【完結】まだ、今じゃない

蒼村 咲

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まだ、今じゃない

最終話 まだ、今じゃない

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 悠一からの連絡でスマホが震えたのは、あれから半月ほどたったある日のことだった。
 その間悠一から連絡が来ることはなかったし、もちろん私から連絡することもなかった。

 通知に表示された名前を見て、ついに来たか、と思う。
 だんだんと、心臓が立てる不穏な音が大きくなっていった。


 いつものカフェに行き店内をざっと見渡すと、先に来ていた悠一が気づいて合図をよこした。
 私はカウンターでカフェラテを注文し、トレーに載せて悠一のいる席まで運ぶ。

「ごめんね、待った?」

 カフェラテを置いてそう言うと、悠一はこちらを見上げて口をもごもごさせた。

「いや……」

 私はコートを背もたれにかけて席に着く。
 それを黙ってみていた悠一は、ふーっと長い息をついて話し始めた。

「あの、話したいことがあるって言ってたやつだけど……実はさ」

 あからさまにではないものの、こちらの反応をうかがっているのが感じられる。
 私は努めて穏やかな表情で聞いた。

「やっぱり俺、由佳と……なんていうか、より戻したいんだ」

 いくぶん言いにくそうに、けれどはっきりと悠一は言った。
 やっぱりね、と思いながら私は悠一の顔を見つめる。

 結局、「香織」にはフラれたということなのだろう。

 プライドからか、気まずさからか、いずれにしてもそれを直接明言する気はないようだけれど。
 たとえ言ったも同然だったとしても、言わないことに意味があるのだろう。
 こちらを見つめながらもどこか落ち着きのない瞳には、不安が見え隠れしている。

 私は十分すぎるくらいに間をあけた。
 ほんの少しでも長く、不安に苦しめばいいと思ったから。

 そして不意に、私は悠一ににっこりと笑いかけた。

「……おかえり、悠一」

 声に出せばほんの一瞬だった。
 私はその言葉を、笑顔を崩すことなく言い切った。
 これを聞いた悠一はどんな顔をするのだろう、とちらりと思いながら。

「はああああ……よかったー……」

 そう言って悠一はテーブルに突っ伏した。
 またしても目の前に現れた悠一のつむじに、私は冷たい視線を突き刺す。
 そして安心し切った悠一は、私のその視線に気付きもしない。

「由佳にまでフラれたら俺どうしようかと思った……」

 そう言って悠一が顔を上げる。
 私は無言で、困ったような笑顔を作った。
 私に「まで」──それがいったいどれほど失礼な物言いかに、悠一が気づく日は来ないのだろうなと思いながら。

「……香織さんのことは残念だったけど、またこれからよろしくね」

 そう言って微笑む。
 悠一は一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐにごまかすように笑った。

「いやほんと、やっぱ俺には由佳しかいないわ」

 変にニヤニヤしているせいでゆがんだ悠一の顔を、私は見つめる。
 お前が今言うべき台詞はそれじゃないだろ──なんて、口が裂けても言ってやらない。

 どうやら続きはないようなので、私はそっと立ち上がった。

「え、もう行くの?」

 悠一が驚いたように声を上げたが、私は手を止めずに返事をする。

「このあと妹の誕生日ケーキ受け取りに行かないといけないから。ごめんね! また連絡して!」

 それだけ言うと、私は自分の分のトレーだけ持って返却口に寄り、そのまま店を後にした。


(ほらやっぱり、最後の最後までだめだった!)

 私はそれまでとは打って変わって晴れやかな気分で歩道を歩いた。
 今にもスキップしだしそうな自分に苦笑する。

 私は「香織」が実際にどんな人かは本当に知らないままだし、これから知ることもきっとないと思う。
 けれど、彼女にちゃんと男を見る目があったことに感謝したい。

 悠一は最初から最後まで、つまり別れを切り出した時から、私が別れを承諾した時、そして復縁に応じた時に至るまで、一度も私に謝らなかった。感謝もしなかった。

 お願いこそされたものの、感謝の言葉も謝罪の言葉も、私は一切聞いていない。

 もちろん、それを求めていたわけじゃない。
 けれど、それはあってしかるべきものなのだ。

 ないということは、私は悠一の要求を全てのむことが当たり前だということ。
 感謝も謝罪も存在しないくらい、当然のことだということ。悠一が、たとえ無意識であろうとそう考えているということ。

(なめられるにもほどがあるよね……)

 それでも私は、今、不幸だとは思わない。

 私は自分の顔にほんのりと笑みが浮かぶのを感じた。

 ここまでの仕打ちを受けて、おとなしく黙っている私じゃない。
 だって、ものをもらったらお礼を添えてお返しするのが礼儀でしょ?

 だから私は、悠一がしたのと全く同じことを、私が受けたのよりはるかに強烈なダメージを与える形で、悠一に返そうと思う。

 でもそれは今じゃない。もっと先の話。
 私が復縁という形で仕込んだ毒が、もっと浸透してからの話。

 悠一が理解していようといまいと、私が悠一に許したことは、悠一も私に許さなければならない。
 それこそが、悠一への私からのお返しであり、一つの呪いなのだ。

 だから悠一が本当に「俺には由佳しかいない」という状態になったとき、私の「お返し」は始まる。


 そう、だから動き出すのは──まだ、今じゃない。
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