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最終話 雨の魔法にかけられて
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と、急に鼻がムズムズしてくしゃみが出た。
雨に濡れたことで体が冷えてしまったのかもしれない。
あたしは暑い日が続いた先週から夏セーラーに衣がえしていたのだけど、今日は冬セーラーに戻した方が良かったと後悔した。
朝なんかは特に、少し肌寒かったし。
「──え?」
突然肩に重みを感じる。
無意識に腕をさすっていたあたしに、栗田が学ランをかけてくれたのだ。
あたしはびっくりして隣を見上げた。
「着てろよ。寒いのそれでちょっとはマシだろうから」
栗田はそっぽを向いたままそう言った。
学ランには栗田の体温がほんのり残っている。
なんだか、いろんな意味で温かい。
「ありがと……」
あたしは栗田の横顔を見つめる。
と、その瞬間、あたしはどうしようもなく気付いてしまったのだ。
恋はとっくに、あたしの中にあったんだ、と。
あたしはずっと、勘違いをしていたのだ。
あたしは大好きだった彼のことを忘れまいとしていたんじゃない。
今でも好きだと、自分に確かめようとしていたのだ。
あたしはあたし自身の「彼を大好きな気持ち」を手放したくなかったのだ。
でも本当は、もうあたしの初恋はとっくに終わってしまっていて。
彼を好きな気持ちに自信が持てなかったのは、だからだったのだ。
あたしは彼が好きだったから新しい恋に踏み出せなかったんじゃない。
新しい恋を見つけないために、彼への恋にしがみついていたのだ。
大好きだった彼はもう、あたしの手の届かないところへ行ってしまった。
でもその現実を、あたしは直視できなかった。
それなのに今、栗田に告白されたことで、あたしは新しい恋に引きずり込まれてしまったのだ。
そしてそのことが、あたしに新しい世界を見せている。
あたしがこれまで頑なに見ようとしなかった世界を。
あたしが今いて、でも大好きだった彼がいない世界を。
あたしは隣の栗田をちらりと盗み見る。
あたしは、本当は気付いていたのだ──この世界にも素敵なことがたくさんあること、素敵な人がたくさんいることに。
でもだからこそ、あたしはこの世界を見たくなかった。
見れば夢中になってしまうとわかっていたのだ。
そしてそうなればきっと、あたしは大好きだった彼のことすら、頭の片隅へ追いやり忘れ去ってしまう。
それが自分でわかっていたから。
「──ねえ」
相変わらず降り続く雨を見つめながら、あたしは栗田に話しかける。
「雨って好き?」
予想外の質問だったのだろう、栗田は思わずといったふうにこちらを見た。
「まあ、嫌いじゃない……かな」
そう言ってまた視線を正面に戻す。
それから、「俺たちを結び付けてくれたのも雨なわけだし」と口の中だけでもごもご言った。
たぶん、栗田はあたしには聞こえていないと思っている。しっかり聞き取れちゃったけど。
もしかしたら、栗田は栗田で、私とは違う雨の魔法にかかっていたのかもしれない。
あたしのが素直になる魔法だったとしたら、栗田のは大胆になる魔法だろうか。勇気が出る魔法かもしれない。
でもきっとどちらも、雨をただただ疎ましく思う人にはかからない魔法だ。
あたしはそっと栗田を盗み見た。
じっと雨を見つめているように見えるけど、たぶんポーズだと思う。
ほんとはいろいろ考え事をしているに違いない。
だからあたしは、もう少しだけ雨の魔法に振り回されてみることにした。
こういうのを「魔が差した」って言うのかな、なんて思いながら。
そろりと一歩、また一歩と左へ──栗田の方へとにじり寄る。
目が合ってしまってはかなわないので、もちろん視線は前を向いたままだ。
そしてすぐ隣まで移動すると、あたしは左手の甲を、栗田の右手の甲にそっとくっつけた。
「──!?」
栗田が驚いてこちらを見たのが気配でわかる。
でもあたしは、素知らぬふりで雨を見つめ続けた。
と、栗田があたしから目を背ける。
あっと思う間もなく、あたしの左手は栗田の右手にきゅっと包まれてしまった。
「……!」
どうしてだろう、あたしから仕掛けたはずなのにものすごくドキドキする。
指先まで脈打って、栗田に伝わっちゃうんじゃないかって心配になるくらいだった。
こっそり見上げるけど、栗田はやっぱりあちらを向いたままだ。
でも右手にはしっかり力がこもっていて、栗田もただ照れているだけなんだってことがわかる。
あたしはその手をそっと握り返した。
もう少しだけ、このままでいたい──そんな思いを込めて。
