6 / 56
第一部
第6話 ある公爵様の訪問
しおりを挟む
テレーゼはノックをして慌てた様子でコルネリアの部屋に入ると、ベッドの上に座っていた彼女に訪問者のことについて早口で言い始める。
「コルネリア様っ! 実はアスマン公爵がいらっしゃっているのですが、いかがいたしましょうか」
「え? 公爵様が?」
公爵という言葉を聞いて偉い人だとすぐに判断した後、脳内ではすぐに自分はどうすればいいのだという思いがよぎる。
いつも対応していたであろうレオンハルトも今しがた仕事に出たばかりで、彼の側近と聞いているミハエルもいない。
家の中には「ヴァイス公爵夫人」という立場である自分と使用人たちしかおらず、どのように対応すれば良いのかと考えた。
コルネリアは息を切らせながら自分に公爵の訪問を報告したテレーゼの背中をさすって落ち着かせると、廊下のほうへと向かう。
「コルネリア様?」
「ひとまずご用件を伺いにまいりましょう。緊急事かもしれません」
貴族生活の少ないコルネリアだったが、昔教会のシスターが訪問者を歓迎していたことを思い出し、自分もひとまず来客の対応をすることにした。
しかし、彼女にとってそれからの時間は苦いものとなる──
アスマン公爵はヴァイス家の執事の案内で応接室に通され、青いベルベット生地のソファに腰をかけて待っていた。
コルネリアはドレスの裾を持って挨拶をすると、そのまま公爵の向かいに座る。
執事はアスマン公爵の前、そしてコルネリアの前に紅茶を置くと、そのままコルネリアの少し後ろに控えるように立った。
「お初にお目にかかりますなあ、ご夫人」
「ご挨拶が遅くなりました、コルネリアと申します」
表情もなく真っすぐにアスマン公爵を見つめて名を名乗ると、公爵はそれは優雅に紅茶の香りを嗅いでゆっくりと飲み始める。
かなり年を召しているのか、杖を横に携えており、髭を整えながらコルネリアを品定めするように見つめてくる。
普通の令嬢であればそこまでまじまじと見つめられて、しかも少々眉をひそめながら嫌なものでも見るかのようにされると居心地が悪いが、コルネリアにとっては特に何の不快感もなかった。
それほど彼女の感情の欠け落ちは残ってしまっている。
「ヴァイス公爵はいらっしゃらないのだろうか」
「夫は仕事で王宮に出ております」
「いつ頃戻られるのかな?」
「私にはわかりかねます」
コルネリアはここに来て数日であったし、レオンハルトもまだ仕事から帰る時間などを詳細に教えてはいなかった。
彼女の負担をなるべく軽くしたいという思いからであったが、今回はそれが仇となったのだ。
「北方の領土権利の申請書について伺いたいのだが」
「私にはわかりかねます、申し訳ございません」
「この紅茶は北方のものかね?」
「……」
答えを持ち合わせておらずごくりと喉を鳴らして焦ってしまったコルネリアだったが、すぐ後ろに控えていた執事が言葉を発する。
「アスマン公爵の仰る通り、そちらは北方の今年流通が始まった茶葉でございます」
「そうかっ! 私は紅茶にうるさくてな、あそこの茶葉は時期にこだわっているんだが、さすがだなヴァイス公爵は」
「主人に伝えておきます」
「ああ、それに比べて……」
そう言いながらなんとも文句を言いたげな、蔑んだ目でコルネリアを見つめるアスマン公爵は、ため息を大きくついて髭を触る。
「ご夫人はこの家のことを何にも知らないといいますか、先ほどから話していてもなかなかその、学がないというか」
「出来損ないの妻」とはっきり言われた気がした。
申し訳ございませんと何度も謝るしかなく、その様子を痛々しそうに執事も見て合間合間にコルネリアを擁護してくれるが、アスマン公爵の嫌味は止まらない。
「あの有名な聖女様だったと伺いましたが、思ったほどでなく普通のご令嬢のようで」
コルネリアは何も言い返せず、黙って俯きがちになりながら、公爵の口攻撃が止まるのをただひたすらに待つ。
「ああ、ヴァイス公爵も落ちましたな」
その言葉を聞いた途端にドクンとコルネリアの鼓動がはね、そして血の気が引いていく。
もうそこから彼女の意識はほぼなく、何度も繰り返されるレオンハルトへの悪口や嫌味を聞いて手を震わせていた。
◇◆◇
アスマン公爵が帰って数時間後、レオンハルトが邸宅に戻ってきた。
執事から仔細を聞き、その足でコルネリアがいる部屋へと向かう。
「悪かったね、アスマン公爵が来ていたんだって?」
「はい、後日またいらっしゃるとのことでした」
「そうか、突然の対応を任せて申し訳なかったね」
外は雨が降ってきていたようでコートや髪についていた雨粒を払うようにして雫を取っている。
そんなレオンハルトには背を向けて立っていたコルネリアが彼のほうに振り向き、言葉を発した。
「いえ、とんでもございません。それよりも私から一つ公爵様によろしいでしょうか?」
「ああ、なんだい」
レオンハルトはコルネリアから珍しく問いかけが来たことに対して内心少し喜んでしまっていた。
彼女が感情を表に出すことはほぼないに等しいし、それに彼女のためにできることがあるのであれば、なんでもしてやりたいと思っていたからだ。
