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例えこの身朽ち果てようと編
79 私の大切な人
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私がカーテンを閉じた時に、急にアラームが鳴った。連続で繰り返す電子音は、キルディアの心肺が停止したことを知らせた。私は急いで、ウォッフォンで医師を呼んだ。すぐに部屋に駆けつけた医師達が、彼女の蘇生を試みた。すると幸い、彼女の心臓がまた動き始めた。まるで生きた心地のしない瞬間だった。
それ以来、私は残された彼女の左手を握りながら、ずっと過ごすようになった。ベッドの脇に座り、何もせずに彼女の左手を握っている。クラースやリンに、少し休めと言われたが、もう既に私は休んでいるのだ。いつの間にか、彼女のベッドに頭を埋めて眠るようになり、目が覚めると握ったままの手に、さらに力を入れた。
きっとリン達は、こんなになった私を面白おかしく話しているに違いない。こんな状態になった私を、誰が想像出来るか。カタリーナだって……と、その時、私は久しぶり妻のことを思い出した。
どうか許して欲しい、今、手を握っている相手は、ただの親友です。ですが、私は彼女の為なら死ねます。それはおかしいことですか。そもそも、我々の間に愛情は存在していましたか?
「……キルディア、少し、散歩してきます。」
混乱し始めると、大抵私は歩きたくなる。そのうちに考えが整理出来る筈だ。私はキルディアの頭を少し撫でて、部屋を後にした。廊下に出ると、何人かグレン研究所の職員とすれ違った。彼女の様子を聞かれたが、私は今は何とも言えないと、濁して答えた。
廊下の角に差し掛かったところで、リンとすれ違った。
「ああ、ジェーン。キリーはどう?」
「いえ、まだ何とも。」
「そっか……一回心臓が止まったって聞いて、私また泣いちゃった。そればっかりじゃ何にもならないんだろうけど、だって悲しいもん。心配だもん。心肺が……心配。今はいいや、とにかくジェーンも最近、どんどん痩せてきた気がするし、心配だよ。何か甘いものでも売店で買ってさ、食べてよ。この研究所広いから、散歩だって出来るよ?」
何とも優しくて正直な子だ。調子者なところもあるが、リンと知り合えて良かったと思っている。
「ありがとうございます、リン。そうですね、甘いものを食べてから、少し散歩をします。今から彼女に会いに行きますか?」
「うん、あ、いや、もしかしたら行くかもぐらいの気持ち。でも何かあったらウォッフォンにアラームが来るようになってるから、ジェーンはゆっくりとしてくるといいよ。ね。」
「分かりました。」
私は彼女と別れて、売店へと向かった。ガトーショコラとドライフルーツを購入した私は、食堂で一人、それらを食べた。夕刻に近いからか、研究員達がポツポツと食堂に集まってきた。
何人かは私にキルディアの様子を聞いてきたので、あまり返答したくない私は、まだお菓子が袋に残っているにも関わらず、それらをゴミ箱に捨てて、食堂を去った。
廊下の窓から夕焼けのボルダーハン火山が見えた。黒い山が、ギラギラと輝いている。ああ、見ていられない。私は歩みを再開し、部屋へと戻った。
「ただいま、キルディア。」
おかえりなさーい、と普段なら聞こえる筈だった。ケイトとアリスが二階に越してきたおかげで、いつの間にか彼女と共に暮らし始めてから、日々の何気ない挨拶のやりとりをすることが、一種の楽しみになっていた。そんなことを、彼女の声が聞こえなくなってから気付くのだ。私は哀れな人間だ。
