純情リターンマッチ

里崎雅

文字の大きさ
上 下
2 / 17
1巻

1-2

しおりを挟む

「結局ぅ~……男はやっぱり、上品で育ちのいいお嬢様が好きってことなんだよねぇ」

 最初にペースを乱されてしまったせいか、その日の理乃はアルコールの回りが随分と早かった。十年ぶりの再会に緊張していたのは最初だけで、気づけば高校時代のように恵介に向かってグチグチと文句を吐き出していた。

「私にはぁ、ただ自分の都合よーく仕事をしてもらえるように、愛想を振りまいてただけなんだよね。気づかないで浮かれて、本当ばっかみたい」

 チューハイを飲み干した恵介は、理乃の話を聞きながらもどこか退屈そうに氷の入ったグラスをカラカラと揺すった。

「で。結局お前は、その男のことを好きだったのかよ?」
「好きじゃないよ! 別に! ただ単に……」
「ただ、何だよ。期待してもてあそばれた私がバカみたいってか」
「弄ばれてない! 何回か二人でご飯に行っただけだっつうの」
「でも結局はそういうことだろ」
「まあ、そうだけどさ……」

 理乃はそのままし、コツンと額を冷たいテーブルにくっつけた。
 今、自分が面倒くさい酔っぱらいになっているという自覚はある。同級生との久々の再会で、これはない。気づけば理乃の傍には恵介しかおらず、他の皆はそれぞれが小さくグループを作って別々の話題に熱中していた。

「好きなのかって言われたら、違うけどさ。でもさ、期待しちゃうじゃん。二人だけであんなイイトコ色々連れてってくれたら」
「……イイトコ?」

 心なしか、恵介の声が低くなる。

「そーだよー。センチュリーなんたらかんたらのディナーとかぁー、お肉が柔らかくてめっちゃ美味おいしかった」
「なんだ、そっちか」
「なんだとは何よ!」
「なんでもねえよ」

 伏せたままの理乃の髪を、恵介がクシャクシャとかき回す。

「……ったく、久々に会ったと思ったらそれかよ。お前のコイバナなんて聞きたくねえっつの」
「コイバナじゃないってば! バカにされたみたいでムカつくだけ!」

 理乃はガバッと顔を上げると、底に数センチ残っていたビールを一気に飲み干し、タンッとテーブルにジョッキをたたきつけた。

「うわ、あぶねーな。もうやめとけよ」

 しかめっ面をした恵介が理乃の手からジョッキを遠ざけた。さり気なく指が触れどきんと心臓が高鳴ったが、アルコールのせい、と火照ほてる身体に言い聞かせる。

「……なによ。平気そうな顔しちゃってさ」

 テーブルにあごを乗せると、そのままの姿勢で恵介の顔を見上げた。

「ん、なんか言ったか?」
「べつに!」

 過去のことを気にして避けられたりしたら傷つくくせに、かといって平然とされているのも気に食わない。
 じゃあどうしてほしいのよ、と自分でも思う。

「……こういう面倒くさい女だから、向こうにとっては論外だったんだろうな。相手があんだけ美人のお嬢様じゃかなうわけもないし、そもそも住む世界も全然違うだろうし。わかってるから、別にいいんだけどね」

 自嘲じちょう気味につぶやくと、テーブルに頬杖をついた恵介がちらりと理乃を見下ろした。

「……その程度かよ」
「少なくとも、恵介に愚痴ぐちってスッキリする程度! だから……もういいの」

 無理に笑みを浮かべて、恵介を見上げた。
 本当は、違う。少なくとも理乃の方では、坂下に対して淡い恋心を持っていた。競争の激しい職場でバリバリと実績を伸ばす姿は格好よかったし、海外の顧客との電話でネイティブさながらの英会話をする姿にも憧れた。
 そんな彼が自分だけを食事に誘ってくれるのは純粋に嬉しかったし、付き合えるかもしれないと感じていたこともあった。

「でもお前が誤解するくらいの、思わせぶりな態度はされてたってことなんだろ? なのに何も知らされずにいきなり結婚って、何遊ばれてんだよ」

 いきなり核心をグサリとつかれた。二股――と言っていいのかはわからないけれど、理乃に気のある態度を取りながら他の女性と結婚を考えるくらい親交を深めていたというのに一番傷ついた。
 所詮しょせん自分は、セカンドということか。
 飲み過ぎたアルコールがあだになって、じわりと涙が浮かぶ。ごまかさなきゃとジョッキに手を伸ばしたが、一瞬早く恵介がジョッキを持ち上げてしまったためスカッとくうを切る。

