味噌汁と2人の日々

濃子

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第1話 トマトとネギ

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 今日もいつも通り、朝起きて洗濯して身支度をして仕事して、家の掃除をして彼を待っている。
 月の半分以上は仕事でいない伴侶のことを。

 朝、スマホの通知を確認して連絡がなければ帰ってこない。イタリアと日本を忙しく行き来する彼は、仕事以外にスマホはさわりたくないらしく、連絡は最小限だ。
 仕事用とプライベートで分ければと言ったら、「面倒だから」、と断られ、「アキトがもったら?」と逆に勧められた。
 仕事と言っても、在宅のほそぼそとした絵本描きだ。スマホが2台もいるわけがない。家も彼の祖母から譲られた二人暮らしには広すぎる屋敷。
 
 一之瀬明兎はここで自分の仕事と屋敷の掃除をし、彼の帰りを待っている。

 一緒になるときの約束で彼が言った。
「食事は外ですますから、家ではアキトの味噌汁だけ飲みたい」
 帰ってきたら彼は明兎の作る味噌汁を飲んで寝る。
 
 大学生のとき同じマンションに住み、25才のときから結婚したつもりで彼の祖母の屋敷をもらい、結婚生活をはじめた。
 もう、10年経つ。
 お互いの生活スタイルがはっきりしている現在、相方がいない生活も慣れたものだ。
「ーーあれだけ寂しいって泣いてたのになー」
 いまじゃ帰ってくる彼のシャツに、知らない匂いがついていても聞くことはない。

「窓ガラス、拭かなきゃ」
 この間の大雨でガラスが汚れてしまった。
 ひとりでは屋敷の維持も大変だが、住ましてもらっている以上それぐらい当然だ。稼ぎも微々たるものしかないのに、それは使わなくていいと言われ、すべて彼もちで生活させてもらっている。
 屋敷の維持をしてくれるのがありがたいというが、そんなわけない。
 いまの生活はまるで寄生虫みたいだ、と明兎は自虐的に自分をみる。
 だからといって別れるのも、自分の中ではない。向こうから言い出されたら、どうしたらいいのかわからないが。

 ひとりのときは買い物にも行かず、あるものを食べて生活する。
 冷蔵庫を開けるともうすぐなくなりそうな牛乳と、昨日の夜作った昆布水がタッパーに入っている。そして、バターとパンがあるだけ。野菜室にトマトがひとつあったので、晩ごはんはこれでいい。
 昆布水はもらいものの冬瓜を煮るのに使うか。
 本当にひとりというのは食べるものもだが、着るものも気にしない。
 屋敷中の窓ガラスの掃除を終え、三日ぶりにシャワーを浴びて今日はもう終わりだ。
 充実した生活を送る相方に比べて、自分の生活の寂しいこと。
 イタリア語でも習おうと思っているのだが、英語でもままならないのにハードルが高い。
 ひんやりした浴室にシャワーで熱いお湯をかける。

 たまには湯にもつかろうかな。

 湯をはる間に床の目地を丁寧に掃除をする。
 古い屋敷だ。手入れや掃除は欠かさないが、経年劣化には勝てないところがある。目地詰めぐらいできるがヒビが入っているタイルがあり、どうしようか思案中だ。

 明兎は髪の毛を洗いはじめた。どうしても髪の毛を洗っていると目をつむってしまう。ずっとつむっていると後ろに誰かいないか確認したくなるが、なぜなんだろう。
 背後に気配なんかないのに、ひとりで風呂に入っていると、誰かが侵入してきたらどうしようと考えてしまう。

 30も後半になってきたのに弱い精神だな、と明兎は自分に笑う。
 流し終わり髪の毛のお湯をきる。一度タオルで髪の毛を拭いてから浴槽に入ろう。

「タオルー……」
 手を伸ばした。
「はい」
 渡されたタオルに驚き、急に聞こえた返事に跳ね上がる。
「え!?」
「何を驚いてるんだ?」
 目を向けると、明兎の相方が裸で立っていた。
立夏りっかー」
「夜には帰るって送ったけど?」
「きたかな?」
 立夏ことリッカルドはイタリア人の父親と日本人の間に生まれたが、彼の祖母も日本人だから父親がハーフで彼はクォーターだ。金髪に近い栗色の髪、青い目の美青年で背も高い。
 名は立夏だが、本名はリッカルド・カノッサという少々いかつい名前だ。日本では、浮島立夏、母親の姓を名乗っている。

 正直、明兎と立夏では釣り合いはまったくとれていない。陰気でひ弱な明兎となぜ一緒にいるのか、仲の良い友達も首を捻る。

 よっぽどおまえあっちの具合がいいんだなー、と言われたが、そんなこともない、と思う。
 
 浴槽に入ると軽くキスをされたが、立夏にとっては挨拶のようなものだ。
 ジュニアハイスクールを卒業後、立夏は親の離婚で日本に来た。ただ、父親との関係は良好で、仕事も父親の会社で仕事をし、イタリアを拠点に働いている。
 イタリアに移住しよう、とは言われているが、現在明兎の母親が老人ホームで暮らしているため、それに返事はしていない。


「味噌汁の具はーー、あっ、トマトと冷凍のネギ!」
 台所で慌てて作り出す。昆布水は作っておくと本当に便利だ。昆布を拭いて水につけておけばできるのだから。
 沸騰した昆布水を弱火にして味噌を溶く。後は切ったトマトとネギで完成だ。

 ノートパソコンをいじっている立夏に声をかけ、机の上に味噌汁とお茶を置く。
「ありがとう」
 立夏は早速お椀に口をつけ、「はあー」、と満足そうな声をあげた。
「うまいよ」
「そう?」
 後でパンでもかじろう。
 洗濯をしようと脱衣場に行き、立夏のシャツの襟元を洗面台でこする。こすった立夏のシャツを洗濯ネットに入れようとして、手をとめる。眉をしかめ溜め息をつく。

「知らない匂いー……」


「アキトー」
 洗面所に立夏が顔を覗かせた。
「何?」
「それ終わったら、後ろ準備してこいよ」
 立夏の言葉に明兎は顔を赤らめた。
「時間、かかるよ……」
「ほぐすのはオレがやるから」
 明兎は頷いた。

 立夏はお国柄か夜の行為のとき、こちらが恥ずかしくなるぐらい情熱的に愛してくれる。
 愛の言葉も日本人が言わないような照れくさいことまで囁き倒される。

 僕にそんな価値はないのに。
 明兎は思う。

 けど、抱かれることはうれしいから、シャツの匂いは忘れることにするよー。

 今日も明兎はシャツの匂いについて、聞かないことにしたー。きっとそれが、関係を壊さない大事なことだから……。
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