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背徳のドーナツバーガー【1】
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──東都D区K町大通り裏 土曜 午前九時五十五分
開店五分前に到着した巡は、既に二組ほどの客がドアの前で開店待ちをしていることに面食らっていた。
まあ、人気ラーメン屋と比べたら可愛いもんかな。
そう思うことにして、巡はひとり列の後ろに並ぶ。
ネオンサイン、ガラス張りの壁、ピンクパープルで彩られた内装。
目の前に並ぶ人間種の男女二組は、どちらも高校生か大学生くらいに見える。
仕事でなければ、巡がこの店を訪れることもなかっただろう。
微かな居心地の悪さを感じながら、巡は手元の携帯画面を見つめて時間を潰すことにした。
SMSを開き、注文内容を再確認する。
ドーナツバーガーセット。ポテトL。ドリンクはクラフトコーラ。君も好きなものを買いなさい。
俺も同じもの買ったほうがいいのか?
巡はクルに合わせて悪魔的カロリーになるであろうバーガーを頼むか悩んだ。
脂も砂糖もてんこもりだ。ダイエッターに見せたら失神するかもしれない。
そんなことを考えていると、白いシャツに黒いギャルソンエプロンを付けた若い人間男の店員がガラス戸を開け、にこやかに客を招き入れていった。
巡はテイクアウトしたバーガー類を入れた黒の保冷バッグを提げ、蓋つきカップ片手にヒトの増え始めた裏通りを引き返す。
大口のバッグは簡易ドリンクホルダーに入ったカップとバーガーとポテトがすっぽりと収まる丁度いい大きさだ。
見た目も飾り気がなく、一見するとビジネス用サブバッグにも見える。
これはクルが社内便で寄越して来たものであり、間違ってもジャンクフードを運んでいるところを見られたくないという念が伝わってきた。
巡は個人経営のカレー屋やカフェなどがちらほら混ざる通りを抜け、大通りに合流する道路まで歩いていく。
高層ビルの間に引かれたアスファルトの道にはパーキングメーターが等間隔に並んでおり、数台の車が停車している。
その中でも一際存在感を放つもの。
大型の黒塗りSUVの元へ、巡は迷いなく近づいていった。
助手席の窓が開き、白い鱗の竜人が顔を出す。
「おかえり」
クルは真面目くさった顔つきだったが、巡の持つバッグに目線が行きがちであり、早く中を確かめたいという欲が青紫色をした目玉の奥に見え隠れしている。
その様子に巡は口元が緩みそうになったが、気を引き締め、昼礼で上司の話を聞いている時と同じ表情を作った。
「問題なく入手できました」
「ご苦労様。後ろに乗ってくれないか」
「はい」
ハンバーガー引っ提げてなにやってんだか。
巡は心の中で自嘲しつつ、後部座席のドアに手をかけた。
「えっと、ここで食べますか?」
「いや、毎回車内でというのも窮屈だ。君にも悪い。すぐ近くに丁度いい場所があるんだ。一緒に行こう」
「は、はい」
巡はバッグに伸ばしかけていた手を引っ込め、かわりにシートベルトを引っ張り出した。
黒い大型車はすいすいと大通りを抜け、広い駐車場にやってきていた。
門衛もいるしっかりとした造りで、クルは料金所のような白い小屋に車を寄せると、中の係員に何かのパスを見せている。
それを確認した係員にどうぞ、と促されると、閉ざされていたバーが上に上がり、その向こうには車もまばらなアスファルトの敷地が広がっていた。
「あのー、ここは?」
「高千穂宮記念公園だ。知らないかい?」
「名前だけは」
確か東都の中心区に大きな有料公園があったはずだ。
景観は良いらしいが撮影禁止のため、配信目的のインフルエンサーも来ない。
手弁当で花見というのもおいそれとできない値段設定で、結構な額のわりに中身は池と樹木と東屋くらい。
本当に金と暇を持て余している老人の散歩道として皮肉られている場所でもあった。
「ここなら他の眼を気にせず食事ができる。蛇人の資産だからね、同族は近寄らない」
「はあ」
蛇と竜って親戚じゃないのか。
何等かの確執があることを察した巡であったが、都合の悪いことは聞き流すことにした。
