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1 顔も知らない結婚相手
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十一歳の時、エマは結婚した。
その頃はまだ結婚がどういうものなのかわからず、初恋の感情さえ知らなかった。
けれど親同士で婚姻の話は進められ、いつの間にやら顔も知らない男の花嫁となっていた。
でもだからといって環境に大きな変化はなく、離れて暮らしたまま月日が流れ、今年でエマは十六となったが、相も変わらず結婚した相手の事を何も知らない。かれこれ五年も経ったのに、いまだに一度も会った事がなかった。
このような結婚の形は、この国リゾイルでは一般的だが、使用人の話ではほとんどの夫婦は交流を深めてから共に暮らし始めるため、ここまで交流を持たない夫婦は滅多にいないそうだった。
とすると何か事情があるのかもしれないし、単にエマにこれっぽっちも興味がないのかもしれない。
何にしてもエマは年々気になっていた。結婚相手が一体どんな人物なのか、知りたくて会いに行こうとした事もある。けれど伯爵の息女がふらふらと出歩くべきではないと言う親と使用人によって、ことごとく阻まれてきた。
しかし昨日、ついに父は言ったのだ。
もうじきやってくるエマが社交界に初めて飛び込む日に、エスコートしてくれるよう夫に話をつけておくと──
その日が近づくにつれ、エマよりもむしろ母の方が準備に気合いが入っていた。
屋敷の広々とした一室で、一人娘の社交界入りをなんとしてでも成功させたいベロニカによって、様々なドレスを試着させられる。といっても王族からの招待状には、白のイブニングドレスと肘上まであるグローブが指定されているため試着した全てに大きな差違はなかったが、その些細な違いこそ大事なのだとベロニカは訴えた。
「違うわね、これもエマには合わないわ」
ドレスにグローブ、パンプスに宝飾品とそれぞれ手にしているメイドへベロニカが視線を移し、次の指示を出そうと堅そうな口を開く。
しかしその前に、エマが耐えかねて口を挟む。
「コルセットが苦しいよ、このままだと酸欠になっちゃいそうだから脱いでもいい?」
「そのくらい我慢なさい」
「無理っ、限界ーっ」
息苦しいほどウエストを締めつけている編み上げのコルセットを外そうとすれば、メイド達に一斉に押さえつけられ、ろくに身動きできなくなる。それでも、じたばたもがくエマをベロニカは神妙な面持ちで見つめた。
「舞踏会まで外さずに過ごしなさい。どんなに苦しくても微笑みを絶やさずにいられるよう慣れるのよ」
「なんでそんな事しなきゃいけないの?」
「エマが幸せになるためよ」
その後も試着は続き、眩い夕陽が、室内の色合いを変え始めた頃に全て終了した。
エマは誰にも気づかれないうちにこっそりコルセットを緩めて、引きずるほど長い裾も華美な装飾もなく、動きやすいアフタヌーンドレスに袖を通す。
きつく纏め上げられていた、くすんだ金の髪も解くと肩へと流れた。
「明日はドレスの裾を踏まずに踊るため特訓するわよ、お相手はカイルに頼みましょう」
両親が親しくしている伯爵の令息だ。
茶会や晩餐会で同席すると冷めすぎているほど冷静な性格に感じられたが、エマが指に怪我をした時には血相を変えて手当てしてくれ、それ以来、心根の優しい青年に見えるようになった。
「カイルと踊るの?」
「そうよ、カイルにエスコートしてもらいましょう、明日も当日も」
「当日って? 舞踏会の事なら一緒に行くのは私の、その、夫だよ?」
そう呼ぶ事に慣れておらず照れるエマを見つめ、ベロニカは苦々しく眉をひそめた。
「エマ、その件なら忘れなさい。全く腹立たしい事に、あちらからエスコートを断られたのよ」
「え……?」
(やっと会えると思ったのに)
そわそわして膨らんでいた気持ちが急激に萎み、代わりに疑惑がエマの心を支配していく。
そんなにもエマと会うのが嫌なのだろうか。
右側には窓ガラス、左側にはドアが整然と並んでいる廊下を歩いていたら、一つのドアの向こうから、メイドの話し声が聞こえてきた。
「ついに奥方が社交界へデビューするっていうのに、そのエスコートを断るなんてありえないわね」
「本当、しかも断った理由が他の女をエスコートするためだなんて、正気とは思えない。正気じゃないからお嬢様に恥をかかせるって事もわからないのかな」
「……お嬢様、お可哀想に」
たまらずエマはドアを開け、メイド達に問いただした。
「断った理由、それ本当なの!?」
あわてふためくメイドが一丸となって話題を変え、問いには頑なに答えてくれない。