「離婚して頂きたいのです」
コルネリアの冷静で冷たい言葉が、レオンハルトの淡い期待すらも打ち砕いた──
「コルネリア様っ! 実はアスマン公爵がいらっしゃっているのですが、いかがいたしましょうか」
「え? 公爵様が?」
公爵という言葉を聞いて偉い人だとすぐに判断した後、脳内ではすぐに自分はどうすればいいのだという思いがよぎる。
いつも対応していたであろうレオンハルトも今しがた仕事に出たばかりで、彼の側近と聞いているミハエルもいない。
家の中には「ヴァイス公爵夫人」という立場である自分と使用人たちしかおらず、どのように対応すれば良いのかと考えた。
コルネリアは息を切らせながら自分に公爵の訪問を報告したテレーゼの背中をさすって落ち着かせると、廊下のほうへと向かう。
「コルネリア様?」
「ひとまずご用件を伺いにまいりましょう。緊急事かもしれません」
貴族生活の少ないコルネリアだったが、昔教会のシスターが訪問者を歓迎していたことを思い出し、自分もひとまず来客の対応をすることにした。
しかし、彼女にとってそれからの時間は苦いものとなる──
アスマン公爵はヴァイス家の執事の案内で応接室に通され、青いベルベット生地のソファに腰をかけて待っていた。
コルネリアはドレスの裾を持って挨拶をすると、そのまま公爵の向かいに座る。
執事はアスマン公爵の前、そしてコルネリアの前に紅茶を置くと、そのままコルネリアの少し後ろに控えるように立った。
「お初にお目にかかりますなあ、ご夫人」
「ご挨拶が遅くなりました、コルネリアと申します」
表情もなく真っすぐにアスマン公爵を見つめて名を名乗ると、公爵はそれは優雅に紅茶の香りを嗅いでゆっくりと飲み始める。
かなり年を召しているのか、杖を横に携えており、髭を整えながらコルネリアを品定めするように見つめてくる。
普通の令嬢であればそこまでまじまじと見つめられて、しかも少々眉をひそめながら嫌なものでも見るかのようにされると居心地が悪いが、コルネリアにとっては特に何の不快感もなかった。
それほど彼女の感情の欠け落ちは残ってしまっている。
「ヴァイス公爵はいらっしゃらないのだろうか」
「夫は仕事で王宮に出ております」
「いつ頃戻られるのかな?」
「私にはわかりかねます」
コルネリアはここに来て数日であったし、レオンハルトもまだ仕事から帰る時間などを詳細に教えてはいなかった。
彼女の負担をなるべく軽くしたいという思いからであったが、今回はそれが仇となったのだ。
「北方の領土権利の申請書について伺いたいのだが」
「私にはわかりかねます、申し訳ございません」
「この紅茶は北方のものかね?」
「……」
答えを持ち合わせておらずごくりと喉を鳴らして焦ってしまったコルネリアだったが、すぐ後ろに控えていた執事が言葉を発する。
「アスマン公爵の仰る通り、そちらは北方の今年流通が始まった茶葉でございます」
「そうかっ! 私は紅茶にうるさくてな、あそこの茶葉は時期にこだわっているんだが、さすがだなヴァイス公爵は」
「主人に伝えておきます」
「ああ、それに比べて……」
そう言いながらなんとも文句を言いたげな、蔑んだ目でコルネリアを見つめるアスマン公爵は、ため息を大きくついて髭を触る。
「ご夫人はこの家のことを何にも知らないといいますか、先ほどから話していてもなかなかその、学がないというか」
「出来損ないの妻」とはっきり言われた気がした。
申し訳ございませんと何度も謝るしかなく、その様子を痛々しそうに執事も見て合間合間にコルネリアを擁護してくれるが、アスマン公爵の嫌味は止まらない。
「あの有名な聖女様だったと伺いましたが、思ったほどでなく普通のご令嬢のようで」
コルネリアは何も言い返せず、黙って俯きがちになりながら、公爵の口攻撃が止まるのをただひたすらに待つ。
「ああ、ヴァイス公爵も落ちましたな」
その言葉を聞いた途端にドクンとコルネリアの鼓動がはね、そして血の気が引いていく。
もうそこから彼女の意識はほぼなく、何度も繰り返されるレオンハルトへの悪口や嫌味を聞いて手を震わせていた。
◇◆◇
アスマン公爵が帰って数時間後、レオンハルトが邸宅に戻ってきた。
執事から仔細を聞き、その足でコルネリアがいる部屋へと向かう。
「悪かったね、アスマン公爵が来ていたんだって?」
「はい、後日またいらっしゃるとのことでした」
「そうか、突然の対応を任せて申し訳なかったね」
外は雨が降ってきていたようでコートや髪についていた雨粒を払うようにして雫を取っている。
そんなレオンハルトには背を向けて立っていたコルネリアが彼のほうに振り向き、言葉を発した。
「いえ、とんでもございません。それよりも私から一つ公爵様によろしいでしょうか?」
「ああ、なんだい」
レオンハルトはコルネリアから珍しく問いかけが来たことに対して内心少し喜んでしまっていた。
彼女が感情を表に出すことはほぼないに等しいし、それに彼女のためにできることがあるのであれば、なんでもしてやりたいと思っていたからだ。
「離婚して頂きたいのです」
