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ながめがいい
最終話 ながめがいい
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どんなに近くにいても、同じ時間を過ごしても。
私の方を見てくれているようでいて、実際には見ていなかった。
(だって私は──私は悠一の、「アクセサリー」だったから)
そう考えれば、すべて納得がいった。
私は意味もなくストローでグラスの中身をかきまぜる。
自分の見た目にこだわるのはわかる。
その姿を見られるのは自分自身だから。
こんなボロボロの靴はもう履けないだとか、このジャケットは胴が長く見えるから着たくないだとか、前髪がこれ以上長くなると陰気くさいだとか。
そういうことを考えたって変じゃない。
(でもそれを、私の髪型に対してまで要求するのって?)
靴やバッグがコーデの一部であるように、私自身が、悠一の見栄の一部だった。
だから、悠一の思い通りの姿でいないといけなかった。
今から思えば、それ以外のことだってそうだ。
私の「相談」への「アドバイス」として、自分の理想の型にはまるよう誘導する。
(悠一は「いっつも勝手に決める」って言ってたけど、そんなことない)
『カバン? そっちのピンクのよりこっちのグレーの方が大人っぽくて似合うよ』
『コンビニでバイトするの? 由佳にはカフェとかの方が向いてると思うけどなあ』
『由佳はやっぱパンツスタイルってよりスカートってタイプだよな』
私が意識していなかっただけで、そうやって悠一に誘導された決断は、今までにいくつもあったはずだ。
ヘアスタイルに関してこれまで何も言われなかったのは、偶然にも悠一の理想と一致していたというだけのことなのだと思う。
ここ五年くらいはずっとロングだったから。
きっと、私が気に入っているとか気に入っていないとか、私に似合っているとか似合っていないとか、そんなことは悠一には重要ではなくて。
私が悠一に求められていたのは、悠一が望む通りの私でいることだけだったのだ。
そんなことをだらだらと考えているうちに、外は暗くなり始めていた。
これくらい間を置けば、悠一に出くわす可能性もないだろう。
私は自分のグラスと悠一が置いていったカップを一つのトレーにまとめ、返却口へ運んだ。
私が片付ける義理なんてないと思わないでもなかったけれど、そんなことはお店の人にとってはもっと関係のないことだった。
「ありがとうございましたー」という声に見送られながら店を出る。
辛いとか悲しいとか、悔しいとか許せないとか、そういう強い感情は全くわいてこなくて、なんだかどっと疲れた感じがだけがする。
(これでも、一応「失恋」ってことになるのかな……?)
歩道を歩きながらそんなことを考えていると、ふと頭にあるフレーズが響いた。
“♪さよならと言った君の 気持ちはわからないけど……”
槇原敬之の『もう恋なんてしない』──有名な失恋ソングだ。
リアルタイムでは知らない曲なのに、たびたび耳にするせいでところどころ覚えてしまった。
“♪いつもよりながめがいい 左に少し とまどってるよ……”
そういえば、隣に並んで歩くときは、いつも私が右で、悠一が左だった。
歌詞をきっかけにそんなことを思い出し、私はなんとなく左を見る。
当然、隣には誰もいない。ゆえに反対側の道の端まで見渡すことができた。
視界を遮るものは何もない。
きっとこういう情景を歌ったのだろう──今まで隣を歩く君の陰になって見えなかった景色が、君がいなくなった今はよく見えてしまう、と。
それにまだ慣れなくて戸惑っている、と。
(──え)
「いつもよりながめがいい」──?
「とまどう」──?
私は思わず立ち止まり、くるりとあたりを見渡した。
いつもと何ら変わりない、よく見知った町の姿だった。
けれど私は思う。「いつもよりながめがいい」──とはこういうことか、と。
付き合っているときは、「君のいる世界」だからこそ意味があった。
君がいてこそ、美しい世界だった。
それが真実だった──たとえそれが、恋による盲目的な「真実」だったとしても。
でもその「君」は、今はもう私の隣にはいない。視界にすらいない。
私が見て、聴いて、触れる世界の中に、君はいないのだ。
なのにその方が、世界が美しく見えてしまったとしたら?
この「君がいない世界」の方が、ながめがよかったとしたら?
