【完結】書架のはざまで

蒼村 咲

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最終話 とける

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「……彼が『邪魔になるもの』として切り捨て続けた『恋』や『誰かを想う気持ち』は、きれいさっぱり消えたわけじゃない」

彼が再び口を開く。
それに伴い、彼の視線はまた宙をさまよい始めた。

「切り捨てられ、彼の中に居場所をなくしたものたちの蓄積──とでも考えればいいのかな。思念か、情念か、意識か、魂か。どう名付けようとあまり意味はないと思うよ」

彼は静かにそう言った。

「彼は一体、どれくらいの想いを切り離してきたんだろう」

淡々とした彼の語りに、表情に──胸が痛む。

「こうして実体を持てるようになったくらいだから、相当な数──あるいは強さかもしれない」

と、彼がこちらを向いた。

「──それがどういうことか、わかるかい」

今ひとつ何を問われているのかわからず、私は首を振る。

「強い想いはさまざまなことを可能にするんだ──魔法でさえも」

そう言って彼は、こちらに手を差し伸べた。私は迷わずその手を取る。
これが最後だとわかっていた。
腕の中に引き寄せられ、強く抱きしめられる。
私の心臓は、もうすでに溶け始めていた。その鼓動を感じながら目を閉じる。

「好きだよ……」

その言葉は私だけに向けられたものではなかったのかもしれない。
彼はきっと、彼を形作っている「想い」はきっと、その時々で異なる誰かに恋焦がれていたのだろう。
それでも触れた唇は柔らかく、温かかった。私の頬を音もなく涙が伝う。

(好き、だった……私も)

私の体の全てが泣いているような気がした。
それさえもやさしく包み込んでしまう真綿の柔らかさ──…。

やがて手が添えられていた肩が、重ねていた唇が、徐々に感覚を失っていった。
目を開けると誰もいない。まるでこの本の匂いに散ってしまったかのように、彼の姿は跡形もなく消えてしまっていた。

(そっか……)

私はずっと、彼の魔法にかかっていたんだ。この書庫で初めて彼に出会った、その瞬間から。
胸に手を当ててみる。彼に何度も溶かされた心臓は、平穏を取り戻していた。

私は演習室から持ってきた本を拾い上げた。
あの時彼が取ってくれた本だった。
入り口横に設置された機械で返却処理をして、もとあった書架に向かって歩く。

(……あ、そうだ、脚立)

書架を見上げて思い出した──一番上の段なのだった。私は脚立を取りに戻る。

「……」

あの時とは違い、書架のはざまには誰もいない。
私は壁際に置かれた脚立を件の書架に運ぶ。
倒れないようきちんと固定して二段目まで登り、そして一冊分空いた隙間に本を差し込んだ。

ずらりと並んだ背表紙を見つめて、私は静かに息をつく。
不思議なことは何も起こらない──彼がかけた魔法はすっかりとけてしまったのだ。

私は脚立を片付け、部屋の外に出た。
想いを閉じ込めるように、バタンとドアが閉まる。
そのドアに背を向けた瞬間、しんとした廊下にオートロックの音が響いた。

夢の終わりを告げる、無機質な電子音が──。


-END-
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