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第21話 空に溶ける歌声

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 ほとんど勢いで飛び出してしまったものの、行く当てがなかった。私はひと気のない廊下を一人ぶらつく。

 正直、桐山会長の言っていることはわからないでもなかった。
 賞を取ることだけを目的に歌うのは違う──それは合唱の本質ではないと。それはきっと正しい。

 私だって、嫌々歌っている人たちの歌じゃ何も伝わらないと思う。
 その中にいたんじゃ、いくら合唱が好きでも楽しくなかったと思う。
 だからそんな合唱祭ならもうなくていいっていう主張も、わからないわけじゃない。

 でも私にとっては最後の合唱祭だったのだ。どうしても寂しさをぬぐい切れない。

(ああ、いつもならこのあたりにも、練習の歌声が響いていたのに……)

 合唱祭前になると、教室や廊下だけでは足りず、中庭や階段、渡り廊下など、あちこちが練習場所になっていた。文字通り至る所で、いろんな音符が飛び交っていたのだ。
 でも今は、その音符は一つも見当たらない。

 その現実から目を背けるように、私は屋上へと続く階段を上る。
 屋上は、本当は立ち入り禁止で鍵がかかっているのだけど、生徒会室があるこの校舎の屋上への扉だけは、鍵が壊れているのだ。
 極力音を立てないようにして、銀色の扉を押し開ける。と、差し込んできた夕日に目がくらみそうになった。

(今はもう、これで良かったんだと思わなきゃ……)

 表面だけ真剣なふりして歌ったって何も意味なんかない。そんな見せ掛けだけの歌では、誰の心も動かせない。そんな空々しい歌ばかりの、空っぽの合唱祭なんていらない、と。

 私は夕日に染まった風に吹かれながら、屋上の中央へと進み出る。

「♪この翼だけは 折れることない……」

 囁くように口ずさんだこの歌は、今年の合唱祭で推薦する予定だった曲。
 数回しか聞いたことがないはずなのに、その数回でほとんど覚えてしまうくらいに好みの曲だった。
 それなのに、今年は選曲のためのホームルームすら開かれなかったのだな、と思うと寂しさで胸がつかえそうになる。

「♪信じ合える今の この瞬間を……」

 目頭がひとりでに熱くなってきた。
 やっぱり歌いたかったな──本当に、自分の心には嘘がつけないのだと思う。

 合唱は一人ではできない。みんなと一緒じゃないと、合唱にはならない。
 これから先、私はいつか「合唱」を歌う時がくるだろうか。

(──!)

 いつの間にか隣に人影があった。
 一瞬、先生に見つかってしまったのかと焦ったが、その人影は制服姿だ。

「続けましょう」

 誰だろう、と見上げる前にその人影が言った。
 なんと、よく聞き知った声だった。そしてワンテンポ遅れて、彼が言ったのが歌のことだと気づく。

 私は大きく息を吸い込んだ。

「♪風に乗り舞い上がる いつか見たあの夢へ……」

(──! すごい……)

 隣の彼──塚本くんが一緒に歌ってくれたのはテノールのパートだった。
 鼻歌に毛が生えた程度だった私の歌が、一瞬で深みと厚みを増す。

 そう、これが──私一人では歌えない歌。
 誰かと、みんなと一緒じゃなきゃ歌えない歌。

「♪はためく希望とともに……」

 心のこもっていない歌なんて、響かない。誰も聞きたいなんて思わない。
 それはきっと、桐山会長の考えるとおりなのだろう。
 だけど私はやっぱり、この一人では歌えない歌を、聴きたいと思う。歌いたいと思う。

「♪どこまでも 飛んでゆこう──…」

 最後のリタルダントは、お互いの顔を見ながら調整した。
 そして、屋上を吹き抜けていく風の中へと溶かすように、最後の音にディミヌエンドをかける。

 たった二人で紡いだ歌声は思いのほか儚く、私の脳裏に「あらゆる音は空気の振動に過ぎない」──なんてフレーズが浮かんだ時だった。

「──!?」

 私は驚いて背後を振り返る。突然、数人分の拍手が聞こえてきたのだ。

 いったいどういうわけか、私が通ってきた銀色のドアのそばにみんなの姿がある。
 新垣くんに乾に中村くんに、そしてなんと桐山会長までの姿が。

「いいんじゃない? その曲」

 その言葉の意味がつかめず、私はぽかんと口を開けた。

「どうしてここに……」

 なんとか絞り出すようにして尋ねると、乾が呆れて天を仰いだ。

「お前が話の途中で飛び出していったから、迎えに来てやったんだろ、こうして」

「迎えにって……どういうこと?」

 今だ状況がつかめない私のそばで、塚本くんがふっと笑った。

「木崎先輩……やりますよ」

 見上げたその先では、長いまつげに縁取られた目がキラリと光る。

「やるって何を……?」

「決まってるでしょう。合唱祭ですよ」

「……えぇっ!?」

 いったい、私が出て行った後の生徒会室で何があったのだろう。
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