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砂狼の回顧録
砂狼の回顧録-15
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外に出よう、その提案をカーディルは全力で拒否した。彼女にとって外界とは悪意の視線が降り注ぐ呪われた地でしかない。
愛する者に看取られてひっそりと死んで行く、それは彼女にとっての甘美な夢であった。ディアスはカーディルを救えなかったことを悔やんでいるようだが、仲間に見捨てられたまま醜悪なミュータントの保存食として端から齧られ死ぬことに比べれば雲泥の差であろう。彼女の心は充分に救われているのだ。
覚悟は決まっている。それなりに満足もしている。今さら悪あがきをしようというのは、余計なことでしかなかった。
「もういいじゃない。私はここであなたと一緒に死にたいのよ……」
「俺は君と一緒に生きたいのだ」
何事につけてもカーディルに甘いディアスも今回は引き下がらなかった。
「君にとっては不本意だろうが俺はまだ諦めきれんのだ。どうか俺の、男の我儘をもう一度だけ聞いてくれ」
そう言ってディアスに重々しく頭を下げられてはカーディルは何も言えなくなった。
カーディルを救うための行動だがそれを恩着せがましく押し付けるのではなく、彼は自分の我儘だと言った。誠実さに溢れる目でまっすぐに見据えられると、何もかもをこの男に委ねたくなってくる。
(ああ、もうどうしようもないくらい私はこのひとが好きなんだなぁ。惚れた弱味だ、仕方ない。死に方も選ばせてやりますか……)
左手を伸ばし、ディアスの手を握って優しく微笑む。それだけで意思の疎通は完了した。
ディアスは病院からこの部屋に向かったときと同じように、カーディルを抱き抱えてマントで包んだ。
車両用のスロープを上がって外に出ると何日かぶりの太陽が手荒く歓迎し、その眩しさにディアスは眉間にシワを寄せて目を細めた。お前の来る世界ではない、そんなふうに太陽から拒絶されたような気分だ。
あまり人目につきたくはないのだがこの街は昼よりも夜の方が人通りが多い。荒くれ者のハンターどもが昼には狩りに出かけ、夜に戻ってダミ声を張り上げながら酒を飲み歩くのだからそれも道理といえよう。
雑誌から破りとったページ、銃器の広告をポケットから取り出して何度も住所を確認しながら丸子製作所へ向かっていた。
数日の間、飯も食わず水しか飲んでいない状況で炎天下のなかカーディルを抱えて歩いているのだ。頭がぼやけ、慣れない道であることも合わさって何度も道に迷った。
(これでも犬蜘蛛の巣から帰るときよりマシなんだから、俺の人生どうなっているんだ……)
最近すっかり癖のようになっだ苦笑いを浮かべながら腰のホルダーから水筒を取り出し喉を湿らせる。続いてカーディルにも飲ませると、なんだか動物の赤ちゃんにミルクをあげているような愛おしさを感じた。無論、本人の前では言えないが。
横顔が夕陽の色に染まる頃に、ようやく丸子製作所にたどり着いた。
相変わらず道行く人々から注目されるが心なしかその視線に侮蔑の色は混じっていないように感じた。何故かと考えればここは義肢を取り扱う工場なのだから肉体の一部が欠損した人間は普通に見慣れているし、お客様でもあるのだろう。
工場から出てきた研究者ふうの男を呼び止めマルコ博士に面会したい旨を告げると、彼は事情を察したようで自ら案内をしてくれた。訳アリの客が突然訪ねてくるのも珍しいことではないのかもしれない。
鞄を持っていたところからして今まさに帰ろうとしていたところだったのだろうか。申し訳ないことをしてしまったと、ディアスは何度も丁寧に頭を下げて礼を述べた。
案内された応接室に入りカーディルを革張りのソファーに座らせ、ディアスも隣に腰を下ろした。
予想以上に尻が沈む。ディアスの部屋の安いベッドとは大違いだ。こういった何気ないところから貧富の差を感じて、尻以上に心が沈む。
