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Another Story ─ ジャスミンは香る
第1話 はじまり
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ベタだって思われるかな?
でも電車で痴漢に遭っていたところを助けてもらってから、あたしは谷元さんに夢中になった。
助けたのがあたしだと気づいて驚いていたってことは、きっと知らない人だったとしても助けたってことでしょう?
それって、誰にでもできることじゃないと思う。
だからあの日から、あたしの中で谷元さんはヒーローになった。
それからはもう、なんとかして谷元さんとお近づきになりたい一心だった。
上司と部下なんかじゃなくて、もっと親しくなりたかった。近づきたかった。
でもあたしがそう思い始めた時にはすでに、谷元さんには黒田さんっていう恋人がいた。
黒田さんはあたしと一緒で谷元さんの部下の女の人だ。
あたしより三年先輩らしくて、あたしが入社したときには黒田さんが教育係だった。
すらっと背が高くて、てきぱき仕事もできて、いかにもキャリアウーマンって感じの、かっこいい女の人。あたしにはないものをすべて持っているような人。あたしがたとえ逆立ちしたって敵わなそうな人。
そんな人が、谷元さんの恋人だった。
谷元さんはクールに見えて、実は黒田さんのことがとっても好きなんだろうなってあたしは思った。
さりげなくアプローチをかけてみても全然手応えがなかったし。
それでも谷元さんは、あたしをかわいがってはくれたと思う。
でもそれはやっぱり「部下として」で、それ以上でもそれ以下でもない感じがもどかしかった。
これはもう脈なしだなって、さっさと諦められたらよかったのかもしれない。でも無理だった。
あたしの谷元さんへの想いは薄まるどころか日に日に強くなっていって、とうとう抑えられなくなった。
あれは、隣の部署と合同の飲み会だったかな。とにかく大人数の飲み会だった。
でもたしか、黒田さんはいなかったんじゃないかな。来なかった理由は知らないけど。
アルコールが大して得意じゃないあたしは、甘いお酒をたくさん飲んで酔っ払った。
お店にいたときのことはあんまり覚えていないけど、なんだかふわふわして、視界はぼんやり明るくて、とにかく楽しかったって感覚だけが残ってる。
だから飲み会がお開きになって座敷を下りるとき、足下がふらついたのには自分でびっくりした。だって、頭はものすごくはっきりしてたから。
それを支えてくれたのが、たまたまそばにいた谷元だった。
そしてその流れで谷元さんに送ってもらえることになったときは、あたしも正直夢なんじゃないかと思った。
谷元さんはほんとに、あたしが住んでた部屋の真ん前まで送ってくれた。
なのに谷元さんは、あたしの部屋には上がらずにそのまま帰ろうとして──あたしはそれが信じられなかった。だって──だって、ここまできてそのまま帰っちゃうの?って。
その時あたしはたぶんびっくりしていて、ショックでもあって。
自分では全く意識していなかったけど、あたしは気づいたら床の上にぺたりと座り込んだまま、谷元さんの袖をつかんでた。
「帰らないで……行かないで……」
ほとんど無意識にだったけどそうつぶやいた瞬間、あたしの目からは急に涙があふれてきた。滲んでいく視界の真ん中に、谷元さんがぎょっとしているのが見える。
あたしは心のどこか冷静な部分で、そりゃあそうだよね、なんて思った。ただ家まで送り届けただけの部下が、何の脈絡もなく突然泣き出したんだから。
でも谷元さんは、困り果てながらもあたしの目の前にしゃがみ込んで、よしよしと頭をなでてくれた。なんだかいかにも慣れてない感じの、不器用ななで方だったけど。
きっと、黒田さんみたいなしっかりした大人の女性とお付き合いしてる谷元さんには、女の子の頭をなでる機会なんてないんだ。
そう思うと余計に涙が止まらなくなって、あたしは谷元さんのスーツの肩の辺りを、ぐしょぐしょに濡らしてしまった。
「……落ち着いた?」
そっとこちらをのぞき込む谷元さんの声は優しかった。
谷元さんはあたしが泣いている間に、冷蔵庫に入れていたミネラルウォーターを見つけて持ってきてくれた。気の利いたことに、キッチンの水切りかごにあったガラスのコップも一緒に。
今しかない、って思った。
だからあたしは谷元さんの胸にすがりついて言った。
「今夜だけは……一人にしないでください」
でも電車で痴漢に遭っていたところを助けてもらってから、あたしは谷元さんに夢中になった。
助けたのがあたしだと気づいて驚いていたってことは、きっと知らない人だったとしても助けたってことでしょう?
