【完結】つぎの色をさがして

蒼村 咲

文字の大きさ
上 下
17 / 33
Another Story ─ ジャスミンは香る

第2話 終わりの始まり

しおりを挟む
それから、谷元さんとの秘密の関係が始まった。
秘密といっても、あたしの部屋で体を重ねるだけじゃなくて、谷元さんはあたしと一緒にお出かけもしてくれた。食事にも買い物にも、映画や水族館にも行った。本当に、「普通のカップル」みたいだったと思う。

黒田さんのことは、あえて聞かなかった。知らないふりをし続けた。
一人でいる時は、実はもう別れたのかなって希望的観測を立ててみたり、どうせあたしは浮気相手に過ぎないんだろうなって拗ねてみたり、いろいろ考えた。
でも結局は口には出さなかった。
余計なことに触れてしまったら、谷元さんとの幸せな時間が終わってしまうんじゃないかって気がしたから。


でもそんな、真綿にくるまれたみたいな幸せな日々には突然、終わりがやってきた。

生理が来てないのになんだか体調が悪い。
そんなときに一番に考えないといけない可能性──まさかと思って検査薬を使ってみたら、みるみるうちに二本の赤い線が浮かび上がってきた。
妊娠陽性だった。

まず思ったのは、どうしよう、ってことだった。
当たり前だけど、誰にも相談なんてできなかった。その頃までにはいい加減、あたしにもわかってしまっていたから──谷元さんの正式な「恋人」は、やっぱり黒田さんだってことが。

そんなときだった。黒田さんが、何かで社内表彰をされることになったのは。
たしか、何か会社に利益になることを成し遂げた、とかだったと思う。具体的に何を表彰されたのかは覚えていないけど。
でも、そのとき感じた絶望は今でもはっきり覚えている。

あんなに美人で、かっこよくて、仕事もできて、谷元さんが恋人だなんて。
黒田さんが持っている幸せを、あたしはひとつも持っていないのに。あたしには、何もないのに。
目の前がどんどん暗くなっていくような感覚、足元が崩れていくような感覚、どう言えば的確なのかはわからない。でもとにかくあたしは、絶望に飲み込まれてしまった。

あの頃より少しは大人になった今なら、あれはただの「嫉妬」だったんだってわかる。
でも当時のあたしには、「絶望」以外の何物でもなかった。
だからあたしは、手に入れたばかりの最後の切り札を使うことにしたんだ。


「子どもが、できたみたいなの……」

そう告げたときの谷元さんの顔は、今でも覚えている。もしかしたら一生忘れられないかもしれない。
驚き、焦り、衝撃、混乱……そういういろんな感情全部が一斉に押し寄せて、それに飲み込まれちゃったときに、人はあんな顔になるんだと思う。

堕ろしてくれって言われるか、結婚しようって言ってもらえるか。それは正直賭けだった。
同じ職場で働いている以上、その後一切音信不通ってことはないと思っていたけど。

「ごめん、少し考えさせて」

谷元さんはあの日、それだけ言って帰ってしまった。
でもその二日後には答えを出してくれたんだ。

「もしかしたら知ってるかもしれないけど、実は俺、茉莉以外に付き合ってる人がいて……」

谷元さんがあたしに直接黒田さんの話をしたのは、そのときが初めてだった。
あたしはどう答えればいいかわからなくて、ただうなずく。

「友里──いや、黒田なんだ。本当は茉莉より前から付き合ってた」

もちろん、言われなくても知っていた。
あたしの方が「浮気相手」だったことも、ほんとはわかっていた。
谷元さんがあたしじゃなく黒田さんを選ぶなら、あたしはもうこの会社にはいられないと思った。
お腹の子は──どうしよう。

あたしは今更になって気づいた。切り札なんかじゃなかった。導火線だった。
あたしはその導火線に自ら火をつけてしまったんだって、思った。

だから谷元さんが「結婚しよう」って言ってくれたとき、あたしは最初、願望が見せた白昼夢を見ているんだろうって思った。
きっとものすごく間抜けな顔をしていたと思う。

──結婚?