こうなったら夫に直接物申してやる、と決意に燃えてエマは駆け出した。
その頃はまだ結婚がどういうものなのかわからず、初恋の感情さえ知らなかった。
けれど親同士で婚姻の話は進められ、いつの間にやら顔も知らない男の花嫁となっていた。
でもだからといって環境に大きな変化はなく、離れて暮らしたまま月日が流れ、今年でエマは十六となったが、相も変わらず結婚した相手の事を何も知らない。かれこれ五年も経ったのに、いまだに一度も会った事がなかった。
このような結婚の形は、この国リゾイルでは一般的だが、使用人の話ではほとんどの夫婦は交流を深めてから共に暮らし始めるため、ここまで交流を持たない夫婦は滅多にいないそうだった。
とすると何か事情があるのかもしれないし、単にエマにこれっぽっちも興味がないのかもしれない。
何にしてもエマは年々気になっていた。結婚相手が一体どんな人物なのか、知りたくて会いに行こうとした事もある。けれど伯爵の息女がふらふらと出歩くべきではないと言う親と使用人によって、ことごとく阻まれてきた。
しかし昨日、ついに父は言ったのだ。
もうじきやってくるエマが社交界に初めて飛び込む日に、エスコートしてくれるよう夫に話をつけておくと──
その日が近づくにつれ、エマよりもむしろ母の方が準備に気合いが入っていた。
屋敷の広々とした一室で、一人娘の社交界入りをなんとしてでも成功させたいベロニカによって、様々なドレスを試着させられる。といっても王族からの招待状には、白のイブニングドレスと肘上まであるグローブが指定されているため試着した全てに大きな差違はなかったが、その些細な違いこそ大事なのだとベロニカは訴えた。
「違うわね、これもエマには合わないわ」
ドレスにグローブ、パンプスに宝飾品とそれぞれ手にしているメイドへベロニカが視線を移し、次の指示を出そうと堅そうな口を開く。
しかしその前に、エマが耐えかねて口を挟む。
「コルセットが苦しいよ、このままだと酸欠になっちゃいそうだから脱いでもいい?」
「そのくらい我慢なさい」
「無理っ、限界ーっ」
息苦しいほどウエストを締めつけている編み上げのコルセットを外そうとすれば、メイド達に一斉に押さえつけられ、ろくに身動きできなくなる。それでも、じたばたもがくエマをベロニカは神妙な面持ちで見つめた。
「舞踏会まで外さずに過ごしなさい。どんなに苦しくても微笑みを絶やさずにいられるよう慣れるのよ」
「なんでそんな事しなきゃいけないの?」
「エマが幸せになるためよ」
その後も試着は続き、眩い夕陽が、室内の色合いを変え始めた頃に全て終了した。
エマは誰にも気づかれないうちにこっそりコルセットを緩めて、引きずるほど長い裾も華美な装飾もなく、動きやすいアフタヌーンドレスに袖を通す。
きつく纏め上げられていた、くすんだ金の髪も解くと肩へと流れた。
「明日はドレスの裾を踏まずに踊るため特訓するわよ、お相手はカイルに頼みましょう」
両親が親しくしている伯爵の令息だ。
茶会や晩餐会で同席すると冷めすぎているほど冷静な性格に感じられたが、エマが指に怪我をした時には血相を変えて手当てしてくれ、それ以来、心根の優しい青年に見えるようになった。
「カイルと踊るの?」
「そうよ、カイルにエスコートしてもらいましょう、明日も当日も」
「当日って? 舞踏会の事なら一緒に行くのは私の、その、夫だよ?」
そう呼ぶ事に慣れておらず照れるエマを見つめ、ベロニカは苦々しく眉をひそめた。
「エマ、その件なら忘れなさい。全く腹立たしい事に、あちらからエスコートを断られたのよ」
「え……?」
(やっと会えると思ったのに)
そわそわして膨らんでいた気持ちが急激に萎み、代わりに疑惑がエマの心を支配していく。
そんなにもエマと会うのが嫌なのだろうか。
右側には窓ガラス、左側にはドアが整然と並んでいる廊下を歩いていたら、一つのドアの向こうから、メイドの話し声が聞こえてきた。
「ついに奥方が社交界へデビューするっていうのに、そのエスコートを断るなんてありえないわね」
「本当、しかも断った理由が他の女をエスコートするためだなんて、正気とは思えない。正気じゃないからお嬢様に恥をかかせるって事もわからないのかな」
「……お嬢様、お可哀想に」
たまらずエマはドアを開け、メイド達に問いただした。
「断った理由、それ本当なの!?」
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こうなったら夫に直接物申してやる、と決意に燃えてエマは駆け出した。
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