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バッカイア・ラプソディー編 (長編)
番外編 スズとコランダム
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錫は泣いていた。
泣いて、泣いて、泣いて、誰も助けてはくれないのに泣いていた。
「いつまで泣いてらっしゃる」
教皇と呼ばれる白いローブの男トロウェルが、呆れたように言うが、錫の耳に入らない。
「明日からは講義が始まりますぞ。スフェーン、後は頼みます」
「はい」
金髪の緑色の目をした美青年が、錫の前に屈んだ。
「スズ様、私はスフェーンと申します。早速ではありますが、スズ様には私か私の弟か、選んでいただきたい」
何よそれ!
錫は彼を睨んだ。気が弱いのか、小さな錫に睨まれただけで、スフェーンは俯いた。
「兄上ーー」
後ろに控えていた美青年は、スフェーンより少し若い。金髪を無造作に束ねていて、目が緑に青が混じっている。
ーーあら、きれい。キラキラして見えるわ。
「急にそんな事、答えられる訳が無い」
「だが、今日から護衛として一緒にいなければならないのだぞ。タケ様は次の護衛は決められてはなかった。私達で何とかしなければ」
「二人とも、駄目だったんだろーー。さぁ、スズ様、お食事でも一緒にどうです」
第二王子コランダムは、錫に優しく声をかけた。
「あなたーー」
「はい?」
「わたし、あなたがいいわ!」
「えーー!」
その日から、錫とコランダムは長い時を共に過ごす事になった。
決め手になったのは、コランダムが弟だからだ。長男は色々ややこしい。一緒にいなければならないのだから、絶対男女の仲も疑われる。結婚しろと言われた場合、弟がいいに決まっている。ただでさえ、女は大変なのだからーー。
錫は母を小さい頃に亡くしてからは、後妻家族からはボロ雑巾のように扱われ、使用人達からは肥溜めでも見るような嘲りを受け続けた。
最終的には、子供が6人いる闇商人の後妻に行かされるところを、こちらに喚ばれた。
闇商人は子守を無くしてどう思ったのかーー。
「本当に、ひどい話よね」
錫がボソッと言う。
「どうしたんだ?」
歳を取ってもハンサムな旦那様、コランダムが錫にお茶を入れてくれる。
「王太子妃ルチアの話よ」
「あー」
「愛人の子を殺しかけたそうよ」
「気性が荒そうだからな」
「私達の前では猫を被るのよ。アダマスは、スフェーンのやっとできた子だから、すごく甘やかされてしまったし」
やりたい放題バカ王子。
自分が三十五才のときに、アダマスが生まれた。錫は三十歳でティンを産んだから、焦りはあったのだろう。もっともティンの存在は明かす訳にはいかないがーー。
「あら、コーン。お帰りなさい」
子竜のコーンフラワーブルーは、コランダムと錫の間に出来た神竜だ。好奇心旺盛で、最近は見かけなかったから、あちこち飛んでいたのだろう。
「また、ティンのところにでも行ってたのだろう、あいつは細君と別れて日が経っていない。もう少しそっとしときなさい」
コーンフラワーブルーは、人間の姿に変わった。
「大丈夫だよ。別に好きでもない人だったんだし」
見た目が五、六歳でも、中身は三十過ぎのおっさんだ。
「ティンは断らんからなーー」
「それで思ってたのと違うはないよーー。人間って変だね」
そうね、と錫が言った。近過ぎても駄目、離れ過ぎても駄目、程々が一番なのだろうけど。
ーー次ノーー。
「あら、女神様」
「大祖母様なんて?」
神竜は時空竜の女神様の事を大祖母様と呼ぶ。例え何代も離れていても、大祖母様らしい。
「次の聖女の護衛に、アレクセイを付けよ、と。コランダム、スフェーンに連絡をとって。あの男、ルチアを止めないらしいわね。久々にいじめてやろうかしら」
錫は手を鳴らした。
聖女生活も五十年を迎えた。
長すぎた。何度か逃げ出した。
その度に、コランダムに連れ戻され、あなたが私の事を一番に考えないからよ!と怒って、
年甲斐もない方法で、仲直りしてきたのよねーー。
鍛えてるからすごくて、ってこんなおばあちゃんが何言ってんのかしらんーー。
「次の聖女かーー」
感慨深けにコランダムが息をつく。
「サントの花も咲いた。ようやく、私の時代が終わるのよ」
「よくやってくれた。ありがとう、スズ」
「あなたがいたから、私はがんばれた。次もそうであって欲しいわー」
魔蝕を浄化できるのは聖女にしかできない事ーー、この世界の不変の法則に、次の聖女もぶつかるだろう。
なんで、なんで!
