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Later Talks ─ 白いユリが咲く
後日談4 白いユリが咲く(2)
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昨日からホテルの部屋を用意してもらって泊まり込んでいたとはいえ、結婚式当日の忙しさは想像を絶するレベルだった。
最低限の段取りはきっちり頭に入っているはずなのに、少しでも暇ができれば裏に引っ込んで一から確認し直したくなってしまう。
それでも人前では鷹揚に構えているので、きっと参列者にはこの必死さは伝わっていないだろう。
現に、扉の裏で待機している今は本番モードとのギャップが面白くてたまらないらしく、祐一郎さんは必死で笑いをこらえている。
「もう! そんなに笑うことないでしょ!」
囁き声で憤ると、祐一郎さんは「ごめんごめん」と笑ってすぐに表情を引き締めた。
その真剣な横顔があまりに様になっていて、私はつい見とれてしまう。
(本当に……本当に、この人がいてくれてよかった)
この扉の向こうは、私が地獄を見たのと同じ「披露宴会場」だ。もちろん、谷元夫妻とは別の会場だけれど。
でもあの地獄から私をすくい上げてくれたこの王子様と一緒なら、地獄だって何だって、きっと私は越えていける。
「まもなくです。ご準備ください」
スーツに身を包んだ式場の女性スタッフが私たちに囁きかけた。
私は隣に立つ祐一郎さんと視線を交わしうなずき合う。
そして正面に向き直った瞬間、披露宴会場へと続く扉がゆっくりと開き、私たちを光の波が包み込んだ。
「……大丈夫? 疲れてない?」
会場の意識が司会の女性に向いている間に、祐一郎さんがこっそりと訊いてきた。
「うん、大丈夫。っていうか、疲れる余裕すらない」
私が軽く笑いながら答えると、祐一郎さんはほっとしたように微笑んだ。
「……それでは、皆様しばしご歓談をお楽しみください」
司会の女性のその言葉を合図に、私はすっと背筋を伸ばした。
私たちの結婚を祝いに来てくれた人たちに感謝を伝える時間だ。
祐一郎さんの知り合い、私の知り合い、立ち替わり入れ替わりいろんな人が祝福の言葉をかけに来てくれる。
握手をしたり一緒に写真を撮ったり、私の学生時代からの女友達とはハグもした。
あの二人がこちらにやってきたのは、そんな祝福の波がやや落ち着きかけた頃だった。
テーブルに人に、あれこれ障害物をよけながら向かってくる元交際相手とその浮気相手を、私は一体どんな顔で迎えればいいのだろう。
と、そんなとき、テーブルの下で私と祐一郎さんの手が触れた。
あっと思った瞬間、私の手は祐一郎さんの手にきゅっと包まれる。まるで「大丈夫だよ」と言って勇気づけてくれるように、安心させてくれるように。
(……大丈夫!)
