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第一章 胎動編
【暗】拾伍ノ詩~二人の雪奈と陽炎軍【カゲロイクサ】~
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少し時間は遡り巨竹の内側。
どれだけの時間が経ったのだろう……
暗い……寂しい……私死んだのかな……?
でも…なんとなく感覚はあるし……
あれ?……私は……誰だっけ……?
思い出せない……誰か……教えて……お願い…………
無意識に右手を前へと伸ばすと柔らかくヌメっとした何かに触れた。
「膜?」
雪菜は自身を包んでいた膜を掴むと思いっきり引き裂く。膜はブチブチと音を立てながら予想に反して容易く破ることが出来た。
内部に入り込む空気。そして気付いた。先程まで呼吸が出来ていなかった事に。
「ぷはぁ……ケホッゴホッ……ハァ……ハァ……」
数度むせ込み、二度ほど深呼吸をした後、雪菜はゆっくりと立ち上がった。
「ここは……」
辺りを見回すも、広がるのは暗闇のみで視界を確保出来ない。
雪奈は一歩踏み出してみた。
雪奈が一歩踏み出すのとほぼ同時、まるでそれに呼応するかのように、どこからともなく一つの黄緑色に輝く光が眼前に現れた。光球はふよふよと宙を漂い、上下に揺れている。雪奈は光球を暫くの間、ぼんやりと眺めていたが、ふと光球はゆっくりと雪菜に近づいてきた。
「……」
雪奈は光球に敵意や恐ろしさは感じず、抵抗をせずに光球の接近を許した。
光は雪奈の胸の辺りまで来るとスっと体内へと吸い込まれた。
トクンッ……
それとほぼ同時に雪菜の胸を襲ったのは、まるで心臓が脈打つかのような感覚だった。
その感覚は水面を揺らす波紋のように全身の隅々へと広がり、同時に微かに力も湧いて来る。
「あれ……?」
しかし、力とは別に体の奥底から込み上げ雪菜は上を向く。
目から溢れる透明な液体、涙である。
人は涙が溢れぬように上を向く。それは人をやめた存在も同じである。
「私……なんで泣いて……」
その感覚が感情、それも末期の感情に対する衝動だと気付く頃には頬を溢れた涙が濡らしていた。
気付けば数多の光が雪菜を囲んでいる。それは十や二十ではない百を超える数の様々な色の光である。
「あなた達……」
雪菜は既に人にあらず。
人だった……いや人として人間社会に溶け込んでいた頃の記憶は、成ってしまった今では雪菜の内にほぼ存在しない。
しかし、例え記憶は失えど雪菜は本能で理解した。
この光達は自分の大切な人達だと……
「でもどうして……なぜ……こんなにも大勢……それに……」
雪菜は淡い光に照らされる壁に向かって歩く。そして壁に触れ理解する。
「コレ……竹だ…………そういう事……貴方が皆をここに……」
竹には地下茎が存在するのだ。
雪菜が茅ノ輪を地面に投げ、變化が始まった段階で、この巨竹は総本部全域に地下茎を伸ばし、総本部地下空間の大崩落を食い止めると同時に今回の襲撃で亡くなった者達の末期の感情を総本部全域から、かき集めたのだ。植物が何故そのようなことをしたのかって?その答えは初めから決まっている。
植物もまた生物であり、感情が存在するのだ。
現に雪菜の眼前には黄緑色のレインコートを身につけ、そのフードからは三つ編みに結われた長い茶色がかったおさげが覗き、両手を後ろに組んだ裸足の幼い少女が立っている。少女の目元は隠れているが、口元はにっこりと優しい笑顔を浮かべている。
「おはよう、神様に昇華したんだね雪菜ちゃん。私はこの巨竹の精だよ。そしてこの子は貴方の器」
いつの間にかレインコートの少女の隣には軍服を着た女性が立っている。前髪の一部が白く、黒く長い後ろ髪はポニーテールに結われている。