子供を流産した次の日も、魔蝕の浄化に行った。
ティンが大怪我をした日もだ。
それでも、コランダムがいたから、自分はやってこれた。
不器用で、優しい、私を大好きな旦那様。
あなたに会えたから、私はやり切る事にしたのよ、あなたと一生いたいから。
アレクセイとはじめて会ったとき、錫はその強さの異質さに、すぐに気付いた。
死に近いーー。
いつでも死んでいいと思っている。
「アレクセイ、私は聖女スズ」
無表情にアレクセイは頭を下げた。
「あなたにはコランダムのやる事をしっかり覚えてもらいます。次の聖女の護衛として、誰よりも強くおなりなさい」
十三歳になるかならないかの少年は、人形のように頷いた。
ルチアにより七歳から十歳迄の間、暗黒大陸に放り出された。だが、少年は、悪神を斬り、身に付けた魔法で自力で戻ってきた。
そして、十二歳で、強国バルドの軍隊を、壊滅寸前にまで追い込んだというーー。
「ただ、魔蝕がないときは基本、あなたの好きにしなさい。生活には干渉しないわーー」
自然とアレクセイはコランダムといる事が増えた。正直、彼の剣術の腕がよすぎて、コランダムぐらいしか相手ができなかったからだろう。
ーー末恐ろしい才能だわ。
錫も、女神様の御心を疑うわけではないが、彼で大丈夫かという迷いはあった。
護衛は、聖女の為には、何があっても生き残らなければならない。聖女一人を戦場に送ることがあってはならない。
どんな卑怯な戦い方でもいい、生き残る術を磨くのよーー。
護衛に対する絶対的な信頼がないと、いくら神力が強くても心が負ける。負ければ魔蝕に取り込まれる。
この人なら大丈夫、何があっても自分を支え、盾になるという安心感。それがないと浄化はうまくいかない。
アレクセイがそうなってくれるだろうかーー。
私があちらに行けたらーー。次の聖女に会いたい。アレクセイの聖女に会ってみたい。
私の力では足りないーー。
アダマス、どうして気が付かないの?この子の深い暗闇に。一人でそこにいる強さにーー。
引き取って終わりなんて、犬や猫を拾ってきて面倒を見る子供の方が、よっぽどえらいわよ。
錫は本当に、アダマスには嫌悪しかなかった。
大恋愛か何か知らないが、娼館の女に入れあげ、スフェーンと大喧嘩。無理やり結婚させられたルチアとは上手くいかず、娼館の女と別れても、すぐに他の令嬢とロマンスの真っ最中。
悪い人間ではないが、自分の思い通りに物事が進まないと、すぐにそっぽを向いてしまう。
スフェーンはすぐにへこたれるし、アスターは事なかれ主義だし、王族の男は、自分の夫を除くと変なのばかりである。
アレクセイにしても母親が亡くなり、娼館の主人から王宮に連れて来られ、顔がよく似ているだけで息子になり、そして王太子妃から虐待を受ける毎日。
来ない方がよかったと思っているだろう。
ただ、魔法騎士団の将軍達は、昔からアレクセイの事をよく見ているようだった。
アンダーソニーや、ヤヘルは、自分達よりよほど可愛がっている、とコランダムが言った。
アレクセイ自身も彼らといることが、心地良いように見えた。
きっといい方向へ行く、と思っていたある日、アレクセイが火山の火口で大火傷を負ったという連絡が入る。
その頃には、錫には聖女の治癒聖魔法が使えるようになっていたので、睡眠もとらずにひたすら治癒聖魔法をかけた。コランダムや、アンダーソニー、ヤヘルも交替して治癒魔法をかけ続けた。顔と腹に火傷の痕は残ったが、アレクセイは一命を取り留めた。
「何があったの?」
錫の問いに、ヤヘルが言いにくそうに答えた。
「王妃が、アレクセイ殿下の魔力を封じ、火山口に落としたそうです」
錫の開かれた目からは、大粒の涙がこぼれた。
「なんて、ことーー」
アダマスは何をしていたの!双子の世話なんかしてる場合!