そう信じることができた私の顔には、自然と微笑みが浮かんでいた。
「城井、黒田さん、おめでとう」
谷元はそう言って、憎たらしいほど如才なく私たちに笑いかけた。本当に、外面の良さだけはさすがだと思う。
一方、茉莉さんはそんな夫とは対照的に仏頂面だったが、それでもぺこりと会釈してはくれた。
「黒田さん、ご結婚おめでとうございます」
そう言った茉莉さんの声は驚くほどに硬くて、私は思わずその顔を凝視してしまう。
でもまずはお礼を、と口を開きかけたときだった。
「……なんて、言うと思った?」
そう言われてはっと気づく──これは「硬い」のではなく「冷たい」のだ。それこそこちらが軽くぞっとするくらいに。
「あなたに……あなたにはこんな純白のドレスを着て、幸せな結婚をする資格なんてないんだから!」
茉莉さんの金切り声に、それまで賑やかだった会場が水を打ったように静まりかえった。ナイフやフォークがお皿に当たる音すらしない。
私も、彼女の突然の豹変につい固まってしまった。一体何を言い出したのだろう。
さすがの谷元も驚いたのかうろたえている。
「津──茉莉さん?」
以前からの癖で旧姓で呼びかけそうになったのを慌てて言い直す。
けれど彼女はその呼びかけには答えずに、新郎新婦席のテーブルに置いてあったシャンパングラスをつかんで中身をぶちまけた──そう、新婦である私に向かって。
「──っ!」
反射的に目をつぶったために目には入らなかったが、私は頭からもろにシャンパンを浴びてしまった。
乾杯のとき口をつける程度にしか飲まなかったせいで、グラスにはそれなりの量が残っていたのだ。
「友里ちゃん!」
祐一郎さんがとっさに、自分のナプキンで顔や髪を拭ってくれる。
事態に気づいた式場の女性スタッフも駆けつけ、ドレスにかかった分は彼女が拭き取ってくれた。
「……何のつもり?」
私は立ち上がり、まだグラスを握り締めたままの茉莉さんと正対する。
結婚式は、決して私の晴れ舞台なんかじゃない。私に──私たちに関わってくれた人や、これからも関わっていく人たちに感謝し挨拶するための場だ。
それを自らぶち壊しにきたのなら、それ相応の覚悟があるのだろう。あってもらわなくちゃ困る。
茉莉さんのしたことは、私にもだけど、それ以上に私のためにここへ来てくれた人たちの顔に泥を塗るような行為なのだから。
「『幸せな結婚をする資格なんてない』って、それをあなたが言うの? 私から恋人を奪ってそのまま結婚してしまったようなあなたが?」
会場がかすかにざわめく。
とにかく声を荒げたら負けだと──茉莉さんが叫んでいるからなおさらだ──半ば意地で冷静な声を保っているのだが、それでも静まり返った会場には十分届いてしまうらしい。
「茉莉、ほら──」
谷元が茉莉さんをなだめようとその肩に手を伸ばしたが、彼女はそれを乱暴に振り払った。夫であろうと邪魔はさせないつもりのようだ。
それから彼女はキッとこちらを睨みつけ、吐き捨てるように言った。
「私知ってるんだから……あなたが私の夫と不倫してること!」
最低限の段取りはきっちり頭に入っているはずなのに、少しでも暇ができれば裏に引っ込んで一から確認し直したくなってしまう。
それでも人前では鷹揚に構えているので、きっと参列者にはこの必死さは伝わっていないだろう。
現に、扉の裏で待機している今は本番モードとのギャップが面白くてたまらないらしく、祐一郎さんは必死で笑いをこらえている。
「もう! そんなに笑うことないでしょ!」
囁き声で憤ると、祐一郎さんは「ごめんごめん」と笑ってすぐに表情を引き締めた。
その真剣な横顔があまりに様になっていて、私はつい見とれてしまう。
(本当に……本当に、この人がいてくれてよかった)
この扉の向こうは、私が地獄を見たのと同じ「披露宴会場」だ。もちろん、谷元夫妻とは別の会場だけれど。
でもあの地獄から私をすくい上げてくれたこの王子様と一緒なら、地獄だって何だって、きっと私は越えていける。
「まもなくです。ご準備ください」
スーツに身を包んだ式場の女性スタッフが私たちに囁きかけた。
私は隣に立つ祐一郎さんと視線を交わしうなずき合う。
そして正面に向き直った瞬間、披露宴会場へと続く扉がゆっくりと開き、私たちを光の波が包み込んだ。
「……大丈夫? 疲れてない?」
会場の意識が司会の女性に向いている間に、祐一郎さんがこっそりと訊いてきた。
「うん、大丈夫。っていうか、疲れる余裕すらない」
私が軽く笑いながら答えると、祐一郎さんはほっとしたように微笑んだ。
「……それでは、皆様しばしご歓談をお楽しみください」
司会の女性のその言葉を合図に、私はすっと背筋を伸ばした。
私たちの結婚を祝いに来てくれた人たちに感謝を伝える時間だ。
祐一郎さんの知り合い、私の知り合い、立ち替わり入れ替わりいろんな人が祝福の言葉をかけに来てくれる。
握手をしたり一緒に写真を撮ったり、私の学生時代からの女友達とはハグもした。
あの二人がこちらにやってきたのは、そんな祝福の波がやや落ち着きかけた頃だった。
テーブルに人に、あれこれ障害物をよけながら向かってくる元交際相手とその浮気相手を、私は一体どんな顔で迎えればいいのだろう。
と、そんなとき、テーブルの下で私と祐一郎さんの手が触れた。
あっと思った瞬間、私の手は祐一郎さんの手にきゅっと包まれる。まるで「大丈夫だよ」と言って勇気づけてくれるように、安心させてくれるように。
(……大丈夫!)