「理乃……もう飲み過ぎだって。久々の再会で、そりゃないだろ?」

 恵介の声色が優しくて、不意打ちできゅんと胸が鳴った。

(あの時にもっと勇気を出してたら……恵介との関係は、何か変わってたのかな)
「……久々の再会だから、いいんじゃん」

 うらめしげに上目遣いで口をとがらすと、また額をぴんっと軽く弾かれた。

「結婚がそんなにうらやましいか? お前も人並みに結婚なんてしたいと思ってるんだな」
「……そりゃ、憧れくらい持ってるよ」
「なになに、前島結婚したいの?」

 結婚、という単語に反応したのか、周りの友人たちが理乃と恵介の話題に入ってきた。これ以上二人で話していると、泣いてしまいそうだったのでちょうどいい。
 今までの話を知らない同級生たちは、呑気のんきに結婚の話題で盛り上がり始めた。

「でもまだ俺らの年じゃ、結婚をあせったりしねえよなあ」
「男はそれでいいだろうけどさー。女は違うでしょ。若ければ若いほどよく売れるもん」
「売れるって……そんな身もふたもねえ言い方すんなよ」

 すかさず恵介が突っ込みを入れたが、女性陣は理乃の言葉にウンウンと一様にうなずく。

「男はさー、三十過ぎてからもバリバリだし、むしろ三十過ぎてからの方が落ち着いてるからいいんだろうけど」
「そそ、自分が年取ってても若い子捕まえればいいだけだしね」
「女は大人の魅力でなんとかしたくてもさー、春になってピチピチの新入社員が入ってくるのを目の当たりにすると、年には勝てないなあって実感しちゃう」
「ああわかるー!!」

 思わず身を起こして、理乃も賛同する。そんな女同士の会話に、恵介は若干引いたようだ。

「そんなもんかねえ」

 恵介は興味なさげに枝豆に手を伸ばすと、ぷつりと口の中へと豆を放り込む。

「若いってだけで有利なわけねえだろ。少なくとも俺にとっては関係ないけど」
「恵介……十年ぶりに再会したら、アンタなんか成長した?」

 大げさに驚いてみせながら恵介の肩に手を乗せると、意外にも彼の身体がびくりと反応した。

(あ、れ?)

 その反応が恥ずかしくて、慌てて手を引っ込めてしまう。少なくとも、十年前の彼はこんなことではまったく動じなかったはずだ。

「成長なんて……してねえよ。お前と違って、な」

 わずかに嫌味を含んだ声色に、理乃はどうしていいかわからなくなった。

「でっもさー! 理乃の会社なら、将来の有望株がよりどりみどりなんじゃない? 今日の飲み会メンバーの中で玉の輿こしに乗れそうなのって、理乃しかいないよね」

 反対隣にいた友人が、大げさに理乃の脇を小突こづいた。

「有望株って……」

 蒸し返されたくない話題に、うんざりと肩を落とす。

「だってさ! あの超一流のこみやま証券だよー? まあよくあんなとこに就職できたもんだよ」
「それは、自分でも驚いているけどさ」
「どうどう? やっぱり同僚は皆高学歴?」
「あー、うんまあ……東大とか早稲田とか慶応とか、そういう超有名どころの大学なんて、普通だと名前しか知らない関わりのない存在じゃん? でも、同僚の人は皆そういうとこ出身なんだよね」
「ひえ~! すごっ! むしろ気後れしてやりにくそうな感じするけど」
「学歴の高さと仕事のできるできないは比例しないと思うけど、女子社員はともかく男子は高学歴の人しかいないかも」

 証券会社の花形、営業部のしかも一課にいるせいもあると思うけれど、実際理乃の周りの男子社員たちはこっちが恐れおののく学歴の人ばかりだ。仕事上ではそんなこと関係ないし、気にならないという素振りをしているけれど……専門学校卒の派遣上がり、ということを気にしていないといえばウソになる。
 そしてそういう高学歴な彼らは、さっさと自分に釣り合う女性を見つけて早々に結婚を決めてしまうのだ。
 社会的地位も高く待遇もいい今の会社を辞める気はさらさらない。とはいえ、今回のことはかなりダメージが大きかった。
 坂下と結婚したかったのかと問われれば、そんなことはまったく考えていなかった。けれど「結婚相手」という土俵どひょうにすら上がらせてもらえなかったことで、理乃のなけなしのプライドはひどく傷ついた。