車を降りてすぐの所に、公園への入場ゲートがあった。
それは駅の改札さながらで、巡は係員の居る詰め所に向かうクルに付き従って歩いた。
クルはジャケットの奥からチケットを二枚取り出し、係員に渡す。
すると、バタン、と音を立てて黒いゲートが開いた。
「いってらっしゃいませ」
係員の静かな声に軽く会釈をしつつ、巡はクルの大きな背中を追った。
「広いですね……」
「ああ。東都の中では最大規模だったはずだ」
野外ライブでもできそうだ、と思うほど青々とした芝生が広がり、そこかしこに街路樹の五倍はありそうな巨樹が深緑の葉を気持ちよさそうに広げている。
その景色の向こうにはうっすらと高層建築が見えており、ランドマークとなっている青銀の電波塔の姿もあった。
巨大な人工物と自然物とが合わさった摩訶不思議な空間だ。
それまで多くの生物と機械とが入り交じる騒がしくせわしない場所にいた巡の眼には、公園内の景色は現実離れしたものとして映った。
「こっちだ。ついてきなさい。ベンチがある」
半口を開けて辺りを見回していた巡は、クルの呼びかけに意識を引き戻された。
風景式庭園の外れには苔の生えた土の大地の上に石畳の道が伸びており、それを囲むように等間隔に名も知らぬ白い幹の巨木が植えられていた。
いくつかの葉が地面に落ちて地面に緑の斑を作っている。
そして木々の間に隠れるように、大きな木製のベンチがひっそりと置かれていた。
ベンチに腰を下ろした二人の間には、例のブツが入った黒い鞄。
「さて……」
どこか落ち着かない様子で手をこすり合わせたクルは、僅かに息を吐くとバッグのジッパーをゆっくり開いた。
中から宝石でも取り出すかのように、慎重にハンバーガーの入った真四角のボックスを取り出す。
白い紙箱には赤色の文字で店名が印刷されており、それは落ち着いた緑のなかでとにかく浮いていた。
クルはもう一つの箱を巡に手渡す。
「君は何にしたんだい?」
「クルさんと、同じものを」
人気ナンバーワンのハムエッグチーズバーガーにするか、罪作りバーガーにするか、店員と顔を合わせるときまで迷っていた巡だったが、結局のところ好奇心に負け、クルの目的であったドーナツバーガーを二つ注文していた。
クルは巡の言葉が嬉しかったようで、口角を上げて感じ入ったように眼を細めている。
「では、開封式といこうか」
「はい」
こんな仰々しくハンバーガーの箱を開ける儀式をしている者が世の中にどれくらいいるだろう。
二人はドーナツの柄が印刷されたセロハンテープを切る。
蓋を開けるとそこには、白いグレーズで覆われた光沢のあるドーナツが見えた。
勿論それだけではない。穴の向こうには焼き目のついたベーコン、その下からはみ出すレタスとチーズ、そしてそれらを押し上げるような分厚いハンバーグ。
「おぉ」
「あ―……」
大丈夫かこれ。
待望のジャンクとジャンクの融合体に眼を輝かせているクルの横で、巡は密かに怖気づいた。
ドーナツの下に肉がある光景は、巡の脳には記憶されたことがないものだ。手が止まる。
「巡君、一緒にいこう」
大きな手でドーナツバーガーを掴んだクルと目が合う。
やる気に満ち溢れたようなクルが巡には妙に頼もしく思えた。
腹を括らなくてはいけない。
「わかりました」
巡も箱からカロリーの悪魔を取り出す。
つるりとしたグレーズの感触が、パンズが本物のドーナツであることを知らせてくる。
「いただきます」
「い、いただきます」
二人は揃って口を開けた。
つづく
開店五分前に到着した巡は、既に二組ほどの客がドアの前で開店待ちをしていることに面食らっていた。
まあ、人気ラーメン屋と比べたら可愛いもんかな。
そう思うことにして、巡はひとり列の後ろに並ぶ。
ネオンサイン、ガラス張りの壁、ピンクパープルで彩られた内装。
目の前に並ぶ人間種の男女二組は、どちらも高校生か大学生くらいに見える。
仕事でなければ、巡がこの店を訪れることもなかっただろう。
微かな居心地の悪さを感じながら、巡は手元の携帯画面を見つめて時間を潰すことにした。
SMSを開き、注文内容を再確認する。
ドーナツバーガーセット。ポテトL。ドリンクはクラフトコーラ。君も好きなものを買いなさい。
俺も同じもの買ったほうがいいのか?
