光の河

森山葵

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十、ブロッコリーの天ぷら

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- 十 -
 学園祭まであと二日。学校では不謹慎なくらいの盛り上がりを見せていたが、僕とギンガはとてもじゃないが学園祭と言って騒ぐ気持ちになれなかった。
「ツバサさん……」
あれからずっと天体観測をする気にもなれなかった。ただただ彼女のことを考えてばかりで虚しく時間を空費していくだけだった。
「なあ、そんなに悩むなよ、悩んでもどうしようもないだろ」
「……」
ギンガに何を言われてもただ耳から入って言葉が出て行くだけだった。
「なあ、おい」
ギンガの声は苛立っていた。でも、そんなの気にならないくらい大きな、ただやりきれない気持ちだけが心中にある。
「ツバサさん……」
彼女の名前を何度も何度も繰り返し言った。そしてひたすらに自分の無力さを嘆いていた。
「ヤス、元気出せって」
「無理だよ」
「ならうまいもんでも食いに行こ、な?いいだろ」
ギンガの飯の誘い、いつもなら断らないけど今日ばかりはどうしても乗り気になれなかった。
「奢るから、ついて来いよ。吉弥食堂行こうぜ」
奢るならまあいいか、と思ってついていくことにした。

 吉弥食堂にしては珍しく、この時間帯にしてはだいぶ席が空いていた。
「ラッキー、ついてるぜ。ほら、早く座ろうぜ」
ギンガは無理に僕を元気にしようとしてなのか、やたらといつもにない明るさで振舞っていた。
席に着く、いつもならメニュー見ずにラーメンを頼むけど、今日ばかりはあの大盛りラーメンを食べる元気がなかった。メニューを少し見て、何かめぼしいものがないかぼうっと見つめていた。
「お前ラーメンにせんのか?」
「今日は食欲ない」
「珍しくなぁ、お前がそんなこと言うなんて」
「食べたくない……」
「そんなことばかり言って、ちゃんと飯食ってんのかよ」
実を言うと、この一週間まともに飲み食いした記憶がない。ひょっとしたら、何も食べてないのかもしれない気さえした。
「お前が元気なくしてどうする、そんなお前見たらツバサさんも悲しむぞ」
「だけど……」
「お前女を悲しませんのかよ」
ギンガは口調を荒げた。
「お前はそんなやつじゃねえだろ。一番悲しいのは踊れなくなったツバサさんなんだよ。お前は悲しむんじゃなくて、ツバサさんを元気づけてやらないといけないだろ?なぁ」
ギンガの言う通りだ、でも、自分が今どうしたらいいのか、何をするべきなのかわからなかった。
「とりあえず食おう、何食う」
「そう言われてもなあ……」
メニューに目を通す。普段目を通さないけど、さすが大衆食堂。ラーメン以外にも結構メニューがある。
「ラーメンが嫌なら蕎麦どうだ?」
「蕎麦だと?」
「ああ、信州の生蕎麦。うまいぞ」
「そんなことわかるさ。ただ蕎麦かぁ……」
べつに嫌いじゃないが、喉を通るか心配だった。
「お前知らないかもしれないが、ここの蕎麦は手打ちでめちゃくちゃうまいぞ。特にここの天ぷら蕎麦は一風変わっててな、天ぷら蕎麦の天ぷらと言えば普通なんだ」
「かき揚げだろ」
「だろ。ただ、ここの蕎麦は違うんだなぁ」
「なんの天ぷらだ」
「それは食ってからのお楽しみだよ」
「ほう」
蕎麦のことを考えると少し食べたくなってきた。蕎麦を食べるのは久々だ。信州は江戸時代から蕎麦で有名で、信州人は好んで蕎麦食す。自分はどちらかといえばあったかい蕎麦が好きだが、冷たいざるそばも捨てがたかった。結局季節的にざるそばかな?と思ってざるを注文した。打ち立てのざるそばには安曇野の清流で育った山葵を使用すると信州の香りを一遍に楽しむことができる。ざるそばを山葵入りのつゆにつけて食べるのを想像したら、なんだか一気に腹が減ってきた。それに天ぷらは何が合うかというと、かき揚げだが、エビのかき揚げはちょっと生臭い。信州人にとって海鮮はあまり口に合わない。代わりにそら豆と玉ねぎのかき揚げがよく合う。そら豆を噛んだ時のあのしっかりした歯ごたえと、シャキシャキの玉ねぎの食感が絶妙にマッチする。あったかい蕎麦には揚げたての天ぷらは合わないが、ざるとなると揚げたてのカリッとしたものを少しだけつゆにつけて、蕎麦と一緒に食べる。蕎麦の清涼な風味としっかりした味のかき揚げがまたなんとも言えない世界観を生むのだ。想像しただけでヨダレが出る。