「あー、結婚したい」

 思わず、ぽつりとつぶやいていた。

「何? 結婚したいんだ、理乃」
「え? なんか可笑おかしい?」

 女友達にからかわれ、ムッと反応してしまう。

「いや、そういうタイプには見えなかったからさあ。こっちに出てきて、バリバリ仕事に生きてるんだと思ってた。だから、意外っていえば意外」
「そんなことない。したいよ、結婚。もう誰でもいいからもらって、とか思うことあるもん」

 誰でもいいは言い過ぎだけれど、誰かに深く理解されたいという気持ちはいつもあった。たった一人でもいいから自分を心底愛して支えてくれたら、もっと楽に生きていける気がするのに。さらに、さっさと結婚して自分を見下していた坂下を見返してやりたいという浅はかな打算も、少なからずある。

「はー……結婚、したいな」

 しみじみとつぶやき、気を取り直して何か追加注文しようとメニューを手に取った時だった。

「じゃあさー理乃、恵介と結婚しちゃえばいいんじゃね?」

 斜め向かいに座っていた男友達が、若干口の端を釣り上げながらニヤニヤと言い放った。

「……は?」

 突拍子とっぴょうしもない提案に、眉間にシワを寄せて聞き返す。

「だって、誰でもいいんだろ? だったら恵介とかいいんじゃねえ? お前ら、ずっと仲良かったよなあ」
「な、仲良かったら結婚するとかそれおかしいでしょ!」

 思わず声を張り上げる。

「あー、でもそれ、結構妙案かもよ?」
「ちょっ……亜希子あきこまで?」

 酔っぱらいの戯言ざれごとか、そのふざけた話に女友達たちまでもが乗り始める。

「同級生カップルができたら、楽しそう。結婚した後とか、二人の家が皆の溜まり場になったりとかしてさ!」
「お、それもいいな!」

 肝心の二人をよそに、周りは一気に盛り上がった。

「理乃と恵介なら、絶対に合うと思うよ~。高校時代だってあんなに仲良かったじゃん。ねえねえ、あんたら本当に付き合ってなかったの?」
「だから付き合ってないってば!」

 理乃だけが、顔を引きらせながら必死に抵抗している。恵介は何も思わないのか、しれっとした様子で淡々とチューハイを飲み続けるばかりだ。そのクールな横顔を見つめていたら、むなしさが込み上げてきた。

(訂正するまでもないってことか。そうだよね。私のことなんかなんとも思ってない……一晩一緒にいたのに、何もしなかったくらいだもんね……)

 忘れていたはずの古傷が、ズキリと痛む。
 理乃はハーッと深いため息をつくと、メニュー表を開いた。

「なんかアホらしくなってきたわ。すみませーん。あ、たこワサと月見つくね。あと生ひとつー」

 伝票を手にやって来た店員に、淡々と注文を告げる。

「まだ飲むのかよ?」
「別にいいじゃん。ほっといてよ」
ねんなって」

 ふいに伸びてきた手が、くしゃりと理乃の髪をかき回した。高校時代によくされていた仕草で、あの頃は何も反応していなかったはずなのに、今の理乃には刺激が強い。払いのけようとしても、身体が動かない。

「……まあでも、理乃と結婚するのって、案外いいかもな」
「はっ?」

 理乃の頭に手を乗せたまま恵介が言った。唖然あぜんとして恵介を凝視ぎょうしする。

「何言ってるの恵介。さっきの私の話、ちゃんと聞いてた? そういう風にからかわれるの、私すごくイヤなんだけど」
「別にからかってるわけじゃねえよ」

 恵介までもが、こんなふざけた話に乗っからないでほしい。昔の感情が、よみがえりそうになる。
 上辺うわべだけでも、なんてことないって顔で取りつくろわなきゃ――
 理乃が必死になって作った顔は、ひどくふてくされたものだっただろう。

「お前、誰でもいいって言ったじゃん。俺もそんな感じ」
「そりゃ……言ったけどさ。でも、はずみっていうかなんていうか、その……」

 本当は、誰でもいいなんて思っていない。だからこそ、恵介が『誰でもいいから結婚したい』だなんて思って理乃に言っているのなら、かなりショックだ。

「俺も、恋愛とかめんどくせーし。もうそーいうのいいんだけど、このままってのもちょっとな。なんだかんだ言って、独身男に世間の風は冷たいし」
「二十代で恋愛が面倒くさいって……アンタ今までどんな恋愛してきたわけ?」

 理乃だって、決していばれる恋愛遍歴を持っているわけではない。なのに、つい上から目線でそう言ってしまう。

「面倒くさいのに世間体を保つために結婚したいなんて、まさか恵介……実はゲイとか!?」

 話題をらすためにわざとウケを狙って言ったつもりが、恵介は顔色を変えずに理乃を見返した。

「それだけはない……と思うけど、いや、わからん」
「わ、わからんってどういうことよ!?」
「バイかもしれないって思ったことはあるから。それこそ高校の時かなあ」
「え、マジ!?」