その女性の姿に雪奈は微かに見覚えがあった。
「私……?」
ふと漏らした雪菜の言葉に眼前の女性は微動だにせず、ただ静かに立っている。雪菜はそっと女性の顔を伺うも女性の瞳は虚ろであり、その瞳は何も映していない。
「新しい器……と言っても前の貴方の肉体だけどね。ごめんねもっといい器用意したかったけど……」
雪菜はそう言う巨竹の精の頭にそっと手を置き、やさしく撫でる。
「いいのですよ、十分すぎる贈り物ですよ」
雪奈の言葉を聞くと巨竹の精はニコッと微笑み、姿が希薄になっていく。
「待って!!」
雪奈の静止に巨竹の精は首を横に振り、目の前まで駆け寄ると右手で雪奈の左胸に触れる。
「私はいつでもそこに居るよ」
そう言うと巨竹の精は完全に姿を消す。
雪菜は残された女性に視線を向け、一歩踏み出す。女性はそれに呼応するかのように、スっと右手を差し出す。
雪菜はその手をそっと握り一言。
「過去の私……貴方の体使わせてもらうね」
その言葉に反応するかのように、眼前の女性は少し面を上げ、その瞳には次第に光が宿り始める。
女性の瞳に今の雪奈の姿が映り、口元が緩む。そして雪菜の笑顔を見て女性も少し微笑み、一筋の涙が彼女の右頬を滑り落ちる。そして女性はゆっくりと口を動かす。
「ありがとう。あとは任せた」
声は聞こえなかったがそう言った気がした。
雪菜は次第に青白い光に包まれ、まるで吸い込まれるかのように女性の中に入ってゆく。
チリンッ……
何処からか鈴の音が響くと同時に毛髪の色が白く変色する。
チリンッ……
二度目の鈴の音、軍服が何処か巫女服に似た白い霊装に変化し、どこからともなく天女の羽衣が現れる。
チリンッ……
三度目、霊装の袖口から茅の枝が伸び、それらは絡み合い頭上で立派な茅ノ輪を形成する。
雪奈はゆっくりと瞼を開く。両の強膜は黒く染まり、両瞳は黒から灰色に変色し、左の瞳は淡く蒼い光を発している。
雪奈は右掌をじっと見つめ、二度三度掌握する。そしてスっと右手を前にかざす。
「刀よ……出なさい!!」
そう呟き、右掌に力を込める。
その行動を行った理由、それはただ武器が欲しかったのと、武器を生み出せると本能的に感じたからである。
右掌を突き破りズズズッとやや緑がかった切っ先が突き出す。
痛みは無いが不思議な感覚。
徐々に刃は伸び、上身が全て顕になり、続いて鍔が、最後に柄が現れ一振の日本刀の形になる。
雪奈は右手で強く柄を握り、左手で拳を固めると軽く壁をコンコンと叩く。案外この巨竹の壁は薄そうである。そして感じるその向こうにいる邪悪な気配を。
雪奈は腰を落とし、居合の構えからの抜刀、霊力を纏った斬撃はカマイタチとなり巨竹を斜めに両断し、邪悪な気配に向かって飛んでゆく。
次の瞬間、雪奈の左目に映る敵の攻撃により巨竹の断面上部がこちらに向かってくる映像、雪奈は瞬時にそれが未来視であると理解し伏せる。
間髪入れずに陽炎神の森海焉崩滅により、頭部のスレスレを通過する巨竹。
雪奈はコンマ数秒の後、巨竹の通過前に目の前にあったはずの気配の消失に気付きく。
「速い……」
顔を上げ、吹っ飛んでゆく巨竹を方を睨む。
目が合った。
浮いた瓦礫に向かって飛んでいく巨竹に掴まった白無垢と。
白無垢はニコッと邪悪な笑みを浮かべ手をヒラヒラと振る。
雪奈は駆け出した。全力で……巨竹の進行方向に。
湧いてくる雑魚なんてどうでもいい。今アイツを止められなければもっと状況は悪化する──
雪奈は雑魚の攻撃を最低限の動作で躱し、かつ邪魔な敵は蹴散らしながらトップスピードを維持しつつ駆け抜ける。
浅い傷はたちまち塞がる。
スッと視界に飛び込んでくる白いモノ
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ陰陽蹴衝撃ィィィ」