「お待ちどぉ様」
おばちゃんが蕎麦を運んできた。ざるに山と盛られた蕎麦に、薬味の山葵とネギ。そして天ぷら。蕎麦の三役揃い踏みだ。さてさて、まずは一口目。そは通となると、一口目に薬味を何も乗せずに蕎麦を数本すする。無論、僕だって形式張ってまず一口何もつけずにいただく。蕎麦の豊かな風味が口に広まる。二口目。ここで薬味のネギを入れる。ネギがあることで蕎麦がより旨味を増す。それだけでなく、豊かな信州蕎麦の風味を倍増させる。そこに山葵を入れればもう向かうところ敵なし。ツンとくる辛味にネギの爽やかさ、蕎麦の軽い味わいが口の中でエマルジョンする。そして少し蕎麦を食べたらいよいよ天ぷらと蕎麦の巡り合わせだ。ここの天ぷらは……
「え?」
思わず自分の目を疑いたくなった。かき揚げはわかるが、それ以外の天ぷらは今まで油の中をくぐるという発想もなかった野菜達だった。
「ブロッコリーだと?」
「そうだよ、ここの名物、ブロッコリーの天ぷらだ」
ブロッコリーといえば茹でたものにマヨネーズをかけて食べる、もしくはホワイトシチューに入れて食べるのが王道だろう。しかし、この野菜を油にくぐらせるなんてこと、今まで考えもしなかった。自分の胸に一種の緊張と不安に似た感情がよぎると共に、小さな期待感が生まれた。この未知の調理法が果たしてどんな世界を見せてくれるのか。恐る恐る蕎麦つゆにつけて、蕎麦と一緒に啜る。
「んっ」
口に入れた途端、ブロッコリーの小さな蕾の部分がカリッとよく火が通っていて、ジュウシーな味わいが口いっぱいに広まった。ブロッコリーではなく、高級な黒毛和牛を食べているかのようで、噛めば噛むほどにブロッコリーの心地よい歯ごたえを感じた。
「信じられない」
初めて大粒のエメラルドやサファイアを手にした時の感動と似ている。ブロッコリーなんて野菜、好物とみなして食べる人間はそう多くないだろう。でも、この天ぷらは革命だ。ブロッコリーをここまで進化させるなんて、考えた人間は天才だ。
「美味い」
もちろんブロッコリーの天ぷらに及ばずとも、他の天ぷらも相当美味い。蕎麦を味わうことも忘れ、夢中で平らげた。
「どうだ、満足したか」
僕は大きくうなづいた。なんだが先程まで心にあったモヤモヤが一気に消えていった。美味いものを食べると人間は元気になれるんだと改めて思った。
「いやぁ、これはいいね」
「元気になって何よりだ。さて、今度は俺らがツバサさんを元気にしてやらんとな」
「そうだな」
お腹が膨れたら色々と思考が浮かんできた。さて、本当にどうしたものか、ツバサさんを元気にしてあげるために何か方法がないだろうか。
「なんかさ、漫画っていいよな」
「何がだよ」
「ほら、超回復魔法とか使って、どんな病でも直しちゃうってやつよ。あんなのが使えたらなぁ」
「バカ言うなよ、そんなこと……」
そこで僕はあることを思い出した。
「そうだ、ギンガ、あるかもしれない。ツバサさんを救うことのできる魔法が」
「は?なんだそれ。俺冗談で言ったんだぞ。そんなことあるわけ……」
「光の河だよ」
ギンガが言い終わる前に自分は言葉を重ねた。
「は?そんなもんお前の曾祖母さんの昔の話だろ、第一に光り輝く河なんて……」
「いや、さっきふと思ったんだが、ちょっと耳貸してくれるか」
ギンガは耳元を僕の口に近づけた。僕はギンガに光の河のことについて話し始めた。僕は数日前、光の河のありかを掴んだ。ひいばあちゃんが見た光の河。今までずっと空にあるものだと思い込んでいたが、そうじゃなかった。でも、普段は見えない。特別な条件が必要になる。
「なるほど、これはいけるかもしれんな。ただ大丈夫か?こんなことして」
「ツバサさんを救うためなら退学になってもいいさ。彼女の元気がない世界なんてありえない。やってやろう。ギンガ」
ギンガは高らかに笑った。
「いいだろう。我が地学部のマドンナを救うために一肌脱いでやろうか」
僕らは決心した。光の河をツバサさんに見せれば、きっと僕のひいばあちゃんのように彼女は元気を取り戻してくれる。
僕らは店を出ると、急いで学校に戻った。
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