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Another Story ─ ジャスミンは香る
第3話 別れ話
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その当日、あたしはいつも下ろしてる前髪をピンで留めておでこを出し、ほとんど使ってないめがねをかけた。
それだけで十分別人だったけど、念のため友達から借りたライダースジャケットに、レースアップのブーツを合わせる。
特定の誰かになりすます変装は、素人には難しいのかもしれない。
でも、自分じゃない誰かでいいのなら簡単だ。特に、普段の雰囲気からかけ離れさえすればいいんだから。
谷元さんが黒田さんを呼び出したカフェは、クール系というか、とにかくスタイリッシュなおしゃれさが光るお店だった。あたしが普段行くお店のおしゃれさとは系統が違う。
それだけのことにこんなにも心がざわついてしまうのが嫌だと思いながら、あたしは二人がやってくるのを待った。
十五分くらい経った頃だったかな。
先にどこかで待ち合わせしていたのか、二人は一緒に現れた。
そして、びっくりなことに二人はなんとあたしの隣の席に案内された。あまりの偶然に思わず笑っちゃいそうになったけど、おかげで会話が一言一句聞き取れる。
だから谷元さんが切り出した別れに対しての黒田さんの返事に、あたしはぞっとした。
「『別れよう」? ……『別れてください』の間違いじゃなくて?」
知ってるんだ、って直感的に思った。
黒田さんは、谷元さんがどうして自分と別れようとしているのか、たぶんわかっている。だからこその言葉選びだった。
でもその考えは、黒田さんの次の言葉でぐらりと揺らいでしまった。
「あなたのことだから、外堀は全部埋まってるんでしょ? あとは私との関係を清算するだけってとこなんじゃない?」
違う、って思った。
黒田さんはきっと、谷元さんがただ自分から別の子に乗り換えようとしているとしか思っていない。
もしかしたら、「浮気相手」があたしってことも知らないのかもしれない。
もちろん、知らなくても無理はないけど──だって、谷元さんもあたしも、きっと隠し事は得意だから。
「まさか……知ってたのか?」
谷元さんは目を見開いて言った。
谷元さんはいったい、黒田さんの言葉からどれくらいのことを感じ取ったんだろう。
でもあたしがそんな疑問に答えを見つける前に、谷元さんは思いがけないことを口にした。
「だったら話は早い。彼女、子どもができたんだ」
ええっ、って危うく声が出るところだった。
黒田さんが本当に知っていると思って?
それとも、先手を打ってしまえば黒田さんが後には引けなくなると思って?
「誰に、子どもができたって?」
黒田さんはその言葉を、ゆっくりと発音した。
でもその声の変化は、谷元さんには伝わらなかったんだと思う。
「決まってるだろ、茉莉だよ」
あたしは思わず天を仰ぎたくなった。いったい何が決まっているっていうの?
ほら、あの冷静沈着な黒田さんですら言葉を失っている。
そばで聞いているだけのあたしの胃が痛くなってくるくらいの沈黙の後、黒田さんは口を開いた。
「……それで、私をポイポイッと捨てて津山さんの方に行くわけなのね」
その声にはチクリとしたとげがある。
さすがにそれは伝わったようで、谷元さんは少し眉を寄せた。
「そういう言い方するなよ。責任取らないわけにはいかないだろ」
責任──その言葉に、あたしの胸の奥がずきんと痛む。
そっか、あたしは谷元さんにとって、負わなきゃいけない責任なんだ。
わかってはいたつもりだけど、こうして本人から突きつけられると辛い。無意識的な言葉のチョイスから滲み出た本音だからこそ、余計に。
谷元さんが自分から選んだ黒田さんと、無理やり選ばされたも同然なあたし。
やっぱりあたしは一生、黒田さんと同じ土俵には立てないらしい。
「それで? 言い直す気にはなったの?」
黒田さんは、どこか朗らかにも聞こえるほどに淡々とした声で言った。
きっとその顔には微笑みがあるはずだ──見なくてもわかる。
すると谷元さんは、はあっと息を吐き出した。
「ったく、わかったよ。頼むから別れてくれ。別れてください」
やや投げやりな声音に、あたしはどきっとした。どうしたって頼んでいるようには聞こえなかったから。
でも次の瞬間、あたしは自分の目を疑った。
谷元さんが、仮にも部下である黒田さんに頭を下げた──あの谷元さんが。
「いいわ。もうこれで終わりにしましょう」
黒田さんも、きっと驚いたんじゃないかと思う。さっきよりずっとフラットな声で言った。
そして黒田さんがもう冷めてしまったに違いない紅茶をすすってる間に、あたしは立ち上がる。
聞きたいことは聞いたし、知りたいことは知った。