ソレは奇声を上げつつ雪奈の腹部に蹴りを入れる。雪奈はギリギリで防御が間に合うも遅れてきた衝撃により、口から血を吹きながら後方に吹っ飛ばされる。
雪奈は体勢を立て直そうと地面に脚をつけ、ガガガッと音を立てながら、これ以上後方へ吹っ飛ばないようにブレーキをかける。
しかしそれは悪手であった。
「え……」
先程蹴散らした雑魚の霊体に足を掬われ更に体勢を大きく崩す。
「隙アリィィィ」
ザシュッ……
一瞬の隙をつき、恐らく強個体であろう顔が黒く塗りつぶされた白い軍服のようなものを着た少女。少女は居合の構えをし、一気に距離を詰め抜刀、雪奈の左腕が宙を舞う。次の瞬間、雪奈を襲う激痛。
「グッ……ああああああああぁぁぁ!!テメェェェエエ工!!」
雪奈は右手で少女の顔面を殴り、怯んだ瞬間顔面を掴む。そして、そのまま身体を翻し、少女の頭部を地面に叩きつける。頭部が割れる感覚が右腕を伝わってくる。
ゆっくり身体を起こした雪奈は近くに落ちている自分の刀を拾い、フラフラと少女に近づく。
ピクッピクッと微かに動く少女の胸を右足で踏み押え、自分の刀で少女の頭部を渾身の力を込め、貫いた。
相当な怒り、力を込めていたのだろう、地面にヒビが走る。
少女は鼓膜が破れそうな程の断末魔を上げ、サラサラッと黒い煤だけを残して消えていく。
「はぁ……はぁ……ッ……はぁ……はぁ……」
ゆっくり立ち上がり、切り落とされた左腕を拾うと断面同士を押し当てる。
「くっつけくっつけくっつけ!!」
そう祈り断面同士を擦りつけていると徐々に肩から先の感覚が戻ってくる。
恐る恐る右手を離すと左腕はしっかりとくっついており、何度か掌握する。
「動作に問題はなし……」
最早人の身なら動けなくなる程の大怪我でさえ今では軽傷のようだ。
しかしこれだけは言える。雑魚と言えども間違いなく敵は徐々に強くなりつつあり、時間稼ぎの意味を成してきているのだ。
ふと視線を上げ、息を飲む。
「……ッ……なに……あれ……」
宙に浮く瓦礫で形成された柱よりさらに上、見渡す限り広がる星空、その全てが大きく歪んでいるのだ。
歪みの形状はまるで漏斗のように……
必然的に雪奈の視線は歪みの先端へと移る。歪みの先端、青紫色の光を放つモノ、遠くからでもヒシヒシと感じる邪悪な気配。
先程見た白無垢だ──
いや感じる気配は陽炎神だけではない。
星空の歪みが向かう先、弱々しい生命霊力が二つ。片方は重傷なのだろう。今にも消えそうな程弱っている。
突然、雪奈の頭にズキンと痛みが襲う。
一瞬、何者かの攻撃かと迎撃体勢にはいった雪奈だったが、程なく本能的に理解した。この痛みが負傷によるモノではなく、自身が何かを思い出しかけているということを。
それが誰かは分からないけど、何処か懐かしみを感じる気配。大切な人だった気がする。
雪奈は再び駆け出す、阻む敵をことごとくなぎ倒し、数多の傷を負いながらも一直線に白無垢の元へと駆ける。
突然の腹部の激痛、チラッと腹部を見ると直径十センチほどの風穴が空いている。一瞬ふらつき踏み止まる。
「グッ……次は何?」
右斜めの敵達がバタバタと倒れ、倒れた敵達にも自分と同じ風穴が開いている。その延長線上には両手を雪奈に向かってかざす白い軍服を着た人型の怪異。顔のあるべき場所には紫色の蓮のような花が咲いている。その顔の花がフッと消えたかと思うとその怪異の右掌に現れ、再び消える。
何かヤバい。そう本能的に感じた雪奈は反射的に左へ飛ぶ。左にて待ち受ける雑魚は笑顔を浮かべ、案の定柄物を突き出す。同時に雪奈の右頬を何かが掠め深く抉る。
雪奈は柄物を突き出してきた雑兵の首にノールックで刀を突き刺しトドメを刺しつつ、その身を足場にして、最短距離で顔花の怪異に向かって駆け出す。ふと自分の後方を見ると、先程、顔花の怪異攻撃延長線に立つ敵達の頭部は消失している。
