鉄錆の女王機兵

荻原数馬

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砂狼の回顧録

砂狼の回顧録-22

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 ディアスは研究チームの装甲トラックへと通信を試みる。カメラが壊れているのか、モニターに映像は出ないが、なんとか音声だけは繋がった。
「博士、奴を始末しました。もう外に出ても大丈夫です」
「奴というと……犬蜘蛛かい?」
 マルコの疲れたような、震えを帯びた声が通信機を通して聞こえる。
 この状況で犬蜘蛛以外の何だというのか、マルコ博士らしくもない。そう思ったがディアスは相手に合わせて繰り返した。
「はい、犬蜘蛛です。砲撃によって仕留めました」
 マルコの後方から、どよめく声が聞こえる。
 彼らにしてみればトラックを体当たりで横転させ、足で装甲を軽々と貫くパワーを見せつけられ、穴から覗く赤い瞳が強く印象に残っているのだ。そんな化け物をあっさりと始末したと言われてもにわかに信じがたいのも道理であろう。
「わかった。そっちに行くから案内してくれるかい」
 研究員たちにいくつか指示を出し、工場に回収班の要請をしてから、マルコはトラックを降りて戦車に乗り込んだ。それなりのスペースは確保しているが、やはり三人乗れば手狭に感じる。
 その姿にディアスは少しだけ驚いた。汗で髪がぐしゃぐしゃに乱れ、額に髪が張り付いている。襟も乱れ、ついでに眼鏡もズレている。いつも余裕たっぷりで洒落者であるマルコの初めての見る姿だ。
 初動が遅れたことについて何か文句でも言われるかと思ったが特にそんなことはなかった。マルコは他の誰かよりもまず自分自身の甘さを責めていたのだ。犬蜘蛛に襲われただ隅で震えることしかできなかった。天才にあるまじき失態だ、と。
「僕はね、兵器開発に関わっていながらミュータントを見るのは初めてだっだんだ。どんな奴に向けるかも知らずに武器だけ作って満足していただなんて、滑稽だな……」
 ぽつり、ぽつりと語り出すマルコ。そこには自信や余裕、自惚れといったものを全て取り払った男の本音があった。
「今日、生き延びたじゃないですか」
 慰めてくれているのだろう。本当に地獄の底から生還した男に言われれば説得力が違う。だが今のマルコにはそんな気遣いさえも惨めさを増幅させる材料でしかなかった。
 落ち込んだままのマルコを見て、ディアスは話題を変えることにした。
「そちらの被害はどうです。研究員の皆さんは無事ですか?」
「ああ、人的被害は軽微だよ。ちょっと怪我人が出た程度で命に別状はない。小便漏らして男の尊厳に傷がついた奴はいるけどね」
 くくっと含み笑いをするマルコ。少しだけ調子が戻ってきたようだ。
「トラックの運転手が気絶していたのは不幸中の幸いだね。目を覚ましていたら確実に外に出ようとしていただろう。B級ホラーの脇役みたいな目に会わずに済んで本当に良かった。ああ、実に良かった」
 良かったとは言いつつも、その言葉の中には、肝心な時に失神しやがってという苛立ちが感じられた。あまりにも不甲斐ない。
 対してディアスは本心からほっと胸を撫で下ろしていた。もしも死人が出ていればマルコたちとの関係が悪化していただろう。決別には至らないにせよ、修復不可能な亀裂が一筋入ったはずだ。
 研究員たちの給与査定にどう響くかは知らないが、とりあえず命があっただけ良しとしてもらおう。

