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1巻
1-3
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テーブルの向こうから手を伸ばして、くしゃくしゃと美雪の頭を撫でた。
彼氏って……こんな感じなの? 慣れないスキンシップに、顔がにやけそうになる。
(思いあがっちゃいけない……七日間だけだから、主任は借りを返すだけなんだから)
心の中で自分に言い聞かせる。
「そろそろ出るか」
「はい」
松沢の後をついて店を出ようとした時、美雪の携帯がふたたび鳴った。
「あ、平岡さんだ」
出ようとすると、むっとした顔で松沢が携帯を取り上げた。
「あっ! ちょっと!」
美雪の制止も聞かず、松沢は通話ボタンを押して話し始める。
「もしもし? 俺」
「松沢さん!」
美雪の携帯に、勝手に出る理由がわからない。というか、この時間に松沢が電話に出て、どういう説明をするつもりなのだ。
慌てて携帯を奪い返そうとしたら、「うるさい」と言わんばかりに怒った顔をされる。
「ああ、昨日は悪かった。……うん、今一緒にいるよ」
(まあ元々主任のお友達なんだから、仕方ないのかもしれないけど――)
「別にいいだろ。俺たち、付き合うことになったから」
一瞬、耳を疑った。
「邪魔するなよ、じゃあな」
ポチッと通話ボタンを押して、ぽんっと携帯を掌にのせられた。
「!!! なんでっ!? そんな嘘をわざわざ……」
「……文句ある?」
「……いっいえ……失礼しました」
鋭い眼光で見下ろされては、なにも言えない。というか、文句を言える立場ではない。
なんだか色々と腑に落ちないが、ひとまず黙って携帯をポケットにしまった。
「ふぁ~~! やっぱりちょっと眠いな」
店の外に出て太陽を浴びると、松沢は大きく伸びをした。
昨日は随分ぐっすりと眠っていたようですけど。喉まで出かかった言葉を、ぐっと呑み込む。
そういえば、どうして自分のベッドに入ってきたのか……結局聞きそびれてしまった。
「今日は帰るけど……お前、明日予定ある?」
「明日ですか? いえ、とくには」
「デートするか」
「ふえっ?」
頭に優しく手をのせられて、思わず変な声が出てしまった。
「デ、デートですか?」
「お前、本当に男に免疫なさすぎ。このままだったら、友達にバレバレだぞ」
たしかにそうかもしれない。それでもなんだか信じられない気持ちで、松沢の顔を見上げた。
「連れて行ってくれるんですか?」
「七日間だけど、俺は彼氏なんだろ?」
美雪の顔を見下ろしながら、松沢がふっと笑った。会社では見ることのできないその優しい表情に、ドキッとする。
七日間だけ……たとえ期限つきだとしても、この状況を楽しんでいいだろうか?
出会いもなく男の人とも上手く話せない自分に、こんな素敵な彼氏ができる日なんて、きっと来ないから……。一生の思い出になるのは間違いない。
「あの……はい、お願いします」
「いいの?」
「はい」
意外にも嬉しそうな松沢の顔を見て、美雪の胸は痛いくらいに高鳴っていた。
二日目 初デート
日曜日、約束の時間より大分早く目が覚めてしまった。二度寝しようかとも思ったが、気持ちが高ぶって眠れる気がしない。
「う~~!」
意味もなく唸って枕に顔をうずめると、ほんのりと自分のものではない香りがする。
――これが、男の匂い?
かっと顔が熱くなる。ここに松沢と一緒に眠っていたなんて、嘘のようだ。
昨日、連絡先を交換して松沢と別れた後すぐに、平岡からふたたびメールが来た。
『付き合うって、本当?
もし、昨日なにかあったのなら謝るよ。
大輔を押しつけちゃってごめんね。
美雪ちゃんがいいならいいんだけど……
大輔のこと、よろしくね』
なんと返していいかわからず、返信できないままでいる。
(七日間……。今日は彼氏二日目か)
ぼんやりと考えながら、携帯を閉じた。デートどころか、男の人と二人で出かけたことすらない。松沢と別れてから、考えていたことと言えば今日の初デートのことばかりだった。なにを着ていけばいいのか、なにを持っていけばいいのか、エンドレスに悩みはつきない。
「あー、やっぱり昨日新しい服を買いに行けばよかった」
デートってくらいだから、やっぱりスカートを穿いた方がいいだろうか。持ち物は、携帯にお財布に化粧ポーチにハンカチ……他になにを持っていけばいいのだろう。
友達にメールでもして聞きたい気分だったけれど、状況が状況なだけにそういう訳にもいかない。
(待ち合わせが十一時ってことは、お昼ご飯食べるってことだよね。そしたら、朝ご飯も早めに食べておいた方がいいのかな)
初デートは、美雪にとって謎がいっぱいだった。
待ち合わせ場所に指定されたのは、昨日一緒に入ったファーストフード店の近くの大きな書店だった。二十分も早く着いてしまった。
(待ち合わせが本屋さんでよかった……)
気持ちを落ち着けるために女性雑誌のコーナーに向かい、手に取ってはパラパラとめくる。
『デート仕様のモテメイク!』
『彼に好かれるお出かけコーデ』
『これで絶対大丈夫! みんなのデート必需品☆』
普段は気にも留めず素通りしていたページが、やけに気になって仕方ない。
(うぅっ、こんなピンクのキラキラしたアイシャドウなんて持ってないし……。フワフワの白スカートなんて、食べ物こぼしたらどうしたらいいの!? デート必需品が「お泊まりスキンケアセット」って……マジで?)
