反射的に顔を上げる。
「あれは──」
先に異変に気付いたのは、レオンの方だった。
グランドピアノの蓋から、禍々しい黒い光を纏った巨大な腕が無数に伸びている。よく見ればその黒い光は五線譜や音楽記号で構築されており、それぞれが生き物のように蠢いている。まるで虫が一か所に集まって大きな生き物に見せかけているかのような、おぞましさがあった。
そして巨大な腕は─ホールのステージ横に設置されていた大型のスピーカーをむんずと掴み、コードを引きちぎって持ち上げる。
その瞬間、出力先を失ったロゼのバイオリンの音が、会場内からぶつりと途絶えた。
阻む音が無くなったことで、再び会場全体に魔獣のピアノの音色が響き渡り始める。
「しまった……!!」
スピーカーを失っても尚、ピアノの音を阻もうとロゼはバイオリンを奏で続ける。しかしマイクやスピーカーを通さずとも会場中に大音量で響く魔獣のピアノの音色は、いとも容易くロゼのバイオリンの音をねじ伏せ、かき消してしまう。
「っ─!!」
ふと、レオンはスピーカーを引きちぎった魔獣の巨大な手の動きに気が付いた。
あの魔獣はバイオリンの音を消すためだけにスピーカーを掴み上げたのではない。
音の出所そのものを─つまり、ロゼを消すつもりだ。
「ロゼ、危ない─!!」
まるで野球ボールでも投げるかのように軽々しく、巨大な手はスピーカーをステージ上のロゼ達に向かって投擲した。
レオンは咄嗟にバイオリンを構えたままのロゼを引き寄せ、彼女を庇いながら地面に伏せる。
しかし─
「『流れ星(エトワール・フィロント)』!!」
「『色とりどりの砂糖菓子(コロレ・コンフィズリー)』!!」
黒い塊と化したそれらがレオンとロゼに届くことは、無かった。
夜空を駆ける流星のような光と、カラフルなキャンディの形を取った魔力が、二人に直撃する前に粉砕したからだ。
「あの光……」
レオンは顔を上げ、自分たちを守った光の粒子が飛散する先に視線をやる。そこにいたのは、ピンクとオレンジの可愛らしいドレスに身を包んだ二人の少女だった。
「ロゼ様、大丈夫ですか?!」
ピンク色のセパレートドレスに身を包んだキルシェはステージ上に降り立つと、心配そうにロゼに声をかける。
「ええ……ありがとう」
レオンの手を借りながらロゼが立ち上がるのを確認すると、キルシェは安心したように微笑んだ。
「ロゼ先輩、レオンさん!早くここから逃げてください!!ここは私たちが何とかします!!」
キルシェに続いて二人と魔獣の間に降り立ったシトラスが、振り向きながら叫ぶ。
本来であれば、変身した後の姿で変身前に接点のある者と接触するのは御法度だ。だけど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「あなたたち……」
「お嬢様、」
─今は、彼女たちの言うとおりにしましょう
何かを言いかけたロゼだが、レオンにこっそりと耳元で諭されて頷くと舞台裏に向かって駆け出す。二人がその場を離れたことを確認すると、シトラスとキルシェは改めてピアニストの魔獣を見据えた。
わかっていることは三つ。
一つは、あの魔獣はピアノを弾き続けないと魔法を使うことができない。
二つ目に、魔獣は演奏を邪魔されないよう自分とピアノの周囲を防御魔法で守っている。
そして三つ目─ピアノの音を掻き消されると、魔法の効果が弱まるということだ。
「あのスピーカーを元に戻して何か大きな音を出せば……『元に戻れ(ルトゥル……)』っ!!」
キルシェが呪文を唱え終わるよりも前に、ピアノから伸びた五線譜の巨腕が振り下ろされようとしていた。キルシェは慌てて後ろに飛び退きそれを避ける。
振り下ろされた腕はそのまま床に激突し、派手な音を立てながらステージの中央に大穴を開けた。
「やっば……!あんなの当たったらただじゃ済まないよ?!」
「だね、何とかしなきゃ……!」
再び襲い掛かる腕の猛攻を避けながら、シトラスもまた思考を巡らす。一瞬の隙も許されないこの状況下では、タイムラグの生じる『元に戻れ(ルトゥルネ)』でスピーカーを直して演奏を妨害するのは現実的ではない。
ならば、他の手段を探すしかない。
「……っ、しつこい!『極光(オロル)』!!』
向かってきた腕に向かって詠唱すると、シトラスと腕の間に煌めいた光の幕が現れる。シトラスが勢いよく幕を引いてそれが翻った瞬間、布に当たっただけとは思えないような勢いで腕は跳ね返り、そして─ピアニストの魔獣のいる方へ飛んでいったかと思うとその周囲の結界にヒビを入れた。
「─!!あいつの結界が……!」
魔獣もまさか自身の力で結界に傷を付けるとは思っていなかったらしい。動揺を覚えたのか、一瞬ピアノの音が止んだ。
「シトラス、キルシェ!今ならあいつの結界を完全に壊せるかも知れないポメ!!」
ポメポメの言葉に二人は大きく頷き合う。
「おっけー!畳み掛けるよ!『王様のお菓子(ガレット・デ・ロワ)』!!」
