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言葉なくとも

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しばらくして、弥吉に抱えられながら、離れに戻った。
書見台の前に腰を下ろしても、
本の一つも開く気になれない。
僕は、何の理由もなく、
ただ茫然とアルストロメリヤを眺めていた。

一週間経っても、
桃色の花弁は誇らしげに前を向いている。
色褪せるどころか、むしろ、より鮮やかな色香を放って。

「お前は、どうしてそう背筋を伸ばしていられるんだ」

僕は花へ八つ当たりした。
ずっと同じ部屋にいながら、
一向に枯れる様子を見せないのが腹立たしかった。

「お茶をお持ちしました」

戸が開いて、盆を持った弥吉が顔を出す。

「すまん」
「お気になさらず」
弥吉はいつもの小机に湯呑を置く。
ぬるめの煎茶をひと口含むと、僕は投げやりに言った。

「弥吉、どう思う」
「寅之助様?」
「邸ごと捨てられたのは同じだというのに、
僕がこれほど絶望している一方で、
花は相変わらず、活き活きとしている。
どうして、僕は花のように平気でいられない」

「……もし、労咳が治れば、
寅之助様はいかがなさるおつもりですか」

弥吉はそっと僕の顔を覗き込んだ。

「治るわけがないだろう、馬鹿馬鹿しい」
「どうしてそうおっしゃるんです」
「労咳を完全に治す方法など、まだ解明されていない。
それに、医者は昨日、薬を置いていかなかった。
何を渡したところで、効きもせず、そのうち死ぬからにきまっている」
「必ず死ぬとでもおっしゃったんですか、お医者様は」

彼の力強い目が、気づかせている。

健やかな体を夢見た日があったことも、

憧れさえしていた死を目前にして、
恐れに満たされている、僕自身も。

「弥吉、僕は、どうすればいい……?」

軽く咳き込んでうなだれた僕に、弥吉は言った。

「労咳から解き放たれて、
寅之助様がなさってみたいことを私に教えてください。

労咳が治れば、
昔から続く喘息も、きっと軽くなることでしょう。
そうなれば、お館様や世間の目を気になさって、
今まで寅之助様が諦めなさっていたことも、
叶えられるのではありませんか。

一度にすべてお話しいただかなくとも、
あなた様の具合がよろしい時に
おっしゃってくだされば、良いのです。
いかがでしょう」

弥吉は僕のやつれた右手を取って続けた。

「寅之助様、私も、花も、お傍におります。
あなた様が快くなることを、心からお祈りしているものが」

彼の、太陽の光を受けて輝く瞳に促されるように、
僕はアルストロメリヤを見つめた。

花は静かに咲いている。
心なしか、僕を正面から見つめるため、
桃色の花弁を広げているように感じさせた。

僕は、弥吉の手の中でそっと拳をつくり、
ただ黙ってうなずいた。
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