【完結】つぎの色をさがして

蒼村 咲

文字の大きさ
上 下
7 / 33
Later Talks ─ 白いユリが咲く

後日談1 小さな楔

しおりを挟む
「──はあ!? 間違いだった!?」

相手が「上司」であることも忘れ、思わず叫んでしまった。

「まったくだよ。信じられん」

そう言って谷元課長──私の元恋人はコーヒーをすすった。
信じられないのはこっちだ。
この男は浮気相手の妊娠を理由に私を捨てたのだ──なのにその妊娠が「間違い」だったなんて。

「そんなことあるわけないでしょう」

大昔ならいざ知らず、今の日本の医療レベルで妊娠の誤診が下されるとは考えられない。

「嘘に決まってる」

私はつぶやくように言った。

「俺がそんな嘘ついてどうなるんだよ」

小声だったのにしっかり聞こえていたようで、彼は呆れたようにこちらを見た。

「どうなるって……」

どうやら正しく伝わらなかったらしい。
私は「そんなの彼女が最初から意図的についた嘘に決まっている」という意味で言ったのだけれど、この男にそういう発想はないのだろう。つくづく幸せなやつだと思う。
そして私はその誤解を解いてあげるほど親切ではない。

「で? いつ『間違い』ってわかったの?」

今、休憩室には私たちしかいない。
聞きとがめる人もいないので、私は口調を改めずに訊いた。

「……式のひと月前」

そう答えた彼の表情は苦い。
なるほど。さすがにそのタイミングでは後戻りできないだろう。
彼女はその辺りもすべて計算のうえで計画したに違いない。
私は自分から訊いておきながら「ふうん」と気のない返事をした。

「今更言ってもしょうがないけどさ、あんなことがなかったら俺──」

「──はいそこまで」

私は鋭くその言葉を遮った。
何を言おうとしたのかはだいたい想像がつく。決して口にすべきではない言葉だ──この男にとっても、私にとっても。

この男は彼女の嘘──彼自身の言葉を尊重するなら「間違い」だが──に振り回された自分を被害者だと思っているのかもしれない。
でもその嘘を見抜けなかった時点で彼にも非があるのだ。
それはつまり、ということなのだから。
だからもちろん、同情の余地なんて猫の額ほどもないと私は思っている──けれど。

なんだかんだ言って、この男は幸せ者なのだ。
そんなリスキーな嘘をついてまで手に入れたいと思ってくれる人がいたのだから。

「聞けよ。俺はほんとにお前が──」

本当に懲りないやつだ──そう思って私は手に持っていたファイルを思いっきり机にたたきつけた。
バシッと予想以上に大きな音が響き、さすがの彼も口をつぐんでいる。

どうしてわからないのだろう。
今更何を言ったって無駄だし、どんなに真剣に言葉を紡いだところでただの自己満足でしかない。
そんな自己満足、聞きたくもない。

「心の中で何を思おうが自由です。でも後先考えずに口にするのはいけません。いったいいつまでそうやって、その場の感情に振り回されながら生きてるつもりですか」

やはり付き合っていた頃を彷彿とさせる喋り方は良くなかった──そんな反省のもと、私は冷たく言い放つ。

「軽々しく『責任』なんて口にするばっかじゃなくて、負うべき責任をちゃんと負ってください。片方を捨てて、片方を選んだ責任を果たしてください」

なんだか悲しくなってきた。
過去のことはもうどうだっていいから、少なくとも今の私に「なんでこんなやつと付き合ってたんだろう」なんて思わせないでほしい。

「……目障りな人間ももういなくなるんですから」

「どういう意味だよ」

それまで半ば呆気に取られていたようだった彼が、その言葉にはすぐ反応した。

「……私、今月いっぱいで退職するんですよ」

私は表情を変えずに淡々と答える。
と、彼の顔色が変わった。

「退職!? 聞いてないぞ」

部長をはじめ、上の人間はとっくに知っていることだ。
直属の上司であるこの男に一切相談も報告もしなかったのは、ちょっとした意地だったかも知れない。
でも例によって、気づかない方がおかしいのだ。
私がもともと担当していた仕事が少しずつ別の社員に移行しているのに、何も思わないなんてどうかしている。

とはいえ、課内の社員たちが結託して知らせなかったのも事実だろう。
そう思うと可笑しかった。
たぶん、進藤さんが暗躍したんだろうなという気がする。
今度豪華な菓子折りでも持っていこう。

「いいじゃないですか。二兎を追って一兎は得たわけですし」

きっと世間一般的にはより価値のある方の一兎だ。もちろん、そんな内心は顔に出したりしないけれど。

私は立ち上がり、廊下へと続くドアに向かった。
そしてドアのすぐ手前で振り返る。

「幸せになってね──亮介」

「──!」

彼の目が大きく見開かれた。
私は少し悲し気な笑顔を張り付けたまま、休憩室を後にする。

これは小さな、本当に小さな楔だ。
私からのほんの些細な置き土産。

彼は知っているだろうか──楔には二つの、まるで正反対の使い方があることを。
そう、楔はものを真っ二つに割るためにも、そして二つのものをしっかりつなぎとめるためにも使われるのだ。
私が残した楔を、彼は有効に使えるだろうか。
それとも──…。