急な訪問にも関わらず、マルコは5分と経たずに現れた。確かに、病院で出会ったあの男だ。
しかしあのときとは違い、顔に薄笑いが浮かんでいない。あまり歓迎はされていないようだ。
「やあ久しぶり。君のことは覚えているよディアス君。それで今日はどんな要件かな」
無駄話をするなと釘を刺すような、少し早口の強い口調。回りくどい物言いは彼の心証を悪くするだけだと判断して、ディアスも簡潔に要望を述べた。
「彼女に義肢をつけていただきたいのです」
「ふぅん、金は?」
「ありません」
マルコは大きく、そして少しわざとらしく息を吐き出した。呼ばれたときからある程度の予想はできていたのだろう。
「ディアス君、僕は確かに君に対して多少の好意は抱いていたさ。今、全部消え去ったがね。自分は可哀想な人間で相手は金持ちなんだから、ちょっとお願いすれば恵んでくれるだろうだなんて考えているなら、それはちょっと僕を舐めすぎだよ」
マルコの道ばたの糞を見るような視線をディアスは真っ直ぐに受け止めていた。これが物乞いに来た奴の態度だろうかと疑問に思いつつ、マルコは話を続けた。
「そっちのカーディル君に無料で義肢を与えたとしよう。それで、その先はどうなると思うね? 同じように無料で寄越せと群がる連中に片っ端から譲らなければならないのか? 僕は三日で破産するな」
同じような話は何度もしてきた。後悔もしてきた、裏切られたこともある。
一度は好感を抱いた男に対してこんなつまらない話をしなければならないことに段々と苛立ってきた。
「僕は弱者の奴隷になるつもりはないぞ……」
地獄から響くような呪詛の声。だが目の前の男は怯むどころか、わかりますとばかりに頷いてみせた。こいつはひとの話を聞いているのだろうかとマルコは訝しく思い眉をひそめた。
(お話はわかりました、それはそうとして義肢を下さい……などと言い出したらどうしてくれようか)
スイッチが切り替わるように苛立ちが怒りに変換されようかというそのとき、ディアスはまったく意外なことを言い出した。
「対価として差し出せるものはあります」
「へえ?」
「俺の命です」
何を言い出すんだこいつは。マルコとカーディルが同じような困惑した表情を浮かべた。特にカーディルはディアスに何か策があるとは聞いていたが、彼が生贄になるなどとは知らされていない。
止めようとするカーディルを手で制し、ディアスはさらに続けた。
「博士が何らかの人体実験を行い、その被験者を捜していると聞きました。若く、頑丈な身体の男。こいつに値段をつけていただきたい!」
ディアスの咆哮、そして沈黙が流れる。
マルコはここで笑って追い返すか、怒鳴って追い出すかすべき場面であったろう。事実、彼はそうしようとした。だがひとつ思い付いたことがある。彼らに付き合って欲しい研究がひとつだけ。
「ディアス君。君は今、悪魔と契約しようとしているのかもしれないよ?」
「天使は俺たちに何もしてはくれませんでした」
その答えが気に入ったのか、マルコは笑って頷いた。いままでとは性質の違う、好奇心剥き出しの笑顔だ。
「いいとも、中古の型落ちでよければ義肢のセットを譲ろうじゃないか」
「ありがとうございます!」
デスクに額をぶつけんばかりにディアスは深々と頭を下げた。
カーディルが自分で動けるようになれば気晴らしもできるだろう。義肢の動作に慣れれば一緒に狩りにも行けるかもしれない。最悪、自分が死んでも彼女は生きる術を持って生き残る。
これからどんな条件を出されるかわかったものではないので手放しで喜ぶことはできないが、とにかく目の前に立ち塞がる壁が一枚、破壊されたのだ。
「それで、協力して欲しい実験なんだけどさ」
「はい」
頭を上げるとマルコの笑顔、その瞳の奥に狂気の光が宿っているように見えた。病院で感じた悪寒が蘇る。
だが、それでいい。狂人であればこそこんな話に乗ってくれたのだ。
しかしディアスはマルコの顔を眺めているうちに、さらに背筋が凍りつくような思いがした。