「他の敵達とは違う身形、空間を抉る能力、アイツも強個体なのか!?」
顔花の怪異も驚いた様に少し後方に距離を取り再び花を右掌に移動させる。
「遅い……」
その頃には雪奈は顔花の怪異の懐に入っており右手に持つ精製した刀で右腕を斬り飛ばす。
「次は首!」
首に向かって刃を振るう。そして顔花の怪異の頭部を見て罠だと気付く。
顔花の怪異の頭部には数多の蓮に似た花が咲いている。それに気付いた瞬間それらは姿を消し、同時に雪奈の全身に小さな風穴が開く。
「グッ……クソッ……まだまだァ!!」
雪奈は跳躍し、顔花の怪異の首に手を引っかけ、肩に足を置く。
「お前は後続にとっての脅威、ここで狩らせて貰う!!」
そのまま全体重をのせて首を引きちぎる。消えゆく顔花の怪異を見ながらボソッとケチをつける。
「はぁはぁ……化物が……」
再び雪奈は走り始める。敵陣を駆け抜けながら再生するも、再生能力もさっきより少し鈍って来ている。強個体との2連戦、ダメージを負いすぎたのだろう。
「早く……あの二人の元へ!!」
全力で駆ける雪奈も心の底では気付いていた。助けようにも時雨達との距離が長く妨害される自分と、距離が短く妨害されていない白無垢、どちらが先に到達するのか。結果は火を見るより明らかだ。
現実は残酷だ。100%間に合わない──
しかし足を止める訳にはいかない。僅かでも助けられる可能性があるのなら。
諦めかけた時、ふと地面から星空の歪みに向かって地面から打ち上がる赤い霊力を纏う存在と少し遅れて上空から落下する紫色の霊力を纏う存在。双方まるで白無垢を挟み撃ちするかの様に重なり、凄まじい衝撃波を生む。
雪奈はその衝撃波に吹き飛ばされない様に耐えながら吹き飛ばされてくる敵を斬り捨てていく。
「え?今度は何?」
見上げた雪奈を頭痛が襲う。
キィィィン……
頭痛と共に雪奈の未来視が不意に発動する。
未来視の内容……横たわる数人の亡骸と、その中心で満面の笑顔を浮かべる白無垢。
雪奈は周囲に転がる手頃サイズの瓦礫を拾い上げると渾身の力を込めて白無垢に向かって投げる。同時にその行動を隙と見た周囲の怪異達が、その手に持つ数多の武器にて雪奈を刺し貫き、宙を赤い鮮血が舞う。
雪菜は奥歯を噛み締め血反吐を吐きながらも近くの敵の首を落とし、頭部を踏み砕きつつも、一体一体の更なる追撃をいなしながら、的確にトドメをさしていく。
「グッ……イケェェェ!!」
雪奈が右拳を星空に向かって突き出し、叫ぶのと同時にそれは起った。
突然、星空が星一つない漆黒に染まったのだ。
刹那の困惑の後、頭部に痛みが走る。気付けば雪奈は頭を垂れていた。無意識に強く打ち付けた額からは血が滴る。
「私……何でこんなことしてるの……」
神となった雪奈ですら無意識に屈服せざるを得ない圧迫感と凄まじい鬼気がこの場を支配している。
雪奈は全力で身体を起こし、なんとかペタンと座るが、下半身はピクリとも動かない。
ふと自身を中心に赤く光る線が地面に刻まれていく。雪奈は辺りを見回し、これが陣である事に気付く。それも白無垢の身の毛もよだつような邪悪な神力が宿った陣である。
雪奈は見える範囲の術式を解析し、言葉を失う。
転送陣だった。
急いでその場から離れようとするも、膝から下が地面から離れない。
「何これ!?」
転送陣からの光は更に強くなり、フッと視界は暗転する。
意識が途切れる寸前、ほんの一瞬光が青白くなった気がした。
「う…………ん…………」
ゆっくりと瞼を開いた雪奈の視界に飛び込んできたのは夕焼けの空。
重い身体をなんとか起こし辺りを見回す。
──彼岸花の花畑──
「ここは……何処……?」
雪奈が目覚めた場所は一面に彼岸花が咲き乱れた空間だった。
どれだけの時間が経ったのだろう……
暗い……寂しい……私死んだのかな……?