谷元さんのその言葉の意味を理解したとき、あたしは息が止まるかと思った。
自分でも変だと思う。その返事を期待していたくせに、心の準備はできていなかったんだから。
だからかもしれない。あたしが思わず「黒田さんは……」なんて聞いてしまったのは。

「俺を必要としてるのは、茉莉の方だから」

あたしはそれを聞いた瞬間、ああ、なんかドラマみたいって思った。
だってドラマではいつだって、強くてかっこいい女の人じゃなくか弱くてかわいい女が選ばれるから。それがハッピーエンドかそうじゃないかは、ドラマによって違うけど。
ドラマにリアリティがあるのか、リアルがフィクションに引きずられてるのか、どっちなんだろう。どっちだっていいけど。

「あいつなら──あいつならきっとわかってわかってくれると思う」

谷元さんはそう言って、大きく息を吐き出した。
反対に、あたしは息が止まりそうになる。

わかってくれるって、何? わかるって何?
隠れて浮気されてて、子どもまで作られて、それを理由にした別れを「わかってくれる」って、何なの?
いったいどこまで、黒田さんに甘えてるの?

そう思うと泣きたくなってきた。だって甘えって、つまりは信頼と同義だから。
あたしは谷元さんを手に入れても、黒田さんみたいな関係は築けない。
だからきっと、あたしは一生あの人には敵わない。

それからあたしは、谷元さんが黒田さんをどこに呼び出すつもりなのかをさりげなく聞き出した。
たぶんそんなことができたのは、谷元さんも精神的に参っていたからだと思う。
基本的に、谷元さんは穴のないタイプだったから。そういうへまをするなんて、らしくない。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

恋した悪役令嬢は余命一年でした

葉方萌生
恋愛
イーギス国で暮らすハーマス公爵は、出来の良い2歳年下の弟に劣等感を抱きつつ、王位継承者として日々勉学に励んでいる。 そんな彼の元に突如現れたブロンズ色の髪の毛をしたルミ。彼女は隣国で悪役令嬢として名を馳せていたのだが、どうも噂に聞く彼女とは様子が違っていて……!?

元カノと復縁する方法

なとみ
恋愛
「別れよっか」 同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。 会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。 自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。 表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!

誘惑の延長線上、君を囲う。

桜井 響華
恋愛
私と貴方の間には "恋"も"愛"も存在しない。 高校の同級生が上司となって 私の前に現れただけの話。 .。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚ Иatural+ 企画開発部部長 日下部 郁弥(30) × 転職したてのエリアマネージャー 佐藤 琴葉(30) .。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚+.。.:✽・゚ 偶然にもバーカウンターで泥酔寸前の 貴方を見つけて… 高校時代の面影がない私は… 弱っていそうな貴方を誘惑した。 : : ♡o。+..:* : 「本当は大好きだった……」 ───そんな気持ちを隠したままに 欲に溺れ、お互いの隙間を埋める。 【誘惑の延長線上、君を囲う。】

小さな恋のトライアングル

葉月 まい
恋愛
OL × 課長 × 保育園児 わちゃわちゃ・ラブラブ・バチバチの三角関係 人づき合いが苦手な真美は ある日近所の保育園から 男の子と手を繋いで現れた課長を見かけ 親子だと勘違いする 小さな男の子、岳を中心に 三人のちょっと不思議で ほんわか温かい 恋の三角関係が始まった *✻:::✻*✻:::✻* 登場人物 *✻:::✻*✻:::✻* 望月 真美(25歳)… ITソリューション課 OL 五十嵐 潤(29歳)… ITソリューション課 課長 五十嵐 岳(4歳)… 潤の甥

恋とキスは背伸びして

葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員 成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長 年齢差 9歳 身長差 22㎝ 役職 雲泥の差 この違い、恋愛には大きな壁? そして同期の卓の存在 異性の親友は成立する? 数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの 二人の恋の物語

消えた記憶

詩織
恋愛
交通事故で一部の記憶がなくなった彩芽。大事な旦那さんの記憶が全くない。

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

幼馴染以上恋人未満 〜お試し交際始めてみました〜

鳴宮鶉子
恋愛
婚約破棄され傷心してる理愛の前に現れたハイスペックな幼馴染。『俺とお試し交際してみないか?』

処理中です...