いかに自分の目線が、「男」に向いていなかったかを実感する。短大時代は当たり前だけれど周りは女の子ばかりで、当然のように行動を共にするのも女の子ばかりだった。彼氏がいなくても淋しいことなんてなかったし、楽しかった。女の子同士で遊ぶ格好と男の人の目線を意識した格好は、全然違うことに今さら気付いた。就職してからは周りに男性が増えたけれど、会社での付き合いだけだったし、やっぱりこの手の雑誌とは縁がないままだったのだ。
「はぁ……私って、女子力低いわ……」
今後の参考にするためになにか雑誌でも買おうかと思っていた矢先、入口から入ってくる男性の姿が目に入った。約束の時間より少し早いが、背の高いその人が松沢だとすぐにわかった。
(わわっ……緊張してきた!!)
雑誌を読むことで少しはおさまっていた緊張が、たちまち高まる。声をかけた方がいいのだろうと思ったけれど、なんと声をかけていいかわからず、とっさに目の前にある雑誌を手に取り読んでいるフリをすることにした。
(見つけて……くれるかな。わかってくれるかな)
このドキドキが、なんのドキドキかわからない。視線は雑誌に落としながらも、神経は松沢に集中していた。
(あ、キョロキョロしてる? 私を、探してるんだ……うわっ、こっち来た!!)
松沢の足がぴたっと美雪の背後でとまった。
「待った?」
バッと勢いよくうしろを振り向き、ずっと心の中で練習していた言葉を口にする。
「いいえっ! 今来たばっか……!!」
「り」と言おうとして、思い切り舌を噛んでしまった。
「~~~~!!!」
結局、最後の一言は言えず口を押さえて涙目で松沢を見上げると、くすくすと彼は笑っていた。
「緊張して舌噛むくらいなら、初めから声かけろよ」
どうやら、気付かれていたらしい。
「すみません……」
「いや、謝らなくてもいいけど」
改めて松沢を見上げた。
(今日は、昨日よりもさらにかっこいいな……)
シンプルな黒のカットソーの上にラフにコートを羽織り、マフラーをぐるぐる巻いている。ほどよく色落ちしたデニムのセンスもよく、目の前にある雑誌の「デート特集」の男性モデルとしてそのまま出てきてもおかしくないくらいだ。
隣で立ち読みをしていた女の子二人が、チラチラと松沢を盗み見ているのがわかった。松沢を見てから、ちらりと美雪に視線をうつす。その動作がまるで、「釣り合わない」とでも言っているようで、ちくんと胸が痛む。
「ん? 欲しいの? それ」
「え?」
松沢は、美雪が読んでるフリをしていた雑誌を指差していた。
『クリスマスに彼氏におねだりするならコレ! 3万円までのプチアクセ☆』
開いたページには、煌びやかな指輪やネックレスなどのアクセサリーが並んでいる。
「もしかして、おねだり?」
「ちっ、違います!!」
雑誌を勢いよくバンっと閉じて置く。浮き足立っているように思われてしまっただろうか。恥ずかしくてたまらない。
「冗談だって。行くぞ」
さり気なく、本当に自然に、松沢は美雪の手をすっと取った。
「あっあの……手……」
美雪の声が聞こえているはずなのに、松沢はなにも言わない。先ほどから松沢を盗み見ていた女子二人の視線を感じる。スタスタと前を歩く松沢の背を眺めながら、美雪はニヤけそうになるのを必死で抑えた。
松沢は車で来ていた。スタイリッシュな黒のスポーツワゴンは、彼のイメージにぴったりだ。
「どうぞ。乗って?」
つないでいた美雪の手を離し、松沢は当たり前のように助手席のドアを開けた。
「ど、どうも……」
慣れない扱いに緊張しながら車に乗り込むと、昨日から何度も感じている松沢の香りがかすかにする。二人だけの空間に最初はちょっと緊張したけれど、他人の目が気にならない分、落ち着ける気がしてきた。
「昨日の私服とは、また違うイメージだな」
迷った挙句、選んだのは膝より少し短い丈の、落ち着いた黒のスカートだった。昨日は軽く横に結っていた髪も、今日はおろしている。松沢に合うように精一杯大人っぽくしたつもりだが、それでも今日履いてきたヒールの低いブーツはなんだか子供っぽく思えて、こんなことならボーナスで新調すればよかったと後悔していた。
「子供っぽいですよね……一緒に出かけてくれるのに、すみません」
「どうして謝る? かわいいよ」
「かわいい」……さらりと言われた一言に、またまた顔がゆるみそうになる。
「どこか行きたいところ、あるか?」
今さら見栄をはっても仕方ないので、正直に打ち明けることにした。
「あの……こういう、デ、デートって……実はしたことなくて」
「デートって思うから緊張するんだろ。お前の行きたいところでいいよ」
なるほど。とは思っても、美雪の行きたいところに行って、果たして松沢は楽しいのだろうか? そう考えると、なかなか提案することができない。
「最近オープンしたアウトレットモール、もう行ったか?」
「あっ! テレビで見ましたけど……まだ行ってないです」
勢いよく返事をすると、彼はにこっと爽やかに笑った。
「連れていってやろうか?」
「え、いいんですか!?」
嬉しい。行ってみたいと思ってはいたけれど、なかなか付き合ってくれる友達がおらず、かと言って一人で電車を乗りついでまで行く気にはなれないでいたのだ。
「結構距離があるから、コンビニで飲み物でも買っていくか」
「はい!」
(二人でドライブなんて、大人な展開!! まさにデートって感じ!)