「呪ってやる、あの女!」
「スズーー」
「例え呪い返しがきてもいいわ、あの女、絶対地獄に突き落としてやる」
錫の怒りは誰にも止められなかった。
「スズ様ーー」
身体を引きずるようにして、アレクセイが現れた。
「アレクセイ!」
「私なら大丈夫です。人を呪うなど、おやめ下さい」
「アレクセイ!」
錫の怒鳴り声に、皆がピクリとした。
「あなたが怪我をした、そういう問題じゃないの。あなたは私が次の聖女の護衛にしたのよ。それがどう言うことか、あなたはわかる!」
アレクセイは答えた。
「聖女の為に、捨てる生命です」
「違う、この馬鹿!死んでどうすんのよ、あんたが死んだら聖女を誰が守るのよ!あんたの後ろに誰がいるのよ!誰ならあんたより強いのよ!聖女を一人にしないのよ! 」
錫は一気に捲し立てる。
「考えた事ある?こっちは何があっても、五十年、魔蝕を浄化し続けないといけないのよ!ちょっとでも考えなさい!あんたはこれからそれに付き合うのよ!王妃の馬鹿なプライドに付き合って、死んでる暇はないのよ!死にたいなら、次の護衛を探してからにして!あんた以上に強い魔力と剣術の持ち主、ここに連れて来なさい!そしたら死んでもいいわ!」
錫の心からの悲鳴に、アンダーソニーとヤヘルは目を瞑った。小さい頃から目をかけて下さった聖女様。自分達ができることは何もないのにーー。
「だけど、コランダムはずっと、いてくれた!私が、泣いてるとき、行きたくないとワガママ言ってるとき、風邪引いたときも、子供を流産したときだって、絶対逃げたりしなかった!」
アレクセイが顔をあげた。
「あんた、この人の後継者よ。自分を誇りなさい。今はわからなくても、自分を軽んじるんじゃないわよ!」
アダマスはアレクセイの顔の火傷の痕を治した。
かけた言葉はなんだったのか、錫は知らない。
それからしばらくして、王妃は原因不明の病に倒れた。長く苦しんだ闘病生活の後、第二王子クリステイルに看取られながら苦しみの中、逝ったという。
「ごめんね、コランダム」
コランダムが大きな咳をする。
「私が人なんか呪うからあなたが呪い返しを受けてしまったーー」
錫の落ち込みに、コランダムは笑った。
「大丈夫。こんな事はなんでもない。ただ、」
「ただ?」
「おまえを残して逝くのがつらい。こんなにもつらいのかーー」
コランダムの言葉に、錫も泣き崩れた。
「私もすぐに逝くから、大丈夫よ。でも、あなたの葬儀はちゃんと私が取り仕切りたいの。でないと、ティンが、棺にも近寄れないでしょ」
「ーーそうだな。すまない」
「ありがとうーー、愛しいあなたーー」
「ありがとう。愛しい妻よーー」
コランダムは苦しみを見せる事なく逝った。
長く連れ添った連れ合いを失い、悲しみにくれる間もなく、錫は魔蝕の浄化に赴いた。
王国最強と呼ばれるようになった、アレクセイを連れて。
ーーまあ、ここが私の故郷なの。
戸惑うしかない、一体何なのだ、この国は。
ピカピカキラキラー。夜なのに、これは電球なの?
背の高い建物が、詰まったように建っている。私、間違えたのかしら?
