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第2話 アクアリウム・パニック
水に潜むもの
しおりを挟む「あーっ面白かった!おなか空いたぁ~!」
「ね、お昼どこで食べる?」
時刻は正午。ひと通り見学し終えたシトラスとキルシェは、昼食をとる場所を探して館内をうろついていた。今回の校外学習では昼食のための場所として、水族館側によってカフェテリアやロビーなどが開放されていた。カフェテリアは座席を解放しているだけでなく海洋生物を模したランチなどの限定メニューの販売をしていることもあり、遠目から見ても混雑していることがうかがえる。
「カフェテリア、すごいことになってるね……」
「んー、あたしもシトラスもお弁当だからねぇ……お昼からイルカショーもあるし、ロビーでちゃーっと食べて場所取りしちゃった方がいいかなぁ」
「キルシェ、イルカさんにすごい懐かれていたもんね。前の方の席だったら、気付いてもらえるかもしれないよ」
「あ、それサイコー!よしっ、早く食べて場所取りしちゃお!」
キルシェはシトラスの手を引いてロビーの方へと駆け出そうとした、その時だった。
「きゃあああーーーっ!!!!」
耳をつんざくような女性の悲鳴。聞こえてきたのはステージエリアの中からで、続けてイルカたちのけたたましい鳴き声が聞こえてきた。
「今の声、もしかして……!」
悲鳴の主の声に聞き覚えを感じたキルシェはハッと顔を上げて、シトラスを見る。
「っ!さっきイルカの話をしてくれた飼育員のお姉さん……?」
シトラスもその可能性に行き当たったらしく、顔色を変える。
(シトラス!シトラス聞こえるポメ⁉)
リュックの中に隠れていたポメポメが、シトラスにテレパシーで声をかける。どうやら相当慌てているらしいことが伝わってくる声色だった。
(うん、聞こえてる!何かあったの!?)
心の中で呼びかけると、ポメポメは焦った様子のまま状況を報告する。
(ステージエリアの方から魔獣の気配がするポメ!!)
それを聞いて、シトラスの表情に緊張が走る。だとすれば、今起きているこの事態は─
「おねーさんに何かあったのかも……助けに行かなきゃ!」
慌てた様子で走り出そうとするキルシェの腕を摑んで引き止めるシトラス。
「待って!まず……先生とか、他の水族館の人に報告した方が良くないかな?」
当然、口実だ。キルシェの前で変身するわけには行かないし、魔獣が出現した可能性があるのならキルシェを尚更その現場に近づけるわけにはいかない。もう前回のようにキルシェが魔獣に傷付けられて命を危険に晒されるなんてことは絶対にあってはならないのだ。
しかしキルシェはそんなことなど知る由もないわけで。
「そんなの待ってられないよ!早く助けないと!!」
「キルシェ、待って!!」
キルシェはシトラスの腕を逆に掴むと、そのまま走り出してしまった。
「おねーさん!イルカさん!大丈ぶ……、」
ステージエリアへと足を踏み入れると、二人の目の前に広がった光景は想像を絶するものだった。
水槽の水がまるで意思を持った生き物のようにうねり、軟体生物の触手を思わせるような形状をとり、スタッフの女性の体を搦め捕っていたのである。そして女性もまた必死で抵抗しようとしているもののうまくいかず苦悶の表情を見せていた。
イルカ達もこの水の異常な動きにパニックになっているらしく、キューッ!!キューッ!!とけたたましい鳴き声を上げながら逃げ惑っている。中には女性を助けようとしているのか渦に飛び込もうとしているイルカもいるが、水の動きに翻弄されて上手く泳げず、逆に女性から遠ざけられてしまっていた。
座席の方にも目を向けると、場所取りで訪れていた生徒たちはパニック状態で逃げ惑っている者、─既にエナジーを奪われてしまったのか─目の焦点が合わない状態でぐったりと倒れている者で混沌としている。
他のスタッフも生徒同様にエナジーを奪われてしまったのか頭痛を訴えてその場に蹲ったり、意識を失ったように突っ伏している者もいる。女性が溺れそうになっているのに誰も助けるための行動をしていない─いや、行動できる状態にないのだ。
「……っ!!」
明らかに「水」という物質の持つ本来の性質を超えた動きを見せるそれの様子を見てシトラスは確信する。
(ポメポメ、これって……!!)
(それが今回の魔獣ポメ!キルシェを安全なところに避難させて変身するポメ!)