浮かれてはいけないと思いつつも、心が弾んだ。
流れる景色を見ていると気持ちが落ち着き、美雪の緊張感は大分薄らいでいた。
「あの……松沢さん」
「『大輔』」
「え?」
「まだ呼べない?」
運転をしながら、松沢は横目でこちらを見ている。口元が、かすかに笑っている。
「まだ……無理、です……」
ハンドルを握っていない方の手でぽんぽんと頭を優しく撫でられた。
「前々から思ってたんだけど……お前、男苦手なの?」
「え、どうしてですか?」
「仕事の時、なんか男相手だといつも妙に固まって困ってるように見えるから」
見ていてくれてたんだ。上司としては当たり前のことかもしれないけれど、くすぐったい気持ちになる。
「正直……苦手です。なにを話していいかわからなくて……」
「もしかして、今までに彼氏がいたこと、ない?」
「情けないですけど……ない、です」
「俺が初?」
「は、初って……一週間だけじゃないですか」
恥ずかしくなって小さな声で言うと、力強く松沢は言った。
「七日間だろうが一日だろうが、彼氏は彼氏だ」
その勢いに、思わずふふっと笑ってしまう。
会話の流れから、ずっと聞きたかったことを聞くチャンスだと思った。
「松沢さんは……彼女、いないんですか?」
「え?」
ちょうど信号が赤に変わり、松沢がこちらに目を向けてくる。
「あの、こんな面倒なこと押しつけちゃって、もし彼女さんがいるのなら申し訳ないなぁって……」
「いたら普通、こんなこと引き受けないだろ」
こんなこと、と言われ、少しへこむ。
「そんなに不誠実に見える?」
「いいえ、そんなことないです。すごく優しいし、恋人を大切にしそうだなって思います」
「そりゃどうも」
沈黙が続く。やっぱり面倒なことを引き受けてしまったと、思っているのだろうか。申し訳ない気持ちでいっぱいになり、気分が沈む。
(今日だって……経験のない私のためにデートを疑似体験させてくれてるんだもんね)
『初デート』に浮かれていた自分が、少し恥ずかしかった。
「どうした?」
「いえ……別に……」
「なんか、へこんでる?」
「えっ? いいえっ、本当になんでもないです」
松沢が気にしてくれているのは嬉しいが、心の中で思っていることを口に出す訳にはいかず、なんと返答していいかわからない。
「……俺、なんか変なこと言ったか?」
「本当になんでもないですって。気にしないでください」
「今は、美雪が俺の『彼女』だな」
「!!」
か、彼女……
「俺がお前の彼氏なら、お前は俺の彼女だろ?」
『彼女』という甘美な響きが、ぐるぐると頭の中で回る。さっきまでの暗い気持ちが、吹き飛ぶ。
「機嫌直った?」
「べっ別に……」
そう言いつつも、ニヤニヤする顔はやめられない。
(――私って、ゲンキンな奴……)
年末最後の日曜日とあって、アウトレットモールはひどく混んでいた。
「はぐれないように」と言われて繋いだ手が、緊張で汗ばんでいるのが気になって仕方ない。
「腹減ったな。食べたいもの、ある?」
「えと……松沢さんは?」
「俺? うーん、ご飯ものがいいかな」
ずらりと並んだ飲食店の案内板を二人で見ていると、誰かがバンッと松沢の背中を叩いた。
「いってぇ……あ!」
「久しぶり! 大輔!」
振り向くと、そこには松沢と同じくらいの年齢のがっしりとした体つきの男性が立っていた。愛想よく微笑みながら、松沢と美雪を交互に見比べている。
「おー……久しぶり」
「今日はデート?」
「うん、そう。彼女の美雪」
「!!」
さらっと告げられた言葉に、美雪は思わず声をあげそうになった。それをなんとかこらえ松沢の顔を見上げると、「なにか?」とでも言いたげな顔で、美雪を見下ろしている。
「可愛いね~。随分若そうだね?」
「あ、は、二十歳です」
「マジで! うらやましぃ~!」
わはははっと豪快に笑いながら、松沢の背中をバシバシと叩く。
「……痛ぇな。コイツ、大学ん時の友達の村西」
松沢から紹介され、美雪はようやく初めましてと頭を下げる。
「じゃ。初デートなんだから、邪魔するなよな」
松沢は美雪の手を引き、そのまま歩き出そうとした。
「待て待て待て! 初デートなら、いい思い出を作らないか?」
村西が二人の前に回り込んで行く手を阻む。よく見ると腕には「STAFF」という腕章をつけ、首からは許可証のような物をぶら下げている。
「……なんだよ。あんまりいい予感がしねえな?」
「俺、イベント企画会社で働いてるんだ」
「ああ、それは前に聞いたよ」
「今日、午後からここでイベントあるんだけど……参加者が足りなくて今スカウトしてたとこなんだ。すぐ終わるから、二人で参加してくんない?」
村西はチラシを一枚取り出し、美雪に手渡した。
「カップルベストドレッサー賞?」
「そう。ここに来ているカップルの写真を貼りだして、お客さんに投票してもらうんだ」
「断る」
即座に冷たく言い放った松沢は、スタスタと歩き出してしまった。
「待てって! 頼むって~」
「そういうの苦手」
「それは充分わかってるけど、参加者が本当に足りなくて困ってるんだ。頼む! このままじゃ企画が成り立たない」
拝むように手を合わせる村西に、松沢は困惑した表情を浮かべた。
