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二 零落
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家によって決められた許嫁、神谷宗助は春子より三つ年下だ。けれど身分は、子爵家の春子よりも格上の侯爵家で嫡男だ。
遥か昔から財政界に貢献してきた名家ゆえなのか、気位が高すぎる宗助はどうやら春子の事が気に入らないらしく、幼い頃から何かと怒られてばかりだった。
確かあれは春子が十四の時──
神谷家の整理整頓された物置で、春子よりも背の低い宗助が箪笥の上めがけて手を伸ばしていた。
『宗ちゃん』
『気安く呼ぶな』
眉根を寄せられても、いつも通りであったため気にせず尋ねた。
『手を貸そうか?』
『うるさい』
『えっと、あの葛籠を取りたいんだよね?』
届きそうで届かない箪笥の上には葛籠があった。それを春子が掴んで渡すと、
『僕がいつ代わりに取れと頼んだ。余計なお世話なんだよっ』
激昂させてしまった。
また違う年には、春子が初めて作った花見団子の味見を頼んだだけで、激怒された。
『僕に毒味をしろと言うのか?』
『毒なんて入れてないから、一緒に食べようよ』
『そんな物、誰が食べるものかっ』
というような思い出ばかりだが、たまに優しかったりするので困るのだった。
それは春子が十八の時。
夕陽が沈み始め、人気のなくなった裏通りで突然、腕を掴まれた。見上げるほど大きく屈強な、三十代くらいの男の人だった。
春子を誘拐し身代金を得たがる誘拐犯から、何とか逃れようと全身全霊で足掻いた。だけど敵わず、いらついた誘拐犯に殴られそうになった所、宗助が通りかかった。
でもだからといって安堵は出来ず、むしろ春子より年下で、同じくらいの背丈で線の細い宗助を巻き込みたくない、自分がしっかりしなくては──という考えに至り、他人のふりをして誘拐犯に抗った。
すると宗助が激しい怒りを燃やし、少しも躊躇わずに誘拐犯に立ち向かっていった。
そのせいで酷く殴打され口元から出血しても、死んでも負けるものかという気迫が凄まじく、誘拐犯も驚いていたが春子の驚きはそれとは比較にならないほどだった。
力で敵うはずのない誘拐犯と揉み合いになりながら、宗助が声を荒げた。
『早く行けっ』
しかし、どうしても置いて行けない春子が加勢した事で、ますます激昂した宗助に顎を頭突きされた誘拐犯が気を失い、砂道に倒れこんだ。
途端に静まり返る裏通りで、宗助が血だらけな顔を拭いもせずに言った。
『怪我は』
『う、うん、急いで手当てしないと! とにかく止血するから』
『僕の事じゃなくてお前の事を聞いているんだ』
『え? 私……は、どこも怪我してないよ』
予想外な問いかけに春子が目を丸くしながら答えると、宗助が険しい表情を和らげた。
心配してくれたのだと気づいたその時から、宗助の事が今までとは違って見えるようになった。
そうして春子は惹かれていった。このまま結婚し、たとえ喧嘩したとしても仲直りして一緒に歩んでいきたいと思うほど。
けれど宗助の気持ちと、家の現状を考えると濃い霧の中に迷いこんだかのように漠然と不安になるのだった。
春子ら四人はひとしきり話した後、それぞれ自家用車に乗りこんで華族館を離れた。
陽が暮れて一層空気は冷たく感じられ、息を吐けば白く凍るほどだった。
運転手の危なっかしい運転にも、ひやりとしつつ、無事に広大な敷地を有する屋敷へと辿り着く。
そして主屋に入ってすぐ、春子は女中に呼び止められた。
両親が待っていると聞き、居間の方へと歩みを進める。
かつては錦鯉が泳いでいた池や消灯中の灯籠。それらが見渡せる縁側を通り、居間の障子を開けるといつも笑顔の両親が、いつになく神妙な顔つきで待っていた。