 思わず恵介の方へと身を乗り出した。

「なんでなんで! 誰相手に? 教えて!」
「ホラ、バスケ部に黒木くろきっていたじゃん。アイツだけは、なんつうかいい匂いがするっていうか……傍にいると、こうクラッときたことが何回か」
「あああああ! わかるわかるぅ~! 黒木くんなら許す! アンタいい趣味してるじゃーん!」

 どん引きする周囲の友人たちをよそに、理乃は恵介の右腕をバシバシと叩いた。

「私としてはそれ、高校の時に教えてほしかったなあ。そしたらアンタを見る目もちょっと変わったかもしれないのに」
「なんだよお前、もしかして腐女子か?」
「違うけど! でも黒木くんとなら許す!」
「アンタたち……マジで、何わけのわかんないことで盛り上がってんの?」
「ホラ、やっぱり相性いいじゃーん」

 あきれたように周りに笑い声が湧きおこる。理乃の前には先ほど注文した生ビールとつまみが並んだ。

「そりゃあ、まあ……ね。うん」

 その後に、なんて言葉を続ければいいのかわからなくなった。
 ――そりゃあ、恵介は特別だから。
 そんなことを言ってしまったら、皆の思うツボだ。

(そもそも、恵介はどうして今頃になって上京してきたんだろ)

 彼の実家は農家のはずで、卒業後はひとまず家業を手伝うと聞いていた。成績のいい恵介が進学しなかったことに、教師たちもがっかりしていたのを思い出す。
 東京では初春でも、北国の地元はまだまだ雪が残っていて農作業はできない。だから農家にとって暇な時期には違いないけれど、ただの観光に来たというムードでもない。

「ねえ恵介。そもそもなんで東京に来たの?」

 周りに聞かれないようにコソッと耳打ちしてみると、恵介は不機嫌そうに片眉を上げてみせた。

「何って……仕事……みたいなもんっていうか」
「え? 実家の? なんか会合でもあるわけ?」
「会合ってお前、何言って」
「もしかして、実家の農家を手伝うのをやめてこっちで働く……とか? あ、出稼ぎ?」

 恵介は怪訝けげんそうに眉をひそめた。

「なんだ、お前知らないのか」
「は? 知らないのかって……何を?」

 話がまったく見えずに首をひねる。すると恵介は驚いた顔をしつつも、ひらひらと顔の前で手を振った。

「いや、知らないなら知らないでいいや。仕事のことは、ひとまず聞くな」

 触れてはいけない話題だったかと、ひとまず口をつぐむ。

(家業が思わしくなくて、出稼ぎにきたとか? それか、農家の仕事がイヤになって家を飛び出してきたとか……)

 聞くなと言われたらこれ以上は聞けない。もしかして、恵介は現在無職という可能性もある。
 理乃は無意識にうーんと腕組みをしていた。

「どーしたの理乃。難しい顔しちゃって」
「あ、いや」

 選ばなければ、都会にはいくらでも仕事がある。故郷の旭川あさひかわでは周りの目もあるしそうもいかないだろうが、東京にいればバイト程度の仕事なら簡単に見つかる。
 対して自分は、運良くとはいえ大手の一流企業に勤める身だ。リストラが今後ないとは限らないけれど、ひとまず福利厚生もしっかりしている。結婚をしても仕事を続けている社員はたくさんいるし、理乃だっていつか結婚をしたとしても仕事は続けたいと漠然ばくぜんと考えていた。
 早い話、恵介が仕事をしていなくても、見つけた仕事がバイト程度でも――今の理乃なら、養っていけるかもしれない。

「正直さ、寂しいよね。一人の生活って」

 ぽつりとつぶやく。

「私もさー、本当運良くだけどそれなりにいい会社に勤めさせてもらってるし、なんかあっても……恵介一人くらいなら、なんとか養っていけるかな」
「え? ちょい待てよ理乃、お前何言って……」

 言いかけた目の前の友人の足を、隣の恵介が思いっきり蹴った気配がした。

「っ!!」

 涙目で悶絶もんぜつする向かい側の友人をちらりと見ながら、恵介はどこかで仕事に対して引け目を感じているのかな、などと思う。
 恵介はジロリと友人を一瞥いちべつした後に、身体ごと理乃の方へと向き直った。

「もしかして理乃、俺のこと養ってくれるのか? それは心強いな」
「でも、何もしてないとかヤダよ。ヒモみたいじゃん。食費くらいは稼いでくれないと困るし、そうしてほしいなって思うけど」
「だいじょーぶだいじょーぶ」

