【完結】まだ、今じゃない

蒼村 咲

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ながめがいい

第1話 ワンレンボブ

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「え、もったいなくないですか? ここまで長かったでしょ?」

 鏡越しにそう話しかけてきたのは、今日初めて私の担当になった男性美容師だ。
 私は首を振って否定する。

「いえ、もう……ここまで頑張ったんですけど、そろそろ限界なので」

 少し笑いながら私は言った。
 背中の真ん中まで伸びたロングヘアのことだ。

「洗うのも乾かすのもさすがにつらくなってきて」

 そう言って苦笑する。それは嘘ではなかった。
 完全に乾かそうと思うと、十数分はドライヤーを手放せない。
 美容師さんも納得した表情になる。

「では……具体的にどうしましょう? 長さとか」

 再び、鏡を介した会話に戻る。
 私は手元のヘアカタログに視線を落とした。そのままパラパラとめくってみる。
 といってもそれは単なるポーズで、本当はもう心は決まっていた。

「……ワンレンボブ、とかやってみたいんですけど、どうですかね?」

 恐る恐る尋ねた。
 前髪を作らずに全体の長さをそろえるワンレングスは、似合う似合わないがはっきり分かれる髪型だといわれる。
 が、私は前髪は極力作りたくない──すぐ伸びて中途半端な長さになってしまうから。

「そうですねえ……」

 美容師さんはつぶやくようにそう言って、私の頭をそっと正面に向けた。
 鏡越しに見つめあう形になる。

「……見えました」

 そう言って美容師さんは、にやりといたずらっぽく笑った。

「ワンレンボブ、良い選択だと思いますよ」


 美容師さんの言葉に嘘はなかった。
 鏡に映る自分を見て、感動すら覚えたくらいだ。
 これは決して誇張なんかじゃない。

「わあ……」

 思わず感嘆の声が漏れる。
 背後に立って折り畳みの鏡を広げる美容師さんも、どこか得意げだった。

「これ、すごいです……!」

 私は肩越しに美容師さんを振り返って言った。
 興奮で声が上ずっているのが自分でもわかる。

 そんな私に、美容師さんはやはりいたずらっぽく微笑んだ。

「僕も今、自分ですごい良い仕事したなって思ってます」

 片手をハサミの形にしながらそんなふうに言うので、私たちは二人して声を上げて笑った。

 ヘアスタイルのほかには、メイクもファッションも、何も変わっていない。
 なのに、自分で言うのもなんだけれど、見違えるようだった。
 髪型の力は偉大だと改めて思う。

 サイドで分けたワンレンボブは、今までで一番私に似合う髪型だった。



 あの日からずっと気分が良い。

 まるで頭と一緒に気持ちまで軽くなったみたいだった。
 意味もなく頭を振っては、髪が宙に踊るのを楽しんでしまう。

 ちょっと後ろを振り返る動作ひとつにしても、無駄に素早く首を回す。
 そうすれば、短く、そして軽くなった髪が、ファサッと風になびくのだ。

 ばっさり切ったせいで毛先には傷みもなく、すっと撫でただけできれいにまとまる。

 長かった時は、毎朝数十分かけてコテで巻くしかなかった。
 癖は強くないものの完全なストレートでもない私の髪は、何もしないと「伸ばしっぱなし」みたいに見えてみっともなかったから。

 でも今は、毛先をしゅっと内に向けるだけでいい。

 俗な言い方かもしれないけれど、QOLが明らかに上がっていると思う。

 だから、恋人である悠一から先ほど届いた「悪いけど20分くらい遅れる!」というメッセージにも、「了解~!急がなくていいから気を付けてねー!」なんて、心穏やかに返信することができた。

──それは、必ずしもいいこととは限らないのだけれど。
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