錫は時空転移ができるようになり、アレクセイの魔力を無断で借りて、元の世界に飛んだ。
アレクセイを帰りの座標にしているが、ちゃんと視えている。帰れるだろう。
こちらの国では、魂の輝きが違う少年が座標だ。時空竜の女神様の鱗も、ちゃんと心臓にある。
ーーあら、次の聖女は男の子なの?アレクセイは大丈夫かしらね。
顔のきれいな少年は、ガラの悪い少年達と喧嘩の真っ最中だった。
殴って殴られて、蹴り飛ばしてーー。
ーーなかなかやんちゃさんね。
「けっ、雑魚が」
ーー口も悪いわ。女神様、顔でしか選んでないのかしら。
少年は夜の町を一人でふらふらしている。
ーー頭の中を覗いてみよう。
はぁー、いざ死ぬってなると死に場所って難しいなー。毒なんか手に入らないし、飛び降りなんて片付ける人に悪いし、電車に飛び込むのも車掌さんや乗客に申し訳ないし、手首切るのもちゃんと切れるか心配だしーー。親父達が見つけても、そのまま放置されてて、清掃業者の人に迷惑だろうしーー。
少年は、溜め息をついた。
ーー何この子、すごい魂が健康だわ。
さすがは聖女。負の感情が薄い。死ぬ気でいるのに、後始末をする者への申し訳なさばかり考えている。
『ねえ、あなた』
「えっ?」
『馬鹿なことしてないで、今のうちにこっちで後悔のないようにしときなさい』
「何、おれ歩きながら寝てんの?」
『もうすぐ迎えがくるからね。それまで死んじゃだめよ』
「結局、迎えって、あの世かよ。きれいな死神さんですねー」
『あなたの為だけの人がいるからーー』
「はぁ?」
『あなたの為だけに生きてくれる人がいるから、しっかりしなさい!』
「は、はい」
『やり残した事は?』
「あぁ、ばあちゃん家の遺品整理ぐらいかなーー」
『じゃあ、がんばって。一、二年ぐらいあればいい?』
「ーーあぁ」
『じゃあ、さようなら』
もう少し話したいのに。力が保たなくて残念だ。
二度とは会えない、私の唯一の同志よーー。
「いいわね、アレクセイ。あなたはこれから、あの子と出会うわ。必ず出会うから、死にたいなんて言わないで。あの子がひとりになってしまうから」
アレクセイがわかったのかどうかはどうでもいい。
これから、必ず理解するのだから。
「同じ景色を二人で見ていくのよ。
必ず、あなたはあの子を大事にするーー。
何より、あなたの大事なものになるのーー」
すぐにわかる。あなたが理解できないならば、この国も、この世界も終わりだ。
ただ、あなたが私の言葉の意味がわかったのならば、あなた達ほど幸せな存在は、この世にはないだろうーー。
生命がつきる。
二日前の魔蝕の浄化が、かなり身体に堪えた。
「教皇、召喚の準備よ。魔導師室長を呼んで」
錫は死の間際でさえしっかりしていた。
「コーン。しっかりね、たまにはティンのところに来てあげてね」
「ティンが死ぬまでは、こっちにいるよ」
「そう。女神様には感謝しかないわね」
教皇はトロウェルからパルテナ、そして数年前にミハエルに代替わりした。時代は確実に次へと向かっている。
さようなら、私の国。
さようなら、私のいない国ーー。
魔導師室長に看取られ、聖女錫は生涯を終えたーー。その意志は、聖女ルートへと引き継がれていくだろうーー。
泣いて、泣いて、泣いて、誰も助けてはくれないのに泣いていた。
「いつまで泣いてらっしゃる」
教皇と呼ばれる白いローブの男トロウェルが、呆れたように言うが、錫の耳に入らない。
「明日からは講義が始まりますぞ。スフェーン、後は頼みます」
「はい」
金髪の緑色の目をした美青年が、錫の前に屈んだ。
「スズ様、私はスフェーンと申します。早速ではありますが、スズ様には私か私の弟か、選んでいただきたい」
何よそれ!