きっととまどうだろう。
だからほら、あの歌でも「とまどってる」。
もちろんこんなのは、私の勝手な──そしておそらくは誤った──解釈に過ぎない。でもしばらくは、この曲のこのフレーズが、私のテーマソングになりそうだった。
夕闇の中を、すうっと涼やかな風が通り抜けていく。
私は急に、気分が良くなるのを感じた。
私はまたひとつ、新たな真実を手にしたのだ。
隣に彼──悠一がいない方が、私の世界は素敵なものになる。
だから今の私に見える世界は、前よりもずっとずっと──…。
「ながめが、いい──…」
静かにつぶやいたその声は、夕闇を照らす街灯の光に溶けていった。
私の方を見てくれているようでいて、実際には見ていなかった。
(だって私は──私は悠一の、「アクセサリー」だったから)
そう考えれば、すべて納得がいった。
私は意味もなくストローでグラスの中身をかきまぜる。
自分の見た目にこだわるのはわかる。
その姿を見られるのは自分自身だから。
こんなボロボロの靴はもう履けないだとか、このジャケットは胴が長く見えるから着たくないだとか、前髪がこれ以上長くなると陰気くさいだとか。
そういうことを考えたって変じゃない。
(でもそれを、私の髪型に対してまで要求するのって?)
靴やバッグがコーデの一部であるように、私自身が、悠一の見栄の一部だった。
だから、悠一の思い通りの姿でいないといけなかった。
今から思えば、それ以外のことだってそうだ。
私の「相談」への「アドバイス」として、自分の理想の型にはまるよう誘導する。
(悠一は「いっつも勝手に決める」って言ってたけど、そんなことない)
『カバン? そっちのピンクのよりこっちのグレーの方が大人っぽくて似合うよ』
『コンビニでバイトするの? 由佳にはカフェとかの方が向いてると思うけどなあ』
『由佳はやっぱパンツスタイルってよりスカートってタイプだよな』
私が意識していなかっただけで、そうやって悠一に誘導された決断は、今までにいくつもあったはずだ。
ヘアスタイルに関してこれまで何も言われなかったのは、偶然にも悠一の理想と一致していたというだけのことなのだと思う。
ここ五年くらいはずっとロングだったから。
きっと、私が気に入っているとか気に入っていないとか、私に似合っているとか似合っていないとか、そんなことは悠一には重要ではなくて。
私が悠一に求められていたのは、悠一が望む通りの私でいることだけだったのだ。
そんなことをだらだらと考えているうちに、外は暗くなり始めていた。
これくらい間を置けば、悠一に出くわす可能性もないだろう。
私は自分のグラスと悠一が置いていったカップを一つのトレーにまとめ、返却口へ運んだ。
私が片付ける義理なんてないと思わないでもなかったけれど、そんなことはお店の人にとってはもっと関係のないことだった。
「ありがとうございましたー」という声に見送られながら店を出る。
辛いとか悲しいとか、悔しいとか許せないとか、そういう強い感情は全くわいてこなくて、なんだかどっと疲れた感じがだけがする。
(これでも、一応「失恋」ってことになるのかな……?)
歩道を歩きながらそんなことを考えていると、ふと頭にあるフレーズが響いた。
“♪さよならと言った君の 気持ちはわからないけど……”
槇原敬之の『もう恋なんてしない』──有名な失恋ソングだ。
リアルタイムでは知らない曲なのに、たびたび耳にするせいでところどころ覚えてしまった。
“♪いつもよりながめがいい 左に少し とまどってるよ……”
そういえば、隣に並んで歩くときは、いつも私が右で、悠一が左だった。
歌詞をきっかけにそんなことを思い出し、私はなんとなく左を見る。
当然、隣には誰もいない。ゆえに反対側の道の端まで見渡すことができた。
視界を遮るものは何もない。
きっとこういう情景を歌ったのだろう──今まで隣を歩く君の陰になって見えなかった景色が、君がいなくなった今はよく見えてしまう、と。
それにまだ慣れなくて戸惑っている、と。
(──え)
「いつもよりながめがいい」──?
「とまどう」──?
私は思わず立ち止まり、くるりとあたりを見渡した。
いつもと何ら変わりない、よく見知った町の姿だった。
けれど私は思う。「いつもよりながめがいい」──とはこういうことか、と。
付き合っているときは、「君のいる世界」だからこそ意味があった。
君がいてこそ、美しい世界だった。
それが真実だった──たとえそれが、恋による盲目的な「真実」だったとしても。
でもその「君」は、今はもう私の隣にはいない。視界にすらいない。
私が見て、聴いて、触れる世界の中に、君はいないのだ。
なのにその方が、世界が美しく見えてしまったとしたら?
この「君がいない世界」の方が、ながめがよかったとしたら?
きっととまどうだろう。
だからほら、あの歌でも「とまどってる」。
もちろんこんなのは、私の勝手な──そしておそらくは誤った──解釈に過ぎない。でもしばらくは、この曲のこのフレーズが、私のテーマソングになりそうだった。
夕闇の中を、すうっと涼やかな風が通り抜けていく。
私は急に、気分が良くなるのを感じた。
私はまたひとつ、新たな真実を手にしたのだ。
隣に彼──悠一がいない方が、私の世界は素敵なものになる。
だから今の私に見える世界は、前よりもずっとずっと──…。
「ながめが、いい──…」
静かにつぶやいたその声は、夕闇を照らす街灯の光に溶けていった。
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