 装甲トラックのある位置から戦車で数分、そこに犬蜘蛛の死体がある。歩いても行けるような距離だが、炎天下で小型のミュータントが現れる危険性のあるなか非戦闘員を連れて散歩などしたくはない。
 犬蜘蛛の死体、もはや肉塊とでもいうべきものにはすでに肉食蝿が数匹たかっていた。
 戦車を降りたマルコは無惨な死体を見て、息を呑んだ。
「これはまた随分と、エグい殺し方をしたものだね」
 一目で理解した。これは、口のなかに砲弾を突っ込んだのだと。
「……開いていましたので」
 感情のない声でディアスが答える。彼は義理人情に篤い男だが、それはあくまで戦いの外での話だ。
 チャンスがあったから撃った。淡々と答える青年の姿を見てマルコは、
(こいつもどこか壊れているな……)
 と、感じていた。悪い気はしない。それでこそハンターであり、優秀な実験材料だ。
 しばし、ふたりは犬蜘蛛の成れの果てを見下ろしていた。やがてマルコの目が熱を帯び、口元に愉悦と恍惚の笑みが浮かんできた。
 その口元を手で覆い隠す。鏡を見なくてもわかる。今、自分はひどく品の無い顔をしているのだろうと。それも全て、あることに気がついたからだ。
「これ、君たちがやったんだよね?」
 上ずった声でまたしてもわかりきったことを聞いた。
(ディアスくん、どう答える? いや、わかっているさ。無様を晒して落ち込む男を、優しい君はきっと慰めにかかってくれるだろう……)
 ディアスは呟くように答えた。
「全て、マルコ博士の与えてくれた戦車の力によるものです」
 よくぞ言ってくれた。感無量といった表情でマルコは頷いた。
 当たり前のことだが犬蜘蛛は戦車を使って倒したのであり、その戦車を造ったのは自分たちなのだ。
 敵に対応できなかったからといって、それがなんだというのか。ミュータント狩りの専門家であるディアスたちと比べること自体が間違っている。
 ついさきほどまで研究員たちの来月の給与をどうしてくれようかと考えていたが、それは全て撤回した。
 むしろ今回、本物のミュータントと対峙したことでその脅威を実感し、兵器開発に役立てる天才集団と成りうるのではないだろうか。給与を下げるどころか大事に扱うべきだ。
 そして兵器の力を十全に引き出すこの若者たちを手放すべきではない。どう囲い込むべきかとマルコは頭を悩ませていた。
 実験は終わった、じゃあ義肢をもらって帰りますね……などと言われては困る。
 この半年の付き合いでディアスという男のことを少しは理解したつもりだ。無理に縛り付けるよりも、良好な関係を築いてこそよく働いてくれるだろう。
「ディアス君、あの戦車だが……君に譲ろうじゃないか」
「え? 戦車を、ですか?」
 ディアスが驚くのも無理もない。戦車は全てのハンターたちにとっての憧れであり、どんな戦車に乗っているかが一流のステータスでもある。しかも、最新式だ。
 実験が終わった後も乗ることが出来るとは思ってもみなかった。
「もちろん、無料でどうぞというわけにはいかない。お金は取るよ、ローンでいいけどね」
 さらに驚きが追加された。ハンターは常に死の危険と隣り合わせであり、今日金を貸した、明日には死んでいるかもしれない、そういった人種だ。よほどの信頼と実積がなければ借金など出来はしない。社会的信用はそこらの野犬と同じ程度しかないのだ。
 その点を伝えると、マルコは笑っていった。
「君がカーディル君を残して死ぬとはとても思えないな」
 その点についてだけは、ディアスも自信がある。力強く頷いて、同意した。
「お心遣い感謝します。即答したいところですが一応、カーディルに相談してもよろしいでしょうか?」
 マルコはその申し出を快く了承した。どうせカーディルがディアスの提案に異を唱えるわけはない。許しを与えることでわずかでも恩を売れるならそれでよし、だ。
 これで全ての条件が整った。金を返し終わるまで彼らは必死にミュータントと戦い続け、実戦データを持ち帰ってくれるだろう。メンテナンスができるのも自分しかいない。
 助けた命、助けを求めた相手に、彼は不義理を犯しはしないだろう。決して離れられぬ関係の出来上がりだ。
 小走りで戦車に乗りこむディアスの背を、マルコはほくそ笑んで見送っていた。

 それから5年、ミュータントを何十体、何百体と狩り続けた。失敗もあった。何度も死にかけた。戦車は何度も大破し、その度に回収班を出してもらった。
 信頼と愛情に一片の揺らぎも無く、ふたりは生き延びた。
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