でも…なんとなく感覚はあるし……
あれ?……私は……誰だっけ……?
思い出せない……誰か……教えて……お願い…………
無意識に右手を前へと伸ばすと柔らかくヌメっとした何かに触れた。
「膜?」
雪菜は自身を包んでいた膜を掴むと思いっきり引き裂く。膜はブチブチと音を立てながら予想に反して容易く破ることが出来た。
内部に入り込む空気。そして気付いた。先程まで呼吸が出来ていなかった事に。
「ぷはぁ……ケホッゴホッ……ハァ……ハァ……」
数度むせ込み、二度ほど深呼吸をした後、雪菜はゆっくりと立ち上がった。
「ここは……」
辺りを見回すも、広がるのは暗闇のみで視界を確保出来ない。
雪奈は一歩踏み出してみた。
雪奈が一歩踏み出すのとほぼ同時、まるでそれに呼応するかのように、どこからともなく一つの黄緑色に輝く光が眼前に現れた。光球はふよふよと宙を漂い、上下に揺れている。雪奈は光球を暫くの間、ぼんやりと眺めていたが、ふと光球はゆっくりと雪菜に近づいてきた。
「……」
雪奈は光球に敵意や恐ろしさは感じず、抵抗をせずに光球の接近を許した。
光は雪奈の胸の辺りまで来るとスっと体内へと吸い込まれた。
トクンッ……
それとほぼ同時に雪菜の胸を襲ったのは、まるで心臓が脈打つかのような感覚だった。
その感覚は水面を揺らす波紋のように全身の隅々へと広がり、同時に微かに力も湧いて来る。
「あれ……?」
しかし、力とは別に体の奥底から込み上げ雪菜は上を向く。
目から溢れる透明な液体、涙である。
人は涙が溢れぬように上を向く。それは人をやめた存在も同じである。
「私……なんで泣いて……」
その感覚が感情、それも末期の感情に対する衝動だと気付く頃には頬を溢れた涙が濡らしていた。
気付けば数多の光が雪菜を囲んでいる。それは十や二十ではない百を超える数の様々な色の光である。
「あなた達……」
雪菜は既に人にあらず。
人だった……いや人として人間社会に溶け込んでいた頃の記憶は、成ってしまった今では雪菜の内にほぼ存在しない。
しかし、例え記憶は失えど雪菜は本能で理解した。
この光達は自分の大切な人達だと……
「でもどうして……なぜ……こんなにも大勢……それに……」
雪菜は淡い光に照らされる壁に向かって歩く。そして壁に触れ理解する。
「コレ……竹だ…………そういう事……貴方が皆をここに……」
竹には地下茎が存在するのだ。
雪菜が茅ノ輪を地面に投げ、變化が始まった段階で、この巨竹は総本部全域に地下茎を伸ばし、総本部地下空間の大崩落を食い止めると同時に今回の襲撃で亡くなった者達の末期の感情を総本部全域から、かき集めたのだ。植物が何故そのようなことをしたのかって?その答えは初めから決まっている。
植物もまた生物であり、感情が存在するのだ。
現に雪菜の眼前には黄緑色のレインコートを身につけ、そのフードからは三つ編みに結われた長い茶色がかったおさげが覗き、両手を後ろに組んだ裸足の幼い少女が立っている。少女の目元は隠れているが、口元はにっこりと優しい笑顔を浮かべている。
「おはよう、神様に昇華したんだね雪菜ちゃん。私はこの巨竹の精だよ。そしてこの子は貴方の器」
いつの間にかレインコートの少女の隣には軍服を着た女性が立っている。前髪の一部が白く、黒く長い後ろ髪はポニーテールに結われている。
その女性の姿に雪奈は微かに見覚えがあった。
「私……?」
ふと漏らした雪菜の言葉に眼前の女性は微動だにせず、ただ静かに立っている。雪菜はそっと女性の顔を伺うも女性の瞳は虚ろであり、その瞳は何も映していない。
「新しい器……と言っても前の貴方の肉体だけどね。ごめんねもっといい器用意したかったけど……」