私はそこで考えるのをやめ、まもなくお別れすることになるマイデスクに戻った。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

国宝級イケメンと言われても普通に恋する男性ですから

はなたろう
恋愛
国民的人気アイドル、dulcis〈ドゥルキス〉のメンバーのコウキは、多忙な毎日を送っていた。息抜きにと訪れた植物園。そこでスタッフのひとりに恋に落ちた。その、最初の出会いの物語。 別作品「国宝級イケメンとのキスは最上級に甘いドルチェみたいに、私をとろけさせます」の番外編です。よければ本編もお読みください(^^) 関連作品「美容系男子と秘密の診療室をのぞいた日から私の運命が変わりました」こちらも、よろしくお願いいたします(^^)

小さな恋のトライアングル

葉月 まい
恋愛
OL × 課長 × 保育園児 わちゃわちゃ・ラブラブ・バチバチの三角関係 人づき合いが苦手な真美は ある日近所の保育園から 男の子と手を繋いで現れた課長を見かけ 親子だと勘違いする 小さな男の子、岳を中心に 三人のちょっと不思議で ほんわか温かい 恋の三角関係が始まった *✻:::✻*✻:::✻* 登場人物 *✻:::✻*✻:::✻* 望月 真美(25歳)… ITソリューション課 OL 五十嵐 潤(29歳)… ITソリューション課 課長 五十嵐 岳(4歳)… 潤の甥

手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】

まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と… 「Ninagawa Queen's Hotel」 若きホテル王 蜷川朱鷺  妹     蜷川美鳥 人気美容家 佐井友理奈 「オークワイナリー」 国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介 血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…? 華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。

恋した悪役令嬢は余命一年でした

葉方萌生
恋愛
イーギス国で暮らすハーマス公爵は、出来の良い2歳年下の弟に劣等感を抱きつつ、王位継承者として日々勉学に励んでいる。 そんな彼の元に突如現れたブロンズ色の髪の毛をしたルミ。彼女は隣国で悪役令嬢として名を馳せていたのだが、どうも噂に聞く彼女とは様子が違っていて……!?

夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心 バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴 そんな二人が、 高校の同窓会の幹事をすることに… 意思疎通は上手くいくのか? ちゃんと幹事は出来るのか? まさか、恋に発展なんて… しないですよね?…あれ? 思わぬ二人の恋の行方は?? *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻ 高校の同窓会の幹事をすることになった 心と昴。 8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに いつしか二人は距離を縮めていく…。 高校時代は 決して交わることのなかった二人。 ぎこちなく、でも少しずつ お互いを想い始め… ☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆ 久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員 Kuzumi Kokoro 伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン Ibuki Subaru

崖っぷち令嬢の生き残り術

甘寧
恋愛
「婚約破棄ですか…構いませんよ?子種だけ頂けたらね」 主人公であるリディアは両親亡き後、子爵家当主としてある日、いわく付きの土地を引き継いだ。 その土地に住まう精霊、レウルェに契約という名の呪いをかけられ、三年の内に子供を成さねばならなくなった。 ある満月の夜、契約印の力で発情状態のリディアの前に、不審な男が飛び込んできた。背に腹はかえられないと、リディアは目の前の男に縋りついた。 知らぬ男と一夜を共にしたが、反省はしても後悔はない。 清々しい気持ちで朝を迎えたリディアだったが……契約印が消えてない!? 困惑するリディア。更に困惑する事態が訪れて……

アンコール マリアージュ

葉月 まい
恋愛
理想の恋って、ありますか? ファーストキスは、どんな場所で? プロポーズのシチュエーションは? ウェディングドレスはどんなものを? 誰よりも理想を思い描き、 いつの日かやってくる結婚式を夢見ていたのに、 ある日いきなり全てを奪われてしまい… そこから始まる恋の行方とは? そして本当の恋とはいったい? 古風な女の子の、泣き笑いの恋物語が始まります。 ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ 恋に恋する純情な真菜は、 会ったばかりの見ず知らずの相手と 結婚式を挙げるはめに… 夢に描いていたファーストキス 人生でたった一度の結婚式 憧れていたウェディングドレス 全ての理想を奪われて、落ち込む真菜に 果たして本当の恋はやってくるのか?

続編  夕焼けの展望台に罪はない

仏白目
恋愛
 夕焼けの展望台でプロポーズすると幸せになれるんだって! の続編 離婚して半年 傷心のミランダはコッペンデール王国から離れ、故郷のメメント王国に帰り1人暮らしをしている いまだに心の中にある虚しさを誤魔化す為に仕事に没頭していた そんな時、ある町の薬師の手伝いを依頼されたミランダは同僚の薬師と3人で訪れる事になる そこでもコッペンデールの夕焼けの展望台のプロポーズは若者達の噂になっていて・・・

処理中です...