錫は彼を睨んだ。気が弱いのか、小さな錫に睨まれただけで、スフェーンは俯いた。
「兄上ーー」
後ろに控えていた美青年は、スフェーンより少し若い。金髪を無造作に束ねていて、目が緑に青が混じっている。
ーーあら、きれい。キラキラして見えるわ。
「急にそんな事、答えられる訳が無い」
「だが、今日から護衛として一緒にいなければならないのだぞ。タケ様は次の護衛は決められてはなかった。私達で何とかしなければ」
「二人とも、駄目だったんだろーー。さぁ、スズ様、お食事でも一緒にどうです」
第二王子コランダムは、錫に優しく声をかけた。
「あなたーー」
「はい?」
「わたし、あなたがいいわ!」
「えーー!」
その日から、錫とコランダムは長い時を共に過ごす事になった。
決め手になったのは、コランダムが弟だからだ。長男は色々ややこしい。一緒にいなければならないのだから、絶対男女の仲も疑われる。結婚しろと言われた場合、弟がいいに決まっている。ただでさえ、女は大変なのだからーー。
錫は母を小さい頃に亡くしてからは、後妻家族からはボロ雑巾のように扱われ、使用人達からは肥溜めでも見るような嘲りを受け続けた。
最終的には、子供が6人いる闇商人の後妻に行かされるところを、こちらに喚ばれた。
闇商人は子守を無くしてどう思ったのかーー。
「本当に、ひどい話よね」
錫がボソッと言う。
「どうしたんだ?」
歳を取ってもハンサムな旦那様、コランダムが錫にお茶を入れてくれる。
「王太子妃ルチアの話よ」
「あー」
「愛人の子を殺しかけたそうよ」
「気性が荒そうだからな」
「私達の前では猫を被るのよ。アダマスは、スフェーンのやっとできた子だから、すごく甘やかされてしまったし」
やりたい放題バカ王子。
自分が三十五才のときに、アダマスが生まれた。錫は三十歳でティンを産んだから、焦りはあったのだろう。もっともティンの存在は明かす訳にはいかないがーー。
「あら、コーン。お帰りなさい」
子竜のコーンフラワーブルーは、コランダムと錫の間に出来た神竜だ。好奇心旺盛で、最近は見かけなかったから、あちこち飛んでいたのだろう。
「また、ティンのところにでも行ってたのだろう、あいつは細君と別れて日が経っていない。もう少しそっとしときなさい」
コーンフラワーブルーは、人間の姿に変わった。
「大丈夫だよ。別に好きでもない人だったんだし」
見た目が五、六歳でも、中身は三十過ぎのおっさんだ。
「ティンは断らんからなーー」
「それで思ってたのと違うはないよーー。人間って変だね」
そうね、と錫が言った。近過ぎても駄目、離れ過ぎても駄目、程々が一番なのだろうけど。
ーー次ノーー。
「あら、女神様」
「大祖母様なんて?」
神竜は時空竜の女神様の事を大祖母様と呼ぶ。例え何代も離れていても、大祖母様らしい。
「次の聖女の護衛に、アレクセイを付けよ、と。コランダム、スフェーンに連絡をとって。あの男、ルチアを止めないらしいわね。久々にいじめてやろうかしら」
錫は手を鳴らした。
聖女生活も五十年を迎えた。
長すぎた。何度か逃げ出した。
その度に、コランダムに連れ戻され、あなたが私の事を一番に考えないからよ!と怒って、
年甲斐もない方法で、仲直りしてきたのよねーー。
鍛えてるからすごくて、ってこんなおばあちゃんが何言ってんのかしらんーー。
「次の聖女かーー」
感慨深けにコランダムが息をつく。
「サントの花も咲いた。ようやく、私の時代が終わるのよ」
「よくやってくれた。ありがとう、スズ」
「あなたがいたから、私はがんばれた。次もそうであって欲しいわー」
魔蝕を浄化できるのは聖女にしかできない事ーー、この世界の不変の法則に、次の聖女もぶつかるだろう。
なんで、なんで!
子供を流産した次の日も、魔蝕の浄化に行った。
ティンが大怪我をした日もだ。
それでも、コランダムがいたから、自分はやってこれた。
不器用で、優しい、私を大好きな旦那様。
あなたに会えたから、私はやり切る事にしたのよ、あなたと一生いたいから。
アレクセイとはじめて会ったとき、錫はその強さの異質さに、すぐに気付いた。
死に近いーー。
いつでも死んでいいと思っている。
「アレクセイ、私は聖女スズ」
無表情にアレクセイは頭を下げた。
「あなたにはコランダムのやる事をしっかり覚えてもらいます。次の聖女の護衛として、誰よりも強くおなりなさい」
十三歳になるかならないかの少年は、人形のように頷いた。
ルチアにより七歳から十歳迄の間、暗黒大陸に放り出された。だが、少年は、悪神を斬り、身に付けた魔法で自力で戻ってきた。
そして、十二歳で、強国バルドの軍隊を、壊滅寸前にまで追い込んだというーー。
