天に向かって鳴子を鳴らせ

里崎雅

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(二)なんで俺に?

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「近江くん!」

 お祭りモードでざわつく大学のキャンパスで、背後から涼やかな声が洋平を呼んだ。
 聞き覚えのない女性の声に戸惑いつつ振り向くと、自分とは縁のないはずの美人がにっこりと微笑みながらこちらを見つめている。

「は……い?」

 情けないほどの間の抜けた声が、自分の口から漏れた。
 洋平の方では、当然彼女を知っている。というより、洋平の同級生で彼女を知らないヤツなどいない。
 しかし、彼女が洋平を知っているとは思えなかった。

「近江洋平くん、だよね?」

「そう……ですけど」

 ほっとしたような顔に、ぼんやりと見惚れる。

「よかった。なかなか振り向いてくれないから、間違えたかと思っちゃった」

 小走りで駆け寄ってきた彼女は、自分と1mほどの距離でぴたりと止まった。
 毛穴が全く見つからない、つるりとした陶器のような白い肌。間近で見られる幸運に思わず心が躍る。

「あの……どうして、僕のこと」

 いつもは使わない“僕”という一人称が出てしまう。少しでも彼女に品良く見られないという、浅ましい期待か。

「だって近江くん、K高出身でしょう? 知ってるよ、もちろん」

 高校時代の同級生の間では、そこそこ有名だったかもしれない。
 でも、二年も先輩の彼女が自分の存在を知っているとは驚きだった。

「あ、ごめんね。いきなり話しかけて。私は近江くんと同じくK高出身で、二つ年上の前橋紅子まえはしこうこと言います」

「知ってます! もちろん」

 紅子の言葉にかぶせ気味に言うと、彼女は驚いた顔をした後ふわりと笑った。瞬間、胸元をガシッと握られたかのような衝撃が走る。

(やっぱりめちゃくちゃ可愛すぎる……!)

 高校に入学したその日に「二個上に超絶可愛い先輩がいる」という噂が男子の間に流れ、彼女の姿を見るために誰もがこっそりと三年生のフロアを覗きに行った。
 外で体育があると聞けば男どもは窓に張り付き、体育祭や球技大会の日には、彼女が出る種目の時だけギャラリーが激増する。
 彼女は学年問わず学校中のアイドルで、陰では「紅子サマ」と呼ばれ、その可愛さから「天使」と称する者もいたくらいだ。

「俺、今日『紅子サマ』とバス一緒だった!」

「マジかよ! いいなぁ~!」

「日本一可愛い女子高生ってのがSNSにあがってたけどさー、絶対に紅子サマの方が可愛いよな」

 なんて会話が繰り広げられることはしょっちゅうで、その人気は他校にまで及んでいたという。そんな先輩に声をかけられたどころか名前まで呼ばれて、舞い上がらないヤツがいるなら見てみたい。

「あの、紅子サ……じゃなくて、前橋先輩。なんで僕のことを知ってるんですか?」

「バスケ部の友達に後輩の試合を観に行こうって誘われて、去年の高体連を観に行ってるの。惜しかったよね、あの試合。近江くん、ホント大活躍で……」

 彼女の目が残念そうに伏し目がちになったとき、声をかけてきた理由はもしかしてバスケ絡みだろうかと焦った。

「先輩すみません! バスケなら……もうやらないつもりなんです」

 期待されては申し訳ないという気持ちが先走り、洋平は紅子の話を最後まで聞くことなく頭を下げた。

 小学校の時から続けていたバスケは、平凡な洋平の唯一の武器だ。
 中1の時から市の選抜選手に選ばれ、高校進学時には私立高からスポーツ推薦の話もあった。けれども親は「プロになれるわけでもないのに」と私立推薦の話に対して首を縦に振ることはなく、結局『家から通える公立校』という理由だけで高校を選択した。
 そうして入学したのは、市内のレベルでは三番手の「そこそこの」公立校。ギリギリで進学校と名乗れるくらいの学校で、スポーツ系の部活には全くと言っていいほど力は入れていなかった。
 それがなんの因果か、洋平が入学した年に限って実力のある生徒が集まった。たまたま赴任してきた教師の中にバスケ指導の経験者がいて、万年Bクラスだったバスケ部が一気に市内強豪校へとのし上がったのだ。

「今年のK高のバスケ部は強いらしい」

 そんな噂も広まり、洋平たちは『K高の奇跡の世代』と呼ばれ、全道大会にも何度も出場した。さすがに全国へは行けなかったが、最後の高体連には卒業生もかなり応援に来てくれていたように思う。
 その中に、きっと紅子もいたのだろう。

「高校時代に腰痛めちゃって……あの高体連が、引退試合のつもりで。もうバスケをやるつもりはありません」

 紅子が洋平に声をかけてきた理由など、それくらいしか考えつかない。試合の話を切り出そうとしたのが何よりの証拠だ。
 恐らく彼女は、大学のバスケサークルのマネージャーでもしているのだろう。
 高校時代も確か、あらゆる運動部からマネージャーの勧誘をされたと噂されていたくらいだから。

 もうバスケはできない。
 無理をすればできないことはないだろうが、自分の身体がままならないことにストレスを感じるのは目に見えている。ピークも過ぎ腰に爆弾も抱えたままでは、恐らくろくなプレイができない。

 洋平の話をきょとんとした表情で聞いていた紅子は、数秒後にふるふると首を振った。

「ううん、違うの。バスケの話じゃなくて」

「え、違うんですか?」

 それなら一体なんなんだ。
 不思議そうな顔をしている洋平に気付いたのか、彼女は微笑みながら言った。

「近江くん、サークルとか何もやってないんだよね。いつも、授業が終わるとすぐ帰っちゃうことが多いって聞いて」

 どうしてそれを憧れの先輩が知ってるのだろう。密かに期待で胸が膨んだが、いやそんな訳はないと自分に言い聞かせる。
 バスケ以外はさりとて取り柄のない、見た目も成績も平凡な自分。
 心臓をバクバクさせ洋平よりはるかに身長の低い彼女をじっと見つめていると、紅子は不意に後手に隠してあったチラシのようなものをさっと洋平の前に突きつけた。

「もしよかったら……私達と一緒に、よさこいやらない?」

「…………は?」

 思いがけない勧誘に、洋平の口からは間の抜けた声しか出なかった。
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