雪菜はそう言う巨竹の精の頭にそっと手を置き、やさしく撫でる。
「いいのですよ、十分すぎる贈り物ですよ」
雪奈の言葉を聞くと巨竹の精はニコッと微笑み、姿が希薄になっていく。
「待って!!」
雪奈の静止に巨竹の精は首を横に振り、目の前まで駆け寄ると右手で雪奈の左胸に触れる。
「私はいつでもそこに居るよ」
そう言うと巨竹の精は完全に姿を消す。
雪菜は残された女性に視線を向け、一歩踏み出す。女性はそれに呼応するかのように、スっと右手を差し出す。
雪菜はその手をそっと握り一言。
「過去の私……貴方の体使わせてもらうね」
その言葉に反応するかのように、眼前の女性は少し面を上げ、その瞳には次第に光が宿り始める。
女性の瞳に今の雪奈の姿が映り、口元が緩む。そして雪菜の笑顔を見て女性も少し微笑み、一筋の涙が彼女の右頬を滑り落ちる。そして女性はゆっくりと口を動かす。
「ありがとう。あとは任せた」
声は聞こえなかったがそう言った気がした。
雪菜は次第に青白い光に包まれ、まるで吸い込まれるかのように女性の中に入ってゆく。
チリンッ……
何処からか鈴の音が響くと同時に毛髪の色が白く変色する。
チリンッ……
二度目の鈴の音、軍服が何処か巫女服に似た白い霊装に変化し、どこからともなく天女の羽衣が現れる。
チリンッ……
三度目、霊装の袖口から茅の枝が伸び、それらは絡み合い頭上で立派な茅ノ輪を形成する。
雪奈はゆっくりと瞼を開く。両の強膜は黒く染まり、両瞳は黒から灰色に変色し、左の瞳は淡く蒼い光を発している。
雪奈は右掌をじっと見つめ、二度三度掌握する。そしてスっと右手を前にかざす。
「刀よ……出なさい!!」
そう呟き、右掌に力を込める。
その行動を行った理由、それはただ武器が欲しかったのと、武器を生み出せると本能的に感じたからである。
右掌を突き破りズズズッとやや緑がかった切っ先が突き出す。
痛みは無いが不思議な感覚。
徐々に刃は伸び、上身が全て顕になり、続いて鍔が、最後に柄が現れ一振の日本刀の形になる。
雪奈は右手で強く柄を握り、左手で拳を固めると軽く壁をコンコンと叩く。案外この巨竹の壁は薄そうである。そして感じるその向こうにいる邪悪な気配を。
雪奈は腰を落とし、居合の構えからの抜刀、霊力を纏った斬撃はカマイタチとなり巨竹を斜めに両断し、邪悪な気配に向かって飛んでゆく。
次の瞬間、雪奈の左目に映る敵の攻撃により巨竹の断面上部がこちらに向かってくる映像、雪奈は瞬時にそれが未来視であると理解し伏せる。
間髪入れずに陽炎神の森海焉崩滅により、頭部のスレスレを通過する巨竹。
雪奈はコンマ数秒の後、巨竹の通過前に目の前にあったはずの気配の消失に気付きく。
「速い……」
顔を上げ、吹っ飛んでゆく巨竹を方を睨む。
目が合った。
浮いた瓦礫に向かって飛んでいく巨竹に掴まった白無垢と。
白無垢はニコッと邪悪な笑みを浮かべ手をヒラヒラと振る。
雪奈は駆け出した。全力で……巨竹の進行方向に。
湧いてくる雑魚なんてどうでもいい。今アイツを止められなければもっと状況は悪化する──
雪奈は雑魚の攻撃を最低限の動作で躱し、かつ邪魔な敵は蹴散らしながらトップスピードを維持しつつ駆け抜ける。
浅い傷はたちまち塞がる。
スッと視界に飛び込んでくる白いモノ
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ陰陽蹴衝撃ィィィ」
ソレは奇声を上げつつ雪奈の腹部に蹴りを入れる。雪奈はギリギリで防御が間に合うも遅れてきた衝撃により、口から血を吹きながら後方に吹っ飛ばされる。
雪奈は体勢を立て直そうと地面に脚をつけ、ガガガッと音を立てながら、これ以上後方へ吹っ飛ばないようにブレーキをかける。
