鉄錆の女王機兵

鋼鉄の玉座

鋼鉄の玉座-01

 　まるで生命の存在を許さぬとばかりに激しく照りつける太陽。
 　切り立った岩壁の隙間をすり抜けるように1輛の戦車が疾走していた。狭い道幅など意に介さぬ、スピードをほとんど落とさない軽快な走りであった。
　戦車の周囲に突きだしたアンテナが高性能であることは確かであろう、それにしてもドライバーの運転技術は並みのものではない。
　乗組員はふたりの男女。前方に座る男は砲手である。どこか眠たげな細い目をした男が、標的が近いことを感じ取ってか、じっとスコープを覗いていた。
　後方に鎮座する女の存在が、この戦車の異様さを醸し出していた。
　まず、両手がない。肩から先に腕はなく、代わりに腕と同じくらいのチューブが繋がれ、戦車と一体化していた。
　両足もない。膝から先に脛はなく、これもまたチューブが接続されている。
　顔の上半分を覆う巨大なゴーグルを装着し、カメラと連動して視界を確保していた。戦車の動きは全て彼女の意のままであり、手足のごとく自在に操っているのだ。
「ディアス、上から来るわ！」
　突如、女が電流が走ったかのように身を震わせ叫んだ。ディアスと呼ばれた男はスコープに額を強く押し付け周囲を見渡す。
　発見した。岩山の上に３メートルはあろうかという巨大な猿が、やや猫背で立っている。すでに数発、有効打を与えていた。全身は血に染まり、左腕は千切れ飛んでいる。口からは白とも赤ともつかぬ泡を吹いていた。
　だが戦意が落ちるどころか、目は憎しみに燦然と輝き、戦車を睨み付けていた。逃げるつもりはない、血よりも濃い朱の目がそう語っていた。
「いいとも、とことんやろうじゃないか……」
　ディアスの呟きに呼応したかのように、巨大猿が頭上から、奇声をあげて飛びかかってきた。
「カーディル！」
「了解ッ！」
　戦車と同化した女、カーディルに繋がるチューブに無数の小さな光球が浮かびあがり、勢いよく流れ出した。履帯と呼ばれる戦車のベルト状の足が高速回転を始め石つぶてを弾き飛ばしながら急発進し、巨大猿の強襲をかわした。
　一瞬遅れて、先ほどまで戦車があった場所に猿の巨体が叩きつけられる。轟音と共に砂ぼこりが巻き上げられた。その足元にはひび割れと足跡がくっきりと印された。
　あれをまともに食らっていたらどうなっていたのか。カーディルの額から頬を伝わって冷汗が流れ落ちる。身動きがとれず、汗を拭うことすら出来ない身がもどかしい。
　巨大猿は緩慢な、しかし激しい殺気を含んだ動きで戦車へと向き直る。
　ディアスたちもそれをただ黙って見ていたわけではない。砲塔を１８０度旋回させ、照準を巨大猿の心臓へピタリと合わせていた。
　息を深く吐き、止める。引き金を握る手に、じわりと汗が浮かんた。
　巨大猿が泡とよだれを撒き散らしながら再度飛びかかる。同時に長砲身から徹甲弾が唸りをあげて放たれた。
　砲弾は巨大猿の胸に吸い込まれるかのようにめり込み、その先端が背中から飛び出した。声にならない声をあげ、巨大猿は地響きをたてて目を見開いたまま仰向けに倒れた。もう、ピクリとも動かない。そこに敵が居るのか、あるいは神を呪っているのか、赤い双眸が恨めしげに天を睨み付けていた。
「生身の生き物が徹甲弾なんか食らったら、もっとこう血と肉をドバーッと撒き散らしてくたばるはずでしょう？　仕止めたとはいえ、なんで普通に刺さったままなのよ」
　カーディルが呆れたようにいった。感想というよりも、緊張を抜くための軽口のようである。
「みっしり詰まった筋肉とはそういうものだ」
　答えになっていない答えを返しながら、ディアスは戦車内の物入れから色々と取り出した。
　ライフル、小型クーラーボックス、鋼鉄の計量スプーンのようなもの。これらをハッチを開けて外に出し、自らも梯子を昇ろうとしたところで、何かを思い付いたか、カーディルの側に歩み寄った。
　カーディルが着けている大型ゴーグルのアイシールドが自動ではねあがる。凛とした表情の、美しい女性が出てきた。絹糸のようにツヤがあり、柔らかく流れる黒髪。漆黒の宝石のような瞳は見ているだけでどこまでも吸い込まれそうになる。
　ディアスはその大きな手でカーディルの頬を包み、唇を重ねた。１秒、２秒、３秒と経ち、ゆっくりと名残惜しそうに身を離す。
「それじゃあ、行ってくる」
　武骨な顔に少しだけ照れたような笑顔を浮かべ、ディアスは言った。
「うん、いってらっしゃい」
　視線を絡ませ、ふたりは笑いあう。狭く薄暗い車内に少しだけ穏やかな空気が流れた。
　改めてライフルを担いで外に出ると、強烈な日差しが降り注ぎディアスは顔をしかめた。
　戦車の外部装甲も肉が焼けるほどに温まっており、分厚い手袋ごしにも熱が伝わってきた。これはたまらんとばかりに慌てて戦車からかけ降りる。
　巨大猿の死骸から３メートルほどのところで立ち止まり、無造作にライフルの銃口を向ける。呼吸は止り、血は乾きかけて粘りをみせている。そもそも徹甲弾が胸の中央を占拠しているのだ、これで生きているはずがない。
　だが、ここから油断できないのが奴ら『ミュータント』だ。首がもげても心臓が止まっても、いきなり動き出す生き物は存在する。こうした体勢から油断をして命を落とした者を幾人も見てきたし、ディアス自身も危機に陥ったことがある。
　死者を辱しめることは本意ではないが、それがハンターとミュータントの戦いだ。ディアスは自分にそう言い聞かせながら、猿の死骸に数発、弾丸を撃ち込んだ。弾丸がめり込むたびに体がわずかに跳ねるが、それ以外の反応はない。
　さらに数十秒、様子を見る。この地方特有の肉食蝿が数匹寄ってきた。ようやく安全だと判断して、ライフルを肩から下ろし、丁度いいサイズのスプーンを選んで巨大猿の死骸に近寄った。手で蠅を追い払おうと振ってみたがまったくの無意味なのでこれは我慢するしかない。
　巨大猿の見開かれた右目にスプーンの先を当てて、一気に押し込んだ。ずりゅり、と嫌な感触がスプーンと手袋を通してなお、鮮明に伝わってくる。これは命を刈り取る感触だ。
　スプーンをくるりと回して眼球を浮かび上がらせ、鷲掴みにすると一気に視神経をぶちぶちと引きちぎった。
　ミュータントは皆、燃えるような赤い瞳をしている。これを『ミュータントハンター』たちを管理する『ハンターオフィス』へ持って行くと賞金が支払われる仕組みだ。
　抉り出した右目をクーラーボックスに入れると、続いて左目に取りかかる。この作業を続けるディアスの表情は苦渋に歪んでいた。
　つい先程まで命を賭けて戦った相手ではないか。その死に敬意を払うどころかこうして死体を辱めねばならぬ。それがハンターの宿命とわかってはいるが、己が卑劣な精神につくづく嫌気が差す。
　そうした思いとは裏腹に彼の手つきは淀みなく、手際の良い鮮やかなものであった。