「頼むよ。助けると思ってさぁ……同じ大学だったよしみで! ね! 彼女もお願い~」
「そう言われましても……」
今度は美雪に向かって拝んでくる。どうしてよいかわからず、美雪はちらりと松沢を見上げた。
「ダメ。コイツ、見せ物じゃねえし」
「じゃあ帽子でもかぶって、写真もなるべくわからないようにするからさ!」
ガバッとその場に膝をつき、村西はいきなり土下座を始めた。
「頼む! お前みたいなイケメンが出てくれたら、目玉になるんだ」
「おまっ……やめろって!」
人通りの多い通路での光景に、周りはなんだなんだと遠慮のない視線を向けてくる。このままだと人だかりができてしまいそうだ。
「ま、松沢さん……」
「~~~~っ! ……わかったよ」
松沢がはぁっとため息をつきながらそう言うと、村西は心底嬉しそうな顔をして立ち上がった。
「助かる~。お前は昔からイザという時には頼りになる奴だった!」
「……お前は昔から、しつこい奴だったよ」
うなだれた松沢をなだめながら、村西は先ほど美雪に渡したチラシの裏側を指さした。
「十三時までに、ここに載ってる中央エリアに来てね。カメラマンがいるから、写真を撮ったら終わり。簡単だろ?」
「オイ……十三時ってすぐじゃねえか」
「参加賞として二千円分のグルメ券ももらえるからさっ。昼食のタシにして。じゃ、俺はギリギリまでスカウト続けるから、頼むよ!」
そう告げて、彼は足早に去っていった。
「ごめんな、面倒くさいことに巻き込んで」
「あ、いえ」
内心、ちょっとだけ面白そうだと思っていたことは言えない。
「……アイツも言ってたけど、帽子でも買う?」
そう言いながら、美雪の髪にさらっと指を通す。
「はい!」
彼の優しい指先にドキドキしていたことを隠そうとしたら、妙に威勢のいい返事になってしまった。
「もう少し近くに寄って! カレシィ、カノジョの肩に腕をまわしてみて~」
広場には、撮影の順番を待つカップルが数組。そしてイベントを見に来た客であふれかえっている。
(こ、こんな大勢の前で撮影!? うぅ……恥ずかしい……)
受付のテントに行き、松沢は手早くエントリーシートに記入していく。
「お前の住所は書かねえぞ。年は……まだ二十歳か?」
「はい。早生まれなんで」
「『お付き合い歴』ってなんだよ……」
うんざりした顔で、「ヒミツ」にぐるっとマルをつける。
「松沢さんって二十八歳なんですね」
「……知らなかったのかよ」
「あ、聞く機会がなかったもので……」
「彼氏の年くらい、さっさと聞け」
やや不服そうな顔で、次々と空欄を埋めていく。
「撮影を待ってるそこの彼女、よかったらメイクをお直ししますよ」
大きな呼び込みの声が聞こえたので、そちらに目をやると、テントの隅にメイクコーナーがある。どうやら今回のイベントに協賛している化粧品メーカーが、無料でメイクをしてくれているようだ。
「俺、これ書いとくから行ってくれば? 順番まだまだだろ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
ちょっと覗いてみたいと思っていた気持ちに、松沢が気付いてくれたのが嬉しかった。
(やっぱり、気遣いのできる大人の男性だなぁ……)
美雪がテントの側に近付くと、スタッフと思しき女性が声をかけてきた。
「よかったら、メイクをお直ししましょうか?」
「お願いします」
プロの人にメイクをしてもらうのなんて、生まれて初めてだ。緊張しながら、案内されたパイプ椅子に座る。
「せっかく可愛いのに、今日のメイクは地味目ですね~。お直しさせてもらってもいい?」
「あ……ハイ、メイク道具をあまり持ってなくて……」
スタッフの女性は、手早く美雪のアイシャドウを落としていく。
「あなた、色が白いからこのピンクがはえそう」
(出た! これがモテ系アイシャドウ……)
思わず女性の手元に目が釘付けになる。
「せっかくの撮影だから、思い切り可愛くしてあげるね」
まぶたの上にふわりと淡いピンクがのせられ、目の縁には濃いボルドーのアイライン。さらに、キラキラと光るシャドウを重ねられ、たちまち華やかな印象になる。ほんのりピンクのチークが頬にのると顔がいきいきと輝き、最後に塗ってもらったルージュのお陰で、唇がぷっくり艶やかに見えた。
この短時間で見違えるほど綺麗になれた気がする。
「グロスもいいけど、この新作の口紅はオススメですよ。サンプルを差し上げますね」
「ありがとうございます!」
改めてマジマジと鏡を見つめる。少しは、松沢の隣が似合うような大人の女性に見えるようになっただろうか。
「終わった? 撮影の順番、もうすぐだぞ」
いつの間にかテントの中に松沢が入ってきていた。
「今、終わりました」
振り向くとこちらを見た松沢が目を丸くした。
「彼女さん、可愛くなったでしょう?」
メイクをしてくれたスタッフの女性が、ニコニコしながら美雪の肩に手を添える。
「はぁ、そうですね……」
なんとも気の抜けた松沢の返事に、少しがっかりする。
「彼氏さん、照れちゃって~」
女性はふふふっと笑って、サンプルを詰めた紙袋を差し出してくれた。
「撮影、がんばってくださいね」
