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Main Story ─ 次の色をさがして
最終話 つぎの色をさがして
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ホテルのロビーは人もまばらで、私はその温度差に中てられたようにその場にしゃがみ込んだ。
大丈夫、動悸はまだ激しいけれど、吐き気は治まってきている。
私はそのままゆっくりと深呼吸した。
にしても、一体どうしたというのだろう。
今更ショックを受けることも動揺することもないはずなのに。
私を捨てた男との結婚なんて、羨むべくもないのに。
私はそっと壁に手をついて立ち上がる。
本物の急病人でもないのに、ホテルスタッフの手を煩わせたくはない。
と、その時だった。
「──大丈夫ですか?」
隣から控えめな声がした。
ぱっと振り向くと礼服姿の男性が立っている。
「あっ、はい。大丈夫です。すみません……あ」
その顔にはなんとなく見覚えがあった。
確か新郎側の参列者だった気がする。
「顔色が優れませんね……」
そう言って彼は心配そうにこちらをのぞき込む。
そして辺りを見渡したかと思うと、私の背後を指して言った。
「あちらにソファがあります。少し休みましょう」
スマートな所作だった。
「新郎友人の城井祐一郎です。たしか、職場関係者の席にいらっしゃいましたよね?」
彼──城井さんの言葉に私はうなずく。
「新郎の部下で新婦の先輩にあたります、黒田友里です」
私たちはお互いソファに腰かけたまま軽く会釈した。
「あの、どうして外へ……?」
お手洗いなのか喫煙室なのかわからないが、目的があって出てきたところに私と出くわしてしまったのだろう。
けれど彼は少し困ったような表情になる。
「……いえ。ただあなたの……様子がおかしかった気がして」
「私……ですか?」
思わず目を瞬きながら訊き返してしまった。
様子がおかしかっただろうことは否定しようもない。
けれどほとんど見ず知らずの私を心配してわざわざ追いかけてきてくれたというのだろうか。
「気のせいだったらすみません。何か結婚式に辛い思い出でもあるのかな、と勝手に思いまして」
「……!」
とっさに言葉が出てこなかった。
原因は「結婚式」ではない。けれどこの人はきっとわかって、あえてそう言ったのだという気がする。
話すかどうかを私が選べるように。
「……元カノなんです。私、新郎の」
気付けば私はそう口にしていた。
城井さんは驚く様子もなく聞いている。なんとなく察しはついていたのかもしれない。
「先々月に突然、妊娠した彼女と結婚するから別れてくれ、なんて言われて」
我ながら悲惨だ。ついため息がこぼれそうになる。
「じゃああの茉莉さん、妊娠中なんですか」
城井さんは特に興味を惹かれたふうでもなく言った。
「お腹が目立たないデザインのドレスを探したそうですよ」
私も気のない返事を返す。それなら結婚式なんてしなければいいのにと思いながら。
「別に捨てられるのは仕方ないですけど、そのうえで結婚式には必ず来い、なんて──あ、ごめんなさいご友人の方なのに」
つい愚痴っぽくなってしまった。
新郎友人にすべき話じゃなかったな、と私は一人反省する。
「……つまり元カレと、破局の原因になった浮気相手の結婚式に、職場関係者として半ば強制的に参列させられたってことですか。それはひどい」
ひどいと言いながら、城井さんは笑っている。
いや、笑ってくれる方がいいのだけれど。とんでもない地雷を踏んでしまったな、みたいな顔をされるくらいなら。
「谷元の肩を持つつもりはありませんが、彼は女の子を妊娠させるようなへまを──失礼、言い方が良くありませんでした──とにかく、そういうことをやるタイプではないですよ。少なくとも僕の知る彼は」
城井さんの言葉に、私は曖昧にうなずく。そこに異存はなかった。
……ん?
