【完結】つぎの色をさがして

蒼村 咲

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Later Talks ─ 白いユリが咲く

後日談4 白いユリが咲く(3)

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「──は?」

その口から飛び出した言葉があまりにも突拍子がなくて、私は一瞬言葉を失ってしまった。
意味がわからない。一体何をどう勘違いしたら私が谷元と不倫しているなんて考えに至るのだろう。

一度私を捨てた男と──それも他の女を選ぶために私を捨てた男なんかと関係を持つなんて想像しただけで吐き気がする。私は、私を一番に扱ってくれない男に興味なんてない。
ただ、それを今ここで直接口にしないだけの分別を持ち合わせているというだけだ。

「……不倫だなんて」

冷静さを欠いていると見られないよう、私は極力静かな声で言った。
こういう時、焦って必死に否定するのと一切動じずに切り捨てるのとでは、一体どっちが本当らしく聞こえるのだろうとふと考える。
でも私がどちらを選ぼうと、人は自分が信じたい方しか信じないだろう。
そして人がどちらを信じようと、私の無実が揺らぐことはない。

「まったくの誤解よ。ご主人は、あなたをなんとかして喜ばせようと必死だっただけ。部下だった私に頭を下げてまで頼んできたのが証拠じゃない」

私は優しく言い聞かせるように言った。もちろん、それが彼女の神経を逆なでする可能性を理解した上で。
大事なのは茉莉さんにどう思われるかじゃなく、他のみんなにどう見えるかだから。

それに、谷元は実際に私に頭を下げた。
浮気相手であった茉莉さんと結婚するために別れてくれと頼んできたときに。
だから私は嘘は言っていない。
私は、この場では絶対に嘘をつかない。

茉莉さんと睨み合いながら、私は心の中で誓う。
私から谷元を略奪した身で、私の何がそんなに気に入らないのかわからない。
まさか谷元を奪い返されるなんて恐れているわけじゃないと思うけれど。

でもわざわざ自分を「夫に浮気されるような女」に貶めてまで私を悪者にしようとする──いや、これはもう私だけの問題じゃない。今ここにいる全員を巻き込んで、私たちの式を、人間関係を、そしてこれからのすべてを破壊しようとする精神に寒気がした。
彼女が虚構の矛を向けるなら、私は事実の盾をもって迎えうつ。

「そんなあなた思いのご主人が、不倫なんてしてあなたを傷つけたりするわけないでしょう?」

谷元が本当の意味で潔白ではなかったとしても──たとえば私ではない誰かと実際に不倫していたとしても──それは私には関係のないことだ。
だからこそこんなふうに優しい声を演じることができる。
そこに突然別の声が割り込んできたのは、茉莉さんがグラスを握る手にグッと力を入れた時だった。

「谷元、おまえが悪いんだぞ」

祐一郎さんがどこかからかうような口調で谷元に話しかけたのだ。
完全に修羅場と化してしまったこの場の空気を和ませようとしているらしい。
まるで自ら囮として会場の視線を集めるかのように、祐一郎さんはゆっくりと歩き出した。
新郎新婦席の後ろをぐるりと回り、私のそばもすり抜けていく。

「ほら、こんなかわいい奥さんを不安にさせたんだから」

祐一郎さんが立ち止まったのは茉莉さんの隣だった。
そしてごく自然な手つきでその手を取り、もう片方の手で引っ張ってきた谷元の手に重ねる。
ちょうど会場からは体の陰になって見えなかったはずだが、祐一郎さんがその機を逃さずシャンパングラスを取り上げたのを、私ははっきりと見た。

「俺は、彼女と不倫なんかしてないよ」

谷元が、茉莉さんをまっすぐ見つめて言った。ようやく自ら証言してくれるらしい──「遅い!」と怒鳴りつけたくなるのを何とか堪え、私は成り行きを見守る。
茉莉さんは何も言わなかった。だからこそ誰もが、「人よりちょっとだけヤキモチ焼きな可愛い奥さんの勘違い」──それで丸く収まると思ったに違いない。
でも茉莉さんは、夫の手を振り払ったのだ。