「ハイ、ありがとうございました」
彼氏って……こんな感じなの? 慣れないスキンシップに、顔がにやけそうになる。
(思いあがっちゃいけない……七日間だけだから、主任は借りを返すだけなんだから)
心の中で自分に言い聞かせる。
「そろそろ出るか」
「はい」
松沢の後をついて店を出ようとした時、美雪の携帯がふたたび鳴った。
「あ、平岡さんだ」
出ようとすると、むっとした顔で松沢が携帯を取り上げた。
「あっ! ちょっと!」
美雪の制止も聞かず、松沢は通話ボタンを押して話し始める。
「もしもし? 俺」
「松沢さん!」
美雪の携帯に、勝手に出る理由がわからない。というか、この時間に松沢が電話に出て、どういう説明をするつもりなのだ。
慌てて携帯を奪い返そうとしたら、「うるさい」と言わんばかりに怒った顔をされる。
「ああ、昨日は悪かった。……うん、今一緒にいるよ」
(まあ元々主任のお友達なんだから、仕方ないのかもしれないけど――)
「別にいいだろ。俺たち、付き合うことになったから」
一瞬、耳を疑った。
「邪魔するなよ、じゃあな」
ポチッと通話ボタンを押して、ぽんっと携帯を掌にのせられた。
「!!! なんでっ!? そんな嘘をわざわざ……」
「……文句ある?」
「……いっいえ……失礼しました」
鋭い眼光で見下ろされては、なにも言えない。というか、文句を言える立場ではない。
なんだか色々と腑に落ちないが、ひとまず黙って携帯をポケットにしまった。
「ふぁ~~! やっぱりちょっと眠いな」
店の外に出て太陽を浴びると、松沢は大きく伸びをした。
昨日は随分ぐっすりと眠っていたようですけど。喉まで出かかった言葉を、ぐっと呑み込む。
そういえば、どうして自分のベッドに入ってきたのか……結局聞きそびれてしまった。
「今日は帰るけど……お前、明日予定ある?」
「明日ですか? いえ、とくには」
「デートするか」
「ふえっ?」
頭に優しく手をのせられて、思わず変な声が出てしまった。
「デ、デートですか?」
「お前、本当に男に免疫なさすぎ。このままだったら、友達にバレバレだぞ」
たしかにそうかもしれない。それでもなんだか信じられない気持ちで、松沢の顔を見上げた。
「連れて行ってくれるんですか?」
「七日間だけど、俺は彼氏なんだろ?」
美雪の顔を見下ろしながら、松沢がふっと笑った。会社では見ることのできないその優しい表情に、ドキッとする。
七日間だけ……たとえ期限つきだとしても、この状況を楽しんでいいだろうか?
出会いもなく男の人とも上手く話せない自分に、こんな素敵な彼氏ができる日なんて、きっと来ないから……。一生の思い出になるのは間違いない。
「あの……はい、お願いします」
「いいの?」
「はい」
意外にも嬉しそうな松沢の顔を見て、美雪の胸は痛いくらいに高鳴っていた。
二日目 初デート
日曜日、約束の時間より大分早く目が覚めてしまった。二度寝しようかとも思ったが、気持ちが高ぶって眠れる気がしない。
「う~~!」
意味もなく唸って枕に顔をうずめると、ほんのりと自分のものではない香りがする。
――これが、男の匂い?
かっと顔が熱くなる。ここに松沢と一緒に眠っていたなんて、嘘のようだ。
昨日、連絡先を交換して松沢と別れた後すぐに、平岡からふたたびメールが来た。
『付き合うって、本当?
もし、昨日なにかあったのなら謝るよ。
大輔を押しつけちゃってごめんね。
美雪ちゃんがいいならいいんだけど……
大輔のこと、よろしくね』
なんと返していいかわからず、返信できないままでいる。
(七日間……。今日は彼氏二日目か)
ぼんやりと考えながら、携帯を閉じた。デートどころか、男の人と二人で出かけたことすらない。松沢と別れてから、考えていたことと言えば今日の初デートのことばかりだった。なにを着ていけばいいのか、なにを持っていけばいいのか、エンドレスに悩みはつきない。
「あー、やっぱり昨日新しい服を買いに行けばよかった」
デートってくらいだから、やっぱりスカートを穿いた方がいいだろうか。持ち物は、携帯にお財布に化粧ポーチにハンカチ……他になにを持っていけばいいのだろう。
友達にメールでもして聞きたい気分だったけれど、状況が状況なだけにそういう訳にもいかない。
(待ち合わせが十一時ってことは、お昼ご飯食べるってことだよね。そしたら、朝ご飯も早めに食べておいた方がいいのかな)
初デートは、美雪にとって謎がいっぱいだった。
待ち合わせ場所に指定されたのは、昨日一緒に入ったファーストフード店の近くの大きな書店だった。二十分も早く着いてしまった。
(待ち合わせが本屋さんでよかった……)
気持ちを落ち着けるために女性雑誌のコーナーに向かい、手に取ってはパラパラとめくる。
『デート仕様のモテメイク!』
『彼に好かれるお出かけコーデ』
『これで絶対大丈夫! みんなのデート必需品☆』
普段は気にも留めず素通りしていたページが、やけに気になって仕方ない。
(うぅっ、こんなピンクのキラキラしたアイシャドウなんて持ってないし……。フワフワの白スカートなんて、食べ物こぼしたらどうしたらいいの!? デート必需品が「お泊まりスキンケアセット」って……マジで?)