ということはつまりこの人が言いたいのは──…。
「……ところで、茉莉さんの名前の字、ジャスミンの和名ってご存知でした?」
急に話が変わり、私は目を瞬いた。
「いえ、初めて知りました」
海外ならJasmineに相当する名前ということだろうか。
「ジャスミンには、〈あなたは私のもの〉という花言葉もあるんです。ぴったりでしょう」
やはり、仕掛けたのは津山さんの方だと言いたいらしい。
が、どう返事すればいいのか。
「花言葉……お詳しいんですか?」
結局、肯定も否定もできずに逃げてしまった。
けれど彼は気分を害した様子もなく、「実家が花屋なんですよ」と微笑んだ。
「黒田友里さん、とおっしゃるんですよね。クロユリという植物があるのはご存知ですか?」
私は首を振る。
そういえば学生時代、そんなニックネームで呼ばれていたことがあった。
戸松友梨という同級生がいたために「とまゆり」「くろゆり」と呼び分けられていたのだ。
「クロユリの花言葉、何だと思います?」
城井さんの目がきらりと光った。
けれど今知ったばかりの植物の花言葉なんてあてられるわけがない。
私は正直に「わかりません」と答えた。
「〈復讐〉──なんですよ」
「え……」
とんでもない花言葉じゃないか!
私が何も言えずに固まっていると、城井さんはふっといたずらっぽく笑った。
「典型的な略奪愛でしょう。復讐を企てたっておかしくないくらいの」
ふつうそれを本人に向かって言うだろうか。
思わず閉口してしまった。
「でもあなたは復讐に目が眩むことなく、二人を祝福するためにやってきた。立派です」
果たしてこれは褒められているのだろうか。
「いかがでしょう。新しく始めてみませんか? クロユリのもうひとつの花言葉」
その言葉に私は首を傾げる──もうひとつの花言葉?
「〈恋〉、ですね」
そう言って城井さんは微笑んだ。
「え、それって……」
「それに、あなた自身のユリの花は、復讐の黒には染まらなかった……ならきっと、新たな色を求めていると思いませんか?」
すっと立ち上がった彼の姿を私は目で追う。
「新たな……色?」
ユリが、黒ではない色を求めている、ということは……?
「参考までに、『しろい』ユリの花言葉は〈純潔〉です」
彼は私の正面に向き直ると、そっと片膝をつき手を差し出した──まるで王子様のように。
「ずいぶんと大胆なお誘いですね」
大胆で、でもなかなかに気の利いた洒落だ。
ついふっと笑いが漏れる。
「お気に召しませんでしたか?」
王子様はそんな心配、つゆほどもしていないに違いない。表情を見ればわかる。
「……内緒です」
私はいたずらっぽく微笑み、その手を取った。
大丈夫、動悸はまだ激しいけれど、吐き気は治まってきている。
私はそのままゆっくりと深呼吸した。
にしても、一体どうしたというのだろう。
今更ショックを受けることも動揺することもないはずなのに。
私を捨てた男との結婚なんて、羨むべくもないのに。
私はそっと壁に手をついて立ち上がる。
本物の急病人でもないのに、ホテルスタッフの手を煩わせたくはない。
と、その時だった。
「──大丈夫ですか?」
隣から控えめな声がした。
ぱっと振り向くと礼服姿の男性が立っている。
「あっ、はい。大丈夫です。すみません……あ」
その顔にはなんとなく見覚えがあった。
確か新郎側の参列者だった気がする。
「顔色が優れませんね……」
そう言って彼は心配そうにこちらをのぞき込む。
そして辺りを見渡したかと思うと、私の背後を指して言った。
「あちらにソファがあります。少し休みましょう」
スマートな所作だった。
「新郎友人の城井祐一郎です。たしか、職場関係者の席にいらっしゃいましたよね?」
彼──城井さんの言葉に私はうなずく。
「新郎の部下で新婦の先輩にあたります、黒田友里です」
私たちはお互いソファに腰かけたまま軽く会釈した。
「あの、どうして外へ……?」
お手洗いなのか喫煙室なのかわからないが、目的があって出てきたところに私と出くわしてしまったのだろう。
けれど彼は少し困ったような表情になる。
「……いえ。ただあなたの……様子がおかしかった気がして」
「私……ですか?」
思わず目を瞬きながら訊き返してしまった。
様子がおかしかっただろうことは否定しようもない。
けれどほとんど見ず知らずの私を心配してわざわざ追いかけてきてくれたというのだろうか。
「気のせいだったらすみません。何か結婚式に辛い思い出でもあるのかな、と勝手に思いまして」