この止まない雨の中へ二人踏み出す前に、もう少しだけ。
-END-
雨に濡れたことで体が冷えてしまったのかもしれない。
あたしは暑い日が続いた先週から夏セーラーに衣がえしていたのだけど、今日は冬セーラーに戻した方が良かったと後悔した。
朝なんかは特に、少し肌寒かったし。
「──え?」
突然肩に重みを感じる。
無意識に腕をさすっていたあたしに、栗田が学ランをかけてくれたのだ。
あたしはびっくりして隣を見上げた。
「着てろよ。寒いのそれでちょっとはマシだろうから」
栗田はそっぽを向いたままそう言った。
学ランには栗田の体温がほんのり残っている。
なんだか、いろんな意味で温かい。
「ありがと……」
あたしは栗田の横顔を見つめる。
と、その瞬間、あたしはどうしようもなく気付いてしまったのだ。
恋はとっくに、あたしの中にあったんだ、と。
あたしはずっと、勘違いをしていたのだ。
あたしは大好きだった彼のことを忘れまいとしていたんじゃない。
今でも好きだと、自分に確かめようとしていたのだ。
あたしはあたし自身の「彼を大好きな気持ち」を手放したくなかったのだ。
でも本当は、もうあたしの初恋はとっくに終わってしまっていて。
彼を好きな気持ちに自信が持てなかったのは、だからだったのだ。
あたしは彼が好きだったから新しい恋に踏み出せなかったんじゃない。
新しい恋を見つけないために、彼への恋にしがみついていたのだ。
大好きだった彼はもう、あたしの手の届かないところへ行ってしまった。
でもその現実を、あたしは直視できなかった。
それなのに今、栗田に告白されたことで、あたしは新しい恋に引きずり込まれてしまったのだ。
そしてそのことが、あたしに新しい世界を見せている。
あたしがこれまで頑なに見ようとしなかった世界を。
あたしが今いて、でも大好きだった彼がいない世界を。
あたしは隣の栗田をちらりと盗み見る。
あたしは、本当は気付いていたのだ──この世界にも素敵なことがたくさんあること、素敵な人がたくさんいることに。
でもだからこそ、あたしはこの世界を見たくなかった。
見れば夢中になってしまうとわかっていたのだ。
そしてそうなればきっと、あたしは大好きだった彼のことすら、頭の片隅へ追いやり忘れ去ってしまう。
それが自分でわかっていたから。
「──ねえ」
相変わらず降り続く雨を見つめながら、あたしは栗田に話しかける。
「雨って好き?」
予想外の質問だったのだろう、栗田は思わずといったふうにこちらを見た。
「まあ、嫌いじゃない……かな」
そう言ってまた視線を正面に戻す。
それから、「俺たちを結び付けてくれたのも雨なわけだし」と口の中だけでもごもご言った。
たぶん、栗田はあたしには聞こえていないと思っている。しっかり聞き取れちゃったけど。
もしかしたら、栗田は栗田で、私とは違う雨の魔法にかかっていたのかもしれない。
あたしのが素直になる魔法だったとしたら、栗田のは大胆になる魔法だろうか。勇気が出る魔法かもしれない。
でもきっとどちらも、雨をただただ疎ましく思う人にはかからない魔法だ。
あたしはそっと栗田を盗み見た。
じっと雨を見つめているように見えるけど、たぶんポーズだと思う。
ほんとはいろいろ考え事をしているに違いない。
だからあたしは、もう少しだけ雨の魔法に振り回されてみることにした。
こういうのを「魔が差した」って言うのかな、なんて思いながら。
そろりと一歩、また一歩と左へ──栗田の方へとにじり寄る。
目が合ってしまってはかなわないので、もちろん視線は前を向いたままだ。
そしてすぐ隣まで移動すると、あたしは左手の甲を、栗田の右手の甲にそっとくっつけた。
「──!?」
栗田が驚いてこちらを見たのが気配でわかる。
でもあたしは、素知らぬふりで雨を見つめ続けた。
と、栗田があたしから目を背ける。
あっと思う間もなく、あたしの左手は栗田の右手にきゅっと包まれてしまった。
「……!」
どうしてだろう、あたしから仕掛けたはずなのにものすごくドキドキする。
指先まで脈打って、栗田に伝わっちゃうんじゃないかって心配になるくらいだった。
こっそり見上げるけど、栗田はやっぱりあちらを向いたままだ。
でも右手にはしっかり力がこもっていて、栗田もただ照れているだけなんだってことがわかる。
あたしはその手をそっと握り返した。
もう少しだけ、このままでいたい──そんな思いを込めて。
この止まない雨の中へ二人踏み出す前に、もう少しだけ。
-END-
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