そうだ、キルシェを巻き込むわけには行かない。まずは彼女を逃さなければ─そう思った矢先だった。
「おねーさん!今行くから!!」
振り向くといつの間にかシトラスの隣にいたはずの彼女がスタッフの女性のいるプールに向かって走り出していた。それに気付いたシトラスは、ひとまずリュックサックを近くの座席に下ろして慌てて彼女の後を追いかける。
「待ってキルシェ!」
しかし水の勢いは凄まじく、到底人間の力でどうにかなるとは思えない。それでも彼女は助走をつけて勢いよく飛びあがると、プールの柵に捕まりながら引きずり込まれている女性の手を掴もうとする。
「ほらっ……!ちゃんと掴んで!大丈夫だから!!」
「ぐっ……うぅ……!」
パニック状態になりかけている女性だが、キルシェの声はちゃんと聞き取れたようで彼女に向かって手を伸ばす。2人で必死に手を伸ばし合い、辛うじて手を掴みあった。
「キルシェ!こっちに手を伸ばして!」
何とか遅れてプールの柵の下まで来たシトラスは、叫ぶように声をかける。
(シトラス?!変身しないと危ないポメ!)
(わかってる!でもこのままじゃ……!)
不安そうな声色に変わったポメポメの声が脳内に響くが、友人や一般人の目の前で変身するわけには行かない。かといってこのまま放っておけば確実に二人は溺れてしまうだろう。それだけは絶対に避けなくてはならないことだ。
「シトラスっ、せーので引っ張るから、手伝って!」
プールの柵の下にいるシトラスの手を掴み、キルシェが合図する。
「せーのっっ!!!」
ぐっ、と手を引っ張られた瞬間に自分も力を入れて踏ん張る。シトラスとキルシェが駆け付ける前から水に捕らわれていた女性は体力が限界だったのか力が入らず徐々に引きずられ始めるが、それでもキルシェが力強く引き寄せると少しずつではあるが彼女の体が浮かんでくるのが見えた。
そしてそのまま彼女を引き上げようと一気に力を込めようとしたところで―途端に水からの抵抗が無くなり、その反動でシトラスは尻餅をついた。それから少し遅れてキルシェと女性も反動で柵の下の床にドサッと倒れ込む。
「いったたたた……」
「おねーさん?大丈夫?」
キルシェの心配そうな声が聞こえ、シトラスは慌てて起き上がる。キルシェと女性はすぐ側に見つかったが、女性はショックで意識を失ってしまったようだ。
きゅーっ、きゅーっ、と言う声が聞こえてプールの方を振り返ると、イルカたちが心配そうにこちらを見ていた。女性のことを気にかけているようではあったが、自分たちも不安なのだろう。
「どうしよう……誰か、」
シトラスは改めて辺りを見回す。が、このエリアにいる他のスタッフや生徒たちは揃いも揃ってぐったりとしていた。自力で動ける状態の人物が、自分たち以外に誰一人として見当たらない。
どうしたものかと考えながらキルシェの方に顔を向けたシトラスは、目を見開いた。
「キルシェ、後ろ!!」
「え……?」
キルシェのすぐ背後に、水の塊が迫っていた。見間違いようもなく先ほど飼育員の女性を襲ったものと同じそれが、避ける暇もなくキルシェの身体をあっという間に拘束する。
「きゃあああっ!?」
「キルシェ!!」
悲鳴と共に一瞬で飲み込まれてしまったキルシェを見たシトラスは、咄嗟に身体が動いていた。プールサイドを蹴り、勢いのまま水中に飛び込むと同時に腕を伸ばす。水の抵抗によって手が千切れそうになる感覚に襲われながらも必死に手を伸ばしてキルシェの腕を掴むことに成功した。
「シトラスーっ!!」
水の外から、ポメポメの悲痛な叫びが聞こえる。変身もしていないのに魔獣の懐に飛び込んでしまったようなものだから、無理もない。
(まずい……息が続かない……!)
シトラスは体力に自信がある方でもなければ、運動神経も決していいとは言えないタイプだった。当然ながら泳ぐことなど得意ではない。
「……っ、……っ……」
目の前のキルシェも、苦しそうに顔を歪めている。
(どうしよう、やっぱり変身しなきゃ……っ、)
そこまで考えてシトラスはハッとした。変身ブローチは、ポメポメと一緒にリュックの中に入れたまま。つまり、今の状態ではどのみち変身することはできないのだということに気が付いたからだ。
「─っ!?」
シトラスの動揺に拍車をかけるように、二人の身体を水中に引き込む力が途端に強くなっていくのを感じた。 キルシェの方を見ると、もう既に呼吸を止め続けることができなくなっているようで、口から空気泡が溢れ出している。
(キルシェ……っ、だめ!このままじゃ本当に死んじゃう!!)
そんな危機感を抱いた瞬間だった。不意に何かに強く腕を引かれるような感覚があったかと思うと次の瞬間には全身が宙に浮いていたような浮遊感に襲われたのだ。思わず驚きのあまり息を吸おうとしたのだが何故か上手くいかない上に口の中に水が入ってくる感覚に混乱してしまう。
(誰……?助けてくれるの?)
腕を引いた人物の顔を見上げようとしたところで、シトラスの息も限界を迎える。
意識が遠くなる中で最後に見たのは、水中に揺蕩う長い赤髪だった─。
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