この瞳は、自分を見ていない。
マルコの歪んだ口許から、放たれる宣告。
「君ではなく、隣の彼女にやってもらおうか」
ついさきほど忠告されたばかりではないか。これは、悪魔との契約であると……。
愛する者に看取られてひっそりと死んで行く、それは彼女にとっての甘美な夢であった。ディアスはカーディルを救えなかったことを悔やんでいるようだが、仲間に見捨てられたまま醜悪なミュータントの保存食として端から齧られ死ぬことに比べれば雲泥の差であろう。彼女の心は充分に救われているのだ。
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「もういいじゃない。私はここであなたと一緒に死にたいのよ……」
「俺は君と一緒に生きたいのだ」
何事につけてもカーディルに甘いディアスも今回は引き下がらなかった。
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そう言ってディアスに重々しく頭を下げられてはカーディルは何も言えなくなった。
カーディルを救うための行動だがそれを恩着せがましく押し付けるのではなく、彼は自分の我儘だと言った。誠実さに溢れる目でまっすぐに見据えられると、何もかもをこの男に委ねたくなってくる。
(ああ、もうどうしようもないくらい私はこのひとが好きなんだなぁ。惚れた弱味だ、仕方ない。死に方も選ばせてやりますか……)
左手を伸ばし、ディアスの手を握って優しく微笑む。それだけで意思の疎通は完了した。
ディアスは病院からこの部屋に向かったときと同じように、カーディルを抱き抱えてマントで包んだ。
車両用のスロープを上がって外に出ると何日かぶりの太陽が手荒く歓迎し、その眩しさにディアスは眉間にシワを寄せて目を細めた。お前の来る世界ではない、そんなふうに太陽から拒絶されたような気分だ。
あまり人目につきたくはないのだがこの街は昼よりも夜の方が人通りが多い。荒くれ者のハンターどもが昼には狩りに出かけ、夜に戻ってダミ声を張り上げながら酒を飲み歩くのだからそれも道理といえよう。
雑誌から破りとったページ、銃器の広告をポケットから取り出して何度も住所を確認しながら丸子製作所へ向かっていた。
数日の間、飯も食わず水しか飲んでいない状況で炎天下のなかカーディルを抱えて歩いているのだ。頭がぼやけ、慣れない道であることも合わさって何度も道に迷った。
(これでも犬蜘蛛の巣から帰るときよりマシなんだから、俺の人生どうなっているんだ……)
最近すっかり癖のようになっだ苦笑いを浮かべながら腰のホルダーから水筒を取り出し喉を湿らせる。続いてカーディルにも飲ませると、なんだか動物の赤ちゃんにミルクをあげているような愛おしさを感じた。無論、本人の前では言えないが。
横顔が夕陽の色に染まる頃に、ようやく丸子製作所にたどり着いた。
相変わらず道行く人々から注目されるが心なしかその視線に侮蔑の色は混じっていないように感じた。何故かと考えればここは義肢を取り扱う工場なのだから肉体の一部が欠損した人間は普通に見慣れているし、お客様でもあるのだろう。
工場から出てきた研究者ふうの男を呼び止めマルコ博士に面会したい旨を告げると、彼は事情を察したようで自ら案内をしてくれた。訳アリの客が突然訪ねてくるのも珍しいことではないのかもしれない。
鞄を持っていたところからして今まさに帰ろうとしていたところだったのだろうか。申し訳ないことをしてしまったと、ディアスは何度も丁寧に頭を下げて礼を述べた。
案内された応接室に入りカーディルを革張りのソファーに座らせ、ディアスも隣に腰を下ろした。
予想以上に尻が沈む。ディアスの部屋の安いベッドとは大違いだ。こういった何気ないところから貧富の差を感じて、尻以上に心が沈む。
急な訪問にも関わらず、マルコは5分と経たずに現れた。確かに、病院で出会ったあの男だ。
しかしあのときとは違い、顔に薄笑いが浮かんでいない。あまり歓迎はされていないようだ。
