手のひらのひだまり

蒼村 咲

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第1章

14-R 突然

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「──佐々木さん。今ちょっといい?」

昼休み、自分の席で本を読んでいると聞き慣れない声がした。

(ええと、この声は誰だっけ)

そう思いながら顔を上げると、そこにいたのは隣のクラス・B組の男子生徒だった。
松岡拓海──サッカー部のキャプテンだ。

「ああ、うん。何?」

玲奈は本を閉じて立ち上がった。ただでさえ身長に差があるのだ。背が低い玲奈の方が座っていると話しにくい。

「ちょっとだけ、来てほしいんだけど」

そう言って、拓海は教室の入り口を指す。その瞬間、玲奈には拓海の目的が読めてしまった。

(これは予算交渉だな……)

おそらく、このあと部室かミーティングルームに連れていかれ(そこにはきっと他の部員──副部長やマネージャーたちとも待ち構えている)、部の予算を増やしてくれと頼まれるのだ。
他の部からも似たような問い合わせがあったので間違いないだろう。
玲奈は内心ため息をつく。

(今更今年度の予算なんて変えられるわけないのに……)

サッカー部のメインメンバーはどんな顔ぶれだっただろう。しつこくない人だといいけれど。
食い下がられたところで玲奈にはどうすることもできないし、結局はお詫びしてわかってもらうしかないのだ。


「なんかごめんね。休み時間に呼び出したりして」

廊下に出ると、拓海が隣からそう声をかけてきた。
絵に描いたようなさわやかスポーツ好青年だし、たぶん根もいい人なのだろう。実際、女子の間じゃ結構な人気らしい。

「大丈夫。暇だったし」

普段なら琴音たちとお喋りをしていることが多いのだけれど、今日は偶然にもみんなバラバラなのだった。
琴音は委員会の仕事だし、琴音と同じ中学出身の飯塚彩佳は部活のミーティングに行っている。
呼び出されるタイミングとしては最高だったかもしれない。

拓海はそのまま廊下をまっすぐ進み、突き当りの外階段へと続くドアを開けた。
様々なクラブの部室が集まる通称「ボックス街」に出るにはここが一番近道になる。
拓海は自分が先に出て、外開きのドアを押さえてくれていた。

「ありがとう」

ドアをくぐりながらお礼を口にする。
祐輝といい拓海といい、最近の男子たちはスマートだと思う。次の人のためにドアを開けておくなんてマナーみたいなものだと言われてしまうかもしれないけれど、男子中学生にはそんな芸当とても無理だったはずだ。

何段か階段を降り、三階と二階の間にある踊り場に着いたとき拓海はふと足を止めた。
そしてこちらに向き直る。

「佐々木さん……良かったら俺と付き合ってくれない?」

(……え?)

思わぬ言葉に玲奈は文字通り固まってしまった。
しかしそれとは対照的に、頭はいつにないスピードで猛回転している。
俺「に」付き合って、ではなく俺「と」付き合って? それはつまりいわゆる男女交際の意味の「付き合う」ということ? 「買い物に付き合う」とか「居残りに付き合う」とかの「付き合う」ではなく? 

いや、でもこんな見るからに引く手あまたのさわやかスポーツ男子が玲奈にそんな申し出をしてくるわけがない。でも確かに「俺と」と言ったし……
玲奈はさりげなく相手を観察する。特別緊張しているようには見えなかった。玲奈が直接目を合わせても、拓海は視線を逸らすことなくそのまま見つめ返してくる。

「えっと……」

とりあえず何か言わなければ、と口を開いた時だった。

(あ、もしかして)

玲奈の頭に一つの可能性がひらめく。
もしこの考えが正しければ、どこかに手掛かりが見えるはずだ。周囲をきょろきょろと見まわしてみる。

「……どうしたの?」

拓海が不思議そうに尋ねてきた。

「え? あ、うん……罰ゲームとかドッキリとかなんかそういうやつかと思って……」

とはいえ、ざっと見た限りではそれらしい人影は見つけられなかったのだけれど。

「え、違うよ。今どきそんなくだらないことしないし」

純粋に驚いた顔だ。ということは、まさか本気なのだろうか。

「ベタだけど、俺佐々木さんが……好き、だから」

そう言って拓海は少し顔を赤らめた。思わず玲奈までドキッとしてしまう。さすがにこれは演技ではなさそうだ。
玲奈が何も言えずにいると、拓海はふっと表情を和らげた。

「返事はもちろん、今じゃなくていいし無理もしないでほしいんだけど、前向きに考えてもらえたら嬉しいかな」

そう言って静かに微笑む。玲奈はどうしていいかわからず曖昧にうなずいた。

「話、聞いてくれてありがと。俺職員室行くからここで」

拓海は二階へと続く階段を下り、校舎の中へと姿を消した。


一人残された玲奈は無意識のうちにコンクリートの壁にもたれかかる。

(え、私ほんとに告白されたの?)

誰かに告白されるなんて、自分には果てしなく縁遠い出来事だと思っていた。もちろん、これまで生きてきた十七年の間には、初恋も経験したし好きになった人だっていた。
でも当然のように全て片想いで終わったし、恋なんてそんなものだと思ってもいた。
誰かに告白されることを夢見た時期も、あったにはあった気がする。けれどそれが叶わぬ夢だと気づくのにそう時間はかからなかったはずだ。
世の中には──いや、自分の周囲に限っても、玲奈よりもはるかに可愛い女の子たちがいっぱいいた。その子たちを差し置いて、自分が選ばれるわけがなかった。

(ああ、どうしよう……)

どうすればいいのか見当すらつかない。そういえば、最後に好きな人がいたのっていつだろう? 中学の時なのではないだろうか。
姿が目に入るだけで心が浮き立って、言葉を交わすだけでついつい頬が緩んでしまうような相手には、残念ながらしばらくお目にかかっていない。

(「好き」って何だっけ? 「付き合う」ってどういうことだっけ?)

今どき中学生でも口にしないような疑問だと自分で思う。
それでも自分の中でその答えを出さない限り、拓海に返事をすることはできないと玲奈は思うのだった。
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