 にかっと歯を出して恵介が笑った。確かに、彼とだったらなんだか楽しい結婚生活が送れそうな気もする。

(結婚と恋愛は違うって、もしかしてこういう意味なのかも……)

 チビチビとビールを飲みつつ、いつの間にか理乃の気持ちはすっかり結婚の二文字に支配されていた。坂下ではなく、恵介との。

「な、理乃。俺と結婚してみるか?」

 ほんのり恵介の声がかすれているのは、アルコールのせいだろうか。試すような口ぶりなのに、なんだかフワフワと夢見心地になった。
 いつもより酒が回っているためか、それとも十年ぶりの再会だからか、隣の恵介がやけに格好よく見える。ほんのり赤くうるんだ目がじっと理乃を見つめていて、その視線を誤解しそうになった。
 結婚なんて、きっと冗談だ。恵介の中では、たとえ上京して一流企業のOLとして働いていようが多少あか抜けようが、理乃は高校時代と同じく「一番の女友達」のポジションから変わらないのだろう。

「そうだねー。しよっか、結婚!」

 彼の冗談に乗っかったつもりでとびっきりの笑顔でそう言ってみせたのに、いきなり恵介は顔を赤くして真顔になった。

「え、マジで?」

 周囲の友人たちも理乃のノリに驚いたのか、瞬時にシンとなる。
 ちょっと待て。
 理乃だけが、一人で慌てた。

「え……って、ちょっと恵介! この流れなら当然そうなるでしょ!」
「ご、ごめん。大丈夫大丈夫」

 恵介は軽く頭を振りつつ、大きな手で自分の額を押さえた。
 一体なんだというのだ。こんなやりとりなら高校時代にも何度かしたことがあって、

『俺ら付き合ってみるかー?』

 なんて恵介の方から言われたことも一度や二度ではない。そんなやりとりの延長の感覚だったのに、真面目な反応をされてはあせってしまう。

(あ……でもその度に私は「絶対やだ!」とか言って否定してばっかりだったかも)

 となると、彼のふざけた冗談に乗っかっただけとはいえ肯定したのは初めてになる。しかしそれに気づいても、もう後にはひけない。

「ノリが悪いなあ、恵介。そこは冗談でもなんでもうまく乗っかってくれないと私の立場が……」

 笑顔でなんとか続けた言葉は、いきなりさえぎられた。
 パタパタと顔を扇いでいた左手を、恵介に力強く握られたことによって。

「よし。しよう。結婚」
「は……?」

 ふざけてるだけだと思ったのに――
 理乃の顔を覗き込んだ恵介の顔は、真剣そのものだった。すぐ近くで顔を見つめているからこそ、何を考えているかわかる。真剣な時に見せる表情は、高校の時からなんら変わりがなかったからだ。
 ごまかそうと思っていたのに、この言葉を流すことができなくなった。

(どうしよう、なんでこんな反応してくるわけ――!?)

 頭が働かず硬直した身体で、理乃ができることといえば――
 無言のまま、恵介の勢いに押されるようにこくんとうなずくことだけだった。
 そして周りの友人たちも、どう反応していいのかわからない様子で自分たち二人を見守っている。

「え、何このムード? なんかあったの?」

 結局なんともいえない微妙な空気は、トイレから戻った同級生の一言によって破られるまでそのままだった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

イケメンイクメン溺愛旦那様❤︎

鳴宮鶉子
恋愛
イケメンイクメン溺愛旦那様。毎日、家事に育児を率先してやってくれて、夜はわたしをいっぱい愛してくれる最高な旦那様❤︎

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

初色に囲われた秘書は、蜜色の秘処を暴かれる

ささゆき細雪
恋愛
樹理にはかつてひとまわり年上の婚約者がいた。けれど樹理は彼ではなく彼についてくる母親違いの弟の方に恋をしていた。 だが、高校一年生のときにとつぜん幼い頃からの婚約を破棄され、兄弟と逢うこともなくなってしまう。 あれから十年、中小企業の社長をしている父親の秘書として結婚から逃げるように働いていた樹理のもとにあらわれたのは…… 幼馴染で初恋の彼が新社長になって、専属秘書にご指名ですか!? これは、両片想いでゆるふわオフィスラブなひしょひしょばなし。 ※ムーンライトノベルズで開催された「昼と夜の勝負服企画」参加作品です。他サイトにも掲載中。 「Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―」で当て馬だった紡の弟が今回のヒーローです(未読でもぜんぜん問題ないです)。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。