「……!」
とっさに言葉が出てこなかった。
原因は「結婚式」ではない。けれどこの人はきっとわかって、あえてそう言ったのだという気がする。
話すかどうかを私が選べるように。
「……元カノなんです。私、新郎の」
気付けば私はそう口にしていた。
城井さんは驚く様子もなく聞いている。なんとなく察しはついていたのかもしれない。
「先々月に突然、妊娠した彼女と結婚するから別れてくれ、なんて言われて」
我ながら悲惨だ。ついため息がこぼれそうになる。
「じゃああの茉莉さん、妊娠中なんですか」
城井さんは特に興味を惹かれたふうでもなく言った。
「お腹が目立たないデザインのドレスを探したそうですよ」
私も気のない返事を返す。それなら結婚式なんてしなければいいのにと思いながら。
「別に捨てられるのは仕方ないですけど、そのうえで結婚式には必ず来い、なんて──あ、ごめんなさいご友人の方なのに」
つい愚痴っぽくなってしまった。
新郎友人にすべき話じゃなかったな、と私は一人反省する。
「……つまり元カレと、破局の原因になった浮気相手の結婚式に、職場関係者として半ば強制的に参列させられたってことですか。それはひどい」
ひどいと言いながら、城井さんは笑っている。
いや、笑ってくれる方がいいのだけれど。とんでもない地雷を踏んでしまったな、みたいな顔をされるくらいなら。
「谷元の肩を持つつもりはありませんが、彼は女の子を妊娠させるようなへまを──失礼、言い方が良くありませんでした──とにかく、そういうことをやるタイプではないですよ。少なくとも僕の知る彼は」
城井さんの言葉に、私は曖昧にうなずく。そこに異存はなかった。
……ん?
ということはつまりこの人が言いたいのは──…。
「……ところで、茉莉さんの名前の字、ジャスミンの和名ってご存知でした?」
急に話が変わり、私は目を瞬いた。
「いえ、初めて知りました」
海外ならJasmineに相当する名前ということだろうか。
「ジャスミンには、〈あなたは私のもの〉という花言葉もあるんです。ぴったりでしょう」
やはり、仕掛けたのは津山さんの方だと言いたいらしい。
が、どう返事すればいいのか。
「花言葉……お詳しいんですか?」
結局、肯定も否定もできずに逃げてしまった。
けれど彼は気分を害した様子もなく、「実家が花屋なんですよ」と微笑んだ。
「黒田友里さん、とおっしゃるんですよね。クロユリという植物があるのはご存知ですか?」
私は首を振る。
そういえば学生時代、そんなニックネームで呼ばれていたことがあった。
戸松友梨という同級生がいたために「とまゆり」「くろゆり」と呼び分けられていたのだ。
「クロユリの花言葉、何だと思います?」
城井さんの目がきらりと光った。
けれど今知ったばかりの植物の花言葉なんてあてられるわけがない。
私は正直に「わかりません」と答えた。
「〈復讐〉──なんですよ」
「え……」
とんでもない花言葉じゃないか!
私が何も言えずに固まっていると、城井さんはふっといたずらっぽく笑った。
「典型的な略奪愛でしょう。復讐を企てたっておかしくないくらいの」
ふつうそれを本人に向かって言うだろうか。
思わず閉口してしまった。
「でもあなたは復讐に目が眩むことなく、二人を祝福するためにやってきた。立派です」
果たしてこれは褒められているのだろうか。
「いかがでしょう。新しく始めてみませんか? クロユリのもうひとつの花言葉」
その言葉に私は首を傾げる──もうひとつの花言葉?
「〈恋〉、ですね」
そう言って城井さんは微笑んだ。
「え、それって……」
「それに、あなた自身のユリの花は、復讐の黒には染まらなかった……ならきっと、新たな色を求めていると思いませんか?」
すっと立ち上がった彼の姿を私は目で追う。
「新たな……色?」
ユリが、黒ではない色を求めている、ということは……?
「参考までに、『しろい』ユリの花言葉は〈純潔〉です」
彼は私の正面に向き直ると、そっと片膝をつき手を差し出した──まるで王子様のように。
「ずいぶんと大胆なお誘いですね」
大胆で、でもなかなかに気の利いた洒落だ。
ついふっと笑いが漏れる。
「お気に召しませんでしたか?」
王子様はそんな心配、つゆほどもしていないに違いない。表情を見ればわかる。
「……内緒です」
私はいたずらっぽく微笑み、その手を取った。
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