コルネリアの冷静で冷たい言葉が、レオンハルトの淡い期待すらも打ち砕いた──
8
お気に入りに追加
586
あなたにおすすめの小説
【完結】中継ぎ聖女だとぞんざいに扱われているのですが、守護騎士様の呪いを解いたら聖女ですらなくなりました。
氷雨そら
恋愛
聖女召喚されたのに、100年後まで魔人襲来はないらしい。
聖女として異世界に召喚された私は、中継ぎ聖女としてぞんざいに扱われていた。そんな私をいつも守ってくれる、守護騎士様。
でも、なぜか予言が大幅にずれて、私たちの目の前に、魔人が現れる。私を庇った守護騎士様が、魔神から受けた呪いを解いたら、私は聖女ですらなくなってしまって……。
「婚約してほしい」
「いえ、責任を取らせるわけには」
守護騎士様の誘いを断り、誰にも迷惑をかけないよう、王都から逃げ出した私は、辺境に引きこもる。けれど、私を探し当てた、聖女様と呼んで、私と一定の距離を置いていたはずの守護騎士様の様子は、どこか以前と違っているのだった。
元守護騎士と元聖女の溺愛のち少しヤンデレ物語。
小説家になろう様にも、投稿しています。
【完結】フェリシアの誤算
伽羅
恋愛
前世の記憶を持つフェリシアはルームメイトのジェシカと細々と暮らしていた。流行り病でジェシカを亡くしたフェリシアは、彼女を探しに来た人物に彼女と間違えられたのをいい事にジェシカになりすましてついて行くが、なんと彼女は公爵家の孫だった。
正体を明かして迷惑料としてお金をせびろうと考えていたフェリシアだったが、それを言い出す事も出来ないままズルズルと公爵家で暮らしていく事になり…。
大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです
古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。
皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。
他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。
救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。
セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。
だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。
「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」
今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。
聖女のわたしを隣国に売っておいて、いまさら「母国が滅んでもよいのか」と言われましても。
ふまさ
恋愛
「──わかった、これまでのことは謝罪しよう。とりあえず、国に帰ってきてくれ。次の聖女は急ぎ見つけることを約束する。それまでは我慢してくれないか。でないと国が滅びる。お前もそれは嫌だろ?」
出来るだけ優しく、テンサンド王国の第一王子であるショーンがアーリンに語りかける。ひきつった笑みを浮かべながら。
だがアーリンは考える間もなく、
「──お断りします」
と、きっぱりと告げたのだった。
偽物と断罪された令嬢が精霊に溺愛されていたら
影茸
恋愛
公爵令嬢マレシアは偽聖女として、一方的に断罪された。
あらゆる罪を着せられ、一切の弁明も許されずに。
けれど、断罪したもの達は知らない。
彼女は偽物であれ、無力ではなく。
──彼女こそ真の聖女と、多くのものが認めていたことを。
(書きたいネタが出てきてしまったゆえの、衝動的短編です)
(少しだけタイトル変えました)
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
【コミカライズ決定】婚約破棄され辺境伯との婚姻を命じられましたが、私の初恋の人はその義父です
灰銀猫
恋愛
両親と妹にはいない者として扱われながらも、王子の婚約者の肩書のお陰で何とか暮らしていたアレクシア。
顔だけの婚約者を実妹に奪われ、顔も性格も醜いと噂の辺境伯との結婚を命じられる。
辺境に追いやられ、婚約者からは白い結婚を打診されるも、婚約も結婚もこりごりと思っていたアレクシアには好都合で、しかも婚約者の義父は初恋の相手だった。
王都にいた時よりも好待遇で意外にも快適な日々を送る事に…でも、厄介事は向こうからやってきて…
婚約破棄物を書いてみたくなったので、書いてみました。
ありがちな内容ですが、よろしくお願いします。
設定は緩いしご都合主義です。難しく考えずにお読みいただけると嬉しいです。
他サイトでも掲載しています。
コミカライズ決定しました。申し訳ございませんが配信開始後は削除いたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる