19 / 26
選んだ道を
第4話 紅茶の香り
しおりを挟む
結局五千円に上る料金を支払い、私たちはタクシーを降りた。
幸いにも私の足腰はちゃんと回復し、立つことも歩くこともできるようになっている。
私たちは近くのコンビニで買い物を済ませ、松本さんのマンションへと向かった。
松本さん曰く、主に単身者向けの小ぶりなマンションらしい。
着いてみるとそこはまだ新しい、モダンな建物だった。
「すみません、こんな予定ではなかったのであまりきれいではないですが……」
松本さんが、少しばつの悪そうな顔で振り返りながら言った。
「いえ、そんな、無理を言ってお邪魔させていただくのはこちらですから」
私はとんでもない、と手を振る。
そして案内された部屋は十分きれいに片付けられていた。
脱ぎ捨てられた服が散乱しているわけでもないし、ごみ箱があふれているわけでもない。
せいぜい床に何冊か本や新聞が置きっぱなしになっている程度だ。
「どうぞ、狭いところですが適当に座ってください」
そう言って奥の部屋(1LDKらしいので、おそらく寝室だろう)に向かう松本さんに、私は「すみません、おじゃまします」と答えた。
とりあえず、壁に近いところに腰を下ろす。
おそるおそるカバンの中のスマホを見てみたけれど、通知はメルマガのみだった。
不満なような、ほっとするような、あるいは拍子抜けするような、なんだか複雑な気分になる。
と、松本さんが戻ってきた。スーツを脱ぎ、ラフな格好に着替えている。
「ちょっと待っててくださいね」
そう言って松本さんは、電気ポットの電源を入れた。
そしてその間に、先ほどの本や新聞をまとめて窓際に押しやっている。
私は見るともなしにそれを眺めていた。
と、カチッと音を立ててポットの電源が切れる。
しばらくキッチン部分で作業をしていたかと思うと、松本さんは紅茶を淹れたマグカップを持ってきてくれた。
「すみません、気の利いたカップなんかがなくて。男の一人暮らしなもので」
私は首を振る。
お礼を言って受け取ると、紅茶の香りがふわりと漂った。
松本さんがどうぞ、と指すので、私はローテーブルの方に少し寄った。
見ればティーバッグ用の小皿も用意してもらっている。
ちょうどいい色合いになったので、私はティーバッグを抜き、いただきます、と断って紅茶を口に含んだ。
癖のないダージリンだった。
心で張りつめていた糸がふっと緩む感じがする。
見れば松本さんも似たようなマグカップで紅茶を飲んでいた。
目が合うと、彼はふっと真面目な顔になる。
「和泉さん、今日のことですが──」
松本さんの言葉に、私は居住まいを正した。
「まずは、いろいろと失礼を犯しすみませんでした」
そう言って頭を下げるので、私はうろたえた。
危ないところを助けてもらい、散々迷惑をかけているのは私の方だ。
「え、そんな、失礼なんて何も」
私が言うと、松本さんは首を振った。
「結果的にあなたを助けることになったとはいえ、プライベートな会話を盗み聞きしていましたし」
そして少し言いにくそうに続けた。
「その上、馴れ馴れしく名前で呼んだりもしました……」
言いながら、気まずそうに目をそらす。
私は文字通りぽかんと口を開けた。
「そんなこと……」
今日あったことを思えば、そんなのは些細なことだった。
というか、別に下の名前で呼ぶことくらい、私にとっては失礼でもなんでもない。
と、その時のお礼をまだ一言も伝えていないことに気づく。
「あの時は助けてくださって、ありがとうございました」
私は頭を下げたが、いいのだ、というように軽く手で制された。
「あの男性は……いわゆる『元彼』ですか」
松本さんの言葉に、私はうなずく。
「なんであんなやつと付き合ってたんだ、って思いますよね。松本さんも」
私は自嘲気味に言った。
友達にさんざん言われたことだった。
幸いにも私の足腰はちゃんと回復し、立つことも歩くこともできるようになっている。
私たちは近くのコンビニで買い物を済ませ、松本さんのマンションへと向かった。
松本さん曰く、主に単身者向けの小ぶりなマンションらしい。
着いてみるとそこはまだ新しい、モダンな建物だった。
「すみません、こんな予定ではなかったのであまりきれいではないですが……」
松本さんが、少しばつの悪そうな顔で振り返りながら言った。
「いえ、そんな、無理を言ってお邪魔させていただくのはこちらですから」
私はとんでもない、と手を振る。
そして案内された部屋は十分きれいに片付けられていた。
脱ぎ捨てられた服が散乱しているわけでもないし、ごみ箱があふれているわけでもない。
せいぜい床に何冊か本や新聞が置きっぱなしになっている程度だ。
「どうぞ、狭いところですが適当に座ってください」
そう言って奥の部屋(1LDKらしいので、おそらく寝室だろう)に向かう松本さんに、私は「すみません、おじゃまします」と答えた。
とりあえず、壁に近いところに腰を下ろす。
おそるおそるカバンの中のスマホを見てみたけれど、通知はメルマガのみだった。
不満なような、ほっとするような、あるいは拍子抜けするような、なんだか複雑な気分になる。
と、松本さんが戻ってきた。スーツを脱ぎ、ラフな格好に着替えている。
「ちょっと待っててくださいね」
そう言って松本さんは、電気ポットの電源を入れた。
そしてその間に、先ほどの本や新聞をまとめて窓際に押しやっている。
私は見るともなしにそれを眺めていた。
と、カチッと音を立ててポットの電源が切れる。
しばらくキッチン部分で作業をしていたかと思うと、松本さんは紅茶を淹れたマグカップを持ってきてくれた。
「すみません、気の利いたカップなんかがなくて。男の一人暮らしなもので」
私は首を振る。
お礼を言って受け取ると、紅茶の香りがふわりと漂った。
松本さんがどうぞ、と指すので、私はローテーブルの方に少し寄った。
見ればティーバッグ用の小皿も用意してもらっている。
ちょうどいい色合いになったので、私はティーバッグを抜き、いただきます、と断って紅茶を口に含んだ。
癖のないダージリンだった。
心で張りつめていた糸がふっと緩む感じがする。
見れば松本さんも似たようなマグカップで紅茶を飲んでいた。
目が合うと、彼はふっと真面目な顔になる。
「和泉さん、今日のことですが──」
松本さんの言葉に、私は居住まいを正した。
「まずは、いろいろと失礼を犯しすみませんでした」
そう言って頭を下げるので、私はうろたえた。
危ないところを助けてもらい、散々迷惑をかけているのは私の方だ。
「え、そんな、失礼なんて何も」
私が言うと、松本さんは首を振った。
「結果的にあなたを助けることになったとはいえ、プライベートな会話を盗み聞きしていましたし」
そして少し言いにくそうに続けた。
「その上、馴れ馴れしく名前で呼んだりもしました……」
言いながら、気まずそうに目をそらす。
私は文字通りぽかんと口を開けた。
「そんなこと……」
今日あったことを思えば、そんなのは些細なことだった。
というか、別に下の名前で呼ぶことくらい、私にとっては失礼でもなんでもない。
と、その時のお礼をまだ一言も伝えていないことに気づく。
「あの時は助けてくださって、ありがとうございました」
私は頭を下げたが、いいのだ、というように軽く手で制された。
「あの男性は……いわゆる『元彼』ですか」
松本さんの言葉に、私はうなずく。
「なんであんなやつと付き合ってたんだ、って思いますよね。松本さんも」
私は自嘲気味に言った。
友達にさんざん言われたことだった。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
俺から離れるな〜ボディガードの情愛
ラヴ KAZU
恋愛
まりえは十年前襲われそうになったところを亮に救われる。しかしまりえは事件の記憶がない。亮はまりえに一目惚れをして二度とこんな目に合わせないとまりえのボディーガードになる。まりえは恋愛経験がない。亮との距離感にドキドキが止まらない。はじめてを亮に依頼する。影ながら見守り続けると決心したはずなのに独占欲が目覚めまりえの依頼を受ける。「俺の側にずっといろ、生涯お前を守る」二人の恋の行方はどうなるのか
粗暴で優しい幼馴染彼氏はおっとり系彼女を好きすぎる
春音優月
恋愛
おっとりふわふわ大学生の一色のどかは、中学生の時から付き合っている幼馴染彼氏の黒瀬逸希と同棲中。態度や口は荒っぽい逸希だけど、のどかへの愛は大きすぎるほど。
幸せいっぱいなはずなのに、逸希から一度も「好き」と言われてないことに気がついてしまって……?
幼馴染大学生の糖度高めなショートストーリー。
2024.03.06
イラスト:雪緒さま
たまき酒
猫正宗
大衆娯楽
主人公の宵宮環《よいみやたまき》は都会で暮らす小説家。
そんな彼女のマンションに、就職のために上京してきた妹の宵宮いのりが転がり込んできた。
いのりは言う。
「ねえ、お姉ちゃん。わたし、二十歳になったんだ。だからお酒のこと、たくさん教えて欲しいな」
これは姉妹の柔らかな日常と、彼女たちを取り巻く温かな人々との交流の日々を描いたお酒とグルメの物語。
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は一途に私に恋をする~ after story
けいこ
恋愛
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は一途に私に恋をする~
のafter storyになります😃
よろしければぜひ、本編を読んで頂いた後にご覧下さい🌸🌸
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
夕陽を映すあなたの瞳
葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心
バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴
そんな二人が、
高校の同窓会の幹事をすることに…
意思疎通は上手くいくのか?
ちゃんと幹事は出来るのか?
まさか、恋に発展なんて…
しないですよね?…あれ?
思わぬ二人の恋の行方は??
*✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻
高校の同窓会の幹事をすることになった
心と昴。
8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに
いつしか二人は距離を縮めていく…。
高校時代は
決して交わることのなかった二人。
ぎこちなく、でも少しずつ
お互いを想い始め…
☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆
久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員
Kuzumi Kokoro
伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン
Ibuki Subaru
白い初夜
NIWA
恋愛
ある日、子爵令嬢のアリシアは婚約者であるファレン・セレ・キルシュタイン伯爵令息から『白い結婚』を告げられてしまう。
しかし話を聞いてみればどうやら話が込み入っているようで──
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる