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Another Story ─ ジャスミンは香る
第17話 ユリとジャスミン
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過ちが人を成長させるというのは、きっと本当なのだろう。
あの日から数ヶ月──思いがけず出会った茉莉さんは、私の記憶にある彼女とはまるで別人だった。
やつれていたとかやさぐれていたとか、そういう意味じゃない。
なんというか、もっと内面の、根本的なところが違っていた。
だからこそ、私は「少し話したい」という彼女の誘いに乗ったのだ。
そして少なくとも、彼女を残して店を出た今の私は、少し前の自分が下したその判断を後悔してはいない。
彼女は真っ先に、自分のしたことを詫びた。
当然といえば当然だろう。
結婚式はたしかに人生の一大イベントなのだ。
若い頃──ひょっとしたら幼い頃から素敵な結婚式を夢見る女性は多い。彼女自身、そんな女性の一人かもしれない。
女の幸せは結婚だ、なんて一方的に決めつけられる時代は終わりつつあるけど、だからといって、大好きな人と素敵な結婚式を挙げることを幸せだと捉える人が減った、ということにはならないのだ。
だから私は、一応は苦言を呈しておかなければならなかったと思う。
もちろん、私は完全な「被害者」で、誰からも責められることなんてなかったけれど。
彼女がいったいどんな思いであんなことをしでかしたのか、本当の意味ではわからない。
それでも、彼女が私に対して、嫉妬の枠に収まらない──むしろコンプレックスに近い感情を抱いていたということはわかった。
明らかに──誰がどう見たって、「愛される」タイプなのは私ではなく彼女の方なのに。
自分ではわからないのか、あるいは無い物ねだりというやつなのか。
でもそれが原因のひとつであることは、おそらく間違いないだろう。
私なんかよりもずっと谷元を想っていたからこそ、私のことが目に入ってしまったのかもしれない。
特に、別れてすぐ頃は。
でも何よりも驚きだったのは、彼女が語った「間違い」の真相だ。
実際には「間違い」なんかじゃなかったのだ──もちろん、彼女が真実を語っている保証はないけれど、今更私に対してそんな嘘をつく必要や利点があるとは思えない。
自分のお腹に宿っていた命との別れにたった一人で向き合うしかなかった彼女は、どんな気持ちだったのだろう。
妊娠も出産も流産も経験したことのない私には、想像することしかできないけれど。
それでももし今ここに谷元がいたら、私は後先を考えずに胸元を掴んで怒鳴りつけたかもしれない──お前はいったい何をやっていたんだ、と。
あのときだって──彼女が「妊娠した」という嘘をついていたと思っていたあのときだって、それを見抜けなかった谷元にはほとほと呆れていた。
けれど、見抜かなければならなかった嘘が「妊娠は間違いだった」というものの方だったのだとしたら──話は全く違ってくる。
というのも、それはもう身重の彼女をほったらかしにしていたということと同義なのだ。
身に覚えがある、なんてかわいいもんじゃない。
でもそんな谷元のことを、茉莉さんがとんでもなく愛しているということも、私は身に染みて理解した。
つくづく幸せな男だと思う。本人がそれに気づくことはないのかもしれないけれど。
だけど今にして思えば、だからこそ谷元は変わったのかもしれない。
私の言葉なんかじゃなく、月並みだとは思うけれど茉莉さんの愛情が、谷元を変えたのだ。
そして彼はちゃんと選んだ。選んだ責任を果たした。
(だから今度はね、あなたが責任を果たす番、なのよ……)
もう二度と会うこともないだろう彼女に向かって、心の中で呼びかける。
さっき本人にも言ったように、彼女は果たさなければならないのだ──谷元に自分を選ばせた責任を。
選ばれた側、つまり奪った側としての責任を。
奪った側である彼女には、奪われた側である私に嫉妬する資格なんてないのだから。
それを「幸せになれ」なんていう言葉で表現してしまうところが、私の甘いところであり、かつ無駄にかっこつけなところなのだろう。
自分の言動を思い返すと、自嘲的な笑みがこぼれる。
たった数歳差にすぎないのに、最後まで「いい先輩」であろうとしてしまった。
そんなことをしたって何の意味もないことはわかっていたはずなのに。
それでも私は、彼女の中でだけは完璧なままでいようとしたのだ。
客観的には負け犬以外の何者でもない私自身を、彼女にとってだけは、「敵わない存在」のままにしておくために。
端的に言えば、腹いせというやつだ。
(ま、すべては終わったことだけどね……)
私が何を言おうと言うまいと過去は変わらないし、ましてや何もなかったことになどなりはしない。
けれど私は、過去には執着しないタイプなのだ。
過去から学ばないのは愚かなことだと思う。でも省みることと囚われることは違う。
浮気相手を妊娠させたから、と恋人に捨てられ。
そしてその後出会った人との結婚式では、その元恋人の浮気相手にシャンパンをぶちまけられ。
事実は小説よりも奇なりなんて言ったりするけれど、我ながら本当に、絵に描いたような修羅場だったと思う。
でもだからといって、私はその元恋人や浮気相手に対して怒ってなんかいない。もちろん、二人のことを恨んでもいない。
私はそんなことには、エネルギーを割かない。
誰かが幸せになれば、その分別の誰かが不幸になる──なんて、馬鹿げている。
お金──富はある程度そうなのかもしれないけど、幸せは違う。
私はそのことを、ちゃんと知っている。
だから彼女に「幸せになれ」と言ったことは決して、間違っていない。