いかに自分の目線が、「男」に向いていなかったかを実感する。短大時代は当たり前だけれど周りは女の子ばかりで、当然のように行動を共にするのも女の子ばかりだった。彼氏がいなくても淋しいことなんてなかったし、楽しかった。女の子同士で遊ぶ格好と男の人の目線を意識した格好は、全然違うことに今さら気付いた。就職してからは周りに男性が増えたけれど、会社での付き合いだけだったし、やっぱりこの手の雑誌とは縁がないままだったのだ。
「はぁ……私って、女子力低いわ……」
今後の参考にするためになにか雑誌でも買おうかと思っていた矢先、入口から入ってくる男性の姿が目に入った。約束の時間より少し早いが、背の高いその人が松沢だとすぐにわかった。
(わわっ……緊張してきた!!)
雑誌を読むことで少しはおさまっていた緊張が、たちまち高まる。声をかけた方がいいのだろうと思ったけれど、なんと声をかけていいかわからず、とっさに目の前にある雑誌を手に取り読んでいるフリをすることにした。
(見つけて……くれるかな。わかってくれるかな)
このドキドキが、なんのドキドキかわからない。視線は雑誌に落としながらも、神経は松沢に集中していた。
(あ、キョロキョロしてる? 私を、探してるんだ……うわっ、こっち来た!!)
松沢の足がぴたっと美雪の背後でとまった。
「待った?」
バッと勢いよくうしろを振り向き、ずっと心の中で練習していた言葉を口にする。
「いいえっ! 今来たばっか……!!」
「り」と言おうとして、思い切り舌を噛んでしまった。
「~~~~!!!」
結局、最後の一言は言えず口を押さえて涙目で松沢を見上げると、くすくすと彼は笑っていた。
「緊張して舌噛むくらいなら、初めから声かけろよ」
どうやら、気付かれていたらしい。
「すみません……」
「いや、謝らなくてもいいけど」
改めて松沢を見上げた。
(今日は、昨日よりもさらにかっこいいな……)
シンプルな黒のカットソーの上にラフにコートを羽織り、マフラーをぐるぐる巻いている。ほどよく色落ちしたデニムのセンスもよく、目の前にある雑誌の「デート特集」の男性モデルとしてそのまま出てきてもおかしくないくらいだ。
隣で立ち読みをしていた女の子二人が、チラチラと松沢を盗み見ているのがわかった。松沢を見てから、ちらりと美雪に視線をうつす。その動作がまるで、「釣り合わない」とでも言っているようで、ちくんと胸が痛む。
「ん? 欲しいの? それ」
「え?」
松沢は、美雪が読んでるフリをしていた雑誌を指差していた。
『クリスマスに彼氏におねだりするならコレ! 3万円までのプチアクセ☆』
開いたページには、煌びやかな指輪やネックレスなどのアクセサリーが並んでいる。
「もしかして、おねだり?」
「ちっ、違います!!」
雑誌を勢いよくバンっと閉じて置く。浮き足立っているように思われてしまっただろうか。恥ずかしくてたまらない。
「冗談だって。行くぞ」
さり気なく、本当に自然に、松沢は美雪の手をすっと取った。
「あっあの……手……」
美雪の声が聞こえているはずなのに、松沢はなにも言わない。先ほどから松沢を盗み見ていた女子二人の視線を感じる。スタスタと前を歩く松沢の背を眺めながら、美雪はニヤけそうになるのを必死で抑えた。
松沢は車で来ていた。スタイリッシュな黒のスポーツワゴンは、彼のイメージにぴったりだ。
「どうぞ。乗って?」
つないでいた美雪の手を離し、松沢は当たり前のように助手席のドアを開けた。
「ど、どうも……」
慣れない扱いに緊張しながら車に乗り込むと、昨日から何度も感じている松沢の香りがかすかにする。二人だけの空間に最初はちょっと緊張したけれど、他人の目が気にならない分、落ち着ける気がしてきた。
「昨日の私服とは、また違うイメージだな」
迷った挙句、選んだのは膝より少し短い丈の、落ち着いた黒のスカートだった。昨日は軽く横に結っていた髪も、今日はおろしている。松沢に合うように精一杯大人っぽくしたつもりだが、それでも今日履いてきたヒールの低いブーツはなんだか子供っぽく思えて、こんなことならボーナスで新調すればよかったと後悔していた。
「子供っぽいですよね……一緒に出かけてくれるのに、すみません」
「どうして謝る? かわいいよ」
「かわいい」……さらりと言われた一言に、またまた顔がゆるみそうになる。
「どこか行きたいところ、あるか?」
今さら見栄をはっても仕方ないので、正直に打ち明けることにした。
「あの……こういう、デ、デートって……実はしたことなくて」
「デートって思うから緊張するんだろ。お前の行きたいところでいいよ」
なるほど。とは思っても、美雪の行きたいところに行って、果たして松沢は楽しいのだろうか? そう考えると、なかなか提案することができない。
「最近オープンしたアウトレットモール、もう行ったか?」
「あっ! テレビで見ましたけど……まだ行ってないです」
勢いよく返事をすると、彼はにこっと爽やかに笑った。
「連れていってやろうか?」
「え、いいんですか!?」
嬉しい。行ってみたいと思ってはいたけれど、なかなか付き合ってくれる友達がおらず、かと言って一人で電車を乗りついでまで行く気にはなれないでいたのだ。
「結構距離があるから、コンビニで飲み物でも買っていくか」
「はい!」
(二人でドライブなんて、大人な展開!! まさにデートって感じ!)
