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赤星との生活

休日の終わり

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 カーラジオから、アップテンポでかき鳴らされるアコースティックギターの音色が流れている。
 純粋な直射日光対策にサングラスをかけているという赤星の姿も、健人の瞳にはバカンスの象徴にしか映らない。
 赤星に海辺でバーベキューでもしないかと言われたとき、健人の心は天から救いが降ってきたかのように震えた。うっかりすると瞳がうるみそうだった。
 こんなに感動するバーベキューの誘いは後にも先にもこれくらいだろう。
 
 もう秋口に差し掛かるが海に入っても気持ちが良いくらいに、島の気温は温暖多湿だ。
 さすがに水着は調達しなかったものの、健人はクローゼットの奥に仕舞いこんだ荷物からゴム製のサンダルを引っ張りだした。足首くらいは海に浸かりたい。

 赤星が運転するミニバンは混沌とした繁華街の端から、背の高い防砂林が並ぶ海沿いの細い道路へと抜けていく。
 道中、木々のない開けた崖にさしかかると、青く陽光を照り返す大海原が姿を表した。
 凪いだ海の表面は優しく揺れ、水平線には蜃気楼のようにぼんやりとタンカーの姿が見える。
 後部座席に座っていた健人は、子供のようにドア側へ身体を寄せ、しばらく食い入るように海を見つめていた。

「手ぶらでOKのとこだったんじゃ?」
「そうだけど、やっぱり炭火で食べたいから、作ってきちゃったよ」
「何を?」
「見てからのお楽しみ」
 駐車場に車を停めると、赤星はシートを上げた後ろの荷室から小型のクーラーボックスを担ぎだした。
 フェンスで囲まれた駐車場を抜けると、アスファルトで舗装された地面から一転、鶯色の短い芝生が広がる海辺に出た。
 わずか数メートルほどの幅の砂浜の先は、先ほど眺めていた海が広がっている。
 右手側には日よけに深緑色のタープが等間隔に置かれており、その下には幅広のウッドデッキと、蛇人が座りやすいように座面が深くえぐられたような卵型のチェアがあった。
 
 諸々の機材を借り受けた赤星と一緒に、炭に火を入れたり食材を取り分けたりしているうちに、段々と気温が上がってきた。
 真夏のように苦痛を感じる暑さはないが、コンロの側にいるとじっとりとTシャツに汗が吸い取られていく。
 だが、久々の外の空気に健人はむしろ心地よさを覚えた。
 健人が辺りを見渡してみると、自分たち以外にも数組の客がいるのが見て取れた。
 いつものようにじろじろと不躾な視線を感じるかと思った健人だが、その予想は大きく外れた。
 周りの蛇人はカフェで読書でもするかのようなゆったりとした動きで、適当にコンロに何かを乗せてはタープの下に引っ込み、ぼんやりと酒をあおっている。
 中年の夫婦や、三、四十代に見える三人組、奥は独りだろうか、やたらに大きい蛇人が串に刺さったフランクフルトを片っ端から皿に乗せているのが見えた。
 みな物静かで、健人がこれまで参加してきた煩すぎるほど賑やかなバーベキューとは、あまりにも空気が違った。
「どう? もう焼いていいかな?」
「あ、うん。ってそれ、ハンバーグ?」
「パティだよ」
 背後から声をかけてきた赤星は、紙皿に乗った平べったい肉の塊を網の上に乗せていく。
 じゅう、と肉の脂が溶け出す、なんとも空腹感を煽る音がした。
「これ自分で?」
「そう。美味いよー。もう他のハンバーガー食べられなくなるくらいだよ」
「言うなあ」
 赤星の持ち込み食材は、自家製ハンバーガーセットだった。
 健人は自分に声をかける前に、せっせとパンズやトマトを輪切りにしてタッパーに小分けにする赤星の姿を想像する。
 ──断らなくてよかった。
 無論、誘いを断る理由なんて無いが、健人は素直にそう思った。

「どうしてくれんの」
「えっ」
「他のハンバーガー食えなくなった」
「えー……へへへ」
 タープの下、赤星と並んで不格好なハンバーガーを貪っていた健人は、赤星に最大級の賛辞を贈る。
 何もかもが新鮮で香ばしく、旨味に溢れていた。
 心配になるくらい振りかけられていた香辛料も、ぴりっと効いて肉によく合っている。
 時間が無いときは、コンビニのハンバーガー片手に記事作成をすることもある健人は、半ば本気だった。
「ウチの周りに、本格ハンバーガー屋みたいなのあったっけ」
「ないかな」
「もう毒だな。禁断症状が出そう」
「じゃあ、出たら言ってよ。そのー、いつでもここに連れてくからさ」
 照れくささからか、赤星の言葉はどことなくぎこちない。聞いている健人のほうまで、妙にむずむずさせる始末だ。
 ──どうなってんだよ。デートしてるわけじゃないんだぞ。
 仲良くなった会社の同僚とプライベートで遊びに行く。その認識のはずだった。
「流石に冬になったらキツいよな。それより、聞いていい?」
 何故か赤星の言葉を真正面から受け止められない健人は、話題を逸らすことにした。
「何?」
「あの、変な意味じゃないんだけど、ここだとバーベキューって人気ない?」
 健人の暮らしてきた本島では、夏になれば山でも海でも盛んに行われていたものだ。
 喧しく楽しく後片付けが面倒な行事。だが、今はどうだ。辺りにはキャンパーが焚き火の前で無心になっているような、緩やかな時間が流れている。
 誰も缶ビール片手に大声を上げたり、どれが焼けてるだの焼けてないだのとやりあったりしていないのだ。
「うーん、皆が皆してるってわけじゃないけど、どうして?」
「いや、静かだからさ」
「そうかな。こんなもんだよ。あーでも、若い蛇には人気ないかもね」
「そうなの?」
「まあ、火を使えるとこって、身を隠せるところが少ないしね。若い頃は落ち着かないんだよ。外でのんびり飯とか鈍ったジジイみたいに言う蛇もいるかな」
「へー、何か不思議だな」
 そこまで口にして、健人はふと気がついた。
 赤星はどうなのだろう、と。
 蛇人の年齢感覚についてはまだよく掴めていないが、少なくとも赤星はまだまだ働き盛りの精力的な青年に見えた。
 健人の憂さ晴らしを買って出てくれたはいいものの、実際のところ赤星自身は一つも面白くないのではないか。
「ごめんな。退屈かもしんないのに、気使ってもらって」
「そんな、俺が誘ったんだよ? それに、生島くんといると退屈なんてしないよ」
「そう?」
「そう」
 先ほどまで心地よく聞こえていた波の音が、やけに大きく聞こえる。
 健人の血潮がざわざわと騒ぎ出し、顔中に寄せるようだった。
 こんな気分になるのはロケーションのせいであり開放感のせいであり休日のせいであり異種族という未知の生物のせいである、と健人は思う事にした。
 どれもしっくりこないことに、そっと目を瞑りながら。
「お。海に入る人もいるんだな」
 赤星から浜辺へと視線を切り替えた健人の眼に、波打ち際で胴体を浸す男蛇人の姿が映った。
 先ほどの三人組の一人だろう。急な買い出しでもしているのか、他二名の姿が見えない。
 すると、タープが並ぶ最奥にいた巨体の一人客が、するすると砂の上を滑るように進んでいき、波打ち際の蛇人に声をかけ始めた。会話の内容はもちろん、表情もろくに伺えないが、二人が初対面であることだけは健人にも分かる。
 健人が何かのトラブルか、と思ったその瞬間、予想外のことが起きた。
「おい、アレ」
 思わず軽く指を差し、赤星に尋ねてしまう。
 巨体の方が、先に居た方の腕を取って、消波ブロックが積み上げられた小さな岬の影に引きずり込んでいるのだ。
「通報、通報した方がいいか!?」
 普段会社の近くで行われている乱闘騒ぎを眼にし過ぎた健人の眼には、それが暴力行為にしか映らなくなっていた。
「あー……その、だ、大丈夫だよ」
「何で」
「そういう、まあ、大人だし。嫌なら殴ったり噛みついたりするだろうし……」
 赤星の言葉は随分と歯切れが悪い。
 じゃあ何なんだ、と言う前に、健人の口が固まる。
 ついでに、どっちも雄、という言葉も呑み込んだ。自分が火だるまになった遠縁に、異なる種族異なる指向への無理解が関わっているからだ。
 善かれと思ってアドバイスを出した初期案が、他人の手で勝手に膨らんで、知らぬ間に産まれ、原案者という責任だけを押し付けられた形だ。
 もし、あのCMが受け入れられていたら、手柄は後輩が攫っていったのだろうか。
 健人がしばらく眠れなくなった原因の堂々巡りが、脳裏にちらつく。
 フリーズした健人を見て、別の意味で気まずくなったと勘違いした赤星は、あたふたと釈明を始めた。
 「あっ、皆が皆野外が好きってわけじゃないよ、俺はそんなでもないかな、虫とか気になるしね。もしかして本島では流行ってない?」
 「……下手したら捕まる」
「え!?」
 赤星は今日初めて大声を出した。

 ʘ

 健康診断結果通知の転送。島間相互医療センターカードへの移行用紙返送。住所登録変更。住民票の提出。
 デジタル化が進んでも、書類を送り返せという指示は滅亡しなかった。
 何なら、紙を取りに行ってスキャンしてデータを送って、そのあとに原本を貼り付けろだなんて回りくどいこともある。
 海から帰った健人を待っていたのは、本社から機械的に送信された数件のメールだった。
 ──転送? あ、ポスト見てないや。
 この雑居ビルの一階にあるエレベーターホール脇には、銀色の集合ポストが並んでいる。
 普段は赤星、気づいた時に白間が確認しているようだが、個人宛の書類となれば当人が持ってくるのが筋だろう。
 相変わらず白間は自室かネカフェ、赤星は狭い共用台所で軽食を作っている。
 気晴らしをかねて郵便物を取りに、健人は独りエレベーターに乗った。

 期間限定、今だけ30%Off!! Mサイズポテト無料クーポン!
 派手なカラーリングのチラシがノタホヴ社とラベルの貼られたポストへと突っ込まれている。
 放っておくと増殖するこれは厄介だが、自分たちも似たようなものかと思うと、健人は少しだけ寂しくなった。
 赤星のものを食べた後だと、印刷されたハンバーガーはどうにも貧相に見えてくる。
 溶けたチーズがはみ出した画を見ても、健人の食欲はわいてこなかった。
 ──もう一回喰いたいな、あれ。
 チラシ片手に物思いに耽っていたせいで、健人は背後のエレベーターが開いたことに気が付けなかった。
 マヨ、Wパティ、テリヤキ、ハラペーニョ。どれもそそられない。
 健人がチラシを折りたたもうとした、その時だった。
 「アンタ、まだ居たんだ」
 耳元で嘲るような若い男の声が囁く。
 健人が振り返ろうとしたその瞬間、長く黒い影が全身に巻き付いていた。

 つづく
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