しかしそれは悪手であった。
「え……」
先程蹴散らした雑魚の霊体に足を掬われ更に体勢を大きく崩す。
「隙アリィィィ」
ザシュッ……
一瞬の隙をつき、恐らく強個体であろう顔が黒く塗りつぶされた白い軍服のようなものを着た少女。少女は居合の構えをし、一気に距離を詰め抜刀、雪奈の左腕が宙を舞う。次の瞬間、雪奈を襲う激痛。
「グッ……ああああああああぁぁぁ!!テメェェェエエ工!!」
雪奈は右手で少女の顔面を殴り、怯んだ瞬間顔面を掴む。そして、そのまま身体を翻し、少女の頭部を地面に叩きつける。頭部が割れる感覚が右腕を伝わってくる。
ゆっくり身体を起こした雪奈は近くに落ちている自分の刀を拾い、フラフラと少女に近づく。
ピクッピクッと微かに動く少女の胸を右足で踏み押え、自分の刀で少女の頭部を渾身の力を込め、貫いた。
相当な怒り、力を込めていたのだろう、地面にヒビが走る。
少女は鼓膜が破れそうな程の断末魔を上げ、サラサラッと黒い煤だけを残して消えていく。
「はぁ……はぁ……ッ……はぁ……はぁ……」
ゆっくり立ち上がり、切り落とされた左腕を拾うと断面同士を押し当てる。
「くっつけくっつけくっつけ!!」
そう祈り断面同士を擦りつけていると徐々に肩から先の感覚が戻ってくる。
恐る恐る右手を離すと左腕はしっかりとくっついており、何度か掌握する。
「動作に問題はなし……」
最早人の身なら動けなくなる程の大怪我でさえ今では軽傷のようだ。
しかしこれだけは言える。雑魚と言えども間違いなく敵は徐々に強くなりつつあり、時間稼ぎの意味を成してきているのだ。
ふと視線を上げ、息を飲む。
「……ッ……なに……あれ……」
宙に浮く瓦礫で形成された柱よりさらに上、見渡す限り広がる星空、その全てが大きく歪んでいるのだ。
歪みの形状はまるで漏斗のように……
必然的に雪奈の視線は歪みの先端へと移る。歪みの先端、青紫色の光を放つモノ、遠くからでもヒシヒシと感じる邪悪な気配。
先程見た白無垢だ──
いや感じる気配は陽炎神だけではない。
星空の歪みが向かう先、弱々しい生命霊力が二つ。片方は重傷なのだろう。今にも消えそうな程弱っている。
突然、雪奈の頭にズキンと痛みが襲う。
一瞬、何者かの攻撃かと迎撃体勢にはいった雪奈だったが、程なく本能的に理解した。この痛みが負傷によるモノではなく、自身が何かを思い出しかけているということを。
それが誰かは分からないけど、何処か懐かしみを感じる気配。大切な人だった気がする。
雪奈は再び駆け出す、阻む敵をことごとくなぎ倒し、数多の傷を負いながらも一直線に白無垢の元へと駆ける。
突然の腹部の激痛、チラッと腹部を見ると直径十センチほどの風穴が空いている。一瞬ふらつき踏み止まる。
「グッ……次は何?」
右斜めの敵達がバタバタと倒れ、倒れた敵達にも自分と同じ風穴が開いている。その延長線上には両手を雪奈に向かってかざす白い軍服を着た人型の怪異。顔のあるべき場所には紫色の蓮のような花が咲いている。その顔の花がフッと消えたかと思うとその怪異の右掌に現れ、再び消える。
何かヤバい。そう本能的に感じた雪奈は反射的に左へ飛ぶ。左にて待ち受ける雑魚は笑顔を浮かべ、案の定柄物を突き出す。同時に雪奈の右頬を何かが掠め深く抉る。
雪奈は柄物を突き出してきた雑兵の首にノールックで刀を突き刺しトドメを刺しつつ、その身を足場にして、最短距離で顔花の怪異に向かって駆け出す。ふと自分の後方を見ると、先程、顔花の怪異攻撃延長線に立つ敵達の頭部は消失している。
「他の敵達とは違う身形、空間を抉る能力、アイツも強個体なのか!?」
顔花の怪異も驚いた様に少し後方に距離を取り再び花を右掌に移動させる。
「遅い……」
その頃には雪奈は顔花の怪異の懐に入っており右手に持つ精製した刀で右腕を斬り飛ばす。
「次は首!」
首に向かって刃を振るう。そして顔花の怪異の頭部を見て罠だと気付く。
顔花の怪異の頭部には数多の蓮に似た花が咲いている。それに気付いた瞬間それらは姿を消し、同時に雪奈の全身に小さな風穴が開く。
「グッ……クソッ……まだまだァ!!」
雪奈は跳躍し、顔花の怪異の首に手を引っかけ、肩に足を置く。
「お前は後続にとっての脅威、ここで狩らせて貰う!!」
そのまま全体重をのせて首を引きちぎる。消えゆく顔花の怪異を見ながらボソッとケチをつける。
「はぁはぁ……化物が……」
再び雪奈は走り始める。敵陣を駆け抜けながら再生するも、再生能力もさっきより少し鈍って来ている。強個体との2連戦、ダメージを負いすぎたのだろう。
「早く……あの二人の元へ!!」
全力で駆ける雪奈も心の底では気付いていた。助けようにも時雨達との距離が長く妨害される自分と、距離が短く妨害されていない白無垢、どちらが先に到達するのか。結果は火を見るより明らかだ。
現実は残酷だ。100%間に合わない──
しかし足を止める訳にはいかない。僅かでも助けられる可能性があるのなら。
諦めかけた時、ふと地面から星空の歪みに向かって地面から打ち上がる赤い霊力を纏う存在と少し遅れて上空から落下する紫色の霊力を纏う存在。双方まるで白無垢を挟み撃ちするかの様に重なり、凄まじい衝撃波を生む。
雪奈はその衝撃波に吹き飛ばされない様に耐えながら吹き飛ばされてくる敵を斬り捨てていく。
「え?今度は何?」
見上げた雪奈を頭痛が襲う。
キィィィン……
頭痛と共に雪奈の未来視が不意に発動する。
未来視の内容……横たわる数人の亡骸と、その中心で満面の笑顔を浮かべる白無垢。
雪奈は周囲に転がる手頃サイズの瓦礫を拾い上げると渾身の力を込めて白無垢に向かって投げる。同時にその行動を隙と見た周囲の怪異達が、その手に持つ数多の武器にて雪奈を刺し貫き、宙を赤い鮮血が舞う。
雪菜は奥歯を噛み締め血反吐を吐きながらも近くの敵の首を落とし、頭部を踏み砕きつつも、一体一体の更なる追撃をいなしながら、的確にトドメをさしていく。
「グッ……イケェェェ!!」
雪奈が右拳を星空に向かって突き出し、叫ぶのと同時にそれは起った。
突然、星空が星一つない漆黒に染まったのだ。
刹那の困惑の後、頭部に痛みが走る。気付けば雪奈は頭を垂れていた。無意識に強く打ち付けた額からは血が滴る。
「私……何でこんなことしてるの……」
神となった雪奈ですら無意識に屈服せざるを得ない圧迫感と凄まじい鬼気がこの場を支配している。
雪奈は全力で身体を起こし、なんとかペタンと座るが、下半身はピクリとも動かない。
ふと自身を中心に赤く光る線が地面に刻まれていく。雪奈は辺りを見回し、これが陣である事に気付く。それも白無垢の身の毛もよだつような邪悪な神力が宿った陣である。
雪奈は見える範囲の術式を解析し、言葉を失う。
転送陣だった。
急いでその場から離れようとするも、膝から下が地面から離れない。
「何これ!?」
転送陣からの光は更に強くなり、フッと視界は暗転する。
意識が途切れる寸前、ほんの一瞬光が青白くなった気がした。
「う…………ん…………」
ゆっくりと瞼を開いた雪奈の視界に飛び込んできたのは夕焼けの空。
重い身体をなんとか起こし辺りを見回す。
──彼岸花の花畑──
「ここは……何処……?」
雪奈が目覚めた場所は一面に彼岸花が咲き乱れた空間だった。
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