谷元も茉莉さんも、私のいないところで幸せになればいいのだ。
それと同じように、私だってあの二人のいないところできっと幸せになる。
あの日から数ヶ月──思いがけず出会った茉莉さんは、私の記憶にある彼女とはまるで別人だった。
やつれていたとかやさぐれていたとか、そういう意味じゃない。
なんというか、もっと内面の、根本的なところが違っていた。
だからこそ、私は「少し話したい」という彼女の誘いに乗ったのだ。
そして少なくとも、彼女を残して店を出た今の私は、少し前の自分が下したその判断を後悔してはいない。
彼女は真っ先に、自分のしたことを詫びた。
当然といえば当然だろう。
結婚式はたしかに人生の一大イベントなのだ。
若い頃──ひょっとしたら幼い頃から素敵な結婚式を夢見る女性は多い。彼女自身、そんな女性の一人かもしれない。
女の幸せは結婚だ、なんて一方的に決めつけられる時代は終わりつつあるけど、だからといって、大好きな人と素敵な結婚式を挙げることを幸せだと捉える人が減った、ということにはならないのだ。
だから私は、一応は苦言を呈しておかなければならなかったと思う。
もちろん、私は完全な「被害者」で、誰からも責められることなんてなかったけれど。
彼女がいったいどんな思いであんなことをしでかしたのか、本当の意味ではわからない。
それでも、彼女が私に対して、嫉妬の枠に収まらない──むしろコンプレックスに近い感情を抱いていたということはわかった。
明らかに──誰がどう見たって、「愛される」タイプなのは私ではなく彼女の方なのに。
自分ではわからないのか、あるいは無い物ねだりというやつなのか。
でもそれが原因のひとつであることは、おそらく間違いないだろう。
私なんかよりもずっと谷元を想っていたからこそ、私のことが目に入ってしまったのかもしれない。
特に、別れてすぐ頃は。
でも何よりも驚きだったのは、彼女が語った「間違い」の真相だ。
実際には「間違い」なんかじゃなかったのだ──もちろん、彼女が真実を語っている保証はないけれど、今更私に対してそんな嘘をつく必要や利点があるとは思えない。
自分のお腹に宿っていた命との別れにたった一人で向き合うしかなかった彼女は、どんな気持ちだったのだろう。
妊娠も出産も流産も経験したことのない私には、想像することしかできないけれど。
それでももし今ここに谷元がいたら、私は後先を考えずに胸元を掴んで怒鳴りつけたかもしれない──お前はいったい何をやっていたんだ、と。
あのときだって──彼女が「妊娠した」という嘘をついていたと思っていたあのときだって、それを見抜けなかった谷元にはほとほと呆れていた。
けれど、見抜かなければならなかった嘘が「妊娠は間違いだった」というものの方だったのだとしたら──話は全く違ってくる。
というのも、それはもう身重の彼女をほったらかしにしていたということと同義なのだ。
身に覚えがある、なんてかわいいもんじゃない。
でもそんな谷元のことを、茉莉さんがとんでもなく愛しているということも、私は身に染みて理解した。
つくづく幸せな男だと思う。本人がそれに気づくことはないのかもしれないけれど。
だけど今にして思えば、だからこそ谷元は変わったのかもしれない。
私の言葉なんかじゃなく、月並みだとは思うけれど茉莉さんの愛情が、谷元を変えたのだ。
そして彼はちゃんと選んだ。選んだ責任を果たした。
(だから今度はね、あなたが責任を果たす番、なのよ……)
もう二度と会うこともないだろう彼女に向かって、心の中で呼びかける。
さっき本人にも言ったように、彼女は果たさなければならないのだ──谷元に自分を選ばせた責任を。
選ばれた側、つまり奪った側としての責任を。
奪った側である彼女には、奪われた側である私に嫉妬する資格なんてないのだから。
それを「幸せになれ」なんていう言葉で表現してしまうところが、私の甘いところであり、かつ無駄にかっこつけなところなのだろう。
自分の言動を思い返すと、自嘲的な笑みがこぼれる。
たった数歳差にすぎないのに、最後まで「いい先輩」であろうとしてしまった。
そんなことをしたって何の意味もないことはわかっていたはずなのに。
それでも私は、彼女の中でだけは完璧なままでいようとしたのだ。
客観的には負け犬以外の何者でもない私自身を、彼女にとってだけは、「敵わない存在」のままにしておくために。
端的に言えば、腹いせというやつだ。
(ま、すべては終わったことだけどね……)
私が何を言おうと言うまいと過去は変わらないし、ましてや何もなかったことになどなりはしない。
けれど私は、過去には執着しないタイプなのだ。
過去から学ばないのは愚かなことだと思う。でも省みることと囚われることは違う。
浮気相手を妊娠させたから、と恋人に捨てられ。
そしてその後出会った人との結婚式では、その元恋人の浮気相手にシャンパンをぶちまけられ。
事実は小説よりも奇なりなんて言ったりするけれど、我ながら本当に、絵に描いたような修羅場だったと思う。
でもだからといって、私はその元恋人や浮気相手に対して怒ってなんかいない。もちろん、二人のことを恨んでもいない。
私はそんなことには、エネルギーを割かない。
誰かが幸せになれば、その分別の誰かが不幸になる──なんて、馬鹿げている。
お金──富はある程度そうなのかもしれないけど、幸せは違う。
私はそのことを、ちゃんと知っている。
だから彼女に「幸せになれ」と言ったことは決して、間違っていない。
谷元も茉莉さんも、私のいないところで幸せになればいいのだ。
それと同じように、私だってあの二人のいないところできっと幸せになる。
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