これ以上ここに長居する意味はない。
そう思ってさっさと店を出て行ってしまったけど、それが間違いだったなんて、この時のあたしは想像すらしていなかった。
それだけで十分別人だったけど、念のため友達から借りたライダースジャケットに、レースアップのブーツを合わせる。
特定の誰かになりすます変装は、素人には難しいのかもしれない。
でも、自分じゃない誰かでいいのなら簡単だ。特に、普段の雰囲気からかけ離れさえすればいいんだから。
谷元さんが黒田さんを呼び出したカフェは、クール系というか、とにかくスタイリッシュなおしゃれさが光るお店だった。あたしが普段行くお店のおしゃれさとは系統が違う。
それだけのことにこんなにも心がざわついてしまうのが嫌だと思いながら、あたしは二人がやってくるのを待った。
十五分くらい経った頃だったかな。
先にどこかで待ち合わせしていたのか、二人は一緒に現れた。
そして、びっくりなことに二人はなんとあたしの隣の席に案内された。あまりの偶然に思わず笑っちゃいそうになったけど、おかげで会話が一言一句聞き取れる。
だから谷元さんが切り出した別れに対しての黒田さんの返事に、あたしはぞっとした。
「『別れよう」? ……『別れてください』の間違いじゃなくて?」
知ってるんだ、って直感的に思った。
黒田さんは、谷元さんがどうして自分と別れようとしているのか、たぶんわかっている。だからこその言葉選びだった。
でもその考えは、黒田さんの次の言葉でぐらりと揺らいでしまった。
「あなたのことだから、外堀は全部埋まってるんでしょ? あとは私との関係を清算するだけってとこなんじゃない?」
違う、って思った。
黒田さんはきっと、谷元さんがただ自分から別の子に乗り換えようとしているとしか思っていない。
もしかしたら、「浮気相手」があたしってことも知らないのかもしれない。
もちろん、知らなくても無理はないけど──だって、谷元さんもあたしも、きっと隠し事は得意だから。
「まさか……知ってたのか?」
谷元さんは目を見開いて言った。
谷元さんはいったい、黒田さんの言葉からどれくらいのことを感じ取ったんだろう。
でもあたしがそんな疑問に答えを見つける前に、谷元さんは思いがけないことを口にした。
「だったら話は早い。彼女、子どもができたんだ」
ええっ、って危うく声が出るところだった。
黒田さんが本当に知っていると思って?
それとも、先手を打ってしまえば黒田さんが後には引けなくなると思って?
「誰に、子どもができたって?」
黒田さんはその言葉を、ゆっくりと発音した。
でもその声の変化は、谷元さんには伝わらなかったんだと思う。
「決まってるだろ、茉莉だよ」
あたしは思わず天を仰ぎたくなった。いったい何が決まっているっていうの?
ほら、あの冷静沈着な黒田さんですら言葉を失っている。
そばで聞いているだけのあたしの胃が痛くなってくるくらいの沈黙の後、黒田さんは口を開いた。
「……それで、私をポイポイッと捨てて津山さんの方に行くわけなのね」
その声にはチクリとしたとげがある。
さすがにそれは伝わったようで、谷元さんは少し眉を寄せた。
「そういう言い方するなよ。責任取らないわけにはいかないだろ」
責任──その言葉に、あたしの胸の奥がずきんと痛む。
そっか、あたしは谷元さんにとって、負わなきゃいけない責任なんだ。
わかってはいたつもりだけど、こうして本人から突きつけられると辛い。無意識的な言葉のチョイスから滲み出た本音だからこそ、余計に。
谷元さんが自分から選んだ黒田さんと、無理やり選ばされたも同然なあたし。
やっぱりあたしは一生、黒田さんと同じ土俵には立てないらしい。
「それで? 言い直す気にはなったの?」
黒田さんは、どこか朗らかにも聞こえるほどに淡々とした声で言った。
きっとその顔には微笑みがあるはずだ──見なくてもわかる。
すると谷元さんは、はあっと息を吐き出した。
「ったく、わかったよ。頼むから別れてくれ。別れてください」
やや投げやりな声音に、あたしはどきっとした。どうしたって頼んでいるようには聞こえなかったから。
でも次の瞬間、あたしは自分の目を疑った。
谷元さんが、仮にも部下である黒田さんに頭を下げた──あの谷元さんが。
「いいわ。もうこれで終わりにしましょう」
黒田さんも、きっと驚いたんじゃないかと思う。さっきよりずっとフラットな声で言った。
そして黒田さんがもう冷めてしまったに違いない紅茶をすすってる間に、あたしは立ち上がる。
聞きたいことは聞いたし、知りたいことは知った。
これ以上ここに長居する意味はない。
そう思ってさっさと店を出て行ってしまったけど、それが間違いだったなんて、この時のあたしは想像すらしていなかった。
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