「やあ久しぶり。君のことは覚えているよディアス君。それで今日はどんな要件かな」
無駄話をするなと釘を刺すような、少し早口の強い口調。回りくどい物言いは彼の心証を悪くするだけだと判断して、ディアスも簡潔に要望を述べた。
「彼女に義肢をつけていただきたいのです」
「ふぅん、金は?」
「ありません」
マルコは大きく、そして少しわざとらしく息を吐き出した。呼ばれたときからある程度の予想はできていたのだろう。
「ディアス君、僕は確かに君に対して多少の好意は抱いていたさ。今、全部消え去ったがね。自分は可哀想な人間で相手は金持ちなんだから、ちょっとお願いすれば恵んでくれるだろうだなんて考えているなら、それはちょっと僕を舐めすぎだよ」
マルコの道ばたの糞を見るような視線をディアスは真っ直ぐに受け止めていた。これが物乞いに来た奴の態度だろうかと疑問に思いつつ、マルコは話を続けた。
「そっちのカーディル君に無料で義肢を与えたとしよう。それで、その先はどうなると思うね? 同じように無料で寄越せと群がる連中に片っ端から譲らなければならないのか? 僕は三日で破産するな」
同じような話は何度もしてきた。後悔もしてきた、裏切られたこともある。
一度は好感を抱いた男に対してこんなつまらない話をしなければならないことに段々と苛立ってきた。
「僕は弱者の奴隷になるつもりはないぞ……」
地獄から響くような呪詛の声。だが目の前の男は怯むどころか、わかりますとばかりに頷いてみせた。こいつはひとの話を聞いているのだろうかとマルコは訝しく思い眉をひそめた。
(お話はわかりました、それはそうとして義肢を下さい……などと言い出したらどうしてくれようか)
スイッチが切り替わるように苛立ちが怒りに変換されようかというそのとき、ディアスはまったく意外なことを言い出した。
「対価として差し出せるものはあります」
「へえ?」
「俺の命です」
何を言い出すんだこいつは。マルコとカーディルが同じような困惑した表情を浮かべた。特にカーディルはディアスに何か策があるとは聞いていたが、彼が生贄になるなどとは知らされていない。
止めようとするカーディルを手で制し、ディアスはさらに続けた。
「博士が何らかの人体実験を行い、その被験者を捜していると聞きました。若く、頑丈な身体の男。こいつに値段をつけていただきたい!」
ディアスの咆哮、そして沈黙が流れる。
マルコはここで笑って追い返すか、怒鳴って追い出すかすべき場面であったろう。事実、彼はそうしようとした。だがひとつ思い付いたことがある。彼らに付き合って欲しい研究がひとつだけ。
「ディアス君。君は今、悪魔と契約しようとしているのかもしれないよ?」
「天使は俺たちに何もしてはくれませんでした」
その答えが気に入ったのか、マルコは笑って頷いた。いままでとは性質の違う、好奇心剥き出しの笑顔だ。
「いいとも、中古の型落ちでよければ義肢のセットを譲ろうじゃないか」
「ありがとうございます!」
デスクに額をぶつけんばかりにディアスは深々と頭を下げた。
カーディルが自分で動けるようになれば気晴らしもできるだろう。義肢の動作に慣れれば一緒に狩りにも行けるかもしれない。最悪、自分が死んでも彼女は生きる術を持って生き残る。
これからどんな条件を出されるかわかったものではないので手放しで喜ぶことはできないが、とにかく目の前に立ち塞がる壁が一枚、破壊されたのだ。
「それで、協力して欲しい実験なんだけどさ」
「はい」
頭を上げるとマルコの笑顔、その瞳の奥に狂気の光が宿っているように見えた。病院で感じた悪寒が蘇る。
だが、それでいい。狂人であればこそこんな話に乗ってくれたのだ。
しかしディアスはマルコの顔を眺めているうちに、さらに背筋が凍りつくような思いがした。
この瞳は、自分を見ていない。
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