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Another Story ─ ジャスミンは香る
第16話 邂逅(2)
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「……でも、結局は同じことよ」
「えっ?」
何と何が同じなんだろう。
あたしは黒田さんの真意がつかめずに目を瞬く。
「谷元課長が選んだのはあなただったってことに変わりはないってこと」
「でも……」
それはあたしと黒田さんが同じ土俵にはいなかったからだ。
もしもあたしが「一人」だったら、きっとあたしは選ばれなかった。
無意識に唇を噛んでいたあたしに、黒田さんはまた呆れたみたいだった。
「……あなたねえ、もし本当に私を『非の打ち所のない完璧な女』だと思うなら、『私はあの黒田サンを差し置いて選ばれたんだ』って誇ってなさいよ」
黒田さんは、まるで小さい子に言い聞かせるみたに──それこそ、つまらないことで泣いている子を励ますみたいに言った。
「そんな完璧な女よりも自分を選んでくれた谷元亮介を信じなさい。それがあなたの──あえてこんな言い方をするけど──泥棒子猫ちゃんの果たすべき責任なの」
「……!」
そうか……何よりあたしに足りなかったのはこれだったんだ。
あたしが最初からずっと谷元さんを信じていれば、あんなことにはならなかった。
「……世の中にはいろんな人がいるし、当然私とあなただって違う考え方やものの見方をする別の人間。だから信じられないかもしれないし、納得できないかもしれない。でもね」
黒田さんはそう言ってあたしをまっすぐに見つめた。
「たとえそれがどんなに『素敵』な人だったとしても、私は、私を捨てて他の女を選んだような男には絶対になびかない。たとえ何を言われても、心が動くことなんてない」
黒田さんのその言葉に、あたしはいつかに立ち聞きしてしまった会話を思い出した。
そうだ──黒田さんは、まだ黒田さんに未練があった谷元さんの言葉を遮ったんだ……。
あたしが何も言えずにいると、黒田さんはふっと笑って言った。
「あなたが思ってるよりずっと自分本位な女だから、私」
「……!」
黒田さんは、決して自分本位なんじゃない。黒田さんがあえて選んだその形容だから、否定はしないけど。
黒田さんは自信をまとっているんだと思う──だから、強い。
「……あの人があなたを選んだ瞬間からね、私たちは同じものを取り合う関係じゃなくなったのよ」
黒田さんの声が愁いを帯びている。
あたしはそれで気づいた──黒田さんにとっては、もう全部過去のことなんだ、って。
だからあんなふうに言い切れるんだ、って。
黒田さんの言葉を信じるなら、谷元さんもそうなのだ。
あたしひとりが、ずっと過去にとらわれていただけで。
「……覚えてる? 津山さんが新入社員だったとき、私が教育係だったの」
あたしは「はい、もちろんです」とうなずく。
黒田さんが会社からいなくなってしまってからもずいぶん経つけど、あたしは黒田さんについてひとつひとつ仕事を覚えていっていたあの頃のことを、今でもよく覚えていた。
「教育係なんてえらそうなこと言って、全然たいしたことは教えられなかっただろうけど」
黒田さんは苦笑交じりに言う。
「そんなことないです」
私は本当に、一から十まで黒田さんから学んだようなものだったから。
もちろん、黒田さんは謙遜で言ったのかもしれないけど。
「……なら、そんなかつての教育係からの、最後の指導だと思って聞いて」
黒田さんの言葉に、あたしは居住まいを正した。
まっすぐに見つめられる──でも黒田さんの目に敵意は宿っていなかった。
「あなたがしたことは消えない。なかったことにはならない。あなたもわかっているようにね。だからあなたはそれと、一生付き合っていかないといけないの。当人であるあなたがその罪に押しつぶされるなんて許されないの」
比喩的な表現だけど、なんとなく言わんとするところはわかる気がする。
あたしは正気に戻った以上、罪の意識を持ち続けなきゃいけないってことだろう。
幸か不幸か、あたしはその罪に押しつぶされてしまうほどやわじゃなかったわけだけど。
でも、黒田さんが言おうとしたのは、ちょっと違うことらしかった。
「わかる? 罪の意識にさいなまれ続けろって言ってるんじゃなくてね。一生付き合っていくっていうのは、同じことを繰り返さないためなのよ」
黒田さんの言葉に熱がこもる。
「あなたが一番欲しかったのは谷元亮介でしょう? それをちゃんと手に入れたんだから、幸せになりなさい。私や、他の誰かを羨んだり妬んだりしてる隙も余裕もなくなるくらい、幸せに」
「……っ!」
どうして……どうしてこの人は、あたしなんかにこんなことが言えてしまうんだろう。
どうして素直に、あたしを悪者にしないんだろう。
どうしてこんなにも、あたしたちは違うんだろう。
「……それじゃ、そろそろ行くわね。私たちがこうして会って話をしたなんて知ったら、あなたの夫も私の夫もいい顔はしないだろうし。会うのも言葉を交わすのも、これが最後よ」
何も言えずにいるあたしを残して黒田さんが立ち上がる。
「元気でね。茉莉さん」
囁くようなその声に、あたしははっと息をのむ。
きっとこうなることは、さっき出会ってしまった時から決まっていたんだと思う。
そして黒田さんはそれを最初からわかっていて、最後にこうやって甘えさせてくれた。
あたしや谷元さんがどうなっても、黒田さんには幸せでいてほしい──…
最後の最後にはなったけど、あたしは気づくことができた。