「ただ、魔蝕がないときは基本、あなたの好きにしなさい。生活には干渉しないわーー」
自然とアレクセイはコランダムといる事が増えた。正直、彼の剣術の腕がよすぎて、コランダムぐらいしか相手ができなかったからだろう。
ーー末恐ろしい才能だわ。
錫も、女神様の御心を疑うわけではないが、彼で大丈夫かという迷いはあった。
護衛は、聖女の為には、何があっても生き残らなければならない。聖女一人を戦場に送ることがあってはならない。
どんな卑怯な戦い方でもいい、生き残る術を磨くのよーー。
護衛に対する絶対的な信頼がないと、いくら神力が強くても心が負ける。負ければ魔蝕に取り込まれる。
この人なら大丈夫、何があっても自分を支え、盾になるという安心感。それがないと浄化はうまくいかない。
アレクセイがそうなってくれるだろうかーー。
私があちらに行けたらーー。次の聖女に会いたい。アレクセイの聖女に会ってみたい。
私の力では足りないーー。
アダマス、どうして気が付かないの?この子の深い暗闇に。一人でそこにいる強さにーー。
引き取って終わりなんて、犬や猫を拾ってきて面倒を見る子供の方が、よっぽどえらいわよ。
錫は本当に、アダマスには嫌悪しかなかった。
大恋愛か何か知らないが、娼館の女に入れあげ、スフェーンと大喧嘩。無理やり結婚させられたルチアとは上手くいかず、娼館の女と別れても、すぐに他の令嬢とロマンスの真っ最中。
悪い人間ではないが、自分の思い通りに物事が進まないと、すぐにそっぽを向いてしまう。
スフェーンはすぐにへこたれるし、アスターは事なかれ主義だし、王族の男は、自分の夫を除くと変なのばかりである。
アレクセイにしても母親が亡くなり、娼館の主人から王宮に連れて来られ、顔がよく似ているだけで息子になり、そして王太子妃から虐待を受ける毎日。
来ない方がよかったと思っているだろう。
ただ、魔法騎士団の将軍達は、昔からアレクセイの事をよく見ているようだった。
アンダーソニーや、ヤヘルは、自分達よりよほど可愛がっている、とコランダムが言った。
アレクセイ自身も彼らといることが、心地良いように見えた。
きっといい方向へ行く、と思っていたある日、アレクセイが火山の火口で大火傷を負ったという連絡が入る。
その頃には、錫には聖女の治癒聖魔法が使えるようになっていたので、睡眠もとらずにひたすら治癒聖魔法をかけた。コランダムや、アンダーソニー、ヤヘルも交替して治癒魔法をかけ続けた。顔と腹に火傷の痕は残ったが、アレクセイは一命を取り留めた。
「何があったの?」
錫の問いに、ヤヘルが言いにくそうに答えた。
「王妃が、アレクセイ殿下の魔力を封じ、火山口に落としたそうです」
錫の開かれた目からは、大粒の涙がこぼれた。
「なんて、ことーー」
アダマスは何をしていたの!双子の世話なんかしてる場合!
「呪ってやる、あの女!」
「スズーー」
「例え呪い返しがきてもいいわ、あの女、絶対地獄に突き落としてやる」
錫の怒りは誰にも止められなかった。
「スズ様ーー」
身体を引きずるようにして、アレクセイが現れた。
「アレクセイ!」
「私なら大丈夫です。人を呪うなど、おやめ下さい」
「アレクセイ!」
錫の怒鳴り声に、皆がピクリとした。
「あなたが怪我をした、そういう問題じゃないの。あなたは私が次の聖女の護衛にしたのよ。それがどう言うことか、あなたはわかる!」
アレクセイは答えた。
「聖女の為に、捨てる生命です」
「違う、この馬鹿!死んでどうすんのよ、あんたが死んだら聖女を誰が守るのよ!あんたの後ろに誰がいるのよ!誰ならあんたより強いのよ!聖女を一人にしないのよ! 」
錫は一気に捲し立てる。
「考えた事ある?こっちは何があっても、五十年、魔蝕を浄化し続けないといけないのよ!ちょっとでも考えなさい!あんたはこれからそれに付き合うのよ!王妃の馬鹿なプライドに付き合って、死んでる暇はないのよ!死にたいなら、次の護衛を探してからにして!あんた以上に強い魔力と剣術の持ち主、ここに連れて来なさい!そしたら死んでもいいわ!」
錫の心からの悲鳴に、アンダーソニーとヤヘルは目を瞑った。小さい頃から目をかけて下さった聖女様。自分達ができることは何もないのにーー。
「だけど、コランダムはずっと、いてくれた!私が、泣いてるとき、行きたくないとワガママ言ってるとき、風邪引いたときも、子供を流産したときだって、絶対逃げたりしなかった!」
アレクセイが顔をあげた。
「あんた、この人の後継者よ。自分を誇りなさい。今はわからなくても、自分を軽んじるんじゃないわよ!」
アダマスはアレクセイの顔の火傷の痕を治した。
かけた言葉はなんだったのか、錫は知らない。
