手のひらのひだまり

蒼村 咲

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第1章

7-R 大改造計画第二部

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放課後。
生徒会室で英語の宿題を片付けていると、祐輝がやってきた。

「ごめん遅くなった! 結構待った?」

勢いよく入ってきところを見ると、ここまで走ってきたのかもしれない。
玲奈は首を振る。

「ううん、大丈夫。やることもあったし」

ノートを閉じて立ち上がり、玲奈はぐーっと伸びをした。
と、その様子を見ていたらしい祐輝がこちらを指す。

「あ、それ。今日ちょっと関係するかも」

祐輝の言葉に、玲奈は思わず首を傾げる。伸びが関係する、とはどういうことだろう。
説明を待っていると、答えが返ってきた。

「第二部のテーマは『立ち居振る舞い』だから」

祐輝の目がきらりと光る。
これはいよいよ、外見特化版のマイ・フェア・レディかもしれない。

「自分ではそんなに粗野な感じではないと思ってるんだけど……」

玲奈が恐る恐る言うと、祐輝はうなずいた。

「確かに『粗野』って感じではないね。でもキレイでもない」

相変わらずはっきりした物言いだ。
特別キレイではないのは、そりゃその通りだと思うけれど。バレエや日本舞踊なんかをやっていたわけでもないし。

「姿勢って、みんなが思ってるよりもはるかに重要だから」

「うっ……姿勢……」

これは痛いところを突かれた。
自分の姿勢が決して良いものではないということは、何度か指摘されたことがあるので玲奈も自覚していた。
けれど「姿勢が良い」というのがどういう状態かわからない以上、自分ではどうしようもなかったのが実際のところだ。
それを祐輝は矯正できるというのだろうか。

「生徒会長、猫背って言われるでしょ」

玲奈を横から眺めながら祐輝が言う。
それから「ちょっと、こっち」と、玲奈に向かって手招きした。

「まずは、何も考えないでまっすぐ立ってみて」

玲奈が言われた通り祐輝のそばまで移動すると、彼は軽く腕を組んでそう言った。

(まっすぐ立つ、って……)

正面を向いて立て、という意味だろうか。
とりあえず両手を横につけ、いわゆる「気をつけ」の姿勢で立ってみる。が、祐輝の反応がない。
なんだか不安になっていると、祐輝が正面に移動してきた。

「まっすぐ立つっていうのはさ、こういうこと」

そう言って制服のブレザーを直し、すっと立つ。

(……!)

なんだろう、顔つきと表情のせいもあるかもしれないけれど、堂々と自信に満ちているように見える。

「うわあ……これで制服きっちり来たらまさに品行方正な優等生って感じかも」

思わず感嘆の声が漏れる。

「横からだと、こう」

くるりと向きを変え祐輝の体の左側が見える。確かにまっすぐだった。
背筋が伸びていると、心なしか背も高く見える気がする。

「ところが生徒会長は、大げさに言うと、こう」

そう言って祐輝は急にその姿勢を崩した。背中は曲線を描き肩は内側に丸まっている。
どこか進化途上の類人猿を思わせるのは気のせいだろうか。いや、それよりも。

「え、私そんなにひどいの?」

ほとほと悲しくなりながら尋ねると、祐輝は元の姿勢に戻って目を細めた。

「だから、大げさに言ったらって言ったじゃん」

そう言ってくるりと辺りを見渡す。

「ここ鏡がないからなあ……まあいいか」

そんな独り言をこぼし、祐輝は再び玲奈に向き直った。

「じゃあまず足をそろえて立って」

言われた通りにすると、祐輝の視線が足元に降りていくのが分かった。
決して美脚の類ではないので少し居心地が悪い。けれど彼が見ていたのは全く違うポイントだった。

「O脚気味か……いや、ひざ下O脚だな。まだ軽いけど」

ぶつぶつと独り言のように言いながら、祐輝は玲奈の顔に視線を戻す。

「じゃあ今のその状態から、可能な限りお腹引っ込めて」

うなずいてお腹に思いきり力を入れてみた。
気づけば無意識に息も止めてしまっていたのでそろそろと呼吸も再開する。

「はい、じゃあそのままで、みぞおちからへそを通過して下腹部までが最大限に伸びるような体勢をとる!」

(お腹を引っ込めたままでみぞおちから下腹部を最大限に伸ばす!? それってどういう状態!?)