一体どうしたのかと思いながら春子も畳に正座すると、父が話し始めた。
「爵位を返上しようと思う」
遥か昔から財政界に貢献してきた名家ゆえなのか、気位が高すぎる宗助はどうやら春子の事が気に入らないらしく、幼い頃から何かと怒られてばかりだった。
確かあれは春子が十四の時──
神谷家の整理整頓された物置で、春子よりも背の低い宗助が箪笥の上めがけて手を伸ばしていた。
『宗ちゃん』
『気安く呼ぶな』
眉根を寄せられても、いつも通りであったため気にせず尋ねた。
『手を貸そうか?』
『うるさい』
『えっと、あの葛籠を取りたいんだよね?』
届きそうで届かない箪笥の上には葛籠があった。それを春子が掴んで渡すと、
『僕がいつ代わりに取れと頼んだ。余計なお世話なんだよっ』
激昂させてしまった。
また違う年には、春子が初めて作った花見団子の味見を頼んだだけで、激怒された。
『僕に毒味をしろと言うのか?』
『毒なんて入れてないから、一緒に食べようよ』
『そんな物、誰が食べるものかっ』
というような思い出ばかりだが、たまに優しかったりするので困るのだった。
それは春子が十八の時。
夕陽が沈み始め、人気のなくなった裏通りで突然、腕を掴まれた。見上げるほど大きく屈強な、三十代くらいの男の人だった。
春子を誘拐し身代金を得たがる誘拐犯から、何とか逃れようと全身全霊で足掻いた。だけど敵わず、いらついた誘拐犯に殴られそうになった所、宗助が通りかかった。
でもだからといって安堵は出来ず、むしろ春子より年下で、同じくらいの背丈で線の細い宗助を巻き込みたくない、自分がしっかりしなくては──という考えに至り、他人のふりをして誘拐犯に抗った。
すると宗助が激しい怒りを燃やし、少しも躊躇わずに誘拐犯に立ち向かっていった。
そのせいで酷く殴打され口元から出血しても、死んでも負けるものかという気迫が凄まじく、誘拐犯も驚いていたが春子の驚きはそれとは比較にならないほどだった。
力で敵うはずのない誘拐犯と揉み合いになりながら、宗助が声を荒げた。
『早く行けっ』
しかし、どうしても置いて行けない春子が加勢した事で、ますます激昂した宗助に顎を頭突きされた誘拐犯が気を失い、砂道に倒れこんだ。
途端に静まり返る裏通りで、宗助が血だらけな顔を拭いもせずに言った。
『怪我は』
『う、うん、急いで手当てしないと! とにかく止血するから』
『僕の事じゃなくてお前の事を聞いているんだ』
『え? 私……は、どこも怪我してないよ』
予想外な問いかけに春子が目を丸くしながら答えると、宗助が険しい表情を和らげた。
心配してくれたのだと気づいたその時から、宗助の事が今までとは違って見えるようになった。
そうして春子は惹かれていった。このまま結婚し、たとえ喧嘩したとしても仲直りして一緒に歩んでいきたいと思うほど。
けれど宗助の気持ちと、家の現状を考えると濃い霧の中に迷いこんだかのように漠然と不安になるのだった。
春子ら四人はひとしきり話した後、それぞれ自家用車に乗りこんで華族館を離れた。
陽が暮れて一層空気は冷たく感じられ、息を吐けば白く凍るほどだった。
運転手の危なっかしい運転にも、ひやりとしつつ、無事に広大な敷地を有する屋敷へと辿り着く。
そして主屋に入ってすぐ、春子は女中に呼び止められた。
両親が待っていると聞き、居間の方へと歩みを進める。
かつては錦鯉が泳いでいた池や消灯中の灯籠。それらが見渡せる縁側を通り、居間の障子を開けるといつも笑顔の両親が、いつになく神妙な顔つきで待っていた。
一体どうしたのかと思いながら春子も畳に正座すると、父が話し始めた。
「爵位を返上しようと思う」
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