逆恨みしたり嫉妬に狂ったりいろいろしたけど、あたしは本当は、黒田さんのことがとても好きだったんだ、って。
「えっ?」
何と何が同じなんだろう。
あたしは黒田さんの真意がつかめずに目を瞬く。
「谷元課長が選んだのはあなただったってことに変わりはないってこと」
「でも……」
それはあたしと黒田さんが同じ土俵にはいなかったからだ。
もしもあたしが「一人」だったら、きっとあたしは選ばれなかった。
無意識に唇を噛んでいたあたしに、黒田さんはまた呆れたみたいだった。
「……あなたねえ、もし本当に私を『非の打ち所のない完璧な女』だと思うなら、『私はあの黒田サンを差し置いて選ばれたんだ』って誇ってなさいよ」
黒田さんは、まるで小さい子に言い聞かせるみたに──それこそ、つまらないことで泣いている子を励ますみたいに言った。
「そんな完璧な女よりも自分を選んでくれた谷元亮介を信じなさい。それがあなたの──あえてこんな言い方をするけど──泥棒子猫ちゃんの果たすべき責任なの」
「……!」
そうか……何よりあたしに足りなかったのはこれだったんだ。
あたしが最初からずっと谷元さんを信じていれば、あんなことにはならなかった。
「……世の中にはいろんな人がいるし、当然私とあなただって違う考え方やものの見方をする別の人間。だから信じられないかもしれないし、納得できないかもしれない。でもね」
黒田さんはそう言ってあたしをまっすぐに見つめた。
「たとえそれがどんなに『素敵』な人だったとしても、私は、私を捨てて他の女を選んだような男には絶対になびかない。たとえ何を言われても、心が動くことなんてない」
黒田さんのその言葉に、あたしはいつかに立ち聞きしてしまった会話を思い出した。
そうだ──黒田さんは、まだ黒田さんに未練があった谷元さんの言葉を遮ったんだ……。
あたしが何も言えずにいると、黒田さんはふっと笑って言った。
「あなたが思ってるよりずっと自分本位な女だから、私」
「……!」
黒田さんは、決して自分本位なんじゃない。黒田さんがあえて選んだその形容だから、否定はしないけど。
黒田さんは自信をまとっているんだと思う──だから、強い。
「……あの人があなたを選んだ瞬間からね、私たちは同じものを取り合う関係じゃなくなったのよ」
黒田さんの声が愁いを帯びている。
あたしはそれで気づいた──黒田さんにとっては、もう全部過去のことなんだ、って。
だからあんなふうに言い切れるんだ、って。
黒田さんの言葉を信じるなら、谷元さんもそうなのだ。
あたしひとりが、ずっと過去にとらわれていただけで。
「……覚えてる? 津山さんが新入社員だったとき、私が教育係だったの」
あたしは「はい、もちろんです」とうなずく。
黒田さんが会社からいなくなってしまってからもずいぶん経つけど、あたしは黒田さんについてひとつひとつ仕事を覚えていっていたあの頃のことを、今でもよく覚えていた。
「教育係なんてえらそうなこと言って、全然たいしたことは教えられなかっただろうけど」
黒田さんは苦笑交じりに言う。
「そんなことないです」
私は本当に、一から十まで黒田さんから学んだようなものだったから。
もちろん、黒田さんは謙遜で言ったのかもしれないけど。
「……なら、そんなかつての教育係からの、最後の指導だと思って聞いて」
黒田さんの言葉に、あたしは居住まいを正した。
まっすぐに見つめられる──でも黒田さんの目に敵意は宿っていなかった。
「あなたがしたことは消えない。なかったことにはならない。あなたもわかっているようにね。だからあなたはそれと、一生付き合っていかないといけないの。当人であるあなたがその罪に押しつぶされるなんて許されないの」
比喩的な表現だけど、なんとなく言わんとするところはわかる気がする。
あたしは正気に戻った以上、罪の意識を持ち続けなきゃいけないってことだろう。
幸か不幸か、あたしはその罪に押しつぶされてしまうほどやわじゃなかったわけだけど。
でも、黒田さんが言おうとしたのは、ちょっと違うことらしかった。
「わかる? 罪の意識にさいなまれ続けろって言ってるんじゃなくてね。一生付き合っていくっていうのは、同じことを繰り返さないためなのよ」
黒田さんの言葉に熱がこもる。
「あなたが一番欲しかったのは谷元亮介でしょう? それをちゃんと手に入れたんだから、幸せになりなさい。私や、他の誰かを羨んだり妬んだりしてる隙も余裕もなくなるくらい、幸せに」
「……っ!」
どうして……どうしてこの人は、あたしなんかにこんなことが言えてしまうんだろう。
どうして素直に、あたしを悪者にしないんだろう。
どうしてこんなにも、あたしたちは違うんだろう。
「……それじゃ、そろそろ行くわね。私たちがこうして会って話をしたなんて知ったら、あなたの夫も私の夫もいい顔はしないだろうし。会うのも言葉を交わすのも、これが最後よ」
何も言えずにいるあたしを残して黒田さんが立ち上がる。
「元気でね。茉莉さん」
囁くようなその声に、あたしははっと息をのむ。
きっとこうなることは、さっき出会ってしまった時から決まっていたんだと思う。
そして黒田さんはそれを最初からわかっていて、最後にこうやって甘えさせてくれた。
あたしや谷元さんがどうなっても、黒田さんには幸せでいてほしい──…
最後の最後にはなったけど、あたしは気づくことができた。
逆恨みしたり嫉妬に狂ったりいろいろしたけど、あたしは本当は、黒田さんのことがとても好きだったんだ、って。
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