それからしばらくして、王妃は原因不明の病に倒れた。長く苦しんだ闘病生活の後、第二王子クリステイルに看取られながら苦しみの中、逝ったという。
「ごめんね、コランダム」
コランダムが大きな咳をする。
「私が人なんか呪うからあなたが呪い返しを受けてしまったーー」
錫の落ち込みに、コランダムは笑った。
「大丈夫。こんな事はなんでもない。ただ、」
「ただ?」
「おまえを残して逝くのがつらい。こんなにもつらいのかーー」
コランダムの言葉に、錫も泣き崩れた。
「私もすぐに逝くから、大丈夫よ。でも、あなたの葬儀はちゃんと私が取り仕切りたいの。でないと、ティンが、棺にも近寄れないでしょ」
「ーーそうだな。すまない」
「ありがとうーー、愛しいあなたーー」
「ありがとう。愛しい妻よーー」
コランダムは苦しみを見せる事なく逝った。
長く連れ添った連れ合いを失い、悲しみにくれる間もなく、錫は魔蝕の浄化に赴いた。
王国最強と呼ばれるようになった、アレクセイを連れて。
ーーまあ、ここが私の故郷なの。
戸惑うしかない、一体何なのだ、この国は。
ピカピカキラキラー。夜なのに、これは電球なの?
背の高い建物が、詰まったように建っている。私、間違えたのかしら?
錫は時空転移ができるようになり、アレクセイの魔力を無断で借りて、元の世界に飛んだ。
アレクセイを帰りの座標にしているが、ちゃんと視えている。帰れるだろう。
こちらの国では、魂の輝きが違う少年が座標だ。時空竜の女神様の鱗も、ちゃんと心臓にある。
ーーあら、次の聖女は男の子なの?アレクセイは大丈夫かしらね。
顔のきれいな少年は、ガラの悪い少年達と喧嘩の真っ最中だった。
殴って殴られて、蹴り飛ばしてーー。
ーーなかなかやんちゃさんね。
「けっ、雑魚が」
ーー口も悪いわ。女神様、顔でしか選んでないのかしら。
少年は夜の町を一人でふらふらしている。
ーー頭の中を覗いてみよう。
はぁー、いざ死ぬってなると死に場所って難しいなー。毒なんか手に入らないし、飛び降りなんて片付ける人に悪いし、電車に飛び込むのも車掌さんや乗客に申し訳ないし、手首切るのもちゃんと切れるか心配だしーー。親父達が見つけても、そのまま放置されてて、清掃業者の人に迷惑だろうしーー。
少年は、溜め息をついた。
ーー何この子、すごい魂が健康だわ。
さすがは聖女。負の感情が薄い。死ぬ気でいるのに、後始末をする者への申し訳なさばかり考えている。
『ねえ、あなた』
「えっ?」
『馬鹿なことしてないで、今のうちにこっちで後悔のないようにしときなさい』
「何、おれ歩きながら寝てんの?」
『もうすぐ迎えがくるからね。それまで死んじゃだめよ』
「結局、迎えって、あの世かよ。きれいな死神さんですねー」
『あなたの為だけの人がいるからーー』
「はぁ?」
『あなたの為だけに生きてくれる人がいるから、しっかりしなさい!』
「は、はい」
『やり残した事は?』
「あぁ、ばあちゃん家の遺品整理ぐらいかなーー」
『じゃあ、がんばって。一、二年ぐらいあればいい?』
「ーーあぁ」
『じゃあ、さようなら』
もう少し話したいのに。力が保たなくて残念だ。
二度とは会えない、私の唯一の同志よーー。
「いいわね、アレクセイ。あなたはこれから、あの子と出会うわ。必ず出会うから、死にたいなんて言わないで。あの子がひとりになってしまうから」
アレクセイがわかったのかどうかはどうでもいい。
これから、必ず理解するのだから。
「同じ景色を二人で見ていくのよ。
必ず、あなたはあの子を大事にするーー。
何より、あなたの大事なものになるのーー」
すぐにわかる。あなたが理解できないならば、この国も、この世界も終わりだ。
ただ、あなたが私の言葉の意味がわかったのならば、あなた達ほど幸せな存在は、この世にはないだろうーー。
生命がつきる。
二日前の魔蝕の浄化が、かなり身体に堪えた。
「教皇、召喚の準備よ。魔導師室長を呼んで」
錫は死の間際でさえしっかりしていた。
「コーン。しっかりね、たまにはティンのところに来てあげてね」
「ティンが死ぬまでは、こっちにいるよ」
「そう。女神様には感謝しかないわね」
教皇はトロウェルからパルテナ、そして数年前にミハエルに代替わりした。時代は確実に次へと向かっている。
さようなら、私の国。
さようなら、私のいない国ーー。
魔導師室長に看取られ、聖女錫は生涯を終えたーー。その意志は、聖女ルートへと引き継がれていくだろうーー。
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でも、何もかもから捨てられてしまったと言う事は、自由になったと言うこと。僕、解放されたんだ!
