60 / 63
第1章
60-R 二人の声
しおりを挟む
前を行く祐輝が突然足を止め、唇の前に人差し指を立てて振り返ったのは、ホームへの階段を下りている時だった。
数段上にいた玲奈と洋介はとっさに顔を見合わせたものの、すぐにそのわけを悟る──声が聞こえてきたのだ。
「……お前、ほんとは俺のこと好きでもなんでもないだろ」
拓海の声だ。ということは話しかけている相手は──…。
「そんなことないわよ。拓海は……私の大事な幼馴染なんだから」
やはり、答えたのは美咲だった。
今度は祐輝も加えて三人で顔を見合わせた。
これはかなりプライベートな会話を盗み聞きしてしまっているのではないだろうか。
「……じゃあ聞き方変えるけど。今は俺に恋愛感情はない。だろ?」
語尾は上がっているものの、尋ねているときの口調ではない気がする。
そう、しいて言うなら──「確認」のニュアンスだ。
「……そうね。今はないかもね」
美咲はワンテンポ遅れはしたものの、さらりと言った。
(──え?)
玲奈は思わず自分の耳を疑う。
さっきまで美咲は、どこからどう見ても拓海に片想いする女の子だった。
叶わぬ恋を断ち切ろうと相手にぶつかっていく女の子だった。
それなのに今、その張本人が「拓海に対して恋愛感情は抱いていない」と認めたのだ。
玲奈の脳裏にまた、「女はみな女優」の文字が浮かぶ。
「じゃあなんで、あんなこと言ったんだ……」
拓海の声に困惑が混じった。もっともな疑問だと思う。
でもどうやら拓海は、美咲に恋愛的な意味で好かれているわけではないと最初からわかっていたようなのだ。
それなのに美咲は恋心をぶつけてきた──拓海でなくても驚き混乱するだろう。
(……え、ちょっと待ってよ)
それなら拓海は、美咲の告白や自分への言葉が全て嘘だと気づいていながらあの対応をしたということになる。
玲奈はいつかに廊下で拓海を呼び止めた時のことを思い出した。
あの時も拓海は、こちらの嘘にさらりと話を合わせたのだった。
「さあ? 特に理由なんてないけど」
美咲の気のない返事が聞こえてくる。
でも玲奈はとっさに嘘だ、と思った。意味もなくあんなやり取りをするわけがない。
きっと拓海もそう思っているのだろう。二人の間に沈黙が落ちる。
こちらに気づいて黙ったわけではないはずだけれど、玲奈は今のうちに改札階に戻ろうかと考えた。
内容が気にならないと言えば嘘になる。
けれど盗み聞きというのは、あまり気分のいいものではない。
ところがすぐそばで聞き耳を立てる一年男子二人に立ち去るという選択肢はないらしい。
どうしようかと逡巡しているうちに、拓海が再び口を開いた。
「……今頃になって、香苗が嫌がらせされてたって話を聞いたんだよ」
香苗というのはきっと、拓海の中学時代の元カノのことだろう。
これを聞いてしまっては、玲奈でさえももうこの場を離れるわけにはいかなかった。
「ちょっと待って。それ私じゃないわよ」
美咲が驚いたように言う。
(──あ、そうなんだ……)
考えてみれば、必ずしも前回と今回が同じ人物による嫌がらせとは限らないのだ。
麻衣子だって、誰が黒幕なのかはわからなかったと言っていた。
それはつまり、件のグループの中にすらそれだけ「候補」がたくさんいたということなのかもしれない。
直接かかわったわけでも、そばで見ていたわけでもない三年前の事件に関しては、実際それほど考えてはいなかったのだと、玲奈は今更ながら気づく。
「わかってる。何年幼馴染やってると思ってんだよ」
拓海は穏やかに言った。
なんと重みのある言葉だろう。
もし美咲と同じ立場に立つことがあったとしても、玲奈にはそんなふうに言ってくれる人はいない。
「お前は仮に好きな男に彼女ができたところで、そいつに嫌がらせなんてしないだろ。むしろ『最後に選ばれるのは私よ』みたいな顔して余裕ぶっこいてるタイプ」
続けて飛び出した言葉に、思わず吹き出しそうになってしまった。
でも正直、そんな美咲の姿は想像に難くない。
「だからこそ、今回のは特に美咲が仕組んだとは思えないんだよ」
拓海は特に力を込めるわけでもなく静かに言った。
実際、拓海のその考えは正しいのだ──もちろん、さっきの祐輝の指摘が正しいとするなら、だけれど。
「私じゃなかったら、誰の仕業だっていうの?」
そう言う美咲の声は明るかった。
朔也をかばっているというよりは、なんとなくどこか楽しんでいるかのような印象を受ける。
「……他に関わってるのは、安達しかいない」
対照的に、拓海は苦い声で言った。もしかしたら拓海と朔也は、ある程度付き合いのある仲だったのだろうか。
「そんなのわからないわよ? 私と朔也が実行犯だっただけで、自分の手は汚さない主義の陰のリーダーがいたっておかしくないでしょ?」
その瞬間、玲奈がさっき抱いた疑惑──美咲はこの会話を楽しんでるんじゃないか──は確信に変わった。