ピンキー・スイートから、ひとつひとつがパイ菓子のような形をした魔力が放たれる。まるでミサイルのように狙いを定めた先に飛んで行ったそれらは、結界の亀裂が入ったところへ勢いよく吸い込まれた。
「シトラス、今!!」
「うん!!」
キルシェが呼びかけるよりも早く、シトラスはステージの床を蹴って高く飛び上がっていた。オレンジ・スプラッシュにありったけの魔力を込めて上空から振り下ろす。
「『隕石(メテオライト)』!!」
キルシェの『王様のお菓子』の着弾で細かく広がっていたヒビは、シトラスの一撃によってまるで陶器のように砕け散る。そして、ピアニストの魔獣とシトラスたちを阻む壁は消えた。
「結界が壊れたポメ!!」
「よっしゃ!あとはピアノから離れさせて浄化すれば……!!」
キルシェはそういってピアノに近付こうとした。が─
「待って、何か変だよ!!」
シトラスの制止に、キルシェは思わず足を止める。しかし、遅かった。
キルシェが魔獣の方に向き直ろうとした時にはもう、五線譜の巨腕はキルシェの鳩尾にめり込んでいた。
「かはっ……!?」
一瞬息が詰まり、次の瞬間に全身に激痛が走る。殴られた勢いで弾き飛ばされたキルシェは、ステージ後方の壁に激突した。
「キルシェ!!」
キルシェのぶつかった場所には大きなヒビと窪みが出来、キルシェはそこから剥がれるようにして床に倒れる。からん、と音を立ててピンキー・スイートが彼女の手から転がるが、衝撃で意識を飛ばしてしまったのか起き上がる気配がない。
シトラスとポメポメはすぐさま駆け寄ろうとしたが、五線譜で形作られた巨大な腕はそれを阻むようにシトラスに襲いかかる。
「っ、ポメポメ下がって!『防壁(バリエ)』!!」
シトラスは結界の盾を生み出し、正面から来た五線譜の腕を寸でのところで受け止める。
「シトラス、後ろポメ!!」
「えっ?─」
ポメポメの声に後ろを振り返るよりも先に、いつの間にかもう一本現れていた五線譜の手のひらは、シトラスを背後から打った。
「がぁっ……!!」
「シトラス!!」
もう一本の手はそのままシトラスをステージ後部の壁に叩きつけ、まるで潰そうとでもしているかのように力を込めてシトラスを圧迫した。
「っ、ぐぅぅ……!!」
なんとか逃れようと手のひらを押し返そうとするが、ビクともしない。少し壁から身体が離れたかと思うと、すぐに押し戻されて圧迫される。
「シトラスっ、今助けるポメ!」
「わた……、しはいいから……キルシェを……っ、ぁああああっ!!」
より強い圧力をかけられ、シトラスは苦しげに声を上げる。骨が軋む音がして、今にも潰されそうだった。
五線譜の魔獣─ピアニストの魔獣は、痛みに叫ぶシトラスをひどく冷めた目で見つめていた。その目に光はなく、感情というものが一切見えない。ただ、淡々と目の前の敵を粉砕することしか頭にないのだろう。
「やめるポメ!シトラスが死んじゃうポメ!!」
悲痛な叫びを上げるポメポメを嘲笑うかのように、音楽の魔法で作られた魔獣の腕はより一層強くシトラスを締め付ける。
「だめ……、く、苦し……」
シトラスが意識の遠のきを感じた瞬間、
「ポメ……っ!?」
突然音楽の魔獣の手はばらばらに解けて消失した。
それと同時にシトラスの全身にかかっていた重圧も消え失せる。
「シトラス!」
壁からずり下がるようにして倒れるシトラスの元に駆け寄ろうとするポメポメ。だが、
「っ!?」
その真横をすり抜けるように、黒い何かが凄まじい速さでシトラスの元へ伸びた。
シトラスの方だけではない。
その隣で壁に寄りかかるようにして意識を失っているキルシェの方にも、もう一本黒いものが伸びていく。
ポメポメが何が起きているのかを理解する間もなく、黒い魔力はぐったりとした二人の魔法少女の身体を捉え、空中に持ち上げていった。
「なっ……、何をするポメ!やめっ……!?」
ポメポメは言葉を最後まで紡ぐことが出来ずに絶句した。
なぜなら、二人の魔法少女を捉える黒い魔力の元を辿ると─先ほどまではまだ辛うじてピアニストの人間のような姿かたちをしていた魔獣が、完全に異形のものへと成り果てていたのだから。
中世の音楽家のような髪や服はそのままに、体は頭でっかちに肥大化している。それだけならいいのだが、二本しかなかったはずの腕がいつの間にか四本に増えており、その腕もまたピアノを奏でていた。
あの五線譜で出来た腕や触手のような物体は、どうやら奏でた音がそのまま可視化されたものだったらしい。
腕が四本に増えたことで人間一人では演奏できない曲も演奏可能になった魔獣は、更に音楽の力で五線譜の密度を濃くし、二人の少女の身体に絡みついていく。
シトラスとキルシェは、まるで巨大な蜘蛛の巣に囚われた蝶のように、五線譜の網に絡め取られて空中に持ち上げられていた。
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