巡はクルに合わせて悪魔的カロリーになるであろうバーガーを頼むか悩んだ。
脂も砂糖もてんこもりだ。ダイエッターに見せたら失神するかもしれない。
そんなことを考えていると、白いシャツに黒いギャルソンエプロンを付けた若い人間男の店員がガラス戸を開け、にこやかに客を招き入れていった。
巡はテイクアウトしたバーガー類を入れた黒の保冷バッグを提げ、蓋つきカップ片手にヒトの増え始めた裏通りを引き返す。
大口のバッグは簡易ドリンクホルダーに入ったカップとバーガーとポテトがすっぽりと収まる丁度いい大きさだ。
見た目も飾り気がなく、一見するとビジネス用サブバッグにも見える。
これはクルが社内便で寄越して来たものであり、間違ってもジャンクフードを運んでいるところを見られたくないという念が伝わってきた。
巡は個人経営のカレー屋やカフェなどがちらほら混ざる通りを抜け、大通りに合流する道路まで歩いていく。
高層ビルの間に引かれたアスファルトの道にはパーキングメーターが等間隔に並んでおり、数台の車が停車している。
その中でも一際存在感を放つもの。
大型の黒塗りSUVの元へ、巡は迷いなく近づいていった。
助手席の窓が開き、白い鱗の竜人が顔を出す。
「おかえり」
クルは真面目くさった顔つきだったが、巡の持つバッグに目線が行きがちであり、早く中を確かめたいという欲が青紫色をした目玉の奥に見え隠れしている。
その様子に巡は口元が緩みそうになったが、気を引き締め、昼礼で上司の話を聞いている時と同じ表情を作った。
「問題なく入手できました」
「ご苦労様。後ろに乗ってくれないか」
「はい」
ハンバーガー引っ提げてなにやってんだか。
巡は心の中で自嘲しつつ、後部座席のドアに手をかけた。
「えっと、ここで食べますか?」
「いや、毎回車内でというのも窮屈だ。君にも悪い。すぐ近くに丁度いい場所があるんだ。一緒に行こう」
「は、はい」
巡はバッグに伸ばしかけていた手を引っ込め、かわりにシートベルトを引っ張り出した。
黒い大型車はすいすいと大通りを抜け、広い駐車場にやってきていた。
門衛もいるしっかりとした造りで、クルは料金所のような白い小屋に車を寄せると、中の係員に何かのパスを見せている。
それを確認した係員にどうぞ、と促されると、閉ざされていたバーが上に上がり、その向こうには車もまばらなアスファルトの敷地が広がっていた。
「あのー、ここは?」
「高千穂宮記念公園だ。知らないかい?」
「名前だけは」
確か東都の中心区に大きな有料公園があったはずだ。
景観は良いらしいが撮影禁止のため、配信目的のインフルエンサーも来ない。
手弁当で花見というのもおいそれとできない値段設定で、結構な額のわりに中身は池と樹木と東屋くらい。
本当に金と暇を持て余している老人の散歩道として皮肉られている場所でもあった。
「ここなら他の眼を気にせず食事ができる。蛇人の資産だからね、同族は近寄らない」
「はあ」
蛇と竜って親戚じゃないのか。
何等かの確執があることを察した巡であったが、都合の悪いことは聞き流すことにした。
車を降りてすぐの所に、公園への入場ゲートがあった。
それは駅の改札さながらで、巡は係員の居る詰め所に向かうクルに付き従って歩いた。
クルはジャケットの奥からチケットを二枚取り出し、係員に渡す。
すると、バタン、と音を立てて黒いゲートが開いた。