「もし本当にそうなら、美咲は絶対に今そんなことは言わない」
拓海の声は相変わらず苦い。
「ふふっ、変なところで鋭いわね」
美咲はそう言って笑った。
美咲と朔也が主犯であることは確かだということだろうか。
「でも美咲しかいないんだよ。俺に対してこんなことできるのは」
拓海はそう言ってため息をついた。
どういうことだろう──こんなことができるのは美咲しかいない、というのは。玲奈は思わず耳を澄ませる。
「拓海って……時々賢いのかばかなのか本当にわかんなくなるわ」
美咲が再び笑った。
「私が仕組んだとは思えないのに、私にしかできないって矛盾してるでしょ。結局私なの? 私じゃないの?」
美咲がどうしたいのか、玲奈にはもうさっぱり見当がつかなかった。
少なくともあの場では、美咲は自分が朔也を利用してことを謀ったのだと言っていた。
けれど拓海とのこの会話を聞いている限り、美咲が朔也をかばっているとは思えないのだ。
数段上にいた玲奈と洋介はとっさに顔を見合わせたものの、すぐにそのわけを悟る──声が聞こえてきたのだ。
「……お前、ほんとは俺のこと好きでもなんでもないだろ」
拓海の声だ。ということは話しかけている相手は──…。
「そんなことないわよ。拓海は……私の大事な幼馴染なんだから」
やはり、答えたのは美咲だった。
今度は祐輝も加えて三人で顔を見合わせた。
これはかなりプライベートな会話を盗み聞きしてしまっているのではないだろうか。
「……じゃあ聞き方変えるけど。今は俺に恋愛感情はない。だろ?」
語尾は上がっているものの、尋ねているときの口調ではない気がする。
そう、しいて言うなら──「確認」のニュアンスだ。
「……そうね。今はないかもね」
美咲はワンテンポ遅れはしたものの、さらりと言った。
(──え?)
玲奈は思わず自分の耳を疑う。
さっきまで美咲は、どこからどう見ても拓海に片想いする女の子だった。
叶わぬ恋を断ち切ろうと相手にぶつかっていく女の子だった。
それなのに今、その張本人が「拓海に対して恋愛感情は抱いていない」と認めたのだ。
玲奈の脳裏にまた、「女はみな女優」の文字が浮かぶ。
「じゃあなんで、あんなこと言ったんだ……」
拓海の声に困惑が混じった。もっともな疑問だと思う。
でもどうやら拓海は、美咲に恋愛的な意味で好かれているわけではないと最初からわかっていたようなのだ。
それなのに美咲は恋心をぶつけてきた──拓海でなくても驚き混乱するだろう。
(……え、ちょっと待ってよ)
それなら拓海は、美咲の告白や自分への言葉が全て嘘だと気づいていながらあの対応をしたということになる。
玲奈はいつかに廊下で拓海を呼び止めた時のことを思い出した。
あの時も拓海は、こちらの嘘にさらりと話を合わせたのだった。
「さあ? 特に理由なんてないけど」
美咲の気のない返事が聞こえてくる。
でも玲奈はとっさに嘘だ、と思った。意味もなくあんなやり取りをするわけがない。
きっと拓海もそう思っているのだろう。二人の間に沈黙が落ちる。
こちらに気づいて黙ったわけではないはずだけれど、玲奈は今のうちに改札階に戻ろうかと考えた。
内容が気にならないと言えば嘘になる。
けれど盗み聞きというのは、あまり気分のいいものではない。
ところがすぐそばで聞き耳を立てる一年男子二人に立ち去るという選択肢はないらしい。
どうしようかと逡巡しているうちに、拓海が再び口を開いた。
「……今頃になって、香苗が嫌がらせされてたって話を聞いたんだよ」
香苗というのはきっと、拓海の中学時代の元カノのことだろう。
これを聞いてしまっては、玲奈でさえももうこの場を離れるわけにはいかなかった。
「ちょっと待って。それ私じゃないわよ」
美咲が驚いたように言う。
(──あ、そうなんだ……)
考えてみれば、必ずしも前回と今回が同じ人物による嫌がらせとは限らないのだ。
麻衣子だって、誰が黒幕なのかはわからなかったと言っていた。
それはつまり、件のグループの中にすらそれだけ「候補」がたくさんいたということなのかもしれない。
直接かかわったわけでも、そばで見ていたわけでもない三年前の事件に関しては、実際それほど考えてはいなかったのだと、玲奈は今更ながら気づく。
「わかってる。何年幼馴染やってると思ってんだよ」
拓海は穏やかに言った。
なんと重みのある言葉だろう。
もし美咲と同じ立場に立つことがあったとしても、玲奈にはそんなふうに言ってくれる人はいない。
「お前は仮に好きな男に彼女ができたところで、そいつに嫌がらせなんてしないだろ。むしろ『最後に選ばれるのは私よ』みたいな顔して余裕ぶっこいてるタイプ」
続けて飛び出した言葉に、思わず吹き出しそうになってしまった。
でも正直、そんな美咲の姿は想像に難くない。
「だからこそ、今回のは特に美咲が仕組んだとは思えないんだよ」
拓海は特に力を込めるわけでもなく静かに言った。
実際、拓海のその考えは正しいのだ──もちろん、さっきの祐輝の指摘が正しいとするなら、だけれど。
「私じゃなかったら、誰の仕業だっていうの?」
そう言う美咲の声は明るかった。
朔也をかばっているというよりは、なんとなくどこか楽しんでいるかのような印象を受ける。
「……他に関わってるのは、安達しかいない」
対照的に、拓海は苦い声で言った。もしかしたら拓海と朔也は、ある程度付き合いのある仲だったのだろうか。
「そんなのわからないわよ? 私と朔也が実行犯だっただけで、自分の手は汚さない主義の陰のリーダーがいたっておかしくないでしょ?」
その瞬間、玲奈がさっき抱いた疑惑──美咲はこの会話を楽しんでるんじゃないか──は確信に変わった。
「もし本当にそうなら、美咲は絶対に今そんなことは言わない」
拓海の声は相変わらず苦い。
「ふふっ、変なところで鋭いわね」
美咲はそう言って笑った。
美咲と朔也が主犯であることは確かだということだろうか。
「でも美咲しかいないんだよ。俺に対してこんなことできるのは」
拓海はそう言ってため息をついた。
どういうことだろう──こんなことができるのは美咲しかいない、というのは。玲奈は思わず耳を澄ませる。
「拓海って……時々賢いのかばかなのか本当にわかんなくなるわ」
美咲が再び笑った。
「私が仕組んだとは思えないのに、私にしかできないって矛盾してるでしょ。結局私なの? 私じゃないの?」
美咲がどうしたいのか、玲奈にはもうさっぱり見当がつかなかった。
少なくともあの場では、美咲は自分が朔也を利用してことを謀ったのだと言っていた。
けれど拓海とのこの会話を聞いている限り、美咲が朔也をかばっているとは思えないのだ。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
田中天狼のシリアスな日常
朽縄咲良
青春
とある県の平凡な県立高校「東総倉高等学校」に通う、名前以外は平凡な少年が、個性的な人間たちに翻弄され、振り回され続ける学園コメディ!
彼は、ごくごく平凡な男子高校生である。…名前を除けば。
田中天狼と書いてタナカシリウス、それが彼の名前。
この奇妙な名前のせいで、今までの人生に余計な気苦労が耐えなかった彼は、せめて、高校生になったら、平凡で平和な日常を送りたいとするのだが、高校入学後の初動に失敗。
ぼっちとなってしまった彼に話しかけてきたのは、春夏秋冬水と名乗る、一人の少女だった。
そして彼らは、二年生の矢的杏途龍、そして撫子という変人……もとい、独特な先輩達に、珍しい名を持つ者たちが集まる「奇名部」という部活への起ち上げを誘われるのだった……。
・表紙画像は、紅蓮のたまり醤油様から頂きました!
・小説家になろうにて投稿したものと同じです。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
水曜日は図書室で
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
青春
綾織 美久(あやおり みく)、高校二年生。
見た目も地味で引っ込み思案な性格の美久は目立つことが苦手でクラスでも静かに過ごしていた。好きなのは図書室で本を見たり読んだりすること、それともうひとつ。
あるとき美久は図書室で一人の男子・久保田 快(くぼた かい)に出会う。彼はカッコよかったがどこか不思議を秘めていた。偶然から美久は彼と仲良くなっていき『水曜日は図書室で会おう』と約束をすることに……。
第12回ドリーム小説大賞にて奨励賞をいただきました!
本当にありがとうございます!
彼氏と親友が思っていた以上に深い仲になっていたようなので縁を切ったら、彼らは別の縁を見つけたようです
珠宮さくら
青春
親の転勤で、引っ越しばかりをしていた佐久間凛。でも、高校の間は転校することはないと約束してくれていたこともあり、凛は友達を作って親友も作り、更には彼氏を作って青春を謳歌していた。
それが、再び転勤することになったと父に言われて現状を見つめるいいきっかけになるとは、凛自身も思ってもいなかった。
気まぐれの遼 二年A組
hakusuya
青春
他人とかかわることに煩わしさを感じる遼は、ボッチの学園生活を選んだ。趣味は読書と人間観察。しかし学園屈指の美貌をもつ遼を周囲は放っておかない。中には双子の妹に取り入るきっかけにしようとする輩もいて、遼はシスコンムーブを発動させる。これは気まぐれを起こしたときだけ他人とかかわるボッチ美少年の日常を描いた物語。完結するかは未定。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる