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赤星との生活

王様の奇襲

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 この世に虫の知らせというものが存在することを、その時、赤星は実感する羽目になった。
 無理矢理コンロ台を設置した狭い給湯室で、昼食のそうめんチャンプルーを作り終えた赤星だったが、仕事場に戻ると健人の姿が見当たらない。
 大皿をデスクの空いた場所に置き、キャビネットや段ボールの影にニンゲンの姿が無いか目で追う。
 もちろん居ない。
 便所ではない。給湯室のすぐ横がトイレとシャワーブースだ。気づかないはずがない。
 健人は言いつけを破って遊びに行くような子供でもない。
 昼間とはいえ、夜な夜な繰り返される乱闘騒ぎにうんざりしているニンゲンが、独りで外に出るだろうか。取材の約束もないのに。
 そこで赤星に嫌な予感が奔った。
 屋外には、出ていないが──
 この建物だって、不特定多数の蛇が出入りするのだ。
 もっときちんと説明しておけばよかった。
 仕事場を飛び出した赤星は、自分を呪いながら全速力で階段を滑り降りた。

 ʘ

 「放せよっ……!」
 忍び寄った蛇人に突然絡まれた・・・・健人は、胸元までもを蛇腹に巻き取られ、容赦なく締め上げられている。
 満足に息も出来なくなるほど胸板を圧迫され、声を出すのも苦しい。
 巨大な鬼に片手で掴まれているかのようだ。全身に力を込めても、蛇腹はびくともしない。
「弱っわ。ここ二本脚が来るとこじゃねえんだけど」
 藻掻く健人を嘲笑い、男は空いた片手で健人の頭をむんずと掴み、無理矢理顔を上げさせた。
 苦痛に歪むニンゲンの顔が見たかったからだ。
 案の定、顔を上気させて歯を食いしばる情けない面がそこにあった。
 このまま骨でも折ってやったら叫ぶだろうか。男の口の端が吊り上がる。
 「ケイ、サツ、呼ぶぞっ……」
 生意気にも怒りの形相で睨み上げてくる健人姿が愉快なのか、男は片眉を上げる。
「は? どうやって? 腕も動かせねーくせに。っていうか、俺もそのケーサツなんだよなあ」
 健人の両眼が見開かれる。
 嘘だ。こんなのが。同族以外にはより一層厳しくあたる、と聞いてはいたが、非番の日に暴行を行うような輩が、よりによって。
 絶句した健人に愉悦を覚えたらしい男が、さらに身体に負荷をかけてやろうと下っ腹に力をいれようとした、その時だった。
「やめろ!」
 鋭い男の声がエレベーターホール内に響き渡る。
 普段あまり使われない薄暗い階段から、派手な色彩と輪紋が毒々しい蛇人の大男が姿を現した。
 四階から一直線に駆け下りてきたのか、息を切らせながらこちらを睨む赤星の姿に、健人の目頭がわずかに熱くなる。
「やっぱお前が飼い主なんだ? 外来種持ってくんなよ、違法だろ。それとも何、ニンゲン臓器治療術とかいうの信じてるヤツ? 見た目通りアタマ悪そ」
 健人を野生動物のように扱い、挑発をかける若い雄蛇に赤星の顔の色が消えていく。
 ヒトらしい表情が消え失せ、得意そうに獲物を拘束するその顔一点に鋭い視線が注がれる。
 その様子に、健人の方が背筋に寒気を覚えた。
 己の優位性は揺るがないと信じる若者は、これ見よがしに健人の身体を数歩引きずって見せた。
「ペット返してほしかったらカネ出せよ。こんなん飼うくらいだから持ってるよな? おい、変な気起こすなよ? 分かってるだろーけど、お前の毒なんか通じねーから」
 健人の四肢を封じる胴体は、真っ黒な鱗に細い褐色の帯が鎖状に入ったものだ。
 かつて外洋の大地で毒蛇すら捕食していた蛇の王と呼ばれたものを、その半身に継いでいる。
 この島でこの柄を持ったものが何者なのか、知らない蛇はいない。
 普段強力な毒を自慢にしている蛇人でも一歩引くのだ。
 若い蛇は今日もそうなると、信じ切っていた。
「お前ら礼儀がなってねーから、ちゃんと頼めよ。大人なら分かんだろ。そうだ、二本脚さぁ、本場の土下座ってやつ見せてみろよ」
「いっ……!」
 脹脛を万力で潰すかのような、強烈な痛みが健人を襲う。
「頭を下げるのはお前の方だ」
 苦痛で歪んだ視界に、ちらりと赤いものが映る。
 赤星の尾が、何かを掴んでいる。
「あ?」
 それは一瞬のことだった。
 硬い鱗に包まれた鰐でさえ絞め殺せるほどのしなやかな筋肉を持った尾が、アンダースローのように勢いをつけ、消火器を男の頭目掛けて投擲した。
 膝を折らせようと健人にかまけていた男に反応できる時間は無い。
 ごっ、という硬い物同士が衝突する鈍い音が鳴る。
 健人を戒めていた力が緩む。
 落ちた消火器が床を打ち、がつん、と大きな音が響き渡る。
「おわっ!?」
 そして黒い蛇腹ごと後ろにひっくり返りそうになった健人の腕を、赤星の大きな手が掴んでいた。

 ʘ

 それからコトは驚くほどスムーズに進んだ。
 赤星が通報してからものの数分で警官隊と救急隊が到着し、昏倒した王様は担架に乗せられ、雑に救急車に押し込まれていった。
 またか、というぼやきがオレンジ色の服を着た厳つい隊員からこぼれている。
 健人が赤星の肩を借りながら痛む身体を摩っていると、二人は数人の制服警官蛇人に取り囲まれた。
 その内の一人、運ばれていった男とよく似た柄のチョコレート色をした胴体を持つ蛇人警官が、今更ながらこんな質問を健人に投げかけてきた。
「あのー、ニンゲンの方ですよね?」
 それ以外の何に見えますか、と言いたい所だったが、健人はもうその気力は残されていない。
 ああはい、とげっそりとした顔で返すのがやっとだった。
 ことのあらましを赤星が淡々と説明し、警察もふんふんと世間話でもするようにそれを聞いている。
 だが、その事務的で落ち着いた空気も、少し回復した健人の一言で大きな波が立つことになる。
「その、さっきのに俺は警察だって言われたんすけど、本当なんですか。こっちは不法滞在とかしてないんで」
「……はい?」
 褐色尾の警官の眉間に皺が寄る。ぴりっと警官達の間に見えない静電気が奔ったようだ。
「いや、なんか、そんな事言ってて、とっ捕まったっていうか」
「俄かには信じられませんが、早急に身元を確かめます」
 その言葉を聞いてか、一番後ろで成り行きを見守るようにしていた黒と黄色の進入禁止テープ柄の尾をした若い警官が肩の無線機で何事か連絡し始めた。
 一体何だ。
 健人が目を白黒させていると、赤星と警官の間で監視カメラがどうの、警察署がどうのという話が進み、赤星も連行されることなく警官達は引き上げていった。

 ʘ

「あいつ、死んだのかな」
「どうだろう」
「その、赤星が捕まったり、とか」
「心配いらないよ。過剰防衛にもならないと思う。もしなっても、直ぐに出てこれるよ」
「……そ、そう」
 健人は自分のデスクですっかり冷え切ったそうめんチャンプルーを申し訳程度に口に運んだ。
 空腹と吐き気が同居し、食べたいが戻しそうというめちゃくちゃな体調になっている。
 普段の穏やかな表情はどこへやら、赤星は思いつめたような顔で麺を啜っては、たまに申し訳なさそうな表情で健人を見ることを繰り返している。
 昼食を摂るまでに、健人は一生分の身体は大丈夫か、という言葉を聞かされている。
 幸い骨が折れている感覚もなく、蛇人の医者に診てもらいたい気も起きない。
 赤星はサイレンに叩き起こされて憤慨した白間を捕まえると、痛み止めを買ってくるよう指示した。恐ろしく暗い顔の赤星に、白間は引きつつも承諾した。
 こうしてドラッグストアの袋を引っ提げて帰ってきた白間は、塗り薬と貼り薬を健人へと手渡し、何があったんすか、と小声で尋ねてきた。
「俺が悪いんだ……ちゃんと、言わなかったから。郵便物取るときも、声かけてくれって、言わなかったから」
「いや赤星のせいじゃないよ!」
「でも」
「あー、辛気臭いんで、水補充してきてもらっていいすか? あと茶葉切れてるんで粉末の買ってきてください」
「おい」
 給茶機を顎で指す白間の態度に思わず口が出た健人だったが、赤星は「分かったよ……生島君をよろしく……」と言い残すと、財布片手にゾンビのようにのそのそと部屋の外へと出ていった。
「あの人落ち込むと長いんで。ま、さっぱりした蛇なんてレアなんすけどね」
 散歩でもしてこい、ということなのだろうか。
「何聞いたって俺が悪いしか言わねえだろうし」
「代わりに質問していい、ってこと?」
「もう寝れないんで、少しならいいっすよ。まあ俺も王様・・が返り討ちにあった話は聞きたいし。バズりそう」
 歪んだ笑みを見せる蛇人後輩に顔を引きつらせつつも、健人はかねてから気になっていたことを尋ねることにする。
 王様、オマワリ、毒。聞きたいことは山ほどあるのだ。
 
 つづく。
 
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