【完結】書架のはざまで

蒼村 咲

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第2話 囚われる

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問題はないはずなのだが──。

「──またあ!?」

演習室のパソコンに向かっていた私は思わず叫んだ。
誰もいないタイミングでよかったと思う。

表示された検索結果には「所蔵──第三書庫」とあった。

どうして私が求める文献はことごとく第三書庫に追いやられているのだろう。思わずため息がこぼれる。
が、しかたがない。私は戸締まりを確認し、演習室を後にした。


学生証のバーコードをリーダーにかざし、テンキーで暗証番号を入力する。
ロックが解除されたのを確認して、ドアを開けた。
一歩踏み入れると、センサーが反応して書庫の中の照明が一斉に点いた。

(……ってことは)

今日は誰も来ていないのだろう。
私は足早に通路を進んだ。
書架と書架の間隔は狭く、天井近くまで本が詰まった巨大な本棚がずらりと並ぶ様にはかなりの威圧感がある。
私は著者の頭文字から位置におおよその見当をつけ、一冊ずつ背表紙を確認していった。

(あ、あれだ……)

目的の本は書架の一番上の段にあった──さすがにあれは届かない。
脚立を取りに行こうと通路に出ようとした時だった。

「──!」

目の前に彼がいた。
驚きのあまり声すら出ない。
だって今の今まで、足音どころか何の気配もしなかったのに──。

「……もうここには来ないかと思った」

伏し目がちに、彼はそう囁いた。

(あっ……)

彼の声に私の中のどこかがピクンと反応したのがわかった。まずい、と思う。
ほら今だって、彼を押しのけて立ち去ることができる。
今日のところはあの本を諦めて逃げ出せばいい。そうわかっているのに、私は動けなかった。

彼がゆっくりとこちらに手を伸ばしてきた。
ほら、この手を払いのけてしまえばいい。それが無理ならよけるだけだっていい。
でも私はその手を取ってしまうのだ。

手と手が触れた瞬間、力いっぱい引き寄せられた。
気づけばまた彼の腕の中に抱きすくめられている。
身じろぎもできないくらいの力なのに、優しい──怖いくらいに。

(キス、くらい……)

彼の腕の中で、私はまた意味もない言い訳を繰り返した。
キスくらい。なんということはない。
キスくらい。彼氏だっていないし。
キスくらい──…。

と、彼がふっと腕の力を抜いた。
私は彼の胸に手を添え、ゆっくりと顔を上げる。
やはり彼の目には影が宿っていた。
そして私は今日もまた、その瞳にほんのわずかな揺らぎを見出してしまう。
見なかったことにはできなくて、私は静かに目を閉じた。

一瞬の間をおいて、温かい唇が重ねられる。

(この感覚って……)

全身がふわふわした何かに絡めとられていくようだった。
この感覚は一体何なんだろう。優しいのに──哀しい。
こうして哀しいと感じるのは、彼が哀しいからなんだろうか。彼が哀しいと感じているからなんだろうか。

(ああ、また……)

心臓が大きく跳ねた。そして熱く溶けてゆく。──これは、この感覚は、何?

ゆっくりと唇が離れてゆくのを感じて私は目を開けた。
と、彼を見つめる間もなく抱きしめられる。少し苦しいくらいの力だった。

(あっ、そうか……これって……)

彼から感じるのは「焦燥」だった。
彼の焦りが、腕に込められる力に表れているのだ。
だからこんな風に抱きすくめられるのを、どうしようもなく心地よいと感じてしまう。
彼の性的な魅力の問題ではない。
ある種の麻薬のような、甘美な誘惑がそこにはあるのだ。
そう、「求められている」という実感が──…。

私を離した後、彼は何も言わなかった。
無言で書架の間に体を滑り込ませる。
わきに突っ立ったままの私は、それをぼんやりと見ていることしかできなかった。
胸の奥が不自然なほどに疼いていて、体がうまく動かせない。

「──はい」

目の前に差し出されたのは、私が探しに来た本だった。
そう、さっきそのために脚立を取りに行こうとした──。

「どうして……?」

わかったの、という思いを込めて彼を見上げる。
ところが、返ってきたのは短いキスだった。
私が本を受け取ったことで空いた右手を私の後頭部にあてがい、唇を寄せる。

「っ……」

ほんの一瞬だったのに、私の心臓はまたも熱く溶け出した。
彼はそのまま去ってしまったけれど、私の心臓は溶けたままでドクドクと波打っている。
私は書架に寄りかかって体重を支えながら悟った。

(もう、だめかもしれない──…)
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