浮かれてはいけないと思いつつも、心が弾んだ。
流れる景色を見ていると気持ちが落ち着き、美雪の緊張感は大分薄らいでいた。
「あの……松沢さん」
「『大輔』」
「え?」
「まだ呼べない?」
運転をしながら、松沢は横目でこちらを見ている。口元が、かすかに笑っている。
「まだ……無理、です……」
ハンドルを握っていない方の手でぽんぽんと頭を優しく撫でられた。
「前々から思ってたんだけど……お前、男苦手なの?」
「え、どうしてですか?」
「仕事の時、なんか男相手だといつも妙に固まって困ってるように見えるから」
見ていてくれてたんだ。上司としては当たり前のことかもしれないけれど、くすぐったい気持ちになる。
「正直……苦手です。なにを話していいかわからなくて……」
「もしかして、今までに彼氏がいたこと、ない?」
「情けないですけど……ない、です」
「俺が初?」
「は、初って……一週間だけじゃないですか」
恥ずかしくなって小さな声で言うと、力強く松沢は言った。
「七日間だろうが一日だろうが、彼氏は彼氏だ」
その勢いに、思わずふふっと笑ってしまう。
会話の流れから、ずっと聞きたかったことを聞くチャンスだと思った。
「松沢さんは……彼女、いないんですか?」
「え?」
ちょうど信号が赤に変わり、松沢がこちらに目を向けてくる。
「あの、こんな面倒なこと押しつけちゃって、もし彼女さんがいるのなら申し訳ないなぁって……」
「いたら普通、こんなこと引き受けないだろ」
こんなこと、と言われ、少しへこむ。
「そんなに不誠実に見える?」
「いいえ、そんなことないです。すごく優しいし、恋人を大切にしそうだなって思います」
「そりゃどうも」
沈黙が続く。やっぱり面倒なことを引き受けてしまったと、思っているのだろうか。申し訳ない気持ちでいっぱいになり、気分が沈む。
(今日だって……経験のない私のためにデートを疑似体験させてくれてるんだもんね)
『初デート』に浮かれていた自分が、少し恥ずかしかった。
「どうした?」
「いえ……別に……」
「なんか、へこんでる?」
「えっ? いいえっ、本当になんでもないです」
松沢が気にしてくれているのは嬉しいが、心の中で思っていることを口に出す訳にはいかず、なんと返答していいかわからない。
「……俺、なんか変なこと言ったか?」
「本当になんでもないですって。気にしないでください」
「今は、美雪が俺の『彼女』だな」
「!!」
か、彼女……
「俺がお前の彼氏なら、お前は俺の彼女だろ?」
『彼女』という甘美な響きが、ぐるぐると頭の中で回る。さっきまでの暗い気持ちが、吹き飛ぶ。
「機嫌直った?」
「べっ別に……」
そう言いつつも、ニヤニヤする顔はやめられない。
(――私って、ゲンキンな奴……)
年末最後の日曜日とあって、アウトレットモールはひどく混んでいた。
「はぐれないように」と言われて繋いだ手が、緊張で汗ばんでいるのが気になって仕方ない。
「腹減ったな。食べたいもの、ある?」
「えと……松沢さんは?」
「俺? うーん、ご飯ものがいいかな」
ずらりと並んだ飲食店の案内板を二人で見ていると、誰かがバンッと松沢の背中を叩いた。
「いってぇ……あ!」
「久しぶり! 大輔!」
振り向くと、そこには松沢と同じくらいの年齢のがっしりとした体つきの男性が立っていた。愛想よく微笑みながら、松沢と美雪を交互に見比べている。
「おー……久しぶり」
「今日はデート?」
「うん、そう。彼女の美雪」
「!!」
さらっと告げられた言葉に、美雪は思わず声をあげそうになった。それをなんとかこらえ松沢の顔を見上げると、「なにか?」とでも言いたげな顔で、美雪を見下ろしている。
「可愛いね~。随分若そうだね?」
「あ、は、二十歳です」
「マジで! うらやましぃ~!」
わはははっと豪快に笑いながら、松沢の背中をバシバシと叩く。
「……痛ぇな。コイツ、大学ん時の友達の村西」
松沢から紹介され、美雪はようやく初めましてと頭を下げる。
「じゃ。初デートなんだから、邪魔するなよな」
松沢は美雪の手を引き、そのまま歩き出そうとした。
「待て待て待て! 初デートなら、いい思い出を作らないか?」
村西が二人の前に回り込んで行く手を阻む。よく見ると腕には「STAFF」という腕章をつけ、首からは許可証のような物をぶら下げている。
「……なんだよ。あんまりいい予感がしねえな?」
「俺、イベント企画会社で働いてるんだ」
「ああ、それは前に聞いたよ」
「今日、午後からここでイベントあるんだけど……参加者が足りなくて今スカウトしてたとこなんだ。すぐ終わるから、二人で参加してくんない?」
村西はチラシを一枚取り出し、美雪に手渡した。
「カップルベストドレッサー賞?」
「そう。ここに来ているカップルの写真を貼りだして、お客さんに投票してもらうんだ」
「断る」
即座に冷たく言い放った松沢は、スタスタと歩き出してしまった。
「待てって! 頼むって~」
「そういうの苦手」
「それは充分わかってるけど、参加者が本当に足りなくて困ってるんだ。頼む! このままじゃ企画が成り立たない」
拝むように手を合わせる村西に、松沢は困惑した表情を浮かべた。