内心混乱しながらも言われた通りに体を動かしてみる。
すると少しだけだけれど目線が高いところに移動したような気がした。
が、それよりもお腹が苦しい。
いかにも、普段甘やかされた腹筋が急に働かされて悲鳴を上げているような感じがする。

「はい、そして最後に頭の頂点からひもで吊るされているイメージで。足がギリギリ浮かないくらいのところに吊るされてる感じね──そう」

腰から上の筋肉が総動員されている。
けれど丸まっていた背中が伸びた感じがするのは気のせいではないだろう。

「……ぎこちないなあ」

祐輝は愉快そうに笑い、玲奈の背後にまわった。

「上半身の状態はそのままで、肩の力抜いてみて。今持ち上がってる肩をすとんと落とす感じ」

そう言って玲奈の両肩を軽くとん、と叩く。

(──! びっくりした……)

驚いて瞬間的に縮こまってしまった肩からそっと力を抜いてゆく。
すると祐輝は再び玲奈の正面に戻り、今度は頭に手を添えた。

「そして、顎は引く。前に突き出さないように」

言われた通りにしながら、なんとなくマネキンになったような気分だなと思う。
売り物である洋服を最も魅力的に見せるため、体勢やポーズを変えられるマネキン……。
いや、今はほぼ直立不動状態だけれど。

「まあ、許容範囲かな。その感覚を覚えて」

感覚。自分では普通のときより胸を張っているような感じで、常に腹筋が働いている感じがする。
これが世に言うインナーマッスルなのだろうか。
そんなことを思っていると、突然祐輝に思いっきり両肩をゆすられた。

「な、なにす……」

が、抵抗するすべがないので前後にがくがく揺れているしかない。

(あっ、やばい)

体のバランスが崩れ前に倒れそうになる。
思わず両手でかばいそうになったところを、祐輝にしっかりと抱きとめられた。

「大丈夫?」

祐輝は玲奈を助け起こしながら優しく言った。
いったい誰のせいで転びそうになったと思っているのか。そう思っているはずなのになぜか顔が赤くなってしまう──恥ずかしい。

「それじゃ、これでリセットされただろから……さっきの立ち方、再現してみて」

こともなげに言う祐輝の声で、玲奈は意識を引き戻された。
そうだ、今はキレイな立ち方を指南してもらっているのだった。

「ええと……」

お腹を引っ込めつつ、みぞおちから下腹部を最大限に伸ばし、頭のてっぺんから糸で吊り下げられているような感じで、肩の力は抜いて顎は引く。
意外とスムーズにできたかもしれない。

「どうでしょうか」

今回は首を動かす余裕がある。玲奈は祐輝を振り返り尋ねた。

「いいんじゃない?」

言葉の通り、満足げな顔に見えたので安心する。
案外、慣れればどうということもないかもしれない。姿勢が良い人にとってはこれが日常なのだろうから。

「それ、座るときも一緒だから。基本はみぞおちから下腹部までを一直線に伸ばすだけ。あ、腰は逸らさずにね」

そんな調子で立ち方、座り方に加え歩き方まで叩き込まれたときにはもうかなり遅い時間になっていた。
空はほとんど真っ暗だ。

「生徒会長は電車? チャリ?」

生徒会室の戸締りを確認していると祐輝が聞いてきた。

「いや、私歩きで通ってるから……」

自転車でもいいのだけれど、この学校は少し高台にあるので案外歩いた方が楽だったりするのだ。

「そうなの? じゃ家まで送る。そんなに遠くないってことでしょ」

びっくりして思わず立ち止まる。

「え! そんな、悪いよ。遠回りになるし」

しかし祐輝は気にする様子もなく昇降口へと歩いていく。

「春って一番変質者が出やすい季節なんだから、生徒会長も気をつけないと」

そう言ってニッと笑う。玲奈は軽く走って追いついた。

そう言えば、今までには一度も、そういう変な人に絡まれたことがない。
でももし、この「冴えない感じ」がなくなったとしたら、いつか危険な目に遭うこともあるかもしれないのだろうか。靴を履き替えながらそんなことを考える。

「……園田くんって、なんっていうか、女子扱いしてくれるよね。私のことでも」

最初はちょっと失礼な言動が目立ったけど、今なんてこうして家まで送ってくれようとするし。

「まあ、鍛えられてるからなあ……あ、俺チャリ取ってくるから」

そう言って祐輝は自転車置き場へと走っていった。玲奈はその後姿をなんとなく眺める。
鍛えられているって、誰にだろう? 彼女?

(そういえば、彼女とかいるのかな……)

あれほどまでのイケメンだし、気遣いとかもできそうだし、いても全然おかしくない。むしろいないほうが──ん?

(そっか。いるとしても私が心配する必要なんかないんだよね。私なら何も勘違いされる恐れもないし……)

昇降口の照明で、足元に自分の影が伸びている。
ただの影なのに、どうして所在のなさや自信のなさが感じられてしまうのだろう。

(変わりたいなら、自分で変わるしかないんだ)

残念な生徒会長じゃない、完璧な生徒会長になりたい。
玲奈は今日教えられたとおりに、背筋を伸ばし前を向いた。
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