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プロローグ

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世界は残酷だ。
どんなに手を伸ばしても届かないものがある。

そして、取りこぼしたものがもう一度その手に戻ることはない。










「‥‥どうぞ。
お腹空いてるでしょ?」

シチューが入った鍋が机に置かれた。
明らかに作る量を間違っていると思えるほどに。だが、シチューを作った女は、それを気にした様子はなく皿を取るとシチューをよそり始めた。
男の祖国ではあまり見ない料理ではあったが、その食欲を誘う匂いが鼻孔をくすぐると腹の虫が空腹を訴えた。 

いくら鍛えても素直な場所は素直である。

それを見た女は嬉しそうに笑うと、よそり終わったシチューを男の前に置き反対の椅子に腰掛けた。

「体は大きくなっても、昔から変わってませんねぇ」

「‥‥」

「で、好きな人はできた?恋人はつくった?」

「‥‥はっ?
何が、で、何だ。なんの前置きもなかったのだが?」

「恋バナしましょう。
お姉さんがアドバイスしてあげますよ」

久々に合ったらこれである。
わかっていた。もしかしたら、と言う神頼みもあったが案の定である。
男はその女が苦手であり、苦笑を浮かべるとスプーンを手に取りシチューを口の中へ運ぶ。女は苦手であるが、その料理は絶品であり好物である。

「もう、反応ぐらいしてくださいよ~」

「反応しても煩い。反応しなくても煩い。俺はどうしろと」

「さぁ?」

女が首を傾げる。
言いたいことは山程あったが、男はそれをシチューと共に流し込んだ。

「まあ、弟子でからかうのはほどほどにして聞きましたよ。
海軍で異例の出世している奴がいるって。烏末少佐。
昇進おめでとう」

「嫌味か?」

「えっ?何でです?
弟子が実力を認められてるのは、師匠として嬉しい事なんですけどね」

実際に嫌味ではないのだろう、満面の笑みを浮かべた女は頬杖を付きながら烏末と呼ばれた男がシチューを口に運ぶ様子を眺めていた。

そして、初めてここで食事をした時もこんな感じだったなとふと思い出す。
10年前。ここで様々な事を学ぶ事になった。
そして実際、多くを教えられた。血は繋がっていなくとも家族と呼べる存在ができた。
辛い事も苦しい事もしっかりとあった。が、それ以上のものを事をここは教えてくれた!
そして、それが日常であり永遠とは言わずとも続いていくものだと思っていた。

何処で踏み間違えたのだろうか。
何処でひびが入ったのだろうか。

答えは誰も教えてはくれなかった。

「‥‥」

「おかわりは、いっぱいありますよ」

いつの間にか烏末の皿の中身が消えていた。
それに気づいた女がさっと皿を取ると、鍋からシチューをまたよそり烏末の前に置いたが、一向に手を付けないのを見て小首を傾げた。

「恨まないのですか」

烏末が絞り出すように言葉を出せば、女はなおさら首を傾げた。

「恨む?誰をです」

「俺をです!」

勢いよく烏末が立ち上がり女を睨みつけると、いつものように女は飄々とした様子を崩さず自らが作ったシチューを口に運び「少しコクがたりませんねぇ」などと言い始めた。

「俺がいなければ、家は存在し続けられたんです」

家と言ってもむろん目に見える方で存在するものでなく、女や烏末の所属した組織の存在のことを指していた。

「何ですか?責めて欲しんですか?
うわぁ、引きますね」

女が冗談めいた樣子で僅かに椅子を引いた。
が、はぁとため息をつくと駄々っ子を見るような親の目になり、正面から烏末を見据えた。

「いいですか、そりゃ弟子だ息子だなんだと呼んでた人に出し抜かれて負ければ、師匠として「キィー、負けたー」みたいになるでしょう。
ですけどね、弟子は何れ師匠を超えるものです。それも、世界最高峰の師匠を幾人も持っているならなおさら」

さらっと自画自賛を交えてドヤ顔を決めているのはさすがであった。

「そして、弟子が巣立って行くのを見るのは私としては一番嬉しいことなんです」

何処までも、穏やかな笑顔である。
それは、新たな旅立ちを迎えようとする息子を見送る親のように。

「それに家なんていくらでも作れますから。それがなくなるのは、私達の存在を受け継ぐ人がいなくなった時です。今は、私の代からしっかりと受け継ぐ人がいます」

最初から決めてたんですよ。と、女は続けた。
女がここにいたのは偶然である。だが、誰がここにいても送る言葉は決めていたと言う。

「私達のもとに来てくれてありがとう、てね?
誰が言うかによって、言い方が変わるのはわかってるでしょ」

女がくすりと笑う同時に、その空間に入ってくる第三者達の存在があった。
6人程の人間。何れも手練れである事は察せられた。

「そろそろお時間です。
よろしいですか」

「わかってます。中将に時間を作ってくれてありがとうございました、って伝えてください」

「承知しました」

席を立つと、扉に向かいかけた女はふと何かを思い出したかのように途中で足を止まると、今だにその場に立ち続ける烏末の背中を見た。

「烏末も弟子でもとりなさい。
きっと楽しいですし、凄い弟子になるはずですよ」

何故とは言わないが、言いたい事は烏末にしっかりと伝わっている。

「言われずとも気が向いたら、次の世代でも育てますよ」

それだけを言い残し、女が部屋を後にした。続くように第三者も部屋を後にする。
そこに、別れの言葉も何もない。本来烏末達にそのようなものが存在がしないが故に。

静寂が訪れる。

烏末もまたその場から、最初からそこにいなかったかのように消えていた。
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