「頼むよ。助けると思ってさぁ……同じ大学だったよしみで! ね! 彼女もお願い~」
「そう言われましても……」
今度は美雪に向かって拝んでくる。どうしてよいかわからず、美雪はちらりと松沢を見上げた。
「ダメ。コイツ、見せ物じゃねえし」
「じゃあ帽子でもかぶって、写真もなるべくわからないようにするからさ!」
ガバッとその場に膝をつき、村西はいきなり土下座を始めた。
「頼む! お前みたいなイケメンが出てくれたら、目玉になるんだ」
「おまっ……やめろって!」
人通りの多い通路での光景に、周りはなんだなんだと遠慮のない視線を向けてくる。このままだと人だかりができてしまいそうだ。
「ま、松沢さん……」
「~~~~っ! ……わかったよ」
松沢がはぁっとため息をつきながらそう言うと、村西は心底嬉しそうな顔をして立ち上がった。
「助かる~。お前は昔からイザという時には頼りになる奴だった!」
「……お前は昔から、しつこい奴だったよ」
うなだれた松沢をなだめながら、村西は先ほど美雪に渡したチラシの裏側を指さした。
「十三時までに、ここに載ってる中央エリアに来てね。カメラマンがいるから、写真を撮ったら終わり。簡単だろ?」
「オイ……十三時ってすぐじゃねえか」
「参加賞として二千円分のグルメ券ももらえるからさっ。昼食のタシにして。じゃ、俺はギリギリまでスカウト続けるから、頼むよ!」
そう告げて、彼は足早に去っていった。
「ごめんな、面倒くさいことに巻き込んで」
「あ、いえ」
内心、ちょっとだけ面白そうだと思っていたことは言えない。
「……アイツも言ってたけど、帽子でも買う?」
そう言いながら、美雪の髪にさらっと指を通す。
「はい!」
彼の優しい指先にドキドキしていたことを隠そうとしたら、妙に威勢のいい返事になってしまった。
「もう少し近くに寄って! カレシィ、カノジョの肩に腕をまわしてみて~」
広場には、撮影の順番を待つカップルが数組。そしてイベントを見に来た客であふれかえっている。
(こ、こんな大勢の前で撮影!? うぅ……恥ずかしい……)
受付のテントに行き、松沢は手早くエントリーシートに記入していく。
「お前の住所は書かねえぞ。年は……まだ二十歳か?」
「はい。早生まれなんで」
「『お付き合い歴』ってなんだよ……」
うんざりした顔で、「ヒミツ」にぐるっとマルをつける。
「松沢さんって二十八歳なんですね」
「……知らなかったのかよ」
「あ、聞く機会がなかったもので……」
「彼氏の年くらい、さっさと聞け」
やや不服そうな顔で、次々と空欄を埋めていく。
「撮影を待ってるそこの彼女、よかったらメイクをお直ししますよ」
大きな呼び込みの声が聞こえたので、そちらに目をやると、テントの隅にメイクコーナーがある。どうやら今回のイベントに協賛している化粧品メーカーが、無料でメイクをしてくれているようだ。
「俺、これ書いとくから行ってくれば? 順番まだまだだろ」
「いいんですか? ありがとうございます!」
ちょっと覗いてみたいと思っていた気持ちに、松沢が気付いてくれたのが嬉しかった。
(やっぱり、気遣いのできる大人の男性だなぁ……)
美雪がテントの側に近付くと、スタッフと思しき女性が声をかけてきた。
「よかったら、メイクをお直ししましょうか?」
「お願いします」
プロの人にメイクをしてもらうのなんて、生まれて初めてだ。緊張しながら、案内されたパイプ椅子に座る。
「せっかく可愛いのに、今日のメイクは地味目ですね~。お直しさせてもらってもいい?」
「あ……ハイ、メイク道具をあまり持ってなくて……」
スタッフの女性は、手早く美雪のアイシャドウを落としていく。
「あなた、色が白いからこのピンクがはえそう」
(出た! これがモテ系アイシャドウ……)
思わず女性の手元に目が釘付けになる。
「せっかくの撮影だから、思い切り可愛くしてあげるね」
まぶたの上にふわりと淡いピンクがのせられ、目の縁には濃いボルドーのアイライン。さらに、キラキラと光るシャドウを重ねられ、たちまち華やかな印象になる。ほんのりピンクのチークが頬にのると顔がいきいきと輝き、最後に塗ってもらったルージュのお陰で、唇がぷっくり艶やかに見えた。
この短時間で見違えるほど綺麗になれた気がする。
「グロスもいいけど、この新作の口紅はオススメですよ。サンプルを差し上げますね」
「ありがとうございます!」
改めてマジマジと鏡を見つめる。少しは、松沢の隣が似合うような大人の女性に見えるようになっただろうか。
「終わった? 撮影の順番、もうすぐだぞ」
いつの間にかテントの中に松沢が入ってきていた。
「今、終わりました」
振り向くとこちらを見た松沢が目を丸くした。
「彼女さん、可愛くなったでしょう?」
メイクをしてくれたスタッフの女性が、ニコニコしながら美雪の肩に手を添える。
「はぁ、そうですね……」
なんとも気の抜けた松沢の返事に、少しがっかりする。
「彼氏さん、照れちゃって~」
女性はふふふっと笑って、サンプルを詰めた紙袋を差し出してくれた。
「撮影、がんばってくださいね」
「ハイ、ありがとうございました」
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