それって、誰にでもできることじゃないと思う。
だからあの日から、あたしの中で谷元さんはヒーローになった。
それからはもう、なんとかして谷元さんとお近づきになりたい一心だった。
上司と部下なんかじゃなくて、もっと親しくなりたかった。近づきたかった。
でもあたしがそう思い始めた時にはすでに、谷元さんには黒田さんっていう恋人がいた。
黒田さんはあたしと一緒で谷元さんの部下の女の人だ。
あたしより三年先輩らしくて、あたしが入社したときには黒田さんが教育係だった。
すらっと背が高くて、てきぱき仕事もできて、いかにもキャリアウーマンって感じの、かっこいい女の人。あたしにはないものをすべて持っているような人。あたしがたとえ逆立ちしたって敵わなそうな人。
そんな人が、谷元さんの恋人だった。
谷元さんはクールに見えて、実は黒田さんのことがとっても好きなんだろうなってあたしは思った。
さりげなくアプローチをかけてみても全然手応えがなかったし。
それでも谷元さんは、あたしをかわいがってはくれたと思う。
でもそれはやっぱり「部下として」で、それ以上でもそれ以下でもない感じがもどかしかった。
これはもう脈なしだなって、さっさと諦められたらよかったのかもしれない。でも無理だった。
あたしの谷元さんへの想いは薄まるどころか日に日に強くなっていって、とうとう抑えられなくなった。
あれは、隣の部署と合同の飲み会だったかな。とにかく大人数の飲み会だった。
でもたしか、黒田さんはいなかったんじゃないかな。来なかった理由は知らないけど。
アルコールが大して得意じゃないあたしは、甘いお酒をたくさん飲んで酔っ払った。
お店にいたときのことはあんまり覚えていないけど、なんだかふわふわして、視界はぼんやり明るくて、とにかく楽しかったって感覚だけが残ってる。
だから飲み会がお開きになって座敷を下りるとき、足下がふらついたのには自分でびっくりした。だって、頭はものすごくはっきりしてたから。
それを支えてくれたのが、たまたまそばにいた谷元だった。
そしてその流れで谷元さんに送ってもらえることになったときは、あたしも正直夢なんじゃないかと思った。
谷元さんはほんとに、あたしが住んでた部屋の真ん前まで送ってくれた。
なのに谷元さんは、あたしの部屋には上がらずにそのまま帰ろうとして──あたしはそれが信じられなかった。だって──だって、ここまできてそのまま帰っちゃうの?って。
その時あたしはたぶんびっくりしていて、ショックでもあって。
自分では全く意識していなかったけど、あたしは気づいたら床の上にぺたりと座り込んだまま、谷元さんの袖をつかんでた。
「帰らないで……行かないで……」
ほとんど無意識にだったけどそうつぶやいた瞬間、あたしの目からは急に涙があふれてきた。滲んでいく視界の真ん中に、谷元さんがぎょっとしているのが見える。
あたしは心のどこか冷静な部分で、そりゃあそうだよね、なんて思った。ただ家まで送り届けただけの部下が、何の脈絡もなく突然泣き出したんだから。
でも谷元さんは、困り果てながらもあたしの目の前にしゃがみ込んで、よしよしと頭をなでてくれた。なんだかいかにも慣れてない感じの、不器用ななで方だったけど。
きっと、黒田さんみたいなしっかりした大人の女性とお付き合いしてる谷元さんには、女の子の頭をなでる機会なんてないんだ。
そう思うと余計に涙が止まらなくなって、あたしは谷元さんのスーツの肩の辺りを、ぐしょぐしょに濡らしてしまった。
「……落ち着いた?」
そっとこちらをのぞき込む谷元さんの声は優しかった。
谷元さんはあたしが泣いている間に、冷蔵庫に入れていたミネラルウォーターを見つけて持ってきてくれた。気の利いたことに、キッチンの水切りかごにあったガラスのコップも一緒に。
今しかない、って思った。
だからあたしは谷元さんの胸にすがりついて言った。
「今夜だけは……一人にしないでください」
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