ベッドの脇に座った私は絶句した。おかしい。何故か、彼女が、先日のクラースの実家で見た時のように、化粧が施されていたのだ。あの時、普段とは違った彼女の妖美な一面を見て、明らかに動揺してしまったが……今眠ったままの彼女も、その時と同じだった。犯人は分かっている。だが、何故そうした。私はウォッフォンで連絡をした。
『もしもーし?なに、ジェーン。』
「……質問ですが、またキルディアに化粧を施したのは、あなたでしょう?」
『え?違うよ、違う違う。何言ってんの?そんなにキリーが綺麗に見える?』
私はキルディアの頬を指でなぞり、指先に付着したキラキラ輝く粉を、苦笑いで見つめた。
「私の主観で、彼女が綺麗に見える訳ではありません……このキラキラとした粉を、キルディアの顔の節々に塗りたくったのは、あなたでしょう?」
『それはラメって言うの。それを見てどう思う?ジェーン。』
「くだらないことをしていないで、さっさと落としてください。」
『え?何で?ジェーンの為でもあったのに。』
「もしこの場にあなたがいたのなら、少しばかり強めの力で、あなたの肩を叩いていたでしょうね。兎に角、このくだらない化粧を落としてください。』
『……つまんないの!ジェーン!分かりましたよー、落としに行きます!フーン!そんなにくだらないって言うのなら、キリーがメイクした顔の写真を、同じユーク大だった友達に見せて、私がキリーの彼氏を見つけてあげるからいいもん。彼らの反応を知っても、果たしてくだらないなどと言い切れるのかな?キリーだって結構メイクすると可愛いからね、いや、綺麗か。エキゾチックでさ、肌も小麦色だし。その気になれば、すぐに恋人が見つかるよ。きっとそのうち目を覚ますからさ、そして帰ったら一緒に合コンに行くんだ。あ、ジェーンは関係ないよね?もう結婚してるもんね。キリーに恋人が出来たら、喜んで応援してくれるでしょ?』
先程、リンに会えて良かったと考えたのを撤回する。この多弁なお調子者め、私の気も知らないで、次から次へと荒波を立てては、それを見て楽しんでいる。スコピオと同じ大学の出身だと言うのも頷ける。
「……リン、もう話さないでください。後生ですから。」
『まあまあ、メイクは落としに行きますよ~ちゃんともう写真撮ったもんね。じゃあそっちに向かうから、鍵は開けといてね。あ、そうだ!私と大学時代同期だったイケメンがいるんだけど、彼を紹介しようと思っているの!だからついでに彼の写真も見せてあげるね!』
「結構です。化粧を落とし次第、速やかにお帰りください。」
『え』
プチッと通信を切った。ついでに着信拒否にした。
それ以来、私は残された彼女の左手を握りながら、ずっと過ごすようになった。ベッドの脇に座り、何もせずに彼女の左手を握っている。クラースやリンに、少し休めと言われたが、もう既に私は休んでいるのだ。いつの間にか、彼女のベッドに頭を埋めて眠るようになり、目が覚めると握ったままの手に、さらに力を入れた。
きっとリン達は、こんなになった私を面白おかしく話しているに違いない。こんな状態になった私を、誰が想像出来るか。カタリーナだって……と、その時、私は久しぶり妻のことを思い出した。
どうか許して欲しい、今、手を握っている相手は、ただの親友です。ですが、私は彼女の為なら死ねます。それはおかしいことですか。そもそも、我々の間に愛情は存在していましたか?