一旦かつて育った孤児院に戻ってゆっくり考える事にするのだけれど、その孤児院で王太子殿下から僕の本当の出生を聞かされて、ドSなS級冒険者を護衛に付けて、僕は城下町を旅立った。
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
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BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
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繋がれた絆はどこまでも
mahiro
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生存率の低いベイリー家。
そんな家に生まれたライトは、次期当主はお前であるのだと父親である国王は言った。
ただし、それは公表せず表では双子の弟であるメイソンが次期当主であるのだと公表するのだという。
当主交代となるそのとき、正式にライトが当主であるのだと公表するのだとか。
それまでは国を離れ、当主となるべく教育を受けてくるようにと指示をされ、国を出ることになったライト。
次期当主が発表される数週間前、ライトはお忍びで国を訪れ、屋敷を訪れた。
そこは昔と大きく異なり、明るく温かな空気が流れていた。
その事に疑問を抱きつつも中へ中へと突き進めば、メイソンと従者であるイザヤが突然抱き合ったのだ。
それを見たライトは、ある決意をし……?
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我が家に子犬がやって来た!
もも野はち助(旧ハチ助)
ファンタジー
【あらすじ】ラテール伯爵家の令嬢フィリアナは、仕事で帰宅できない父の状況に不満を抱きながら、自身の6歳の誕生日を迎えていた。すると、遅くに帰宅した父が白黒でフワフワな毛をした足の太い子犬を連れ帰る。子犬の飼い主はある高貴な人物らしいが、訳あってラテール家で面倒を見る事になったそうだ。その子犬を自身の誕生日プレゼントだと勘違いしたフィリアナは、兄ロアルドと取り合いながら、可愛がり始める。子犬はすでに名前が決まっており『アルス』といった。
アルスは当初かなり周囲の人間を警戒していたのだが、フィリアナとロアルドが甲斐甲斐しく世話をする事で、すぐに二人と打ち解ける。
だがそんな子犬のアルスには、ある重大な秘密があって……。
この話は、子犬と戯れながら巻き込まれ成長をしていく兄妹の物語。
※全102話で完結済。
★『小説家になろう』でも読めます★
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寄るな。触るな。近付くな。
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ある日、ハースト伯爵家の次男、であるシュネーは前世の記憶を取り戻した。
頭を打って?
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いいえ、でもそれはある意味衝撃な出来事。人の情事を目撃して、衝撃のあまり思い出したのだ。しかも、男と男の情事で…。
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シュネーは何処かに行ってしまった今世の自身の代わりにシュネーを変態から守りつつ、貴族や騎士がいるフェルメルン王国で生きていく。
しかし問題は山積みで、情事を目撃した事でエリアスという侯爵家嫡男にも目を付けられてしまう。シュネーは今世の自身が帰ってくるまで自身を守りきれるのか。
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初めての投稿です。
結構ノリに任せて書いているのでかなり読み辛いし、分かり辛いかもしれませんがよろしくお願いします。主人公がボーイズでラブするのはかなり先になる予定です。
※ストックが切れ次第緩やかに投稿していきます。
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オークションで売られてしまったのか、連れてこられた場所でレフィはアルファであるローレルの番にさせられてしまった。身体はアルファであるローレルを受け入れても心は千々に乱れる。そんなレフィにローレルは優しく愛を注ぎ続けるが……。
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