「何よ……!? あなたなんか……あなたなんか!」

茉莉さんが私に向かって手を振り上げる。
こんな細腕の、私より小柄な女の子の平手打ちなんて、普段なら余裕で避けられるはずだった。でも今日はウェディングドレス姿なのだ。特に足元の自由が利かず、俊敏な動きができない。
殴られる──そう思って私はとっさにぎゅっと目をつぶった。

「……?」

恐る恐る目を開けてみると、茉莉さんが振り上げた腕を掴んでいたのは谷元だった。それに気づいた彼女の目に動揺と悲しみが浮かぶ。

「いい加減にしなさい」

静かだがすごみのある声だった。茉莉さんは半ば呆然としたようにその腕を下ろす。

その瞬間、私はああ、と思う。
決してわかりたかったわけじゃない。それでもわかってしまった。
彼女が今、まるで谷元が自分よりも私を選んだかのように感じてしまったことを。
もちろん、止めに入った谷元の判断は正しい。狙い通り頬を打てればいいが(もちろん私にとってはよくはないが)、狙いが外れてティアラに当たったりしたらどちらか、あるいは両方が怪我をしてもおかしくない。
そうでなくても、彼女が私に暴力をふるったというだけで状況は確実に悪化する。

(こうなった以上私も責任をとらなくちゃね……)

もちろん、私にはこんな目に遭ういわれはない──ないと思う。
でもこの二人を、特に彼女を招待するという決定を下したのは私なのだ。だからこそ私が、責任をとらなくてはいけない。その決断を下した身として、この幕を引かなければならない。

「……谷元課長、茉莉さん」

私は静かに呼びかける。とっくに職場をやめた私が谷元を「課長」と呼ぶのもおかしな話かもしれないが、他にしっくりくる呼び名が思いつかなかったのだ。
まさか付き合っていた時のように「亮介」と呼ぶわけにもいかないし、無難なはずの「谷元さん」ではとってつけたような印象が強すぎて、妙に芝居がかって聞こえてしまう。

「祐一郎さんと私は、お二人の結婚式で出会いました。ですのでお二人は、言うなれば私たちのキューピッドなんです」

会場は相変わらず静まり返っている。
私たち四人の文字通り一挙一動に注目が集まっているのだと否応なく実感させられる思いだ。

「そんな、私たち双方にとってとても大切なゲストであるお二人のことは、特に心を込めておもてなしさせていただきたく思っておりました」

勘のいい人なら、次に私が何を言おうとしているかがもうわかってしまったのではないだろうか。
ここで過去形を用いる意味は一つだから。

「……ですが、他のゲストの皆様に、これ以上ご心配をおかけするわけにはいきません。ご多忙の中ご足労いただいたところ大変恐縮ではございますが、お引き取りください」

私は言い終えると、最大限の丁寧さで頭を下げた。
式に呼びつけておきながら追い返すなんて、呼びつけておいて無視するよりもはるかに礼を欠いたことをしているのかもしれない。
いや、それよりこんなふうにでしゃばったのは良くなかっただろうか。幕を引くなんて偉そうなことを考えないで、祐一郎さんに任せて後ろに下がって見ているべきだっただろうか。
私が勝手にやったことなのに、「新婦にだけ頭を下げさせるとはけしからん!」みたいに祐一郎さんの株を落としてしまったらどうしよう……
今更どうしようもないのに、そんな思考が頭の中をぐるぐる回る。それにストップをかけたのは谷元の声だった。

「……二人とも、迷惑をかけて悪かった」

はっとしてゆっくり頭を上げる。そこには悔しそうに唇を噛む茉莉さんと、その手をしっかりと掴んだ谷元がいた。
それを見るとなんだか妙にほっとして、私は自分のそんな感情に少し戸惑う。
谷元は祐一郎さんが申し出た見送りを断って、茉莉さんを連れて重い扉の向こうへ消えた。

「……皆様、大変お騒がせいたしまして申し訳ありませんでした。どうかこのままご歓談をお続けください」

いつのまに手にしていたのか、祐一郎さんがマイクを通して会場に呼び掛けた。
タイミングを合わせて、私も一緒に頭を下げる。

私がゲストだったら、そう簡単に「ご歓談」の続きに戻れるとは思えないけど──そんなことを思いながら。
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