「……キルディア、少し、散歩してきます。」
混乱し始めると、大抵私は歩きたくなる。そのうちに考えが整理出来る筈だ。私はキルディアの頭を少し撫でて、部屋を後にした。廊下に出ると、何人かグレン研究所の職員とすれ違った。彼女の様子を聞かれたが、私は今は何とも言えないと、濁して答えた。
廊下の角に差し掛かったところで、リンとすれ違った。
「ああ、ジェーン。キリーはどう?」
「いえ、まだ何とも。」
「そっか……一回心臓が止まったって聞いて、私また泣いちゃった。そればっかりじゃ何にもならないんだろうけど、だって悲しいもん。心配だもん。心肺が……心配。今はいいや、とにかくジェーンも最近、どんどん痩せてきた気がするし、心配だよ。何か甘いものでも売店で買ってさ、食べてよ。この研究所広いから、散歩だって出来るよ?」
何とも優しくて正直な子だ。調子者なところもあるが、リンと知り合えて良かったと思っている。
「ありがとうございます、リン。そうですね、甘いものを食べてから、少し散歩をします。今から彼女に会いに行きますか?」
「うん、あ、いや、もしかしたら行くかもぐらいの気持ち。でも何かあったらウォッフォンにアラームが来るようになってるから、ジェーンはゆっくりとしてくるといいよ。ね。」
「分かりました。」
私は彼女と別れて、売店へと向かった。ガトーショコラとドライフルーツを購入した私は、食堂で一人、それらを食べた。夕刻に近いからか、研究員達がポツポツと食堂に集まってきた。
何人かは私にキルディアの様子を聞いてきたので、あまり返答したくない私は、まだお菓子が袋に残っているにも関わらず、それらをゴミ箱に捨てて、食堂を去った。
廊下の窓から夕焼けのボルダーハン火山が見えた。黒い山が、ギラギラと輝いている。ああ、見ていられない。私は歩みを再開し、部屋へと戻った。
「ただいま、キルディア。」
おかえりなさーい、と普段なら聞こえる筈だった。ケイトとアリスが二階に越してきたおかげで、いつの間にか彼女と共に暮らし始めてから、日々の何気ない挨拶のやりとりをすることが、一種の楽しみになっていた。そんなことを、彼女の声が聞こえなくなってから気付くのだ。私は哀れな人間だ。
ベッドの脇に座った私は絶句した。おかしい。何故か、彼女が、先日のクラースの実家で見た時のように、化粧が施されていたのだ。あの時、普段とは違った彼女の妖美な一面を見て、明らかに動揺してしまったが……今眠ったままの彼女も、その時と同じだった。犯人は分かっている。だが、何故そうした。私はウォッフォンで連絡をした。
『もしもーし?なに、ジェーン。』
「……質問ですが、またキルディアに化粧を施したのは、あなたでしょう?」
『え?違うよ、違う違う。何言ってんの?そんなにキリーが綺麗に見える?』
私はキルディアの頬を指でなぞり、指先に付着したキラキラ輝く粉を、苦笑いで見つめた。
「私の主観で、彼女が綺麗に見える訳ではありません……このキラキラとした粉を、キルディアの顔の節々に塗りたくったのは、あなたでしょう?」
『それはラメって言うの。それを見てどう思う?ジェーン。』
「くだらないことをしていないで、さっさと落としてください。」
『え?何で?ジェーンの為でもあったのに。』
「もしこの場にあなたがいたのなら、少しばかり強めの力で、あなたの肩を叩いていたでしょうね。兎に角、このくだらない化粧を落としてください。』
『……つまんないの!ジェーン!分かりましたよー、落としに行きます!フーン!そんなにくだらないって言うのなら、キリーがメイクした顔の写真を、同じユーク大だった友達に見せて、私がキリーの彼氏を見つけてあげるからいいもん。彼らの反応を知っても、果たしてくだらないなどと言い切れるのかな?キリーだって結構メイクすると可愛いからね、いや、綺麗か。エキゾチックでさ、肌も小麦色だし。その気になれば、すぐに恋人が見つかるよ。きっとそのうち目を覚ますからさ、そして帰ったら一緒に合コンに行くんだ。あ、ジェーンは関係ないよね?もう結婚してるもんね。キリーに恋人が出来たら、喜んで応援してくれるでしょ?』
先程、リンに会えて良かったと考えたのを撤回する。この多弁なお調子者め、私の気も知らないで、次から次へと荒波を立てては、それを見て楽しんでいる。スコピオと同じ大学の出身だと言うのも頷ける。
「……リン、もう話さないでください。後生ですから。」
『まあまあ、メイクは落としに行きますよ~ちゃんともう写真撮ったもんね。じゃあそっちに向かうから、鍵は開けといてね。あ、そうだ!私と大学時代同期だったイケメンがいるんだけど、彼を紹介しようと思っているの!だからついでに彼の写真も見せてあげるね!』
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