「いってらっしゃいませ」
係員の静かな声に軽く会釈をしつつ、巡はクルの大きな背中を追った。
「広いですね……」
「ああ。東都の中では最大規模だったはずだ」
野外ライブでもできそうだ、と思うほど青々とした芝生が広がり、そこかしこに街路樹の五倍はありそうな巨樹が深緑の葉を気持ちよさそうに広げている。
その景色の向こうにはうっすらと高層建築が見えており、ランドマークとなっている青銀の電波塔の姿もあった。
巨大な人工物と自然物とが合わさった摩訶不思議な空間だ。
それまで多くの生物と機械とが入り交じる騒がしくせわしない場所にいた巡の眼には、公園内の景色は現実離れしたものとして映った。
「こっちだ。ついてきなさい。ベンチがある」
半口を開けて辺りを見回していた巡は、クルの呼びかけに意識を引き戻された。
風景式庭園の外れには苔の生えた土の大地の上に石畳の道が伸びており、それを囲むように等間隔に名も知らぬ白い幹の巨木が植えられていた。
いくつかの葉が地面に落ちて地面に緑の斑を作っている。
そして木々の間に隠れるように、大きな木製のベンチがひっそりと置かれていた。
ベンチに腰を下ろした二人の間には、例のブツが入った黒い鞄。
「さて……」
どこか落ち着かない様子で手をこすり合わせたクルは、僅かに息を吐くとバッグのジッパーをゆっくり開いた。
中から宝石でも取り出すかのように、慎重にハンバーガーの入った真四角のボックスを取り出す。
白い紙箱には赤色の文字で店名が印刷されており、それは落ち着いた緑のなかでとにかく浮いていた。
クルはもう一つの箱を巡に手渡す。
「君は何にしたんだい?」
「クルさんと、同じものを」
人気ナンバーワンのハムエッグチーズバーガーにするか、罪作りバーガーにするか、店員と顔を合わせるときまで迷っていた巡だったが、結局のところ好奇心に負け、クルの目的であったドーナツバーガーを二つ注文していた。
クルは巡の言葉が嬉しかったようで、口角を上げて感じ入ったように眼を細めている。
「では、開封式といこうか」
「はい」
こんな仰々しくハンバーガーの箱を開ける儀式をしている者が世の中にどれくらいいるだろう。
二人はドーナツの柄が印刷されたセロハンテープを切る。
蓋を開けるとそこには、白いグレーズで覆われた光沢のあるドーナツが見えた。
勿論それだけではない。穴の向こうには焼き目のついたベーコン、その下からはみ出すレタスとチーズ、そしてそれらを押し上げるような分厚いハンバーグ。
「おぉ」
「あ―……」
大丈夫かこれ。
待望のジャンクとジャンクの融合体に眼を輝かせているクルの横で、巡は密かに怖気づいた。
ドーナツの下に肉がある光景は、巡の脳には記憶されたことがないものだ。手が止まる。
「巡君、一緒にいこう」
大きな手でドーナツバーガーを掴んだクルと目が合う。
やる気に満ち溢れたようなクルが巡には妙に頼もしく思えた。
腹を括らなくてはいけない。
「わかりました」
巡も箱からカロリーの悪魔を取り出す。
つるりとしたグレーズの感触が、パンズが本物のドーナツであることを知らせてくる。
「いただきます」
「い、いただきます」
二人は揃って口を開けた。
つづく
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