　ディアスがミュータントのトロフィーを獲得する一連の流れを、カーディルは外部カメラと視覚を連動して見ていた。その表情にわずかな不快感が浮かぶ。彼女は全てのミュータントを憎悪していた。
　死力を尽くし戦った相手は敵であろうと敬意を示す、それはきっと彼の美点なのだろう。だが、できればパートナーには同じ方向を向いていて欲しかった。未来も、愛情も、そして悪意すらも。愛する男への想いのなかに、そんな暗いノイズが混ざっていることを自覚し自己嫌悪に陥った。
　生きたまま手足を食われ、蛆虫を植え付けられた記憶が甦り、なくしたはずの四肢が気の狂いそうな痛みと痒みを呼び起こす。今すぐ４本のチューブを引きちぎって、転がり、泣き叫びたい衝動に駆られた。
　唇を噛みしめ目を閉じてじっと耐えていると、突如として頭上で重たい金属音がした。弾かれたように身を震わせて、それを見上げる。
　ディアスだ、ミュータントではない。当然といえば当然のことだ、この周囲にディアスの他に人影はない。それでもミュータントの影に怯え続ける彼女にとっては笑い事では無かった。
「ディアス……おかえりなさい」
「うん、ただいま」
　先ほどまでミュータントの目玉を抉っていたとは思えぬ優し気な声を出し、攻撃的な太陽から逃げるように車内へ滑り込んだ。クーラーボックスや汚れたスプーンを備え付けのツールボックスに放り込む。
　十数分外に出ていただけで全身が汗みずくである。カーディルが車内冷房を強くするとディアスは笑顔で振り向いて、
「ありがとう」
　と、礼をいった。
　それだけで、少し報われた気がした。