【完結】つぎの色をさがして

Later Talks ─ 白いユリが咲く

後日談４ 白いユリが咲く（４）

「はああああああ」

背後で扉が閉まった瞬間、私は表情も姿勢もすべて一気に崩して大きく息をついた。

「なんとか……なんとか片付いた……」

言葉が勝手に口から漏れ出していく。
たぶん、極度の緊張や不安、興奮が一気に弛緩し、いろんな感情がない交ぜになったような状態なのだろう。
意識して大きく深呼吸する。

「城井様、どうぞこちらへ……」

やや気遣わし気なスタッフの声で我に返る。
そうだ、まだ何も終わっていないのだ──今はお色直しの時間で、そうゆっくりはしていられない。
私は案内されるままに鏡の前に座った。 
シャンパンまみれになったせいでやや乱れてしまった髪を、メイクさんが手早くほどき整えていく。

（何事もなく平和に終われるはずなんてなかったのかな……）

今更考えても仕方がないのはわかっている。
でも、それでもあの二人を招待したことの是非を考えずにはいられなかった。


私にシャンパンをぶちまけ、夫との不倫を疑い、最終的には手を上げようとした彼女。
そして彼女のその手をつかんで離さなかった谷元──…。

いったいどうして彼女が夫である谷元と私の不倫を疑っていたのかはわからない。
もっと言うなら、本当に疑っていたのかどうかすら。
でも、彼女が私に向かって振り上げた手を谷元が掴んだのを知った時、私は思ったのだ──「よく選んだ」と。

茉莉さんは谷元が、自分より元カノである私を優先したと思ってショックを受けていたけれど、私に言わせれば、谷元が守ったのはどちらかというなら彼女の方だ。
いや、守ったというよりは、やはり選んだのだ。


あの時止めに入ったのは、茉莉さんのことを、彼女がしでかしたこともすべて含めて「引き受ける」という谷元の意志表示だった。
私は彼女よりも長く、より未熟な頃の谷元を見てきた。だから知っているのだ──以前の彼なら、絶対にあそこで手を出すことはしなかったと。あれはあくまで彼女が勝手に犯した奇行だとでも言わんばかりに、傍観していただろうと。

（こんな気持ちになるなんて思わなかったな……）

最低な男だと思っていた。馬鹿で考えなしで自分勝手な奴だと思っていた。
でもそんな彼がここまで変わったのだと思うと、なんだか胸に迫りくるものがある。

前の職場を辞める前、谷元に向かって叫んだことがあったのだ。

その場その場の感情に翻弄されながら生きるのはやめろと。
私を捨てて彼女を選んだなら、その責任を果たせと。
その答えをまさか、こんな形で見せられるとは思っていなかった。
私が残した小さな「楔」を、あの男がここまで使えるなんて思ってもみなかった。

茉莉さんにはきっと、伝わらないだろう。
谷元が紛れもなく彼女を選んだということも、あの時手を掴んだのがその証拠だということも。
仮に私以外の誰かに諭されたとしても、納得できないだろう。
自分の目から見える世界がそれほどまでに揺るぎないのは、とても幸せなことで、同時にとても不幸なことだと思う。


と、背後からノックの音が聞こえてきた。
確認に行ったスタッフとともに入ってきたのは祐一郎さんだ。

「ああ……友里ちゃん、大丈夫？」

気遣わしげな声に、私は笑顔でうなずく。

「ありがとう、私は平気。それよりホールの方は大丈夫？」

決して逃げるように会場をあとにしたつもりはない。
それでもゲストたちの戸惑いは推して知るべしといったところだろう。

「うん。あの司会の──篠山さん？がかなりのやり手っぽくてうまく回してくれてる。お色直しからは予定通りでいけそうだよ」

祐一郎さんの言葉に少しほっとする。
今は私こそ切り替えなければ。式場からも私の中からも、一応嵐は去ったのだから。

「それじゃ、俺も準備してくるよ。あとでね」

そう言って出て行く祐一郎さんを、私は鏡越しに見送った。