そう信じることができた私の顔には、自然と微笑みが浮かんでいた。
「城井、黒田さん、おめでとう」
谷元はそう言って、憎たらしいほど如才なく私たちに笑いかけた。本当に、外面の良さだけはさすがだと思う。
一方、茉莉さんはそんな夫とは対照的に仏頂面だったが、それでもぺこりと会釈してはくれた。
「黒田さん、ご結婚おめでとうございます」
そう言った茉莉さんの声は驚くほどに硬くて、私は思わずその顔を凝視してしまう。
でもまずはお礼を、と口を開きかけたときだった。
「……なんて、言うと思った?」
そう言われてはっと気づく──これは「硬い」のではなく「冷たい」のだ。それこそこちらが軽くぞっとするくらいに。
「あなたに……あなたにはこんな純白のドレスを着て、幸せな結婚をする資格なんてないんだから!」
茉莉さんの金切り声に、それまで賑やかだった会場が水を打ったように静まりかえった。ナイフやフォークがお皿に当たる音すらしない。
私も、彼女の突然の豹変につい固まってしまった。一体何を言い出したのだろう。
さすがの谷元も驚いたのかうろたえている。
「津──茉莉さん?」
以前からの癖で旧姓で呼びかけそうになったのを慌てて言い直す。
けれど彼女はその呼びかけには答えずに、新郎新婦席のテーブルに置いてあったシャンパングラスをつかんで中身をぶちまけた──そう、新婦である私に向かって。
「──っ!」
反射的に目をつぶったために目には入らなかったが、私は頭からもろにシャンパンを浴びてしまった。
乾杯のとき口をつける程度にしか飲まなかったせいで、グラスにはそれなりの量が残っていたのだ。
「友里ちゃん!」
祐一郎さんがとっさに、自分のナプキンで顔や髪を拭ってくれる。
事態に気づいた式場の女性スタッフも駆けつけ、ドレスにかかった分は彼女が拭き取ってくれた。
「……何のつもり?」
私は立ち上がり、まだグラスを握り締めたままの茉莉さんと正対する。
結婚式は、決して私の晴れ舞台なんかじゃない。私に──私たちに関わってくれた人や、これからも関わっていく人たちに感謝し挨拶するための場だ。
それを自らぶち壊しにきたのなら、それ相応の覚悟があるのだろう。あってもらわなくちゃ困る。
茉莉さんのしたことは、私にもだけど、それ以上に私のためにここへ来てくれた人たちの顔に泥を塗るような行為なのだから。
「『幸せな結婚をする資格なんてない』って、それをあなたが言うの? 私から恋人を奪ってそのまま結婚してしまったようなあなたが?」
会場がかすかにざわめく。
とにかく声を荒げたら負けだと──茉莉さんが叫んでいるからなおさらだ──半ば意地で冷静な声を保っているのだが、それでも静まり返った会場には十分届いてしまうらしい。
「茉莉、ほら──」
谷元が茉莉さんをなだめようとその肩に手を伸ばしたが、彼女はそれを乱暴に振り払った。夫であろうと邪魔はさせないつもりのようだ。
それから彼女はキッとこちらを睨みつけ、吐き捨てるように言った。
「私知ってるんだから……あなたが私の夫と不倫してること!」
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